ストライク・ザ・ブラッド 〜神なる名を持つ吸血鬼〜
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観測者たちの宴篇
28.観測者たちの宴
前書き
力を取り戻した彩斗と古城。
向かうは仙都木阿夜のもと。
闇誓書を止めるべく、二人の吸血鬼は決戦の地へと……
「この世界が呪われている、というのはどういう意味ですか?」
鳥籠の中に囚われたまま、雪菜が火眼の魔女に訊く。絃神島が崩壊していく音を、聞いていた魔女が雪菜を見て愉快そうに微笑む。
「不思議……か、剣巫?」
モノクロームの十二単を揺らして、仙都木阿夜がゆっくりと鳥籠の方へと向き直る。
「ならば問おう。汝は、今のこの世界の姿が正しいと思うか? 人が平然と魔術を行使し、吸血鬼や獣人が闊歩するこの世界……が」
唐突な阿夜の質問に、友妃と雪菜は違和感を覚えた。
その質問は自らの存在を否定しているようなものだ。
「……この世界を支配する原理には、多くの謎が残されていますが、実際に魔術と魔族が存在する現実を曲げることはできません」
「ならば、おまえは魔術や魔族が、存在する理由を疑ったことはないのか。たった一人の吸血鬼に、巨大な都市を壊滅する力が与えられおり、それすらも殺す吸血鬼の存在──こんなアンバランスな姿が、世界の正しい在り方だと言い切れるのか?」
仙都木阿夜は、かすかに嘲笑うかのような口調に聞こえた。
「それは……」
雪菜が思わず言葉に詰まる。
「それでもそれがこの世界なんだよ。たとえ間違ってるとしてもね」
友妃は強い口調で仙都木阿夜を睨んで言った。阿夜が唇を吊り上げて笑う。
「そうだ。だから、この世界は呪われていると言っている」
「たしかにそうなのかもしれません。でも、その世界で人類は生きてきたんです。何千年も」
雪菜の言葉を聞いた火眼の魔女が、不意に真顔で首を傾げた。
「何千年も……か。本当にそうかな?」
「どういう意味ですか」
「世界五分前仮説という考え方を、知っているか?」
聞き覚えのない言葉に二人は首を振った。
阿夜は、淡々と説明を口にする。
「──この世界が今のような姿になったのは、ほんの五分前の出来事で、それ以前は存在していなかったという仮説だ。人間の記憶も歴史も、過去の記録や建造物も、すべて五分前に何者かによって生み出された、と」
「……ただの仮説……証明できない思考実験ですね」
雪菜は溜息混じりに指摘した。
だが、その仮説を否定することも出来ず、真実であると証明することも出来ない。
しかし阿夜は、その反論を待っていたように愉しげに微笑んだ。
「たしかに仮説だ。だが、証明する方法はある。実際に我が、世界を好きなように創り出してみせれば、それが可能であることに疑いの余地はなくなるだろう?」
阿夜の言葉の意味を理解して、友妃は血の気が引く。
「まさか、あなたは……そのために闇誓書を……!?」
「そう……だ。世界を我の望むままに書き換える。これはそのための実験だ」
火眼の魔女が、迷うことなく宣言した。
彼女の目的は異能の力を消し去ることではなく、世界を書き換えることが目的なのだ。
「どうして絃神島でそんな実験を……!?」
「ここは’“魔族特区”──魔術がなければ存在することすらなかった人工の島。いわば狂った世界の象徴だ。我が実験に、これほど相応しい舞台もあるまい?」
阿夜がつまらなさそうに説明する。
その言葉に友妃は怒りを覚えて彼女を睨みつける。
「そんなことのために、何十万人もの人々を殺すき!?」
「我ら魔女を忌まわしき存在として蔑み、好きに利用してきた報い……だ!」
火眼の魔女が、荒々しく叫んだ。
抑えきれない憎悪に呼吸を乱す阿夜を、友妃と雪菜が困惑の表情で見つめた。
「その槍……“七式突撃降魔機槍”は、魔力を無効化し、ありとあらゆる結界を切り裂く破魔の槍──といわれていたな。だが、それは真実なのか?」
今度は冷静に仙都木阿夜が雪菜を見つめて、不意に口調を変えた。
「……いったい、なんの話ですか?」
「魔力を無効化しているのではなく、本来あるべき世界の姿に戻しているのではないか──? そうでなければ、真祖の能力すら無効化する威力に、説明がつかないと思ってな」
