Element Magic Trinity
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短編集
少年少女の出会いの話
「で、聞きたい事って何かしら。ジュビアのスリーサイズなら知らないわよ」
知ってたとして教える訳ないけど、と続けて、細いスプーンを口に運ぶ。ふわふわとしたホイップクリームに艶やかな赤いベリーソースがよく映えるそれに珍しく口元を緩めるティアの一言にずっこけそうになりながら、グレイもコーヒーを啜った。
「…お前さあ」
「何よ」
溜息をどうにか堪えつつ、向かい側でパフェを食べ進めるティアに目を向ける。といっても大きなパフェグラスのせいで顔の半分ほどが隠れてしまっているのだが。
聞きたい事がある、と声をかけたのはグレイだったし、それに対して「場所を変えたいんだけど」と言われた時も特に気にはしなかった。場所がマグノリアでそこそこ有名なカフェであっても特に思う事はなかったし、そこで迷わずメニューを手に取った彼女を見ても「まあ場所が場所だし」くらいにしか考えが至らなかった訳で。
だが、この様子を見ていると何だか……。
「食いたかっただけだろ、それ」
「そうだけど」
やはりそうだったか。
話を聞く云々の前に、ティアはただこの店のパフェが食べたかっただけなのだ。彼女が甘いものをよく食べるのは見慣れた光景だし、よく好むのも知っている。ついでに言えば、場所を指定したのは彼女だが、今彼女は財布を含め荷物の1つすら持っていない。
つまり最初からグレイに奢ってもらう気満々な訳で、ティアの顔の半分ほどを隠すほどのサイズのパフェはそれなりの値段がする。
別に奢る奢らないでカリカリするほど器が小さい覚えはないし、これからティアの機嫌を損ねるであろう事を聞くのだから、パフェ1つでそれを抑えられるかもしれないなら安いものだとも考えられなくはない。彼女の機嫌を損ねようものなら確実にあのシスコンが飛んでくる。それだけは厄介だった。
「それで、アンタは私に何を聞きたい訳?答えられる事なら答えてやるわ」
「…何か丸くなったな」
「太ったって言いたいの?お生憎様、体重も体型も変わってないから」
「そっちじゃなくて、性格の方だよ。昔だったら“他を当たれば”とか言ってただろ?」
そう言えばティアは少し目を見張り、照れ隠しのように視線を逸らす。
あのカトレーンでの一件があってからティアが変わったと思うのはグレイだけじゃない。ギルドメンバー全員が感じている事だった。
対応が柔らかくなったり、どことなく関わりやすくなったりと角が削れてきた気がする。勿論、短気で人をすぐ睨む上に言葉と蹴りが同時に飛ぶ辺りは何も変わっていない。
「……別に、アンタとは古い付き合いだし。ただの気まぐれよ」
ふん、と小さく鼻を鳴らす。小馬鹿にしたようなそれも、ただの照れ隠しだと思えば苛立つ事はない。
確かに、2人は10年程前からの知り合いではある。グレイが妖精の尻尾に加入した頃には既にティアはいて、やはりその時から人が近づいてくるのを徹底的に拒む少女だった。
故に古い仲ではあるものの、だからといって仲がいいとか気を許せる間柄だとか、そういった事はない。どちらかといえばチーム内でも関わりは薄いし、強いて言うなら魔法の相性がいいから時々組むかなあ、程度である。まあそれも、ティアは無鉄砲なところのあるナツのカバーに回る事が多い為に本当に“時々”なのだが。
「気まぐれ、ねえ……」
慣れてしまえば解りやすい照れ隠しにニヤリと笑みを浮かべると、即座に群青色の瞳がこちらを鋭く睨んでくる。
「どうだっていいでしょ、そんな事。聞きたい事があるなら早くして。私だって暇じゃないんだから」
苛立たしげに左人差し指でテーブルをコツコツ叩く。勿論右手はパフェグラスの中身を掬っては食べ掬っては食べを繰り返した状態で、だ。
急かされて、グレイの中でどうにか覚悟が固まる。聞きたい事があると声をかけた時からある程度の覚悟はしていたが、それでもティアに彼の―――グレイの兄弟子であるあの青年の事を聞くのは、適当に拾ってきたような覚悟やら勇気やらでは何の役にも立ちやしない。
「……お前の使う魔法で、薔薇冠ってのがあるだろ」
「ええ、確かにあるけど。それが何なの?」
ティアの疑問は尤もで、別に彼女の魔法について聞く事なんてない。
ただしそれは、その魔法がグレイにとって本当に無関係である場合の話であり。
「…オレの師匠が、昔同じ魔法を使ってた」
スプーンが止まる。
「勿論氷の造形魔法で、完全に同じって訳じゃねえ。けど…似てるにしては似すぎてるんだ」
初めて見た、あの時。
楽園の塔で彼女が使用した魔法を見たその瞬間、グレイの脳裏を過ったのは、彼の師匠たるウルの姿だった。咲き誇る薔薇も、王冠を構成するような茨も、記憶の中の姿そのままで。
似ているという言葉1つで片づけられるレベルではなかった。細部は異なっていたものの、あの魔法の中心は、元となったであろう魔法は―――――。
「もしかして、あれは……」
「アンタの思ってる通りよ、あれはアンタの師匠の魔法だった」
彼の言葉を遮って呟く。見開かれたグレイの目を、深い青の目が見つめている。小さな唇から緩やかに吐息が零れ、ゆっくりとした瞬きが1つ。
「どこで知ったのか、って顔ね」
静かに口角を吊り上げる。どこか挑発的なそれは、彼女なりの笑み。見慣れていない人が見ると馬鹿にされているとも感じてしまうであろう、そんな顔。
「私はアイツの…まあ幼馴染よ?アイツがフルールに来た時、勿論ウルも一緒だったわ。“魔法都市”に興味があったから、2人で旅行に来たんですって」
望んで来るほどの場所じゃないのにね、と続けて、目を伏せる。目の青さが深くなる僅か数秒に密やかな郷愁めいた何かを見た気がして、言葉に詰まった。
けれど、その薄い感情もすぐに消え去る。最初からそんな感情なんてなかったかのような瞳が、揶揄うようにこちらを見ていた。
なんとなく、特に何を思った訳でもないが目を逸らす。テーブルの上のコーヒーの中で、自分の顔と目が合った。
「ああ…そういえば、話してなかったわね。私とアイツがどう知り合ったのかも、アンタが聞きたい事も。いい機会だし、話してあげる」
そう言って、ティアはパフェに目を落とす。その脳裏で浮かぶのは、あの日の記憶。
―――――“魔法都市”にいた頃唯一の、悪くない思い出だった。
今から13年前、ティアが妖精の尻尾に加入する数か月前の話。
ひらひらと雪が降るその日、彼と彼女は出会った。
「毎度ありー!気を付けて帰れよ嬢ちゃん!」
