亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第六十六話 苦悩
帝国暦 486年 7月 25日 イゼルローン要塞 ラインハルト・フォン・ミューゼル
イゼルローン要塞駐留艦隊司令官の私室で、新司令官、グライフス大将に俺は挨拶をしていた。
「グライフス閣下、イゼルローン要塞への無事着任、心からお喜び申し上げます。それと遅くなりましたがイゼルローン要塞駐留艦隊司令官への就任、おめでとうございます」
「有難う、ミューゼル中将。卿と卿の艦隊には随分と苦労をかけた。感謝している、ご苦労だった」
「はっ、有難うございます」
新任の要塞駐留艦隊司令官グライフス大将は穏やかな表情をした五十代の男だった。参謀としての軍歴が長いようだが、いかにもと思わせる容貌だ。勇猛さよりも思慮深さが持ち味の男だろう。
俺は心にもない挨拶をしたつもりは無い。この時期にイゼルローン要塞に詰めると言う事は並大抵の苦労ではない筈だ。難攻不落を謳われたイゼルローン要塞は内部崩壊という危機に襲われている。今ここに反乱軍が大軍をもって攻めよせたらどうなるか、考えたくない事だ。
要塞司令官シュトックハウゼン大将はこの二ヵ月で随分と老けこんだ。要塞内部を引き締め、兵の士気を保とうとしたが崩壊を防ぐのが精一杯だ。兵達の間には最前線を守ったかつての士気の高さは何処にもない……。目の前で七百万人が戦死し、それが馬鹿げた生贄の所為だと知ったら誰でもやる気を失くすだろう。兵達を責める事は出来ない。
いくらグライフスが温厚そうに見えても同じ職場に自分より兵力の多い人間が居るのは望むまい、ましてその男が自分より階級が下、年齢が下だとなれば望まぬどころか不愉快の極みだろう。俺としては挨拶が済んだら辞去しようと思っていたのだが、不思議な事にグライフスは俺と話したがった。俺に悪い感情を持っていないらしい、以前と違って最近ではそういう人間が増えてきた。特に年長者に多い、不思議な事だ。
グライフスと話せるのは或る意味好都合ではある。此処にいてはオーディンの状況が良く分からない。リューネブルクが時々連絡をくれるが、彼もこちらを心配させたくないのだろう、どうしても内容は抑えたものになる。
「司令長官閣下がオーディンを発たれたのは七月初旬、イゼルローンに到着されるまであと三週間はかかるだろう」
「はい」
あと三週間も有る、頭の痛い事だ。
「オーディンは何かと煩いからな、離れる事が出来てほっとしておられるかもしれん。卿は知らんかもしれんが、オーディンでは元帥閣下を誹謗する者どもが少なからず居る、馬鹿どもが!」
不愉快そうな口調だ。その地位に相応しからず、そう思っている人間が居るという事だろうか。陸戦部隊出身のオフレッサーが宇宙艦隊司令長官に就任した事に不満を持っている人間が居る。有りそうな事ではある、第二、第三のクラーゼン、シュターデンか。それとも……。
「あの時、ヴァレンシュタインを殺しておくべきだったと言ってな……」
「……」
やはりそれか……。あの時、イゼルローン要塞内であの男と対峙した時か。しかし、それは……。
「卿の言いたい事は分かっている」
口を開きかけた俺をグライフスが押しとどめた。
「あれは正しかったと私も思っている。あそこでヴァレンシュタインを殺していれば、それはそれで問題になっていただろう……。ヴァレンシュタインを返したのは正しかった、だが……、上手く行かぬものだ」
首を振ってグライフスは嘆いている。
確かに上手く行かない、返したばかりに七百万人が死んだのだ。殺すべきだと思った、だが殺すのは誤りだと思った。そして今、やはり殺すべきだったのかと迷っている。愚かな話だ、振り返っても戻れるはずが無いのに振り返っている。俺だけではあるまい、オフレッサーもリューネブルクも同じ想いを抱いているに違いない。だからオフレッサーの苦しみが俺には分かる。
苦しんでいるだろう、悩んでもいるだろう、責任も感じているに違いない。だがあの男の事だ、それを外には出すとも思えない。一人心の中にしまい動ぜぬ姿を見せているのだろう。だがその事がまた周囲の反発を生む……。不器用で誇り高い野蛮人……。
しばらくの間、お互い無言だった。前任者、ゼークトの私物は片付けたのだろう。部屋は殺風景と言って良いほどに片付いている。その事が余計に気持ちを落ち込ませた。
「ミューゼル中将、卿の艦隊だが状態はどうかね。大分訓練を積んだと聞いているが」
「練度は上がったと思います、しかし艦隊の状態は良好とは言えません」
「そうか、卿の艦隊もか……」
俺の答えにグライフスは顔を顰めて頷いた。“卿の艦隊もか”、彼自身自分の艦隊で思い当たる節が有るのだろう。