阿夜は悠然と微笑んで告げた。
「雪菜を動揺させるのが目的なの、仙都木阿夜?」
「そう気を立てるな、剣帝。それに汝も言えることか?」
火眼の魔女が、かすかに微笑んだ。
「……どういうこと?」
「汝の刀……“無式断裂降魔剣”とはなんだ? 真祖の能力すら無力化し、魔力の塊である眷獣さえも幻術にかけるとはなんだ?」
阿夜の問いに友妃は答えることが出来ない。
「その槍と刀を自在に操る汝らは何者であろうな。おまえらは本当にこの世界の人間か?」
「──そんなくだらない憶測で、わたしたちを連れてきたんですか?」
雪菜は平静な声を出す。
だが、内心では確実に動揺している。
「憶測か。ならば、汝らだけが闇誓書の効果を逃れて、今も呪術を使える理由を、我に聞かせて欲しいものだな」
仙都木阿夜が、からかうような口調で雪菜と友妃に訊く。
「あなたは、この世界を何者かが今のような形を生み出した、といいましたね?」
雪菜が硬い声で阿夜に訊いた。
「そうだ。生み出したというよりは、呪ったというべきかもしれない……が」
「いったい誰がそんなことを?」
「我は知らぬ。世界を生み出した存在といえば、神と呼ばれるべきなのだろうが、そんな上等なものではないだろう」
阿夜は無造作に首を振った。
「……神の意思にたどり着きし、暁」
友妃は自然と口からその言葉が洩れた。
それは“神意の暁”という名を初めて訊いたときに友妃が思ったことだった。しかしその考えは彩斗という存在を見て否定された。確かに彼が操る眷獣は強力だ。
それでもヴァトラーが言っていたように本当に緒河彩斗の身には、真祖を殺せるほどの力を宿しているのだろうか。そもそも、なぜ普通の高校生であった彼にそんな化け物が宿ったのだろうか。神々の呪いによって生み出された吸血鬼でありながら“神”の名を冠する矛盾した存在。
全ての魔力を無力化する翼を持つ梟。空間ごと破壊し尽くし鮮血の獅子。他にも、全ての水を操る一角獣。古代兵器を一撃で沈めた月光の猪。
全てにオリンポスの十二神の名を持っている。
「……この魔力!?」
考え込んでいる友妃の耳に驚愕した阿夜の声が響いた。凄まじく濃密な魔力の波動が、校内の大気を揺るがした。
「馬鹿な」
吐き捨てるように言いながら、阿夜が鳥籠もろとも転移する。
学園の周囲を取り巻いているのは銀色の霧だ。
濃密に遮られて、外の光景はなにも見えない。いや、これは街そのものが霧に変わっている。
不可視の障壁によって霧の侵入は防がれている。
しかしその分厚い障壁に、突然、亀裂が走る。結界を空間ごと引き裂いて、何者かが、仙都木阿夜の世界へと侵入してくる。
「──疾く在れ、三番目の眷獣、“龍蛇の水銀”!」
空間を喰らう、次元喰いをもつ双龍を従えて、閉ざされた世界に血まみれのパーカーを羽織った世界最強の吸血鬼──
第四真祖、暁古城だ。
水銀色の双頭の巨龍が、友妃たちを閉じ込める鳥籠を噛み砕く。
「先……輩……!」
「古城君!」
第四真祖の眷獣は実体が不服げに咆哮しながらも、龍たちは渋々と消え去った。
「……よもや結界を喰い破って、我の世界の中枢にまで入って来るとはな。土足で自分の部屋を踏み荒らされた気分……だ」
仙都木阿夜が、憎々しげに火眼を細めて古城を睨んでいる。
「言っとくけどな、ここは俺らの学校だからな。普通に考えて、侵入者はあんたのほうだろ、仙都木阿夜」
「……ぬ」
古城の言葉に、阿夜はかすかに動揺をみせた。
「──雪菜、友妃! 大丈夫? 変なことされなかった?」
古城と一緒に校庭に紗矢華が入ってきた。
紗矢華は、まるで情事の直後のように衣服が乱れていた。
それは古城に吸血されたのであろう。
「紗矢華さん……シャツのボタン、掛け違ってます……」
雪菜は淡々とした口調で指摘する。
「へ!?」
紗矢華は頬を赤らめながら、胸元を隠す。そんな紗矢華に雪菜がサナを預けて、彼女を庇うように身構える。
闇誓書によって奪われた紗矢華の力は戻っていない。
「優麻……か」
仙都木阿夜が、忌々しげにその名を口にする。
「そうか。我の複製品である人形の血を吸ったか。そうやって魔力を取り戻したのだな」