商売人らしい笑顔で手を振る男を当然のように無視する。気を付けて帰れとは言うが本心ではない事は解っているし、にこにこ笑っていなければ仕事にならないような職業の人相手に愛想笑いを返してやる気になんてなれなかった。相手は笑うのが仕事のようなもので、それでも結局は他人でしかない。身内にさえ無表情を崩さないティアが、他人に愛想よく振る舞うなんてする訳もなかった。
(……どうでもいいけど)
短く息を吐いて目を伏せる。
誰が何をしようがどうでもいいし、興味すら持てない。というか、そんな事より寒い。両腕で抱えるように持つ荷物のせいで息を吹きかける事も出来ない指先が凍りそうだ。
「わっ…キミ、大丈夫かい?そんなに重たそうなものを1人で持って……」
「邪魔」
荷物のせいでマトモに前が見えない。ぶつかりかけた白いマフラーの青年の横を、ほぼ無視に近い形で通り過ぎる。何かを言いたげに澄んだ水色の目がこちらを見ているような気がしたが、きっと気のせいだろう。一瞬知り合いかとも考えたが、白髪で、それでいて青年である知り合いはいない。それに、知り合いだったとしても、彼女をティアだとは認識出来ないはずだ。
「はあ…」
溜め息を1つ。ちらりと店の窓に目を向ければ、どことなく不機嫌そうな無表情と目が合った。
フードの下から覗く胸元ほどまでの髪の色はくすんだ赤。4歳の少女が浮かべるには疑心と警戒が強すぎる目は明るいオレンジ色でティアを見つめている。
勿論、この色は地ではない。髪色と目でカトレーンであると悟られない為の変装だ。
(お祖母様も馬鹿よね……)
変装は完璧だ。ウィッグを被り、一定時間目の色を変える目薬型魔法アイテムを使えば“カトレーンの忌み子であるティア”は一時的にでも姿を消し、“フルールで、平凡ではあるものの満たされた暮らしを送る少女”がそこにはいる。だから先ほどの青年は、どうやったって彼女がティア=T=カトレーンだとは解らない。
だが、そんなにティアにカトレーンの姿を晒してほしくないのなら、家に閉じ込めてしまえばいいのに、と思う。例えばここで突然ウィッグを取って、そのタイミングで魔法アイテムの効果が切れたとして、そうなれば変装の意味なんてない。
(いつまでも大人しくしてる訳ないのに)
いつ牙を剥いてやろうか、いつその首を掻っ切ってやろうか。ティアの頭の片隅には、いつだってその考えが根付いている。
別にティアは、自分の今の状況が嫌だからシャロンを嫌う訳ではない。理由なんて特になくて、強いて言うならば「ああ、何だか気に入らないな」といったところだろうか。
明確な理由を以て好きだと思えるものはそんなにない。何故好きなのか、どこが好きなのかと聞かれて理由に困る時だってない訳じゃない。好きなもの全てに好きな理由をつけられる訳ではないし、それが嫌いな場合であってもそうだ。なんとなく好き、もしくはなんとなく嫌い…なんて事もあるだろう。
ティアが実の祖母に向ける感情は、まさしくそんな曖昧なものだった。
―――――と。
「いやああああああ!離してっ……娘を返してえええええ!」
響いた絶叫に、咄嗟に足が止まる。振り返ると、つい先ほどまで買い物をしていた店の前で女性と覆面をした男が何やら揉み合っているのが見えた。
その2人の間には、恐怖からか顔をぐちゃぐちゃにして泣く少女がいる。見た感じはティアと同い年くらいだろうか。
「うるせえ!ごちゃごちゃ言ってっと今ここで殺すぞ!」
「いやっ、やめて!どうして……私が何をしたっていうの!?」
「お母さん!お母さんっ!」
喚く男、泣き叫ぶ母親、助けを求める娘。
その姿を視界に入れながらも、ティアはぴくりとも動かなかった。
ティアだけじゃない。道を歩く青年も店先で声を上げる店員も、ちらりと揉み合う姿を見た通りすがりの人も、誰1人として助けようとしない。それどころか、見て見ぬフリさえ平気でしてみせる。
「…馬鹿らし」
ポツリと呟く。こういう事を周りが見過ごすのは日常茶飯事だが、何度見ても呆れてくる。
“魔法都市”とはこういう場所だ。誰かが困っていても手なんて差し伸べないし、それが当たり前に犯罪と認識される事態であっても、この街の人は自分が巻き込まれない為なら目を逸らす事こそが正しいと思い込む。
「誰か…誰か助けて!助けてよっ!娘を助けて!」
母親が絶叫する。けれどその声は届かない。届いてはいるけれど、皆聞こえないフリをする。
見ていない、聞こえない、知らない。そんなフリをして無視を決め込む。そもそもあの母親だって、自分以外が害を受ける場合は素通りするのだ。そのくせ、自分が被害者なら助けてくれない周囲を悪とする。おかしな話だ。
そう考えて、先ほどぶつかりかけた青年は他所から旅行にでも来ていたのだろう。こんな街だが旅行客は多い。他所からの人でなければ、フルールの人間ならば、たった4歳の少女がどうにか前が見えるほどの荷物を持っていたって何も言わない。
「助けて……誰かああああああああああ!」
泣き叫ぶ声が、響く。
「何をしている!」
そんな時だった。
素通りする人達の間から、女性が飛び出してきた。
「!」
反射的に目を向ける。大きな瞳をぱちりと瞬させて、その女性を見つめる。
ショートカットの艶やかな黒髪がまず目を引いた。ややつり気味の目の宿す光か、それとも彼女の雰囲気なのか、意志の強さを感じる。
街の人達はちらりと見るだけですぐに目を逸らすが、ティアの目は呆然と彼女を見つめていた。
「……馬鹿じゃないの」
呟いた声は、母親と娘の泣き叫ぶ声に掻き消される。
何故あんな危険な事をするのだろう。ふと浮かんだ疑問が消えない。ここであの女性が何かをしたって、きっとあの母親は何も言わないのに。助けてもらったくせに礼すら言わないのは、世界の非常識であってもこの街の常識だ。自分が助けてもらえるのは当然だと、誰もが思い込んでいる。
だから、助けるだけ無駄なのだ。ただ無駄に体力を使う、それだけの話。
「何だテメエは!邪魔すんじゃねえ!」
「人様の子供攫おうとしてる奴の邪魔して何が悪いって!?」
覆面から覗く男の目が、母親から女性へ移される。荒々しい喚きにも全く怯まず、つり気味の目を更に吊り上げて叫び返す。
「その子を離しなさい!」
「部外者は黙ってろ!」
「黙ってられる訳ないでしょうが!」
無視する事なら簡単に出来る。今この場から離れて、何も見ていなかったと自分自身を誤魔化してしまえばいい。そんなの日常茶飯事で、とっくの昔から慣れている事だ。
「……」
けれど、ここで無視してしまったら、結局のところ。
―――――ティア自身も、彼女が呆れる“腐った人”になってしまうのではないか?