俺の率いる艦隊は確かに練度は上がった、しかし士気を戻すことは出来なかった、下がったままだ。普通、艦隊の練度が上がれば士気も上がる、それが上がらない。そして艦隊は既に四か月も訓練と称して行動中だ。兵達の間にはその事にも不満が募りつつある。このまま遠征するとなればその不満はさらに高まるだろう。爆発の臨界点は少しずつ迫っている。
グライフスの艦隊も似たような状況なのだろう。オーディンからいきなり最前線に送られた。帝国を守れと言われても何故守らなければならないのかが分からない。そんな状況では兵達の士気など上がるはずが無い。
「卿の艦隊はおそらく帝国では最精鋭と言って良いはずだ。その艦隊でさえ状態は良くない……。リヒテンラーデ侯も愚かな事をしてくれた」
グライフスの言葉に思わず頷きそうになった。余りにも切実な口調だったのだ。
「閣下、あまり滅多な事を申されましては……」
帝国政府は公式にはヴァレンシュタインの言ったカストロプの件を否定している。イゼルローン要塞で帝国の防衛の第一線を受け持つ艦隊司令官が言って良い事ではない。だがグライフスは首を横に振った。
「構わんよ、オーディンでは誰も政府の言う事を信じていない。カストロプの一件はヴァレンシュタインの言う通りだろうと見ている」
「……」
グライフスが溜息を吐いた。溜息が深い、オーディンの状況はこちらが思っている以上に良くないのかもしれない。
「ブラウンシュバイク公もリッテンハイム侯も政府に積極的に協力しようとはしない。そして貴族達はリヒテンラーデ侯が平民達に迎合するために自分達を犠牲にするのではないかと疑っている。政府の威信は日に日に落ちるばかりだ。一体帝国はどうなってしまうのか……」
ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯はリヒテンラーデ侯を切り捨てようとしている、オフレッサーの言ったとおりだ。そしてヴァレンシュタインは帝国貴族の間にも毒を流した。その毒が更に政府の求心力を低下させている。
「ところで中将は反乱軍に大きな人事異動が有ったのは知っているかな」
溜息を吐いた後、グライフスが首を振って話題を変えてきた。
「はい、ヴァレンシュタインが中将に昇進し艦隊司令官になったと聞いています」
グライフスが頷いている、表情が渋い。
「他にも艦隊司令官になった人間が居る。マルコム・ワイドボーン、ヤン・ウェンリーだ。ワイドボーンは早くから将来を嘱望されていた人物らしい、ヤン・ウェンリーは……」
「エル・ファシルの英雄ですね」
エル・ファシルの奇跡、帝国にとっては屈辱だがそれが有った時、俺は未だ幼年学校の生徒だった。面白い男が居るものだとキルヒアイスと感心したものだが、その男が今敵となって立ち塞がろうとしている。ヴァレンシュタインも厄介だがヤン・ウェンリーも厄介だ。そしてマルコム・ワイドボーン……、無能ではあるまい。
「厄介な男達が艦隊司令官になった。三人とも反乱軍の司令長官シトレ元帥の信頼が厚いらしい。ワイドボーンやヤンはともかく亡命者のヴァレンシュタインがな……。卿はあの男の艦隊の事を聞いたか?」
「兵力が二万隻だという事なら聞いています」
ヴァレンシュタインの率いる艦隊の兵力は二万隻と言われている。反乱軍では通常一個艦隊の兵力は一万五千隻、それよりも五千隻多い。厄介な話だ、その三人だけでも五万隻近い兵力を持つ。
「それだけではない、ヴァレンシュタインの率いる艦隊は宇宙艦隊の正規艦隊ではない。それとは別にあつらえたものだ。二万隻もの兵力といい亡命者に対する扱いではないな。あの男、反乱軍では余程に信頼されているらしい……」
「……」
信頼されるのも無理は無いだろう。ここ最近の帝国軍の損害はあの男がもたらしたものなのだ。艦艇十万隻、兵員一千万、将兵が彼をニーズホッグと呼ぶはずだ。
結局グライフスとは一時間程も話していた。どちらかと言えば向こうが話しこちらが相槌を打つといった感じだ。話の内容は現状への憂い、憤懣だ。何故俺に、と思ったが考えてみればグライフスには他に話せる人間が居ないのだろう。
艦隊司令官が部下の前で国家に対する不満を言う事は出来ない。一つ間違えば部下の反乱を誘発しかねない、その時担がれるのはグライフス自身だ……。俺自身その事では不自由な思いをしている。
シュトックハウゼンには話し辛いのだろう。グライフスはシュトックハウゼンの憔悴ぶりに驚いたようだ。これから共に最前線を守る事になる相手に負担になる様な愚痴を言うべきではないと考えているらしい。だからと言って俺に愚痴をこぼされても困るのだが……。
イゼルローン要塞に与えられた部屋に戻るとそこにはケスラーとクレメンツが待っていた。
「グライフス司令官とはお話が弾んだようですが」
クレメンツの言葉に思わず苦笑が漏れた。どうやらこの二人もオーディンの情報を知りたがっている。二人にソファーに座るように勧めた。三人でコーヒーを飲みながら話す。
「半分ぐらいは愚痴であった。だが、なんとも身につまされる愚痴であったな。もっとも今の帝国で愚痴の出ない指揮官が居るとも思えないが……」