「ああ。おかげであんたをぶっ飛ばしてやれるぜ」
怒りに震える魔女を冷たく眺めて、古城が言う。
古城は無造作に足を踏み出し、仙都木阿夜との距離を詰めていく。
そのときだった。空気を劈く爆発音にも似た叫び声が結界の中に響き渡った。
「仙都木阿夜ぁぁぁ!」
その声は友妃が待ち望んだ少年の声だ。
学園の周囲を取り巻いている銀色の濃霧から太陽の輝きにも似た閃光が出現する。
「ぶち破れ! アテーネ!」
全ての魔力を無力化する黄金の翼を持つ梟が結界と激突する。
結界を破って現れたのは、二人の人影だった。
薄着の患者着を身につけた優麻を抱きかかえて、彼は現れた。
「彩斗君!」
「よぉ、仙都木阿夜」
彩斗は不敵な笑みを浮かべながら、阿夜へと一歩一歩近づく。
彩斗の身体から溢れんばかりの魔力の波動が流れ出る。
仙都木阿夜は、憎々しげに火眼を細めて睨みつけてくる。
だが、彩斗の怒りはそれ以上だった。
同時に第四真祖の怒りも、雷光となって現れる。
「いい加減、本気で頭にきてんだ。あんたがユウマの母親だろうが、監獄結界からの脱獄囚だろが関係ねェ。あんたの目的も知ったことか! あんたは俺たちの大事な友達を大勢傷つけた! ここから先は、第四真祖の戦争だ!」
仙都木阿夜が、古城の怒気を正面から受け止め、攻撃的に美貌を歪めた。
「──いいえ、先輩。わたしたちの反撃です」
睨み合う古城たちの間に割り込んだのは、雪菜だった。古城が驚いて彼女を見る。
「自分たちが魔女だから、この世界の人々に蔑まれ、利用されてきたとあなたは言った。だったら、あなたが優麻さんに対してしたことはなんなんですか!?」
雪菜が哀しげに阿夜を睨んでいた。
「世界から異能が消えれば、魔女が畏怖され、疎まれることもなくなるかもしれない。それでも仙都木阿夜……あなたがやっていることは間違ってるよ!」
友妃が刀を構えながら彩斗の前に立つ。
「あなたが呪われているのは、あなたが魔女だからではありません。自分が魔女であることを理由に、他人を傷つけても許されると言い訳する限り、誰もあなたを受け入れてはくれない。今すぐ闇誓書を解除して、投降してください」
「……たかだか十数年しか生きてない餓鬼どもが、知った風な口を利いてくれる」
阿夜が苦々に目を眇めた。絶望と拒絶に満ちた阿夜の表情をする。
「だが、よもや忘れてはおるまいな。ここはまだ我が世界の中ぞ!」
阿夜の指先が、虚空に文字を描き出した。
その輝きが、虚空から次々に人の形を呼び出していく。龍殺しのブルード・ダンブルグラフ。シュトラ・D。ジリオラ・ギウルティとキリガ・ギリカ・赤と黒の二人組の魔女はメイヤー姉妹。今まで彩斗らが戦い倒した者たちだ。
「記憶を元に、魔道犯罪者たちを新たに創り出した……!?」
雪菜が愕然と呟いた。おそらく阿夜が呼び出したのは、彼女の記憶の中にある凶悪な魔道犯罪者たちの模倣品だろう。望みのままに世界を書き換える闇誓書の力は、人間すら自在に創り出すのだ。
しかし彼らは、魂の持たない幻影に過ぎない。たとえ本体と同じ能力を備えていたとしても脅威は格段に劣る。
「優麻、少し待ってろ。今からあの勘違い野郎をぶん殴ってくるから」
彩斗は抱きかかえていた優麻をゆっくりと下ろす。
「うん、頼んだよ。彩斗」
彩斗は彼女に不器用な笑みを浮かべて前に出る。
「その程度の模造品で神意の暁を止めることなんて出来ねぇよ。──来い、“神光の狗”!」
彩斗が呼び出した太陽の輝きを放つ鮮やかな毛並みを持つ狗の眷獣。
顕現するとともに太陽の狗は彩斗の身体へと激突し、爆発的な魔力の波動を生み出した。
魔力が彩斗の右手に凝縮し、その形を変化させる。
太陽がその場にあるかと錯覚させるほどの神々しい光を放つ指輪。
「……いくぞ」
冷たく呟かれた。
その瞬間に彩斗の身体から先ほどの魔力よりもさらに濃密な魔力の衝撃波が生み出された。
その衝撃波は彩斗たちを取り囲む魔道犯罪者へと降りそそいだ。
龍殺しの剣も、念動力の不可視の斬撃も、“旧き世代”の眷獣も、炎精霊も、その波動の前では全て無力だった。
火眼の魔女は顔を歪ませる。
仙都木阿夜の闇誓書によって創り出された世界の中枢。その世界で阿夜の魔力さえも、上回る彩斗の魔力に余裕のない表情をみせた。