「君、そこにいると危ないよ!ほら、こっち来て!」
後ろから突然手を引っ張られて咄嗟に後ろを向くと、水色の髪を右サイドに逆立てた少年がティアの右手を引いていた。崩れそうな荷物をどうにか支えて、引っ張られる形でその場から距離を取る。
「っ……離して!」
突然の事に一瞬頭が真っ白になるものの、すぐに考えが追い付いてきて、力任せに握られた手を振り払う。然程年の離れていないであろう少年の手すら振り払えないほど非力ではない。それは左腕で荷物のバランスを支えていようと同じ事で、素早く振り払われた手を、少年は驚いたような表情で見つめていた。
この場から離れるなんて冗談じゃない。その意味を滲ませて、オレンジに染まる瞳で上目遣いに睨み上げた。
「…アンタみたいな非力そうな奴に心配される筋合いはないし、このくらい危険でも何でもない」
そう言って、小さく後ろを振り返る。
覆面男とショートカットの女性が相変わらず揉み合っていて、母親は泣き叫ぶ。ティアには無関係の事で、他所様の話で、助ける理由なんてどこを探したって見当たらない。あの娘が攫われたところで、ティアの人生に与える影響なんて砂粒にも満たないくらいでしかない。
けれど―――その光景を客観的に眺めて顔を前に戻すと、ティアは少年に言い切ってみせた。
「それに、あの程度の小物なら―――私の敵にすらならないわ。当然、片付けられる」
それは、決して見下している訳ではない。
ただ単純に、状況を完全に理解した上での発言でしかなく、故に何よりも確かだった。
だからこそ、ティアは荷物を少年に押し付けて、騒ぎの方へと歩いていく。
―――その小さな右手に、青い光と魔力を込めて。
「思い通りに腐ってなんかやらないわよ、お祖母様」
口角が、吊り上がる。
右手の中で、煌めく青が剣と化した。
「このっ……!」
女性―――ウルは、男の手から少女を取り上げようと力を込めた。負けじと力を込める男を睨みつけつつ、目を僅かに別方向に走らせる。
共に“魔法都市”に旅行に来た弟子であるリオンが少女と話しているのが見えた。くすんだ赤の髪に明るいオレンジの目、シンプルなデザインのコートを着た少女は何やらリオンに言い放つと、持っていた荷物を彼に押し付け―――あろう事か、こちらに向かってくるではないか。
「っ…早く逃げて!こっちは危ないから!」
咄嗟に叫ぶ。向かってくるのが屈強そうな男性だったりすればまだしも、現実にはまだまだ幼い少女である。年はリオンと大した差はないだろう。体つきは華奢で、こちらに来れば彼女がターゲットにされる可能性もある。
目の前で少女が攫われるなんてウルには耐えられなかった。それではまるで、あの慟哭を繰り返すようで―――――。
それなのに、少女の足は止まらない。明確な意思を以て、こちらへと歩いてくる。
「ダメ!来ちゃいけない……逃げて!」
ウルの声の必死さに気づいたのか、ようやく少女が足を止めた。
ほっとして息を吐いた彼女だったが―――そこで、ふと気づく。
「え…」
少女の右手。まだ幼い、小さな右手に。
音1つ立てず、存在を今の今まで感じさせず、透き通る剣が握られていた。
それは明らかに幼い少女が持つには物騒で、不釣り合いで、大きさも身長の何倍かはあって。
「魔法…?」
ここが“魔法都市”―――住人全員が魔導士であるという常識さえ忘れて呟いたウルに返すように、少女の―――ティアの目が、初めてウルの目を見た。
小さな唇が、動く。
「逃げてなんてやる訳ないでしょう。そんな雑魚相手に逃げてやるほど、私は親切じゃない」
可愛らしい見た目に不釣り合いの、毒も棘もあるソプラノだった。
「……んだとこのガキがあああああああああっ!」
「くっ…」
辛辣な一言にぽかんとして、それでもすぐに意味を理解した男が怒号を上げながらウルを突き飛ばす。尻餅をついたウルがはっとして顔を上げる頃には、左腕に少女を抱えた男が、右拳をティアへと向けているところだった。
「っ…間に合え……!」
反射的に、開いた左手に右拳を乗せる。魔力を集中させた瞬間、静かに冷気が零れ始めた。頭の中にイメージするのは、彼女の身を守れる盾となるもの。
けれど、気づいたのが遅すぎた。ウルの造形と男の拳とでは、僅かな差で男が勝る。
「危ない!」
ウルの手で魔力が形を持ち、男の右拳が振り下ろされ、視界の端で叫んだリオンが駆け出した―――――まさに、その瞬間。
少女の右手が静かに動き、男のコート“だけ”を切り裂いた。
「…は?」
その時何が起きたか、その場にいた誰もが理解に遅れた。それだけ一瞬の事で、その事態を引き起こした少女本人はといえば、何を考えているのか全く読めないポーカーフェイスで距離を取る。
外した訳ではないのだろう。他のものを一切傷つけずにコートだけを切って見せたという事は、最初からコート以外を狙うつもりはなかったはずだ。
だとしても、狙い通りコートだけを、しかも他を切らずに切り裂いてのけるなんて……並大抵の剣術の腕では不可能だろうし、何よりそれを平然とやってのけたのはまだまだ幼い少女だとなると、その結果はますます特別な事と思えてくる。
「速い……」
そう呟いたのは誰だったか。
目で追えないほどの、文字通りの一瞬だった。赤髪の僅かな揺れも、透き通る剣の煌めく欠片さえ残さずに、再び右手が音1つ立てずに動く。
空気を裂くような鋭い音と共に振るわれた剣を、男は身を逸らす事でどうにか避ける。が、剣先は男の鼻を掠めたようで、横一線の傷から血が垂れた。
自分の振るった剣が誰かを傷つけた瞬間を見ても、湧き上がる事なんて何もなかった。
罪悪感はない。そんなものは既に捨て去っている。かといって斬るという行動に愉悦を覚えるかと言われればそれも否であり、結局は無感情にただ結果を見るだけであった。
「ひっ…」
男の口から怯えるような声が零れる。
一体何に怯えているのだろう―――そう考えて、すぐに答えに至った。この男はティアに怯えている。自分より何歳も何十歳も年下の、それでも自分以上の力を持つ少女に。
けれど、やはり思う事はない。恐怖しているから相手を見逃すだとか、これ以上傷つけないだとか、そんな考えは微塵もない。そんな甘えた考えなんて、ティアには必要ないのだから。
目の前にいるのは敵だ。敵なら潰す。ただそれだけ。そこには慈悲も何も必要ない―――だから。
迷わずガラ空きの胸を狙った水の剣が凍った瞬間。
何が起きたのか、考えが全く追いつかなかった。
「……は…?」
咄嗟に手が止まる。これには当の本人であるティアは勿論、怯えていた男でさえ目を丸くした。
この男がやったとは思えない。この街にいるのだから魔法が使えてもおかしくはないが、だったら先ほども怯えずに向かってくるはずだ。それに、それなら今驚く理由がない。
あの母親でもないだろうし、攫われかけていた少女なんて1番有り得ない。ティアは育ちが育ちな為にこの年でこれほどの魔法を使いこなすが、普通に暮らしているであろう子供なら、蝋燭に火を灯すくらいの魔法しか使えない。
なら誰が…その疑問が過ぎるのと答えが導き出されるのは、ほぼ同時だった。
(あの女……っ!)
