人理を守れ、エミヤさん!
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円卓の衛宮
所変わって食堂である。
時刻にして14時35分。局員らの憩いの場として賑わっていたのも少し前。人気が散ってすっかり淋しくなった食堂で、溜まっていた食器を軒並み片付けた男は。
食堂の片隅で腕を組み、立ったまま壁に背を預け、沈黙している赤いフードの暗殺者と。同じく無言で佇む赤い外套の弓兵を尻目に、ホワイトボードを片手に台所の前に立った。
男もまた非常に悩ましげに眉を顰めている。黒ペンのキャップを抜き、持ってきたホワイトボードに乱暴に『円卓の衛宮』と殴り書いた。
事案発生である。
青い騎士王が見たらトラウマが再発して泣きそうなまでに固く、強張った空気の中、男は極めて重々しく口を開く。誤解を避ける為に言うが、彼は限りなく真面目だった。
「第一回、チキチキ円卓の衛宮開幕です。全衛宮は素直に言う事を聞きなさい。聞かなきゃ令呪使うのでそのつもりで」
――ひと言付け足すと、彼は血迷っている。
「……」
「……」
無言の重さは剣の丘、或いは起源切り嗣ぐ魔術回路といった所か。男は一つ頷き、やはり自身が仕切らねば何も進まぬと確信を深めて口火を切ることにする。
ホワイトボードに『議題1』と書き込み、暫しペン先を虚空にさ迷わせ、やや躊躇いがちに『特異点F炎上汚染都市冬木』と記入する。途端に弓兵の頬がぴくりと引き攣った。
「さて、まず何から話すべきか……」
全員白髪である。見ようによっては全員に血の繋がりがあるように思えるかもしれない。
しかしその実態は、血縁上は赤の他人の暗殺者と、血縁どころか平行世界の自分自身の計三人。ある意味血よりも濃い概念で繋がった三人である。舵取り役もなく放っておいたら、穏やかに話が進む訳もない。暗殺者は完全にどうでも良さそうで、弓兵はそんな暗殺者が気になって仕方なく、男は男で弓兵が気になっていた。
なにはともあれ、黙っていたのではなんにもならない。男は悩ましげに頭を掻いて、まずはハッキリさせておくべき事を考えた。
「えー……と。そうだな……。よし、こうだ」
ホワイトボードへまず『弓宮』と記入。その下に『切宮』、更にその下に『俺宮』と書いた。微妙に分からないようで分かる仮称に、変な奴を見る目で暗殺者と弓兵は男を見た。
そして、弓宮の横に『加害者』、切宮の横に『実行犯』、俺宮の横に『被害者』と書く。男は振り返り、左右のエミヤに向けて厳粛な面持ちで問いかけた。
「これでおーけー?」
「待て」「待て」
弓兵は苛立たしげに吐き捨てた。暗殺者も赤いフードの下で物言いたげである。
「貴様、よくも己は被害者等と言い張れたものだな」
「余り言えた口じゃないが、駒の打ち手が被害者面するのは気にくわない。兵士の撃った銃の引き金は、上官のものとして計上するべきだ」
「ふむ」
ふたりの意見を聞き、加害者、実行犯、被害者の記述を消してそれぞれに『お前が悪い』、『情状酌量の余地あり』、『俺は悪くぬぇ!』と書き込んだ。
ぴくぴくと口端を震えさせ弓兵は男を睨むも、男はまるで痛痒を覚えずどこ吹く風。口笛を吹きながらわざとらしく議題1終了と記入。そのまま流れるようにして議題2の『カルデア内での取り決め』を記して男は弓兵――英霊エミヤに視線を向ける。
彼は率直に告げた。ずるずると蟠りを後まで引き摺るほどガキではないし、そもそも彼は英霊エミヤを嫌っている訳でもない。いや寧ろこの世で最もリスペクトする英雄のトップ5以内にランクインしているほどだ。なのでなんら負の感情もなく彼に言える。
「――ぶっちゃけ冬木のあれは本当に俺は悪くないので謝らないから」
心底嫌そうにエミヤは顔を歪めた。
彼がこうまで露骨に、ほぼ無条件に嫌悪感を出すのは、世界広しといえども衛宮に対してだけだろう。それ以外には大抵情状を酌量して、相応しい態度を算出しているはずである。
エミヤは男からの言葉をばっさりと切り捨てた。彼にとっても、そんなものは無価値でしかないのだ。
