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三年目の花

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4部分:第四章


第四章

 湯舟はノーヒットノーランも達成する。投打が噛み合った阪神とヤクルトは何時しか激しい死闘を演じていた。
 主役は巨人ではなかった。ここで実に不思議な現象が起こった。
『野球がつまらなくなった』
 前のシーズンからこうしたことがマスコミに書かれるようになった。特に読売の系列において。野球ファンはそれを見て首を傾げたものである。
 真相は単純明快である。単に巨人が優勝しないだけである。姑息かつ愚劣な行為であった。
 野球は巨人だけではない。巨人こそ球界の盟主と思い込んでいる愚か者は残念なことに実に多い。この連中は野球を好きなのではない。巨人さえよければいいのである。腐敗した愚か者共なのだ。
 翌年から巨人に長嶋茂雄が復帰すると急にこうした記事は消えた。その代償はマスコミのさらなる巨人偏重報道である。まるでどこかの国の将軍様の礼讃記事を彷彿とさせる記事まで散乱していた。関東ではそれが特に甚だしかった。
 球界が巨人のものと思い込んでいる輩は日本球界の癌に他ならない。この連中が日本の野球を腐敗させたのだ。この連中は知能が低い。その為他のチームの野球なぞ見ることが出来ないのだ。こうした連中は一刻も早く掃討されねばならないのは言うまでもない。
 だがヤクルトと阪神はそうした連中を嘲笑うかのように激しいデッドヒートを演じた。ペナントは完全に彼等のものとなっていた。
「どちらが勝つかな」
「阪神だろ。勢いが違う」
「いや、野村の頭脳が勝つ」
 真に野球を愛する者達はそう話をしていた。彼等にとって巨人は最早惨めな敗残者でしかなかった。巨人はこのシーズン優勝戦線から脱落していった。ヤクルトは後半戦が幕を開けるとすぐに首位に立った。
 だがこの九月が鬼門となった。
 勝てない。急に勝てなくなったのだ。野村の持論としてこういうものがある。
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」
 やはり投手の駒不足がここにきて出て来たのだ。
「所詮ヤクルトは打つだけだからな」
「岡林と西村だけの投手陣だよ」
 シュートを得意とする川崎憲次郎は故障していた。ストッパーに回した内藤もだ。岡林をフル回転させ、伊東と西村に先発を頼っていた。時にはルーキーである石井一久まで使っていた。
 特に阪神との戦いで苦戦した。十一日の甲子園での戦いは特に激しいものとなった。
 長い戦いとなった。三回を終わって三対三。試合はここから動かなかった。
 ヤクルトは七回から岡林を投入した。負けが続いている。その流れを何としても断ちたかった。この時彼はこの試合が後々まで語られるものになるとは夢にも思わなかった。
 九回裏ツーアウトランナーなし。ここで打席には八木が立つ。八木はバットを思いきり振り抜いた。
「大きいぞ!」
 それを見た甲子園を埋め尽くす阪神ファンは思わず顔を上げた。
「入るか!?」
「入ってくれ!」
 皆口々に叫ぶ。そして打球の行方を追う。
 打球はそのまま上がる。飛ぶ。ファンはその動きを見てその顔を次第に綻ばせた。
「入れ!入れ!」
 だが微妙なところであった。甲子園は広い。そして波風もある。ホームランを打つにはコツが必要なのだ。かって阪神でホームランアーチストとまで謳われた田淵幸一もあの伝説の優勝をもたらした助っ人ランディ=バースも波風に乗せて打っていた。この風が思わぬ曲者なのだ。
 打球はゆっくりと飛ぶ。そしてスタンドに入った。
「よっしゃあああああああーーーーーーーーっ!」
 一塁側だけではない。甲子園はその全てが阪神ファンに支配されている。球場全体が歓声で揺れた。 
 お立ち台が用意される。阪神ナインもファンも殊勲打を放った八木を迎える。阪神にとって非常に大きな一打であった。
 そう、ホームランだったならば。
 審判達が集まりはじめた。そして何かを話していた。
「ん!?あいつ等何話しとるんや!?」
「まさか八木のホームランにいちゃもんつける気ちゃうやろな」
 彼等は眉を顰めはじまた。何かがあればすぐに暴れそうな者までいた。
 だが彼等の危惧は不幸にして的中した。ホームランは取り消されたのだ。
「何ィ!!」
 怒ることか怒らないことか。甲子園は今度は憤怒と殺気に支配された。
「われは何処に目ェつけとるんじゃ!」
「ボケ!アホ!ふざけたこと言うとるといてまうぞこのカス!」
 罵声が飛び交う。メガホンまで投げる者までいる。事態は抜き差しならぬ事態になりかねなかった。
 だが審判団の説明に流石の彼等も次第に落ち着きを取り戻してきた。打球は外野フェンスのラバー上段に当たっていたのであった。
「それなら仕方あらへんわ」
 ファン達は憮然としてそれを認めた。
「二塁におるしな。こっからサヨナラ決めればええわい」
「そうでなかったら延長戦や」
 彼等はそう考えていた。だが岡林はこれで立ち直った。彼はこの後獅子奮迅の力投で阪神打線を抑えた。
 そして延長戦に入った。両者共相譲らず膠着状態となった。
 岡林が力投した。そして延長十五回まで阪神打線を寄せつけなかった。結局試合は引き分けに終わった。
「長い試合やったな」
 試合を最後まで観ていたファンもふう、と溜息をついた。
「惜しかったな、八木のあれは」
「仕方あらへんわ。明日打ってくれるわ」
 こんな時でも彼等はポジティブであった。そうでなければ阪神を応援なぞできはしない。
 だがこの試合は後々多いに響いてくる。勝てなかった阪神、負けなかったヤクルト。だがそれはこの時は誰にもわかりはしなかった。
 翌日の試合だ。だが阪神ナインには疲れは見えなかった。
 先発の猪俣が飛ばす。そしてヤクルト打線を抑えた。
「やっぱりええピッチャーは打てへんようやな」
 野村は歯噛みしてそう呟いた。選手達もそれは同じであった。
「救世主が欲しいですね」
 広沢がポツリと呟いた。そして彼等は球場を後にした。
 その次の日はそう言った広沢本人が致命的なミスをしてしまった。
 何とサヨナラエラーである。何の変哲もない一塁ゴロを誤って後ろに逸らしてしまったのである。
「何とやっとるんじゃ」
 野村はそれを見て憮然としてそう呟いた。
「これこそ不思議の負けなしや。守備ちゅうのはこうした時に出てくるもんなんや」
 そう言って広沢の守備を批判した。広沢はそれを黙って聞いているしかなかった。
 終わってみれば九連敗である。この試合で首位が入れ替わってしまった。あまりにも痛いエラーであった。
 だが阪神にとっては僥倖であった。阪神ファンはもうお祭り騒ぎであった。
「このままいけるで!」
「ああ、優勝や!」
 関西はそうした話題でもちきりであった。スポーツ新聞は連日阪神の勝利を大々的に伝えた。何と高校でスポーツ新聞を読んで満面の笑みを浮かべる女子高生までいたのだ。
 
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