振り返れば、こちらに突き出していた右手を下ろす姿が目に入る。その手からは冷えた空気とは別の冷気が零れ、すぐに消えていった。
眉が吊り上がる。噛みしめた歯が小さく鳴る。強く握りしめた拳が震え、じわじわと魔力が滲み出ていく。感情のままに、両手を突き出す。
狙いはあの女性。ショートカットの、氷の魔導士。敵か敵ではないかの境にいた彼女を、完全に敵として分類する。邪魔をするなと言わんばかりに、その言葉の代わりに、ティアは吼えた。
「大海……!」
―――――視界が、白く染まる。
「!煙玉……?くっ…」
「うわっ!?」
「きゃあっ!」
咄嗟に右腕で目を覆う。くぐもるような爆発音が数回続き、それぞれがそれぞれに反応を示す中、ゆっくりと煙が薄れていくのを静かに待つ。
ぱちりと瞬きを1度して目を開き、素早く視線を走らせる―――が。
「…やっぱりね」
溜め息を吐きつつ呟く。
既にそこに男の姿はない。ティアの意識が別に向いた隙を狙って煙玉を投げ、その場にいた全員が目を離した瞬間に逃げたのだろう。
その事実を把握して、魔力の集中を解く。この場にいないなら魔力を集めておくのも無駄だし、躍起になって追うほどあの男を倒す事に対して執着がある訳でもない。だったらとっとと帰るに限る。
「…?」
と、先ほど押し付けた荷物を受け取ろうとして振り返り、自然な流れで眉を顰めた。
「ウル、さっきの子は……!?」
「…くそっ」
表情を歪める女性―――ウルというらしい。律儀にも荷物を抱えたままの少年の問いかけが途中で途切れたのは、最後まで聞くよりも早く答えに気づいてしまったからだろう。悔しそうに拳を握りしめたウルが小さく俯いていた。
視線をあちこちに向けるが、あの母親もいない。娘と一緒に攫われたのだろうか。冷静に状況を把握していると、ふと目がかち合った。
「あ、そうだ!君大丈夫!?怪我とかしてない?」
「…」
「もしかしてどこか痛む?だったら早く治療しないと…」
「ウザい」
「……え?」
「ウザいって言ったの。アンタに心配される筋合いはないわ」
ぽかんとする少年の手から荷物を奪うように受け取る。そのまま立ち去ろうとして、すっとしゃがみ込んだウルがこちらを見ている事に気づいた。
「何」
「さっきの魔法…元素魔法だね、珍しい」
「…だったら何かしら。私みたいな子供が使っている事がおかしいとでも?」
「いや、そういう事じゃなくて」
声が冷える。先ほどの妨害もあって、自然と言葉が鋭くなっていく。
あの男を片付けられなかった事に対する怒りはない。ただ悔しいだけだ。自分の攻撃をあっさりと止められた事に対する悔しさ、それがウルに向ける思考だった。
別にティアは、自分が最強だとは思っていない。上には上がいるし、まだこの街くらいしか知らない身では最強であるなどと名乗る方が馬鹿げている。だから魔法を止められようと、相手が自分以上の魔導士だったというだけに過ぎない。
けれど、だからといって何も思わないのかと問われれば答えは否だ。どこかで相手に劣っている、それを確認した上で悔しくない訳がない。
「君、この街の子?」
「それが何だっていうの?」
「さっきの奴、知ってる?住処でも名前でも何でもいいんだ」
「…それをこんな子供に聞くの?どうせ子供の証言よ、当てにならないとは思わない?」
突き放すように返して、それでも目は真っ直ぐにウルを見る。
実のところ、ティアがあの男に遭遇するのは初めてではない。遭遇したのが今日を含めて3回、同じ人物かは解らないものの似た手口の話を聞いたのが7回、信憑性のない風の噂は何回だっただろう。
とにかくここ最近、フルールでは10歳にも満たないような少女が次々に誘拐されている。けれどそれはどこにも報道されないし、評議院でさえその情報を把握しているのかどうか怪しいところだ。理由としては単純で、そんな情報が流れれば観光客が減ってしまうからである。観光で成り立つこの街から観光客が減るのは頂けない。そうなれば街のイメージも悪くなる。
だったらとっとと犯人を捕らえるなり何なりすればいいのだが、その手すら取らないのが“魔法都市”の現状だ。
「でも、君は知っているんだろう?」
見透かすような一言だった。見つめた黒い瞳の奥で揺れるのは正義感か、それとも別の何かか。
きっとこの人は、さっきの少女を助けるつもりでいる。ティアが住処を答えればそこに殴り込み、名前を答えればあちこちに聞き回る。そんな結果がぼんやりと見えて、吹き飛ばすように短く息を吐いた。
その行動はきっと、誰にも称賛されない。この街の人は助けられるのが当たり前だと信じて疑わないし、そこにある親切に対して礼を言う意味なんて捨て去っている。下手に動けば「よくも事態を大きくしてくれたな」と罵られる可能性も同時に浮かび上がった。
「…誰にも、何にも言われないわよ?」
ウルの問いへの答えはない。重ねるように問いかけて、どこかで彼女に期待している。
彼女はこの街のように腐っていない。求めるのは人からの感謝でも称賛でもなく、助けられたという事実であると答えてくれる可能性がある。
「誰も彼もそれを当たり前だと思って、揃いも揃って腐ってる。動き方を間違えれば、アンタが悪だって事に仕立て上げられない訳じゃない。奴等は助けられる事を望むけど、助けてはくれないのよ」
敢えて悪い面を前に出す。いや、そもそもいい面なんてあったのだろうか。少なくともティアはそれを知らないし、向けられた事もない。
「それでも」
そんな奴等とウルのどちらが、ティアの望む結果になるのか。
助けたい訳じゃない。どうせ無関係なところで起きた騒ぎでしかなくて、助けたとしても当たり前の顔をされて気分が悪くなるのはこちらだ。当たり前を当たり前でないと知るには、その当たり前を失わなければならない。ならば、放っておいた方がいい薬だろう。それを薬にするか毒にするかは個人の問題として、けれどそれは、見ているティアには何になって返ってくるのだろう。
そこまで考えて、結局は同じ考えを何度も何度も巡るだけで、けれどそれの後押しを今更ながらに願う。
街の人達に対する軽蔑がなくなった訳じゃない、けど。
ウルに対する悔しさが消えた訳でもない、けれど。
「そうなるとしてもアンタは、見捨てる道より見捨てられる道を選ぶの?」
きっと、この街の誰も助けてくれない。何を言っても援軍には来ないし、どんな行動で示したとしても、彼等には欠片も残らない。文字通りに見捨てられる。
それが嫌なら少女達を見捨てる事になり、どちらも得ようというのはまず不可能だ。それはティアが1番よく知っている。ウルも、その横で戸惑うように2人を見比べる少年だって、先ほどの一件で既に解っているはずだ。
でも、いや、だからこそなのかもしれない。そこにどんな意味を込めたのかは、ウルにしか解らない。
「今だって、どうせ見捨てられているじゃないか」
その言葉に、ティアはこう返す事で答えた。
獰猛で挑発的な、それでいて可憐な笑みを浮かべて。
「私はティア。――――この街で唯一、アンタ達を見捨てないって約束してあげるわ」
「はーい…あ、ティア。入って入って」
キィ、と小さく軋んだ音を立てて開いた扉から、ひょっこりと水色の髪が覗く。その後見えたつり気味の目がぱちりと瞬きをして、それから大きく扉が引かれた。
少年―――リオンというらしい彼にちらりと目を向けて部屋に入る。2人が取っている宿の部屋は特別広くなければ特別狭くもない、豪華ではないけれど素朴で落ち着く雰囲気だった。
窓際に置かれた丸テーブルの椅子に腰かけていたウルが、絨毯を滑るように歩く音を聞き取ったのかこちらを見る。