「端から貴様に謝られたいと思っておらんわ、戯け」
詰まる所、あの時は敵対していたから戦ったというだけでしかない。勝敗の行方も、順当と言えば順当なものだった。
エミヤはあの時、聖杯の泥によって黒化し、思考能力が低下していた。持ち前の心眼が曇っていたのだ。そうなれば本来の実力を発揮出来るはずもなく、アサシンという鬼札を持っていた衛宮に敗北したのは自然だった。
衛宮はエミヤを嫌っておらず、エミヤも衛宮を既に己とは別人だと割り切っている。その時点で両者に怨恨の類いは一切ない。ただ、エミヤの方は色々と複雑なものを抱えている訳であるが。
「ならいい。恨みっこなし、そこは割り切ろうぜ。お互いガキじゃないんだしな」
「……そうだな。だがそれはそれとして、オレとて聖人君子ではない。こちらに言いたい事があるのは貴様も了解しているだろう」
衛宮は頷く。エミヤが言いたい事は解っていた。貴様に敗けたままなのは我慢がならん、再戦を要求する――という事だろう。
然もあらんとエミヤは頷いた。彼は自分との対決の不毛さを弁えているが、かといってあんな負け方をしてそのままにしておけるほど大人でもなかった。
「自傷は趣味ではないが聞いておこう。あの時、もしオレが黒化していなかった場合、貴様はオレを倒せたか?」
「ああ」
衛宮は即答した。彼はエミヤの手札を知っている。そしてエミヤは切嗣の存在を知らなかった。こんな好条件で戦って、どうやれば負けるというのか。しかも、こちらにはマシュもいたのである。勝算は充分すぎるほどあると言えた。
「まあ懸念はあるがな。遠距離からの狙撃をそちらが徹底した場合、こちらの執れる行動は二つ。アーチャーを無視して本丸に乗り込むか、狙撃を防ぎながら狙撃手に接近するかだ」
「オレを無視した場合、オレはセイバーと合流しようとしただろう」
「そうするよな、当然。それは非常に面白くない」
あの時にアーチャーとセイバーを同時に相手にするのは非常にマズかった。
キャスタークラスのクー・フーリンが後から参戦してくれただろうが、それでも厄介さは変わらない。
「後者の場合、オレは只管に狙撃ポイントを移りながら執拗に盾の少女を狙っていただろう。今の彼女は知らないが、あの時は心に隙が見えた。突くなら徹底したろうさ」
「俺はマシュを激励しつつ、意地でもお前を俺の射程圏に収め、カラドボルグからの壊れた幻想コンボを叩きつけようとするだろう。マシュはあれでガッツがある、苦戦するだろうが俺の射程距離にお前を捕まえる所までは行けたはずだ」
「? ……まあ、そうだな。射撃戦で貴様がオレに勝るとは思えんが、交戦開始より7分から14分辺りで貴様の第一射が始まったろう」
「で、カラドボルグを射たれたらそちらはどうしていた?」
一瞬、エミヤはあの時の状況を脳裏に浮かべ自らの戦闘論理に沿い一つの結論を導き出す。
カラドボルグは強力だが、連発出来る代物ではない。広範囲を巻き込む壊れた幻想に繋げられると爆発に巻き込まれかねない。故に、ほぼ確実に薄紅の七枚盾を展開した筈だ。そうすれば、投影品の螺旋剣は完璧に遮断される。
「それで詰みだ」
衛宮がそう言う。なに? とエミヤは問い返した。
そこで衛宮は、これまでエミヤが出来るだけ視界に映さないようにしていた衛宮切嗣へ解説を促した。
「切嗣、この負けず嫌いに教えてやれ」
「……了解。まあ、これからは味方だ、教えても問題はないか」
切嗣が懐からナイフを取り出す。
物の構造を把握することにかけては異能じみた眼力を誇るエミヤである。その異様さを瞬時に察する。
そしてあの時、自身を仕留めたナイフの存在を思い出し、エミヤはその顔が苦り走るのを抑えられなかった。
「『神秘轢断』――僕の第二宝具だ。これは僕の起源である『切断』と『結合』が具現化したもの。どんな作用があるかは身を以て思い知っただろう」
「……ああ。まさかアンタにやられるとは思いもしなかったから、よくよく覚えているよ」
皮肉げに、エミヤは呟いた。
