人理を守れ、エミヤさん!
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幕間の物語「いつかどこかの時間軸」3
人理守護戦隊衛宮
――あなたのお名前は、なんですか?
人理継続保障機関に、マスターとして招聘されてより幾日。色彩の欠いた少女は、儀礼的にそう問いかけてきた。
咄嗟に、返す言葉を見失った。
無垢といえば、無垢。しかし根本的には別種の、どこか冬の少女を彷彿とさせる無色感。あらゆる虚飾、欺瞞を淘汰する清浄な視線に、俺はなんと答えるべきか判じかねたのだ。
衛宮士郎、と名乗ればいい。それでいいはずだ。これまでその名で通してきた。この名を名乗ることに些かの不具合も感じない。
――なのに、その名を口にする事を俺は酷く躊躇ってしまった。
思い出せない、本当の名前。
衛宮士郎が本名だと理解している。衛宮士郎という記号は己を表すのだと了解している。なのに何故躊躇うのか。違和感も異物感もないのに、どうしてすぐに答えられなかったのか。
問われても、返すべき名前は一つだけ。故に一瞬の迷いと共に、俺は本当の名前を舌に乗せる。偽りだと感じるのは自分だけだと知っているから。
「おはようございます、先輩。朝ですよ。今朝からスケジュールはきつきつですが、いつも通り頑張りましょう!」
束の間、ユメを視ていた。
医務室にやって来たマシュの、気合い十分な姿に霧散した夢見心地。曖昧な歯車の残照が、ふわふわとした現実の重さを取り戻す。
俺は大儀そうに体を起こす。左腕の回復までまだ時間は掛かりそうだ。ベッドから抜け出してなんとなしに体の節々を動かし状態を整え、病人服のまま後輩と呼ぶには歳の差のありすぎる少女に、挨拶と共に短く問いかけた。
「おはようマシュ。今朝は何をする予定だ?」
寝惚けているのか今一予定を思い出せない。
マシュは一瞬、目をぱちくりとさせた後、やや戸惑いがちに説明してくれた。
「え? え、っと……新たな特異点へのレイシフトまで後二日。今日と明日を挟んで、明後日の午前十時丁度に作戦を実行する運びとなっています。それまでに先輩は、今日と明日を利用して、新たなサーヴァントの召喚を試み、内何騎かはネロさんと仮契約して頂くよう説得すると昨日ドクターと話し合われたはずですが……」
「……そう、だな。うん、そうだった。思い出したよ」
序でにレオナルド・ダ・ヴィンチにカルデアのシステムを弄らせ、俺とネロの霊的経路を繋げる事でマシュの盾の恩恵――複数の英霊と契約可能な権利――を共有出来るようにして貰っていた。
マシュが自らの霊基の名を知った事で、彼女と契約していると守護の力がマスターに付与されるのが判明。その守護の力の配分は、マシュ本人の意識的にか無意識的にか割り振られる。人外魔境では非常に頼りとなる力なのは疑いの余地がない。
俺は頭を振る。眠気を晴らしてマシュに言った。
「……さて。朝一番の英気を生むためにも、まずは飯にするとしようか」
何が良いか。ここは無難に白米に味噌汁、簡単なサラダと鯖の塩焼きにしようか。
何事も人間の気力次第。何を成すにもまずはやる気になる事が大事だ。一日の活力となる朝食を抜くなんて有事の際を除いて有り得ない。「朝御飯の支度、わたしも手伝いますね!」と白衣の少女は元気よく相槌を打ってくれた。
そうだな、そうしてくれると助かると微笑み。俺はとりあえず洗面台に向かって顔を洗い意識を覚醒させた。
――鏡に映る剣の丘。光を忘れた歯車が、蒼穹のソラの中で廻っている。
目の霞んだ先に幻視する。高度な文明の結集されたカルデアの灯。清潔で、冷徹で、人の居住区画としては些か生活感の欠けた風景にも、すっかり慣れてしまった。
しかし時々、平凡な屋敷の住まいが恋しくなる時がある。その度に、生活感の大切さを思い出すのだ。
第二特異点の人理定礎を復元してよりマシュは変わった。
根っこの部分はそのままに、より活闥に、より積極的に、より能動的に振る舞う、外の世界を知ったばかりの小動物じみた印象を受ける。よい変化なのだろう。微笑ましく思う。
「フォウ!」
「――ん?」
廊下に出て、通路を辿り食堂を目指していると、不意に背後から聞き慣れた小動物の鳴き声がした。振り向くと、ふわふわとした白色の獣が飛び掛かってくるところだった。