「そこ、いいかしら」
「ああ」
目の動きでウルの向かいにある椅子を示すと、すぐに了承が返ってきた。スカートに皺が寄らないよう注意を払いつつ座ると、「それにしても」と呟く声。
「よくお家の人が許可してくれたね。ちゃんと事情は説明してきたの?」
「まあ一応は」
まだ幼いティアが今日出会ったばかりの人と、しかも誘拐犯を退治に行く。それを知らされた時の親の反応を気にしているのだろうウルに曖昧な返事を返して、それで相手が納得したのを確認する。
実際のところ、ティアは出かける事は伝えたものの何をするかは誰にも言っていない。荷物を渡した際に「少し用があるから出かけてくる。余計な詮索なり監視なりをするなら自由になさい、後の事は考えておくべきだと思うけどね」とだけ告げて、そのまま宿に来た。ウィッグと目薬型魔法アイテムは勿論そのままで、当然の事だがラストネームは告げずに。
……そもそもの話、ティアにはそんな事を話す親などいないのだが、それをウルは知らない。知るべきでもない。話そうとだって思わない。
「…で、聞こうとは思ってたんだけど」
そんな事はどうでもいいと思考を投げて、小さな溜め息まじりに横目を向ける。
「アンタもついてくる…とか言い出さないでしょうね」
「オレも行くよ?それがどうしたの?」
何でそんな事聞かれるんだろう、くらいの平然とした返答だった。きょとんとしたリオンの目を真っ直ぐに見つめて、それから今度は盛大に溜息を吐く。
「あのね、これは遊びじゃないの。そんな事言いだすって事はアンタも魔導士なんでしょうけど、相手はこっちを邪魔だと思えば殺す事だって躊躇わない。そんな状況なんだから、ガキは引っ込んでなさい」
「ティアだってまだガキじゃないか!しかもオレより2つ下だろ!」
「精神年齢は私の方が上だと思うけど」
あしらうように返して、「で」と続ける。
「話を戻すけど、私だって別にアンタがガキで足手まといになるからってだけでこう言ってる訳じゃないわ」
「じゃあ何で…」
「さっきも言ったけど、相手は殺しも躊躇わない。実際がそうでなくても、殺気は当然向けられるわ。アンタがそれに耐えられるとは思わないし、そんなものに慣れる必要もない」
そこにある彼女なりの気遣いに気づいたのだろう、リオンはそれ以上何も言わずに口を噤んだ。
普通の生活をしている子供なら、殺気なんて一生向けられない。その生活を崩さずに済むのならそれに越した事はないし、ティアだってわざわざそんな人を連れていこうと思わない。
知らない方がいい事だってある。それを知ってしまう状況がすぐ傍にあるなら、引き離してやればいいだけだ。
「だけど、だったら」
なのに。
真っ直ぐな目で、どこか困惑した声色で、少年は問うた。
「それなら、ティアだって同じだろ?」
―――言葉を返せなかった。
殺気に怯えていたなんて、いつまでの事だろう。それすらも忘れてしまったようなティアと、何も知らない真っ白なリオンが同じな訳がない。真逆で、どうやったって同じにはなれない。
当たり前の事だが、リオンもウルもティアの育ちを知らない。毎日どんな扱いを受けているのかも、彼女の家柄さえも。だから言えた一言なのだろう。だから無邪気にも困惑しているのだろう。
「……私は、大丈夫」
「けど」
「私はアンタとは違うの。アンタを下に見てる訳じゃなくて、本当に、私とアンタは同類じゃない」
1つ1つを区切るように呟く。突き放すように、決定的な違いを見せつけるように。
目を見開くリオンから目を逸らして、複雑な感情を込めた目を向けるウルの気配に気づきながらも知らないフリをして、無理矢理に話を別方向に向ける。
「…本題に入るけど、奴等のアジトはフルールから北東に少し進んだ場所にあるわ。まあ歩いていける距離だから、そっちの準備さえ出来れば私はいつでも行けるけど。で、相手の中に魔導士はいない。私とウルで十分片づけられる数の賊共しかいないはずよ、私がまず切り込むから後から残ったのを一掃して。ついでに誘拐されてる奴等の事もお願いするわ」
早口気味に伝えるだけ伝えて、2人の同意を求めるようにその目を見つめる。オレンジの瞳の中に「余計な詮索はするな」と浮かべた思考が見えたのだろう。2人は顔を見合わせて、それから何かに気づいたのか、弾かれるようにティアを見た。
「ってダメだ!それじゃあティアが危険すぎる!」
「…?別に危険な事なんて何もないじゃない」
「あるよ!てか危険しかないよ!?だってそれって敵の中に1人で突っ込んでいくって事だよね!?」
「それがどうしたの?」
「それ危ない!危ないから!そういう事は大人に任せなさい」
「けど私が適任でしょ?アジトに向かって一発叩き込めば、あっという間に全滅するし」
「待ってそれじゃあ攫われた人達も危ないって!」
「だから危なくないようにアンタ達が助けるの。私が魔法を叩き込む間に侵入すれば…」
「それってオレとウルも危なくない!?」
「大丈夫よ、当たり所によってはちゃんと生き残るから」
「何か嫌な予感しかしないから考え直そう!?いいよねウル!」
厳正なる話し合いの結果、切り込み役はウルに変更された。
その話し合いにティアを含めなかったのは言うまでもない。含めたら話し合う意味がない。
そして、3人はフルールの北東にあるアジトのすぐ近くにいた。
宿に置いていくつもりだったリオンは結局ついてきて、説得して振り払うのも面倒だと折れたティアが「私かウルのどちらかと離れない事」という条件を付けた上で許可を出した…が、ウルと行動を共にする場合、真正面から敵のアジトに飛び込む事になってしまう為、結局はティアと行動する事になる。
「あれか…?」
「ええ」
崩れかけた廃墟と洞窟を掛け合わせたような、一言で説明しようとすると言葉を詰まらせてしまうような、建物なのかも怪しく首を捻りたくなるそれ。見張りの男2人が軽い談笑をしつつ、それでも視線を周囲を散らしている。
「見たところ武器は持ってない…本当に見張るだけみたいね。あれくらいなら気づかれずに無力化出来るんじゃない?場合によっては足の1本でも切り落とすとして」
「物騒な事言わない」
「は?別に誰も物騒な事なんて言ってないわよ」
不思議そうに眉を顰めるティアに苦笑いを浮かべて、それからスッと真剣な表情に切り替える。
「それじゃあ、行ってくる」
「気を付けてね」
「そっちこそ、あんまり無茶はするなよ?」
反射的に返したリオンの頭に軽く手をやり、くしゃりと髪を撫でる。その手を離して前を見据えると、ウルは隠れていた木の陰から出ていった。真正面から突撃はせず、出ては隠れ出ては隠れと静かに近づいていく。
ゆっくり距離を縮め、けれど見張りの目は確実に避けて、気づけば隠れられそうな場所はもう1つしかない。ウルもそれに気づいたのだろう。開いた左手に右拳を乗せて、手から冷気を溢れさせていき、そして。
「ん?何だお前――――」
見張りがウルに気づく。けれど、アジトの中の仲間にそれを伝えられるほどの大声を出す時間はなかった。もう1人の方に至っては、目を向けるだけしか出来ない。
「…ふぅ」
息を吐いて、ちらりと目をやる。
2人の見張りは目を見開いて、片方は口も大きく開いた状態で氷漬けにされていた。
くいっと手招きされたのを確認して、ティアはしゃがんでいた体勢を崩した。立ち上がってスカートの皺を直すと、こちらも立ち上がったリオンに目を向ける。
「いい?私達の仕事は攫われた奴等の救出。手錠の1つくらいはされてるだろうから、とりあえず鍵を探す事から始めるけど、異論は?」
「ないよ」
