ドリトル先生の林檎園
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第五幕その九
「土俵にも行こうか、上社拝殿にも行くけれど」
「土俵もあるんだね」
「神社には結構あるよね」
「お相撲は神事でもあるからね」
「力士さんも神主さんと縁が深いし」
「だからね」
それでというのです。
「土俵もあるしね」
「そこも観ていって」
「そしてだね」
「先生は土俵入りはしないけれど」
「若しお相撲をしていたらね」
「観ようね」
こんなこともお話して土俵も観に行きました、すると。
先生はです、ここでこんなことを言いました。
「残念ながらお相撲はしていないね」
「まあそれはね」
「時期があるからね」
「お相撲をしていない時もあるし」
「そこは仕方ないね」
「どうしてもね」
「そう、だからね」
それでというのです。
「今は諦めて」
「それでだね」
「土俵だけ観ようね」
「土俵を観ただけでもいいし」
「それじゃあね」
「それで満足しようね、じゃあ次は」
お相撲を観られなかったことは少し残念でもです、先生は落ち込まないでそのうえで皆に言うのでした。
「いよいよね」
「上社だね」
「そこの拝殿だね」
「この大社で一番大事なところ」
「そこに行くんだね」
「そうしようね」
是非にとです、先生は皆にお話してでした。
今度はその上社の拝殿に皆を案内してそちらに入りました、拝殿も木造の見事な造りでした。
その拝殿の前に来てです、動物の皆はここでも神聖なものを感じてそうして自分達と同じく神聖な気持ちになっている先生にお話しました。
「この気持ち覚えておかないとね」
「絶対にね」
「神々の前にいる」
「このことをね」
「忘れたらいけないね」
「そうだよ、宗教は違っても」
それでもというのです。
「神様を感じてね」
「そうしてそのうえでね」
「神聖なものを感じる」
「この気持ちを忘れないで」
「そのうえでいないとね」
「そうだよ、日本の神道は確かに学びにくいよ」
先生でも難しいのです。
「神様はとでもなく多くて天津神と国津神、道祖神ってあって」
「人も神様になるしね」
「どんどん増えていくしね」
「あと妖怪でも神様だったりするし」
「本当に学びにくいね」
「難しいよね」
「そう、そしてね」
さらに言う先生でした。
「古事記と日本書紀で内容が違ったりするし」
「ああ、本によってだね」
「神話のことでも書かれることが違ったりするんだ」
「同じ人についても」
「そうだったんだ」
「日本武尊のお兄さんは古事記ではその日本武尊に殺されているけれど」
それがというのです。
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