顔にぴたりと止まって、頭の上に登り、そこからマシュの肩に飛び移った獣はもう一度フォウ! と愛らしく鳴いた。
「あ、フォウさんおはようございます。一緒に朝御飯でもどうですか?」
「フォウ! フォウ! キュ」
「……おはようフォウ。しかし、フォウは何を食べるんだ? リスと同じ木の実とかでいいんだろうか」
そんな事はないのになんだか久しぶりに見た気がする白い獣。頭の白い俺とマシュ、フォウを並べてみると微妙に絵面的にマッチしていて可笑しかった。
相好を崩しつつ、指先でフォウの顎下を撫でると気持ち良さそうに目を細める。
何を食べるか分からないので、とりあえずこの小動物の反応を見ながらぼちぼち試すかな、と思う。
少女と小動物の組み合わせはなかなかいいものだな、なんてのんびりとした事を考えつつ、俺は食堂に着くと手早く朝食の用意を始めた。
「そういえばアルトリア達の姿が見えないが、どうしたんだ? 大体これぐらいの時間帯には食堂でスタンバってるんだが」
「アルトリアさんやオルタさんは現在、カルデア・ゲートで仮想竜種と延々疑似戦闘を行っています。なんでも『逆鱗……逆鱗……』『牙落とせ……牙……』と、うわ言のように繰り返していたとか」
「……逆鱗? 意味分かるか?」
「さあ……」
朝早くから何やら励んでいる様子。邪魔するのも悪いから何も言わずにおくのが吉か。フォウ、と呆れた風に嘆息した小動物に、俺はなんとなく苦笑する。
朝食の支度を終えて、僅か10分で二人分の米が炊けたのに『やっぱこの釜欲しい』とカルデア驚異の技術力に感嘆する。小動物には一応サラダを提供してみたが、反応はまあ普通。何事もなくもしゃもしゃと食べている。ドレッシングも避ける様子はない。後プチトマト辺りが気に入ったと見た。
「フォウ!」
「……あ、ああ。すまん」
じー、と食事風景を観察していると、不意に小動物は不満げにこちらを睨んで鳴き声をあげた。まるで『そんなに見られたら食べづらい』と抗議を受けた気分になって、俺はなんとなく謝罪した。
くすくす、とマシュが笑う。気恥ずかしくなり、黙々と朝食を口に運んだ。
長閑な空気の中、食器の音だけが鳴る。やがてマシュやフォウ共々綺麗に平らげると、ごちそうさまの挨拶を置いて、俺は食器を纏めると台所に移動した。
「そういえば先輩は、この後の英霊召喚についてどう思われていますか?」
「ん……どう、とは?」
曖昧な問いに、俺は食器を洗いながら聞き返す。質問の意図が不明瞭だった。
「あの……なんと言いますか。また、アルトリアさんが来ちゃうような気がするんです」
「……」
俺が密かに抱いていた懸念を、そのまま口に出したマシュに一瞬手が止まった。
すぐに動き出し、俺は応じる。
「そうそう同じ奴は来ないだろう。というか、英霊は万といるんだぞ。その中でピンポイントに同じ奴が揃う訳がない。どんな確率だっていうんだ」
「……でも、その、カルデアの英霊召喚システムは緩いと言いますか。正直あり得ないとは言い切れないかな、と」
「……まあ、それはそうだが」
真面目な話、もうアルトリアは勘弁して欲しいというのが本音である。
何もアルトリア顔を邪険にしているのではなく、戦力の種類的に同型が重なるのは好ましい事とは言えないのだ。大火力、大いに結構だが現実的に運用するとなると話は変わってくる。二人のアルトリアだけでもやや持て余し気味なのに、三人目、四人目と嵩張ると俺が一瞬で干上がるのは確定である。
オールマイティーな戦術を採れる低燃費な英霊か、自分で魔力を補える独立型か、はたまた正統な魔術師タイプが来て欲しい。
「まあ何を言ったところで結果が変わる訳でもない。何時の時代の奴が来ても相応の対処はするさ」
「例えばどんなふうにです?」
「ん? 例えば……青髭とかだな。奴は問答無用で退去させる。子供を害するという事は、人の未来を奪っている事に他ならない。そんな輩と肩を並べるのは不可能だ」
「なるほど……」
ジル・ド・レェは救国の英雄である。知名度的に聖女ジャンヌ・ダルクが持ち上げられるが実質的にフランスを勝利させたのはジル・ド・レェであり、実態を見ればジャンヌ・ダルクはジル・ド・レェの添え物でしかない。
英霊としての格は、どうしたって聖女の下になるだろうが、実力で言えばジャンヌなど歯牙にも掛けぬものがある。最盛期の元帥としてなら、戦略という見地からすれば非常に頼りとなるだろう。