「おまえは何者なのだ」
火眼の魔女は、彩斗を睨みつけた。
「俺か……神意の暁はただの優麻の友達だ」
不敵な笑みを浮かべる彩斗。
「“雪霞狼”──!」
雪菜の銀色の槍が一閃する。
それ気づいて阿夜が新たな魔法文字を虚空に描く。雪菜の眼前に出現したのは、ガラスのようなにとうめいな壁だった。
「水晶の壁!?」
槍の穂先を弾かれて、雪菜がうめいた。魔法を無効化する彼女の槍も、単なる壁が相手では無力だ。この世界の創造主である阿夜は、自在に物質をも召喚することができるのだ。
「退がれ、姫柊──!」
猛々しく牙を剥いて、古城が叫ぶ。ただの壁が相手なら、それは眷獣の敵ではない。
「疾く在れ、“双角の深緋”──!」
第四真祖の眷獣の強烈な振動波に耐えられず、分厚い水晶の壁が砕け散る。
「物理障壁は真祖の眷獣が……魔法障壁は剣巫の槍が砕く……か。世界に拒絶された異端どもの連係がこれほどまでに厄介とはな。ならば──」
むしろ小気味よさげに笑ながら、阿夜は十二単の袖口に手を入れた。彼女がつかみ出したのは、一冊の古い魔道書だ。
「しまっ──!?」
虚空から出現した黒い触手が、雪菜を背後から搦め捕った。彼女の全身を拘束する血管状の触手は、かつて優麻の“守護者”を襲ったものと同じだ。槍の動きが封じられた雪菜だった。
「悪いが、汝の記憶、奪わせてもらうぞ、剣巫! “影”!」
仙都木阿夜が、自らの“守護者”を呼び出した。漆黒の鎧をまとう顔のない騎士だ。
黒騎士が剣を引き抜いて、身動きのとれない雪菜へと斬りつける。
「「姫柊!」」
古城と彩斗が雪菜の方へと走り出す。強力すぎる二人の眷獣は、雪菜を傷つけずに彼女を救い出せない。
「それはあなたの夢……幻だよ」
かすかに聞こえた少女の声。
黒騎士の攻撃が雪菜の身体を斬りつけた。だが、雪菜の身体はまるで幻のように消滅したのだった。
「なに!?」
仙都木阿夜が驚きの声を出す。
「ようやく、その本を持ち出してくれたな。待ちわびたぞ、阿夜」
舌足らずな可愛らしい声が、阿夜の背後から聞こえてくる。黄金の“守護者”を従えて立っていたのは、豪華なドレスをまとった幼い少女だった。しかし彼女が浮かべた表情は、見た目の年齢とは不釣り合いだった。
「那月!? 汝、記憶が──」
「返してもらうぞ、私の時間を」
サナの姿をした南宮那月が、無造作に指を鳴らす。虚空から撃ち出された無数の鎖が、阿夜の腕に巻きついて彼女の魔道書を奪い取った。
「……那月ちゃん、魔力が戻ってたのか?」
幼女を眺めて、古城が訊く。那月はほんのわずか愉快そうに唇を曲げた。
「一瞬だけ魔術が使える程度の、わずかなストックだがな。どこぞの真祖が、風呂場で鼻血をだだ洩らしてくれたおかげだ」
「──幼児化してた間の記憶も残ってんのかよ!?」
古城は思わず頭を抱えた。
「おまえはなにしたんだよ」
復活した那月と彼女の“守護者”を、阿夜は呆然と立ち尽くしたまま見つめていた。
那月は闇誓書が発動する前に記憶は戻っていたのだ。そして仙都木阿夜の目をあざむき続けた。さらに奪われた時間を取り戻すチャンスを待っていたのだ。
「あくまでも我の敵に回るか、那月!?」
怨嗟に満ちた声で、阿夜が吼えた。撒き散らされた殺気とともに、虚空に無数の文字が描かれる。出現したのは犯罪魔導師たちの幻影。そして煮えたぎる熔岩。巨大な氷塊。地面より突き出す無数の針。それらがすべてが那月をめがけて襲ってくる。
しかし那月は空間転移によって、その攻撃をあっさりとかわす。
空間制御の魔術に関して、那月に匹敵する魔女などいないのだ。
「吹き飛ばせ、“双角の深緋”──!」
「降臨しろ、“真実を語る梟”──!」
二体の眷獣が阿夜の創り出した幻影たちを、一瞬で消滅させていく。そして無謀部になった火眼の魔女へと、双角が突進していく。
阿夜は眷獣の攻撃を防ぐため、文字障壁を展開する。
だが、その障壁に激突する寸前、古城は実体化しを解除した。
障壁を突破に飛び込んできたのは、眷獣ではなく、銀の槍を持った少女だった。
「──鳴雷!」
雪菜の左脚が跳ね上がり、仙都木阿夜の顎先をとらえた。