「そう。で、ただ鍵を探すだけっていうのは難しいと思ってなさい。どこかで必ず邪魔が入る。まあそうなったら私が片付けるから、アンタは気にせず鍵を探して」
「解った」
頷いたのを確認して、木の陰から飛び出す。
そして氷漬けの見張りの前を通り過ぎると、2人はウルが入っていったアジトの中へと足を進めた。
赤い髪をひゅるりと揺らして、華奢な少女が突撃した。
文字通りに地面を蹴って勢いをつけ、両手に纏った水を躊躇いなく叩き付ける。掌から堰を切ったように溢れる透き通る青が、拳を振り上げた賊を容赦なくアジトの小部屋の奥へと吹き飛ばす。
「がっ…ぁ……」
絞り出すような呼吸を零して、賊がどさりと床に落ちる。気絶しているのを遠目に確認して、呆然とするリオンに目もくれずに、ティアは堂々と小部屋に入っていった。
「ここにもない、か……ちょっと、アンタも探しなさいよ」
「え?あ、うん」
僅かに眉を吊り上げて目を向けると、はっとしたように瞬きをしてこちらへと駆けてくる。
「ったく…ぼーっとしてる余裕があるならそれはそれで結構だけど、その隙に仕掛けられてたとしたら助けないからね」
「ぼ、ぼーっとなんてしてないよ!ただ、ティアが使う魔法がさっきから凄いから…つい」
「あの程度、大した事ないわ。力任せに吹き飛ばしてるだけじゃない」
腰に手を当て溜め息混じりに言えば、リオンの表情が引きつったような笑みに変わった。何がどうして引きつった顔になるのか疑問に思いつつも、それは小首を傾げるだけに留めておく。
今はそんな事よりも重要視すべき事があるのだ。
「…それより、早くウルと合流しないと。下手したらマズいわよ」
「え…?ウルが危ないのか!?どうして!?だって宿では大丈夫だって……」
途端に顔色を変えて声を上げるのを片手で制して、もう片方の手は人差し指だけを立てて唇に当てる。弟子として師匠の危機の可能性に慌てるのは解るが、敵の本拠地内で大声を上げるのは頂けない。その体勢のまま目線を上げれば、意味を悟ったリオンが口を噤む。
聞き分けが良くて助かった、と2つとはいえ年上に思う事ではないような事を考えながら、両手をおろして口を開く。
「確かに宿では問題ないって言った。けどそれは、“私とウルが2人で片づけられる数”であって、アイツ1人でどうにか出来るなんて一言も言ってないでしょ。私は見ての通り力任せに叩き潰せる。だから危険を承知で私が切り込み役をやるつもりだったのに……」
「けど、ウルだって強いよ!オレの師匠は最強なんだ、誰にも負けない!」
きっとそれは、信じて疑わない本音だったのだろう。尊敬する師匠が負ける訳がないと、魔導士でもない賊に勝てないはずがないと。
それに関してはティアも同意する部分があった。ウルが強いというのはあの攻撃を止められた一瞬で解っているし、それを最強だと彼が信じるのもおかしい話ではない。ないのだけれど。
「……そうやって、信じられるうちが花よ」
だからといって、たったそれだけで信じられるのかと問われれば、否としか返せない。
「確かにウルは強いわ、それは解る。けどね、私だって相手の手の内全てを読める訳じゃないの。もしかしたら想像が及ばないような何かがあるかもしれない、魔法の有無を無視するような強者がいるかもしれない。そうなったら、1番危険なのが誰かは解るでしょう」
「そ…それでも負けないに決まってる!ウルは最強なんだ、1番の魔導士なんだ!負ける訳ないじゃないか!」
自分が信じるものを否定されたように思ったのだろう、リオンは先ほどの忠告も忘れて声を荒げる。両拳を握り締めて、現実的で冷めた声を精一杯否定して。
そしてそれを、ティアは変わらない表情で見ていた。崩れないポーカーフェイス、時折瞬きをするだけの顔。何を考えているかなんて全く読めない、けれど少しの苛立ちを覗かせた表情。
「…いい加減にしたら?」
それはまるで、どうしようもない駄々を捏ねる子供を見る大人のような顔だった。
我が儘の全てが通じる訳ではないと解っていて、故に同じようには振る舞えない姿だった。
「アンタがそうやって信じたいなら好きにすればいい、けどそれに私を巻き込まないで。負ける訳がないなんて、何を証拠にほざいてるのよ。決まった勝敗なんてないの。そんなものが欲しければ、満足に戦えないガキとでも戦って、勝手に優越感に浸ってなさい!」
声が大きくならないように抑えて、それでも感情任せに声を上げる。思考は最善を見つける為にぐるぐると回って、訳も解らず視界が揺れていた。
「師匠を信じたいのは解るけど、それと勝手に思い込むのは違うでしょうが!そうやって絶対勝てると思い込んで、それで結果が違ったらどうするの?その願望しか信じなかったばっかりに、そうじゃない場合の対処法を考えないなんて馬鹿にも程があるわ!」
リオンの表情に、怯んだような色が混じる。
だがそれがどうした、まだまだ言いたい事は山ほどあるのだ。1つ突けば更に突けそうな場所が何倍にも何十倍にもなって目に見えてくる。それが見えておきながら無視するなんて、そんな器用で生きやすそうな真似は出来やしない。どんなに生き辛い環境を作り出す事になるとしても、突っかかれるうちはどこまでも突っかかる。
その勢いを殺さずに、次を選んで声に乗せようとした時だった。
「!」
咄嗟に視線を走らせる。その目が小部屋の外、通路を左に曲がった先を追いかける。
表情を変えたティアを怪訝そうに見るリオンには、きっと聞こえていない。普通の人間の聴力なら、拾う事なんて出来ないであろう遠い音だった。
けれど、その当たり前の中にティアはいない。確かに聞こえた音―――否、声は。
「…ああもう、だから言ったのよ!」
「え?」
「こうやって私達がぐだぐだ言ってる間に、アンタの師匠は動けなくなってるって話!」
ティアの言葉に目を見開くのが見えた。信じられないと言いたげに揺れる目を真っ直ぐに見つめて、予想通りに進みかける状況に歯を噛みしめる。
「人質取られた状況じゃあ、“最強の師匠”も止まるしかないって訳ね!予想通りよ、腹立つくらいに!」
少女が泣いていた。
年齢はティアと変わらないくらいか、1つほど下か。少女の首元にナイフを向けて、怯えている事になんて構わずに男は喚く。
「いいか、動くんじゃねえぞ。お前が1歩でも動いたら、このガキ殺してやる!」
「この卑怯者!子供を人質に取らなきゃ戦えもしないのか!」
「はっ、戦いに卑怯も何もあるかよ。そっちこそ、名の知れた魔導士サマのくせにガキ1人で戦えなくなんのか?とんだ腰抜けだなあオイ!」
下卑た笑い声が充満する。すぐ近く、視界に入る距離にある牢屋の中の少女達が怯えたように身を寄せ合わせた。男に抱えられた少女は嗚咽を堪えきれず、その姿を正面から見るウルは唇を噛みしめる。
自分を取り囲む賊が十数人、これくらいなら動かずとも広範囲を一気にを攻撃してしまえば済む事ではある。が、それで捕らわれた少女達が怪我をしてしまうかもしれないのなら話は別だ。特に危ないのは人質に取られた少女で、それがウルの行動に枷をかけていた。
「ああ、ラグナ…ラグナを返して!」
「うっせえな、黙ってろよ!じゃねえとお前の娘……」
少女の母が叫ぶ。その姿に重ねるものを思い出して、ぐっと拳を握りしめた。
食いしばった歯を小さく鳴らして、吊り上げた目を向けて、そして。
「…あ、後ろ」
「―――レパートリー少ないわね、他の言葉を知らないとでも言いだすのかしら」
ウルの呟きに被せるように、尖ったソプラノが響いた。と、同時に勢いよく風を切って振り回されるのは、僅かな青を帯びた身の丈を軽く超える斧。ぶおん、とやや遅れ気味に音が耳に入り、1回の瞬きの間に男は無音で崩れ落ちる。