だが、人格的に信用ならない。如何なる理由があれど、聖女の火刑の後に狂い数多の罪業に手を染めた事実は動かないのだ。信奉する聖女が守ったはずの国から裏切られ処刑されたとしても、全く関係のない無辜の民を傷つけていい理由にはならない。
『自分は酷い目に遭ったから酷い事をしてもいい』なんて――悲劇の主人公ぶった振る舞いをする奴は軽蔑に値する。そんなに赦せないなら反乱でもして当時のフランスの上層部や異端認定した輩を根絶やしにすれば良かったのだ。当時のジル・ド・レェの名声や実力からして、相当良いところまで行けたはずである。
まあ最後は普通に破綻するだろうが。それをせず弱者にのみ悪意を向けたジル・ド・レェは、はっきり言って気骨の欠けた匹夫でしかない。
雑談はそこで切り上げ、俺はマシュと共に英霊召喚ルームに移動した。
とてとてと付いてくるフォウに和む。癒し系小動物は見ていてとても気分が和らぐ。かわいいは正義と人は言うが全くその通りだ。正義の味方としてかわいいの味方になるのは正しい事である。フォウはもう駄々甘に甘やかして、これでもかと可愛がるのがいいかもしれない。
ぶっちゃけマシュとの組み合わせが大正義なので、その場合はマシュも一緒でないとならないが。
そんなこんなで到着した儀式の間。俺はマシュの盾が設置されるのを見届けて、ふと思った。
アルトリアが出てきたらどうしよう……。
個人的には嬉しいのは嬉しい。彼女の別側面とか別の可能性とか見てみたい。
しかし、しかしだ。現実的に魔力が足りないので勘弁して欲しいのが本音。どういうわけか、自分と彼女の縁は深く、下手すれば全クラスをコンプしてしまいそうな恐怖がある。もしアルトリアが来たら……どうしたらいいのだろう。
今更だ。どのみち戦力は多いに越したことはないと諦めるしかない。俺は決然と告げた。
「始めよう。ロマニ、レオナルド、こっちの準備は整ったぞ。呼符も確かに設置した」
『こちらでも確認したよ。霊基一覧も起動した。電力を廻すからいつでも始めてくれ』
ああ、と頷き、俺は召喚システムを作動させる。
爆発的な魔力が巻き起こる。青白い燐光が呼び出される霊基に輪郭を与えていく。
さあ誰が来る。槍トリアか。弓トリアか。騎馬トリアかそれともエクストリアか。誰でも来い、と腹を括った。もうあれだ、ここまで来たら覚悟も出来た。円卓系列なんだろどうせと思う。
やがて、光の中に現れた人影は、逞しい男性の姿を象っていく。
ああ、アルトリアじゃなくて円卓の騎士か。ランスロットはダメだ。ガウェインかこの前アルトリアの言っていたアグラヴェインがいい。特にアグラヴェインとか今のカルデアに必要な人材である。
あ、アルトリアを連れてくればよかった、と思う。明日はアルトリアを連れてこようと決めて、俺は光の中に声をかけた。
「よく来てくれた。カルデアは召喚に応じてくれたサーヴァントを歓迎する」
儀礼的にそう告げる。
「俺は衛宮士郎。こっちはマシュ・キリエライト。よければそちらの真名とクラスを教えてくれ」
「……」
答えはない。重苦しい空気だった。
ん? と首を傾げる。そういえばこのシルエット、どこかで見たような……。
光が失せる。視界が安定する。そうして徐々に明瞭となっていく視界の中。まず目に映ったのは逆立った白い髪と浅黒い肌。赤い外套だった。
「……」
「……」
絶句、した。
マシュもまた、絶句していた。
サーヴァントも、絶句していた。
「……」
……。
暫し、沈黙したまま向き合い。
赤い外套の弓兵は、なんとも複雑そうに名乗るのだった。
「……アーチャーのサーヴァント、召喚に応じる気はなかったが、気づいたら此処にいた。強引にオレを呼びつけるとは、物好きにも程があるな?」
「……」
新たに二騎か三騎召喚する内の、記念すべき一騎目に。
なんの因果か、よくよく縁のある男を引き当ててしまった。
誤魔化しようがない。俺は遠くを見た。神様って奴はほんと良い趣味してるなぁ、なんて。不覚にも、現実から逃避してしまった。
そう。
英霊召喚サークルの中心には、
あの、
英霊エミヤがいたのだ。
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