障壁の展開に集中していた阿夜には、その攻撃をよけられない。阿夜の呪力をこめた雪菜の蹴りが脳を揺らした。
ほんの一瞬、阿夜の意識が飛ぶ。従えていた“守護者”との接続が途切れる。その瞬間を見逃さず、那月が虚空より鎖を放った。
「悲嘆の氷獄より出で、奈落の螺旋を守護せし無謀の騎士よ──」
黒騎士の全身を、銀色の鎖が締め上げる。
「我が名は空隙。永劫の炎をもって背約の呪いを焼き払う者なり。汝、黒き血の軛を裂き、あるべき場所へ還れ。御魂をめぐみたる蒼き処女に剣を捧げよ!」
那月の呪文の詠唱が続く。鎖を介して彼女の魔力が流れこみ、黒騎士の全身を電撃のように襲った。“守護者”の全身を覆う漆黒の鎧がひび割れて、その下に新たな鎧が現れる。
真夏の海に似た、蒼き鎧が──
「「ユウマ!」」
彩斗たちにも直感的にわかった。
「──“蒼”!」
優麻が叫んだ。青い騎士が咆哮する。引きちぎられた霊力径路が復活し、彼女と“守護者”の接続が回復した。
優麻が魔女の力を取り戻す。
それすなわち、仙都木阿夜が“守護者”を失うことを意味する。
「我が生み出した人形が、我の支配を逆らうか……!」
血の混じる息を吐きながら、阿夜が自嘲めいた呟きを洩らす。
「潮時だ、阿夜……監獄結界に戻れ。おまえが見た夢はもう終わった」
片膝を突く火眼の魔女が見下ろして、那月が警告した。
「だが、第四真祖、“神意の暁よ。島を支えるほどの眷獣を呼び出しながら、ほかの眷獣を操るのは苦しかろう。あとどれだけ暴走させずに制御できる? それまで耐え切れば我の勝ち。結果は同じだ」
完全に追い詰められながらも、阿夜は心底愉しそうだ。
古城は黙って顔をしかめた。その言葉は事実だ。
「……それはどうかな?」
彩斗は不敵な笑みを浮かべた。
「神意の暁をあまりなめるなよ」
その瞬間、彩斗の右手の中指にはめられていた指輪が爆発的な魔力を放った。
その魔力が銀色の濃霧に遮られなにも見えない外へと放出されていく。
すると銀色の霧に包まれた世界にわずかな光が灯った。その光が分裂するように次々と増殖していく。
「まさか……!?」
「ああ、その通りだよ」
彩斗が皮肉な笑みを浮かべた。
彩斗が行ったことは、魔力によって支えられた絃神島の中枢へと自らの魔力を流しこんだ。それにより外部から古城の眷獣が霧へと変え、内部から彩斗の眷獣の魔力が支えている。
これによって仙都木阿夜の勝利は完全に消滅した。
火眼を細めて、阿夜が笑う。その笑みは追い詰められた者の笑みではなかった。全てを捨てた者が見せる表情に似ていた。
「よせ! やめろ、阿夜!」
悲鳴のような声で、那月が叫ぶ。
その直後、仙都木阿夜の全身が炎に包まれた。物質的な意味での炎ではない。まるで地獄の底から噴き出しているような、不吉な闇色の業火だ。
阿夜の身体は完全に炎に呑まれて外からは見えない。彼女の火眼だけが闇の中で爛々と輝いている。
「な、なんだ……これ!?」
「墜魂だわ……」
ただ一人、冷静に戦いを傍観していた紗矢華が、真っ先に異変の正体を看破して叫んだ。
「魔女の最終形態。自らの魂を悪魔に喰わせて、肉体を本物の悪魔と化す──」
「……こうなったら誰にも止められない。阿夜は、もう……」
那月が絶望に満ちた表情で唇を噛む。
「そんな──」
古城は拳を震わせた。そろそろ彼の眷獣の制御にも限界だ。
たしかに彩斗の眷獣によって絃神島の崩壊は防がれてはいるが魔力を使い果たした状態で完全な悪魔となりつつある阿夜の桁外れの魔力の怪物を倒すことができるのだろうか。
「いいえ、先輩。止めますよ。優麻さんのためにも──」
「そうだよ。止めるよ、彩斗君」
揺るぎない決意に満ちた雪菜と友妃の瞳が、戦う理由を語りかけた。
傷ついた優麻のためにも、阿夜は見捨てられない。ようやく出会えた母親を、娘の前で破滅させるわけにはいかないのだ、と。
それにこんな巫山戯た結末でこの事件を終わらせるわけにはいかないのだ。
それがどんな無謀なことであってもやるしかないのだ。
何度も魔力も失いかけたし、何度も傷を負ったし、何度も仲間が傷つくところも見た。
──だからこそ……だからこそだ。
これ以上、なにも失うわけにはいかねぇんだよ!!
