ドリトル先生の林檎園
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第五幕その十
「日本書紀では美濃、今の岐阜県に行けと命じられてそこを治めたんだ」
「全然違うね」
「何で古事記では殺されて日本書紀ではそうなの?」
「全く違うけれど」
「同じ人のお話なのに」
「それでその人の神社が岐阜県にあって」
先生はその人のお話を続けました。
「神様として祀られているんだ」
「じゃあこの場合は日本書紀が事実?」
「そっちになるの?」
「というか日本武尊ご自身も実在の方?」
「神話の方よね」
「日本は神話がそのまま歴史になっているから」
そうしたお国だというのです。
「古事記も日本書紀も結末は歴史に続くって感じなんだ」
「そんな本もあるんだ」
「というか日本の歴史って神話に続いているんだ」
「そんな国本当にあるなんて」
「いや、聖書もキリストから歴史になっているから」
先生は今度は先生達の宗教のお話もしました。
「別におかしくないよ、ただ日本は皇室が神武帝からはじまっていて」
「その神武帝が神話の方で」
「それでなんだ」
「そこから歴史になっているんだ」
「皇室から」
「そうだよ、皇室の正式な成立の時はわからないけれど」
先生も学んでいますがわかっていません。
「少なくとも三世紀には存在したみたいでね」
「じゃあ日本武尊も実在の方?」
「それでお兄さんも」
「そうなるのかな」
「どうなのかな」
「そこもわからないしね」
先生は皆にまたお話しました。
「本当にね」
「日本の神道はわかりにくいね」
「難しいね」
「どうにもこうにも」
「そのことは事実ね」
「そうだね、けれどこうして神社の中に入らせてもらうと」
それならというのです。
「本当に神聖な気持ちになることは確かだね」
「大切にしないとね」
「こうしたものもね」
「宗教は違えど」
「神様は神様だから」
「そうだよ、最近僕は神道も仏教も学んで」
そうしてというのです。
「天理教も学んでるけれどね」
「あの宗教もね」
「そういえば八条学園にも天理教の教会あるしね」
「神社もお寺もあって」
「キリスト教の教会もあってね」
「宗教は本来いがみ合うものじゃないんだ」
先生のお考えではそうです。
「お互いに認め合って学び合って語り合う」
「そうしたものだよね」
「日本でもそうだしね」
「他の国でもそうでありたいね」
「宗教が違うだけで争うとか」
「そんなことは駄目だね」
「キリスト教の神も望まれているか」
そもそもというのです。
「それはどうかな」
「そんな筈がないよね」
「神様は争えとかね」
「そんなこと思われる筈がないし」
「言われることもないね」
「絶対にないよ」
先生は断言しました。
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