力を失い緩んだ腕から落ちていく少女に悲鳴を上げる隙さえ与えず、次いで伸びた透き通る巨大な手が小柄な体躯を受け止めた。
「ティア…」
「ん」
ぐい、と押し付けるように少女を渡して、突き出した左手から水の手が消える。斧を地面に突き立てて周囲を見回す後ろから、駆け寄ってくる弟子の姿が見えた。
「ウル!」
「耳元で叫ばないでよ、耳が死ぬわ……ま、止まる原因は消したし、後はどうにかなるでしょ」
こちらへ近づこうとするリオンを制するティアの目が揺れた。オレンジの奥に全く別の色が見えたのは気のせいだろうか。抱えた少女を近くの机の陰に隠して、僅かに眉を顰める。
それを確かめようと口を開くよりも早く、彼女の口角が吊り上がった。
「“鍵”は任せなさい。そっちには、一切手を出さないから」
ウルの了解なんて最初から見るつもりがないのだろう。
それだけを言い放って、ティアは真っ直ぐに牢屋へと駆けていく。
「ま…待ちやがれ!」
あまりにもスピーディーに進む物事に置いてけぼりを食らいかけていた賊達が、はっとしたように動き出した。ある者は武器を持ち、ある者は素手を握りしめて揺れる赤い髪を追う。けれど待てと言われて待つ訳もなく、跳ねるように進む華奢な少女との距離はなかなか縮まらない。
「チッ…!」
賊の誰かが舌打ちをした。それとほぼ同時に巨大な剣が、ティアを真っ二つにせんばかりの勢いで振り下ろされる。
だが、いつぞやの時のように遅れてやるつもりなんてない。
「アイスメイク “凍蓮”!…と、巻蔓!」
「な…があっ!」
叩き付けるように右拳を掌に載せて、望むままの姿を造形する。ティアの背中を守るように展開する水色の魔法陣から咲き誇った蓮の花が盾となり、続けて伸びた氷の蔓が男を縛り上げ、振り回して投げ捨てた。
「うわっ」と声を上げて咄嗟に避けたリオンに心の中で謝罪しつつ、ウルの手は止まらない。
「このっ……!げふっ」
「ぎゃっ!」
方向転換して向かってきた賊に一撃、体の向きを変えたばかりの奴の足元に蔓を生み出し、しゅるりと引っ掛けて転ばせる。顔面から防御の体勢もなくすっ転んだ男が気絶したのを確認し、その手から武器を奪い取って遠くへ滑らせる。
「リオン!それ適当なトコに突き刺しといて!」
「わ、解った!」
振り向かずにそう言えば、素直に頷いた弟子は滑ってきた剣を両手で握りしめた。それを言われた通りに適当な壁に突き立てて、抜け落ちないように力を込めていく。
よし!と聞こえた声で確認して、気づけばティアから自分へと狙いを変えていた賊達に目を向ける。まだ数人は彼女を追っているが、当たり前のように距離は少しずつ広がっていた。
牢屋にはティアが向かっている。もし何かあっても、彼女にならウルの魔法を牢屋側に飛ばさない事くらい容易いはずだ。リオンのいる辺りまではそもそも届かないし、机の陰の少女に関しても同じ事。
それなら、チマチマ相手をする必要なんてない。
「氷花輪!」
「がっ!?」
「ぎぃっ!」
両手を頭上で1つに合わせ、振り下ろすと同時に横に開く。真っ直ぐ横に向けた両掌を中心に魔法陣が展開し、ぐんと広がった花輪が容赦なく賊を切りつける。
ぐらりと周囲が体勢を崩したのと同時に、手っ取り早く終わらせるべく即座に構えた。
「アイスメイク……」
体の左側に手を持っていく。集中する冷気が渦を巻き、頭の中の想像を形作る。
少女がしゃがみ込んで己の身を抱いた。リオンが何かに気づいて顔を上げて、何かに引かれたようにティアが振り返る。
そして、ウルが吼えた。
「――――――薔薇の王冠!」
薔薇が咲いた。茨が伸びた。一瞬にして、王冠を形作るような氷の造形が賊をまとめて吹き飛ばす。
体を回転させるように倒れた賊が壁に激突し、上へ飛ばされた者は重力に逆らう事なく地面に叩き付けられる。声を上げる僅かな時間もなく、ウルを取り囲んでいた十数人は倒れ伏していた。
「……」
ぽかんと賊が目を見開いて、ティアも僅かに足を止める。はくりと口を開いて、そのまま何を言っていいか解らず閉じた。
それがそこにあったのは一瞬に近い短さで、けれど目にしっかり焼き付いている。その短い間に、自分は何を思っただろう。綺麗、だったか。それとも威圧を感じたのか、全く別の何かだったかもしれない。
と、リオンが顔を上げて叫ぶ。
「あった!鍵、あったよ!」
「投げて!」
「え!?」
反射的に返せば、何を言ってるんだと言わんばかりに驚きを浮かべる姿が見えた。
「迷ってる暇があったら早く!じゃないと牢屋を壊す事になるけど!」
というか、最初はそのつもりだった。ここまで鍵が見つからず、それなら壊すしかないと考えてはいたけれど、見つかったのなら手荒な真似はしたくない。
「させっかよおおおお!」
「――――リオン!」
驚いた表情がこっちを見た。そういえば名前を呼んだのは初めてだったかと思い出す。驚愕がゆっくりと自信にあふれた笑みに代わって、そのままこくりと頷いた。
こちらに向かっていく賊を正面から見据えて、リオンの右手から冷気が溢れる。ピキリと音を立てた淡い緑が一瞬にして形を作っていく。
「っティア!」
造形されたのは、1羽の氷の鷲だった。その背に鍵を引っ掛けて、突き出された手の動きに合わせて空気を切って飛んでくる。
まさか彼が魔導士だとは思わなかったのだろう。「うおっ!?」と解りやすく驚いて身を逸らした賊の腕の下をしゅっと通り抜けて、真っ直ぐにティアへと向かってくる。
勢いを殺さず飛ぶ氷の鷲に、何の迷いも躊躇いもなく右手を伸ばして、向けて、
「よく出来ました」
触れる直前で割れた氷の欠片の中で、その手は鍵を掴んでいた。
ニッと笑って見せて、くるりとターンするように背を向ける。
「こっの…」
「邪魔するな!」
「がふっ!」
2人の間を行っては来て行っては来てを繰り返していた最後の1人がティアを追うが、追いかけようと振り返った途端にウルの造形魔法が牙を剥く。尖った花弁が容赦なく襲いかかり、1歩として追わせずに地面に叩き付けた。
邪魔する相手はもういない。じゃらりと鳴る鍵の束から、合うであろうそれを鍵穴に突っ込んでがちゃがちゃと回す。数回繰り返してから舌打ちをしつつ鍵を抜き、次の鍵を差し込んで、そして。
「……ビンゴ」
一発で当てたかったわ、とどこか残念そうに呟いて。
軋む音を立てて牢屋の扉が開いたのを、青い目が見ていた。
「いろいろありがとう、街の案内までしてくれて」
「別に、ただ暇だっただけよ」
それから数日。荷物を持ったウルとリオンを見送るべく、ティアは駅にいた。
観光客でごった返す駅のホームには黒光りする列車が止まっている。沢山の荷物を乗せたり降ろしたりする人達の邪魔にならない位置で、3人は向かい合っていた。
「凄く楽しかったよ!ティアとも友達になれたし」
「…友達になった覚えなんてないんだけど」
「えー、オレにとっては友達だよ?ティアの秘密も知ってるしね!」
「は…?」
秘密、という単語に思わず反応した。
一体彼はどれの事を言っているのだろう。家柄の事か、それとも項のあれか。ウィッグはそこそこ長いものを選んでいるから、余程派手な動きをしなければ見えないはずで、だけど戦闘の際は構わず動いていたかもしれない。家柄についてはどうやったって知る方法はないはずだ。何かのきっかけで知ったとしてカトレーンに直接訪ねても、当主を始めとして誰1人答える訳がないのだから。
ニコニコと笑みを絶やさないリオンに警戒しながらも目を向けると、相手の吊り目がじっとオレンジの目を見つめていた。