「私たちの武器は魔力を無効化するのではなく、世界を本来あるべき姿に戻しているのだと、あの人自身が言っていました。だから──」
「わかった。こっちもそろそろ限界だ」
武器化した“神光の狗”の指輪が魔力の輝きを放出し、古城と雪菜、友妃の身体を包み込む。
「絃神島を支えてるせいであんまり回復はさせれねぇけど気休めにはなるだろ」
「それでも十分だよ」
「はい。一気に行きます!」
雪菜と友妃が槍と刀を構えて走り出す。
かつて仙都木阿夜だった存在が、炎に包まれた指先で文字を描いた。それが創り出したのは得体の知れない不定形の怪物たちだ。
雪菜と友妃の行く手を阻むように、それらが彼女らに向けて殺到してくる。
「疾く在れ、“獅子の黄金”──!」
「降臨しろ、“真実を語る梟”──!」
不定形の怪物たちを雷光をまとう黄金の獅子と神々しい翼を持つ黄金の梟が二人の進路を確保する。
「──獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る」
「──獅子の御門たる高神の剣帝が崇め奉る」
銀色の槍を掲げて、雪菜が舞う。槍が白い輝きに包まれる。
銀色の刀が“真実を語る梟”を方物させる神々しい翼が展開される。
「破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!」
「虚栄の魔刀、夢幻の真龍、神域の翼膜をもちて闇夜を穿つ力とならん!」
銀色の槍と刀が共鳴するように輝きを放つ。二つの刃が魔女の身体を包んでいた黒い炎を断ち切った。
二つの閃光を浴びた阿夜の身体から、魔力が消失する。それは彼女が魔女と交わした契約が破棄されたことも意味する。
「よくやった、教え子ども」
聞こえてきたのは、舌足らずの幼女の声だった。虚空から放たれた銀色の鎖が、闇色の炎の中から阿夜の身体を引きずり出す。
現世に出現する魔界の炎とともに学校を包む結界とともに、闇誓書の効果が消滅する。
その瞬間、世界の色彩が鮮やかに変わるように絃神島の魔力が戻った。
銀色の霧がゆっくりと晴れていき、絃神島の全貌と、島を取り囲む青い海が見えてくる。
水平線から射しこむ眩い光を浴びて、古城と彩斗は苦痛にうめいた。
傷つき疲れ果てた彼らを照らし出したのは、本物の太陽の朝の陽射しだ。
いつの間にか夜が明けたのだった。
絃神島の中枢部。キーストーンゲートと呼ばれる建物の中には、小さな博物館がある。
魔族特区博物館。絃神島と“魔族特区”にまつわる学術資料や物品を保管して、観光客向けに展示する施設だ。
その博物館の片隅に、一般開放されていない区画がある。
ガラス製のショーケースに展示されているのは、古びた槍が一振りだけ。
黒く塗られた槍の上下には、それぞれ大型の穂先がついている。
二本の短槍を無理やり接合したような、奇妙な形の槍だった。
ショーケースには、槍の銘も来歴も記されていない。何本ものワイヤーで頑丈に固定され、博物館の奥にまるで何者かの手で封印されているように感じられた。
その槍を、一人の青年が見上げている。
眼鏡をかけた、知的で物静かな雰囲気の青年だ。彼の左手には、鉛色の手枷が嵌っている。
青年がショーケースの中へと手を伸ばした。
展示されていた黒塗りの槍が、青年と共振するように光を放つ。その灰白輝きは、魔力を無効化し、ありとあらゆる結界を斬り裂く神格振動波の閃光だった。
青年の手枷が砕けて、床に散らばった。
「このために仙都木阿夜を利用したんですね」
振り返った青年のそこにいたのは制服を着た女子高生だった。
眼鏡をかけた大人しげな雰囲気の少女である。
「零式突撃降魔双槍──“魔族特区”に残しておいたのは迂闊でしたね」
「……運び出すことができなかったのです。なにしろこれは失敗作ですから」
「たしかに。ある意味、私に相応しい武器だ」
青年は手の中に槍を持つと興味をなくしたというように外に向かって歩き出す。
「これからどこへ行く気です、絃神冥駕?」
青年の背中に少女が訊いた。青年はその場に足を止め、面白そうに振り返る。
「おや──止めないのですか、“静寂破り”?」
「……やめておきます。たとえ今の私の力でも、“冥餓狼”を装備したあなたを、殺さずに止められるとは思ってませんから」
挑発するでもなく淡々とそう言って、少女は悪戯っぽく首を傾げた。
「それにあなたを逃したところで、獅子王機関に実害はありませんし」
「なるほど。いい判断です」
青年が柔らかく微笑んだ。
「それでは」
波朧院フェスタは、間もなく二日目の夜を迎えようとしていた。