彼の身の上を知らされたエミヤの驚愕を、絶望と諦念を、理解し得る者はいまい。
双方共に敢えて親しくする気も、何かを話す気にもなれず、エミヤは切嗣を避け、切嗣もエミヤに関心はない故に関係を改めようとはしていなかった。
衛宮はノータッチである。どうせこれから長いのだ、同じ戦場で戦っている内に、なんやかんやで戦友として付き合うようになれると思っている。
「『熾天覆う七つの円環』は最高の護りだが、その性質上魔力を送り込む事で強度を高める事が出来る。つまり、アイアスは魔術回路と繋がった魔術礼装と同系統の物。切嗣の第二宝具を撃ち込まれたら如何なアーチャーでも無力化してしまう。違うか?」
「……それに加えて、切嗣の気配遮断のランクがかなり高い事もオレは体感した。アイアスを展開した所を狙い撃たれれば結果は同じ。ふん、切嗣を知らなかった以上、オレの敗北は動かなかったか」
忌々しげに舌打ちし、エミヤは問う。
切嗣や自身と同系統の戦闘論理を持つ衛宮、この二人に加えてあの盾の少女、二人の騎士王にローマの第五代皇帝、アルカディアの狩人にあのアイルランドの光の御子。
これだけ揃っていて更に英霊召喚を試みるとはどれほどの事態が起こっているのか。人理の危機は承知しているが、その詳細を知らないエミヤはそれを説明して貰いたかった。
衛宮は、心せよ、そして絶望しろ、とエミヤに言う。特異点Fからの第一特異点の戦闘詳細、第二特異点での顛末を聞くにつれエミヤは顔を険しくし、更に明後日二つの特異点を同時に攻略すると聞かされ頭を抱えた。
「……貴様、よもや善からぬモノに呪われているのではないか?」
エミヤは真剣にその可能性を検討した。いくらなんでも酷すぎる。人理の危機に泣き言など言っていられないが、それにしたって最悪だ。人類滅ぶべしという世界の悪意が聞こえて来そうである。
「人が気にしている事を……。……だが、アーチャーも俺達の窮状はこれで理解してくれたな? 全面的な協力を要請する。アーチャー、あんたの全能力を人類史を救うために貸して貰いたい。頼む」
深々と頭を下げた衛宮を、エミヤは複雑そうな目で見るしかなかった。
最初からこうだ。こちらは何かにつけ邪険にするのに、衛宮は全くエミヤに敵意を向けない。そのせいでどれだけやり辛く感じるか、やはりこの男には解らないのだろう。
意地を張るのもバカらしくなる、まるで一人相撲ではないか。馬鹿馬鹿しくなり、エミヤは嘆息して言った。
「……はあ。やむをえまい、こんな時に私情を交えるほど私も愚かではないのでな。人類史を護るため、貴様に力を貸してやる。有り難く思え」
「ああ。有り難く思う。そして言質取った。早速力貸してくれ」
「……ん?」
サッと頭を上げた衛宮は満面に笑みを浮かべていた。それはもう晴れやかな笑顔である。
咄嗟に反応出来ず、我知らずエミヤは反駁しかけた。
だが、それに先んじて懐から一枚の紙面を取りだし、衛宮はそれを赤い弓兵に押し付けた。
「それ、投影頼む。いやぁーっ、まさかアーチャーが来てくれるなんてなぁー、助かるわ! いやほんと。じゃ、後頼んだぜ。じゃあな」
「なん……だと……?」
衛宮はポン、と弓兵の肩を叩いてさっさと食堂から去って行った。
紙面には、螺旋剣が一日何本、赤原猟犬が一日何本――等と事細かに投影宝具量産の要請が書き込まれてあった。
思わずエミヤは切嗣を見た。赤いフードを退けて、彼はやや哀れむようにしてエミヤに言った。
「お手並み拝見だ、本物のエミヤさん」
「……」
切嗣はそれっきり、エミヤから視線を切って食堂から立ち去っていく。
一人残された彼がホワイトボードを見ると、そこには何時の間に書き足されていたのか、議題2の所に『マスター命令は絶対』と記されていた。
『これで負担が減るヤッフゥゥゥウ!!』
衛宮の歓喜の雄叫びがエミヤの耳に届き、
この時、エミヤの中に殺意の波動が芽生えたのだった。
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