「…何」
「だってティア、目の色本当は青だよね?」
一瞬呼吸が止まって、すぐにゆるりと息を吐く。
そういえば、アジトで少し視界が揺れていたかもしれない。あの時は特に気にしなかったが、効果が切れる合図としてそういった症状が出ると書いてあったのを今更ながらに思い出した。
が、目の色だけなら慌てる必要はない。群青色はカトレーンの色だが、一見しただけでそれを判断出来る人がそういないのは一族の人間なら知っている事だ。それに髪の色は明らかになっていないのだから、目の色だけでカトレーンだと判断するのはまず無理がある。ましてやそれがリオンのような他所の子供なら、心配する必要なんてないに等しい。
「ええ、その通りよ」
「だろ?」
「秘密だって解ってるなら誰にも言わないで。アンタもよ、ウル」
「解った!」
「ああ、約束する」
無駄を最大限省いた言葉でどうにか収める。余計に喋って変に引っ掛かりを覚えられても困るからだ。
と、ウルがふと笑みを消して、真剣な表情で口を開く。
「…アイツ等はどうなったの?」
「とりあえず今は牢の中ですって。かといって今更評議院に報告する訳にもいかないから、この後どうなるかは未定ね。何らかの罰が与えられるのは間違いないから、その辺りは安心していいわ」
「そう…捕まってた子達は?」
「何事もなかったように…とはいかないけど、大分回復はしてる。で、知っての通り礼も何もなし。解ってた事だし出来ない事を求めるのも馬鹿らしいけど、腹が立たない訳じゃないわね」
苛立たしげに腕を組む。まるで3人の事など最初から見えていないかのように家族と再会を果たした少女達は、あと少し遅ければ奴隷として売られるところだったのだと賊のリーダー格が言っていた。
最初から礼がほしくて動いた訳ではないけれど、あまりにも当たり前だという顔をするから腹が立つ。
「あの…」
ふと声をかけられて、こつこつと床を叩いていた足を止める。
声をかけてきたのは、長い桃色の髪を先端近くで結わえた女性だった。娘であろう少女と手を繋いでいる。人見知りがちなのか母親より下がった位置からこちらを見ている少女に見覚えがある気がして首を傾げると、ウルが「あ」と声を出す。
「もしかして、あの時の」
「はい。娘を助けていただき、ありがとうございました」
深々と頭を下げる母親に倣って、少女も頭を下げる。その意味が解っているのかは解らないけれど、ウルの言葉でティアもはっきりと思い出した。
あの時、リオンを引き連れて殴り込んだ際に人質に取られていたあの少女だ。母親もあの場にいて、助かった娘を抱きしめて泣いていた事も思い出す。確かラグナと呼ばれていたか。
娘の方に目を向けると、丁度彼女もこちらを見ていたのか目があった。慌てて逸らされた目がちらりとティアを見て、また俯く。
「ごめんなさい、本当はもっと早くお礼を言うべきだったんでしょうけど……」
「いや、気にしないでください。娘さんは、その…大丈夫ですか?」
「ええ、まだ怖いって言う事はありますけど…ほら、ラグナ。お礼は?」
母親に促されて、不安そうな表情のままラグナはウルの前に立つ。あっちへこっちへと視線を彷徨わせて、けれど決心したのか口を開いた。
「あ…ありがとう、ございましたっ。たすけて、くれて」
まだまだ幼い口調で言って、それが限界なのかすぐに母親の陰に引っ込んでいく。けれど気になるのかちらりとこちらを見ては慌てたように顔を引っ込める娘を見やってから、母親ははっとしたような表情を作った。
「あ…ごめんなさい。そろそろ発車時刻ですよね。引き止めちゃってすいません」
「え?…あ、ホントだ。急ごうウル!」
言われて気が付いたリオンが荷物を抱える。そのまま列車に入っていこうと背を向けて、何かを思い出したのかくるりと振り返った。
その顔には笑みが浮かんでいて、真っ直ぐにティアを見ている。
「ありがとう、ティア。本当に楽しかった。また会おうな!」
「……ま、気が向いたらね。おそらく10年くらい後の話だろうけど」
「えー!?今度はこっちに遊びに来てよ!待ってるからさ!」
「許可が出たらね。……多分却下されるけど」
「え?何か言った?」
「別に何も。ほら、早く乗っちゃいなさいな」
ぼそっとした呟きに首を傾げたリオンの背中を押すようにして、半ば無理矢理列車に乗せる。バランスを崩し転びかけたところを支えつつ、後から乗り込んだウルが顔を上げた。
「それじゃあ、またいつか。会える事を願ってるよ」
「来るならいつでも来なさい。案内くらいはしてあげるわ」
その“いつか”が来ないまま、ウルとは2度と会う事がなく。
明るかった彼は暗さを覚え、暗かった彼女は幾分かの明るさを持って再会した。
「……という訳で、めでたしめでたし」
そう締めくくって最後の一口を口に運ぶ。気づけばパフェグラスの中は空っぽで、コーヒーは半分未満を残して冷め切っていた。
冷めたコーヒーを一気に飲み干してから、グレイは眉を顰める。
「…って、結局何でお前はウルの……」
「もらった、っていうのが正しいのかしらね」
その問いを予想していたように、即座に答えが返ってきた。スプーンをパフェグラスの中に音を立てて入れて、その手はその流れで立てた腕の手の甲に顎を乗せる。
思い出すように目を伏せて、すっかり氷の溶けた水の入ったグラスをくるりと回した。その中に人差し指を入れてかき回すと、小さな魔法陣の上に薔薇と茨で構成する冠が現れる。グラスの中で窮屈そうに咲くそれは、ティアが指を抜くと同時に消え去った。
「本当は娘に教えたかったって言ってた。けどそれはもう出来ないから、名前のよく似たあなたにもらってほしいって。それで受け取って、自己流を加えたのが私の魔法」
水で濡れたはずの指は、何事もなかったかのように水滴がない。少し疑問に思ってから、水の魔導士なのだから当然といえば当然かと思い直してレシートを掴む。
と、空っぽのパフェグラスを見つめていたティアがぽつりと呟いた。
「そういえば、なんだけど」
「ん?」
「話に出て来た女の子、あの後また会ったのよ。しかもついこの間」
そう言う口角が楽しそうに吊り上がっているのを見て、僅かに―――いや、かなり嫌な予感がする。何だかとんでもない爆弾が落とされるような、そんな気配だった。
けれど興味もあって先を促すように目を向ければ、悪戯っぽく瞳が煌めいて。
「向こうが覚えてるかは解らないけどね。アンタの事、師匠って呼んでたわ」
牢屋の中にいた。括り的には同じ牢屋であっても、あの時入れられたそれとは比べ物にならない。魔封石で作られている為に魔法は使えず、大人数が入っている訳でもない。
1人で嬉しいような寂しいような、入り混じった思いだった。声には出さず唇の動きで呟いたのは、信頼する師匠たる青年の名。
あの時のような助けはない。透き通る斧が振り回される事も、氷の造形が飛ぶ事もない。けれど、今はそれを必要だとは思わなかった。時間をかけて償って、今度こそ。
「……師匠と、ティア嬢に」
言うべき言葉を、ちゃんと。
後書き
こんにちは、緋色の空です。
とんでもなく遅れてしまい申し訳ないです―――!まさかの2か月、何もしてなかった訳じゃないんです…ちゃんとちょこちょこ打ってたんです……けど結果としてこの遅さよ…。
次回もまた遅れると思いますが、なるべく早く書き上げますので!
感想・批評、お待ちしてます。
勘を取り戻せはしたけど…内容どうなんだこれ…。
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