ケスラーとクレメンツが顔を見合わせて苦笑している。
「グライフス提督の艦隊も状態は良くない様だ。おそらくは我々と似たような悩みを持っているのだろう、口振りからそれが分かった」
「では司令長官の艦隊も」
「似た様なものでしょうな……」
俺の言葉にケスラー、クレメンツが言葉を続けた。二人とも言葉に力が無い。コーヒーが苦い、ミルクを少し足した。
「ワーレン少将が国内の改革を優先することは出来ぬものかと言っていました。改革の宣言だけでも良い、それだけで大分兵の士気は変わるはずだと」
「参謀長、それは無理だ。リヒテンラーデ侯は殆ど孤立しているらしい。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯だけではない、グライフス提督の話では他の貴族達も反発しているようだ」
「となりますと」
「大胆な改革は出来ない、そういう事だな」
「しかし、それでは」
クレメンツが何かを言いかけ、溜息を吐いて口を噤んだ。
「このままでは反乱軍には勝てませんな。負ければ平民達の不満は募ります、いずれは爆発する。最初は暴動かもしれません、鎮圧も可能でしょう。ですがそれが革命への流れに繋がるのは避けられますまい。過去の歴史がそれを証明しています」
冷徹、と言って良いほどに未来図を描いたのはケスラーだった。そして言葉を続けた。
「勝つためには国内の改革が必要です、改革を行うためには強力な政府が要る。そのためには……」
「政府を支える強大な軍事力が要る、そういう事だろう。力なき正義など何の意味もない」
俺の言葉にケスラーが、クレメンツが頷いた。問題なのはその軍事力が無い事だ。軍は今再建途中だ、とても国内の貴族達を敵に回してリヒテンラーデ侯を助けることなどできない。ましてカストロプの一件がリヒテンラーデ侯の考えのもとに行われたとすれば協力などもってのほかだ。俺としても彼に協力するなど御免だ、あの男の所為でヴァレンシュタインが敵になりキルヒアイスは死んだ……。
もどかしい事だ、俺に力が有れば、俺に権力が有ればと思ってしまう。皇帝になりたいと思った、皇帝になれると思った。それほどたやすい事ではないとも知った。そして俺に皇帝になる資格が有るのかとも悩んだ。
だが今は力が欲しい、何者であれひれ伏すだけの力が。そうであれば国内を改革し反対するものを叩き潰し帝国を一つにまとめる。そうなればヴァレンシュタインとも互角以上に渡り合えるだろう。
それには最低でも宇宙艦隊司令長官の地位が要る。つまり武勲を挙げなければならない……。そして今の帝国は戦争が出来るような状態ではない……。堂々巡りだ、出口が見えない。もどかしさだけが募っていく。
ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯がどう考えているのか……。改革の意志があるのか、無いのか……。皇帝位を望まなかった事を考えれば単なる権力亡者ではないのだろう。現状をどの程度正しく認識しているのか、そしてどう展望を持っているのか……。
「メックリンガーが言っておりましたな。かつて革命で滅びた専制国家が何故改革を行う事で延命を図らなかったか不思議だった、だが今の銀河帝国を見れば何となく分かる様な気がする、と。改革を行いたくても出来なかった、人を得なかったか、地位を得なかったか、或いは時を得なかったのか……」
時を得ていないし、地位も得ていない。いっそオフレッサーを担いで改革を推し進めるか……。難しい事ではある、しかしオフレッサーもこのままでは帝国が崩壊するとは理解しているだろう。
俺が率いる三万隻、オフレッサーが率いる三万隻、計六万隻をもってオーディンへ進撃する。リヒテンラーデ侯、エルウィン・ヨーゼフを排し国政を改革すると言えば兵の士気も上がるだろう。幸いオフレッサーは装甲擲弾兵総監でもある。オーディンを制圧するのは難しくない。
ブラウンシュバイク、リッテンハイムの両者、或いはどちらかと手を組む。そしてどちらかの娘を皇帝にし改革を推し進める。嫌がるかもしれんが、成果が出れば渋々ではあれ受け入れるはずだ。
問題はそれ以外の貴族達だろう。何かにつけて不満を漏らすだろうが不満を漏らす奴は容赦なく潰す。それによって政府の力を強め、平民達の支持を維持する……。場合によっては大規模な内乱に発展するかもしれない、上手くいくだろうか……。
「元帥閣下はあと三週間もすればイゼルローン要塞に到着される。それまでの間、軍の士気を保つ事に力を注いでくれ」
俺の言葉にケスラーとクレメンツが頷いた。この二人にも話さなくてはなるまい。もう少し考えてみよう、一度話せば後戻りはできないのだ。オフレッサーが来るまであと、三週間……。
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