彩斗と古城、友妃と雪菜は港湾地区の外れを歩いていた。周囲にはほとんど人影もない。
今夜の最後のイベントの花火大会が行われる。その花火大会の見物スポットから離れているし、街灯も必要最低限しかないので、普通なら誰も近づかないだろう。
「待ち合わせの場所って……ここだったか?」
少し不安そうに古城が携帯電話を取り出した。
「しらねぇよ。俺はおまえについてきただけだからな」
大きなあくびをしながら頭を掻いた。
その直後、鮮やかな光が世界を染めた。
一瞬遅れて伝わってきた、ドン、という轟音が、彩斗たちの肌を震わせる。花火。色とりどりの花火が夜空に咲いている。
「あ……」
「すごい……」
雪菜と友妃が空を見上げて、声を洩らす。大きく見開かれた彼女らの瞳が子供のように無邪気に輝いている。
「なかなかの穴場だろう?」
彩斗たちの足元には、いつの間にか一人の幼女が立っていた。豪華なドレスを着た人形めいた幼女だ。
「私のとっておきの場所だが、おまえたちには今回借りを作ったからな。特別だ」
「那月ちゃん……」
「担任教師をちゃん付けで呼ぶな」
いまだに幼い姿の那月が、不愉快そうに古城を睨む。
「だが、サナと呼ぶのは許してやらんこともないぞ」
「気に入ったのかよ、その呼び名」
脱力してその場に跪きながら、古城がうめいた。
「また、監獄結界に戻るのか」
花火が途切れるのを待って、古城が訊いた。
監獄結界とは、管理人である那月が見ている夢だ。
それを封印するために、那月は異界に閉じ込められて、眠り続けなければならない。
誰にも直接触れることなく、歳を取ることなく、たった一人きりで。それが魔女として、彼女が支払った契約の代価なのだ。
「気にするな。すぐにまた会える」
幻影である那月には、またすぐに会える。話すこともできるだろう。しかし、本物の那月にはもう会えない。いつか、誰かが、監獄結界の彼女を解き放たない限り。
それはもしかしたら、“神意の暁”と第四真祖の役目なのかもしれない。
だが、今の二人では出来ない。
彩斗たちが吸血鬼でありながら普通の高校生活を送れているのは、那月のおかげだ。
もしも二人が絃神島の敵に回ったときは、南宮那月が止めてくれる。“空隙の魔女”としての彼女が。
たとえ世界最強の吸血鬼であっても監獄結界からは出られない。彼女には対抗できる力をもっている。
彼女はずっと彩斗と古城のことを護ってくれていた。
だからこそ、那月に監獄結界の管理人をやめろ、ということができない。
「──週明けからは普通に授業を再開するからな。遅れずにちゃんと戻ってこいよ」
那月が、いつもどおりの口調で告げた。だから古城も、いつものように笑って答えた。
「わかってるよ、那月ちゃん」
「まぁ、ほどほどに行くよ」
「私を那月ちゃんと呼ぶな。あとおまえは調子に乗るな」
小さな掌で腹を殴られて、彩斗はぐぉ、とのけぞった。
そのまま倒れそうになるになった彩斗を誰かが後ろから優しく抱きとめる。友妃が助けてくれたのかと思ったが、そうではなかった。
快活そうなショートボブの少女が、彩斗の背中を支えて笑っている。絃神島に最初に着いた日と、彼女は同じ服装だ。
「優麻……!? 怪我は大丈夫なのか?」
「空隙の……いや、南宮先生に許可をもらって一瞬だけ時間をもらったんだ。またしばらくは会えそうにないからね」
優麻が少しだけ寂しげに微笑む。まだ未成年で、しかも母親に利用されていただけとはいえ、彼女は犯罪組織LCOの幹部だった。たとえ負傷から回復しても、長い取り調べが待っているのだろう。
「だけど、また会えるんだな」
古城は言った。
たしかに優麻は取り調べを受け、罪を問われることになるだろう。しかし、そう酷い扱いは受けないはずだ。なぜなら彼女には価値があるのだから。第四真祖の幼なじみという、とてつもない利用価値が。
それにそんなことが彩斗の耳に入れば“神意の暁”の力で潰しにかかるかもしれない。
「そうだね。たぶんそう遠くないうちに」
優麻が微笑みながら両手を挙げる。ハイタッチの仕草だ。彩斗は古城へのものだと思い少し下がる。
古城は彼女に応え、両手を挙げて、掌めがけて、勢いよく自分の手を叩きつけた。
パァン、と快音が鳴る。
優麻は次に彩斗の方を向き、両手を挙げる。彩斗は無気力だった表情から不器用に微笑んで、彼女の掌をめがけて、勢いよく自分の手を叩きつけた。
だが、彩斗の動きは虚しく空を切った。優麻が不意によけたのだ。
勢い余って倒れこむ彩斗を正面から抱き留めて、彼女は彩斗に唇を重ねた。
「───っ!?」
彩斗は硬直して声も出せない。優麻はそれをいいことに自分の気が済むまで唇を重ね続けた。
全員が息を呑む中、優麻は彩斗を抱き寄せたまま、そんな友妃に悪戯っぽく笑いかけた。
「それまでは彩斗は預けておくよ、友妃。次は負けないよ」
そう言いながら彩斗を解放する優麻。
「優麻……おまえっ!?」
「そんなに驚かなくてもさっき以上のを彩斗からしてくれたじゃんか」
彩斗は頬を真っ赤に染め上げる。優麻は悪戯っぽく微笑む。
やれやれと息を吐きながら那月が指を鳴らして、二人は虚空に溶け込むように消え去った。
この場に残された彩斗としては地獄も同然だ。
頭上には絶え間なく爆音が聞こえる。
「彩斗君……」
友妃が静かに声を出す。
「ちょ、ちょっと待て! 一旦落ち着け。それに今のは俺のせいじゃねぇだろ」
「そうだね。でも、あれ以上にすごいのをしたんだよね。それも彩斗君から」
友妃が怒りのオーラをまといながら彩斗へと詰め寄ってくる。
「古城ヘルプ!」
古城に助けを求める。
「いや、それが……」
古城は明らかに顔をひきつらせている。その原因はすぐにわかった。
「先輩は隙が多すぎるんですよ。こないだは身体を乗っ取られたじゃないですか」
雪菜も怒りまかせに古城に詰め寄ってくる。古城の胸板を彼女の軽い拳叩く。
「本当にもういつもいつも心配させて……昨日だって……先輩が死んじゃうんじゃないかって、わたしがどれだけ不安だったか!」
「彩斗君は、無茶しすぎなんだよ! 優麻ちゃんのときだってあんな無茶なことして!」
「「あ……ああ。悪い」」
「本当にそう思っているなら、わたしの目の届かないところで、変なことしないでください! ちゃんとわたしの傍にいてください!」
「もうあんなことしないでよね。ボクの前から離れないで! ちゃんとボクの傍にいてよね!」
初めてちゃんとした彼女の感情に彩斗は反省した。たしかに、今回は心配をかけすぎた。
「傍にいろって……花火大会が終わるまでってことか?」
「そ、そういうことだよな」
ジリジリと距離を詰められて彩斗と古城は背中合わせの状態になる。
友妃は、びっくりするくらい大きな瞳で彩斗をじっと睨みつけ、きっぱり答えた。
「「この先もずっとです!」」
いやさすがにそれはちょっと、と彩斗と古城はたじろぐ。
だが、反論することができなかった。
なぜなら彩斗たちのすぐ後ろで、人々がどよめいく気配がしたからだ。
怪訝顏で振り向いた彩斗たちが見たのは、呆然と立ち尽くしている友人たちの姿だった。絶え間なく続く花火の轟音で、彼らの足音に気づくことができなかった。
「……ゆ、雪菜……!? ずっと傍にいて……って、それってまさかプロポー……」
蒼白な顔でつぶやいたのは紗矢華だった。え、と戸惑うように訊き返す雪菜と友妃。どうやら紗矢華たちに聞こえてきたのは、彩斗たちの会話の後半部分だけらしい。
「そ、そう……まさか、正攻法で来るとはね……やるわね……」
動揺しつつも、なぜか闘志を燃やし始めるのは浅葱だ。
「あ、あの……待ってください。今のは、その……」
「その……そうだよ。ボ、ボクは……」
さすがに誤解されたことに気づいて、友妃と雪菜はあたふたと取り乱す。
「彩斗さん……」
わずかに聞こえてきた声に彩斗はこれまでとは違う意味で身を震わせた。
「か、夏音!」
夏音は彩斗の服をわずかに掴みながら、上目遣いで見る。
「い、いや……こ、これは……そ、その……」
夏音の前では、いつもの無気力もたじたじになってしまう彩斗。
言い訳をしようにも、矢瀬と倫が、面白そうに眺めている。
そして浅葱たちの背後にいた凪沙は、なぜか頬を赤らめて雪菜たちを見つめる。
「雪菜ちゃんと友妃ちゃん……大胆」
「ち、違っ……だ、だから……わたしは先輩の監視役として……」
「ボ、ボクは彩斗君の監視役だ、だから……」
「「……だから違うんですっ!」」
二人の絶叫が夜空に響いた。投げやり気な気分で頭上を見上げる彩斗と古城。
騒々しい宴の夜に起きた事件の、知られざる最後の一幕だった。
そんな最後の一幕の前。絃神冥駕が“冥餓狼”を手にいれたときと同時刻。
絃神島の中枢部。キーストーンゲートと呼ばれている建物。
その地下深く。最深部に封印されているように幾つもの魔術がかけられた部屋。
だが、今は闇誓書の影響によってそんな魔術さえも無効化されて、容易く侵入ができる。
そこに漆黒のローブを身にまとう者が侵入する。左手には、鉛色の手枷が嵌められている。それは彼が、監獄結界から逃走した脱獄囚であることの証だ。
ローブは徐々に部屋の奥へと侵入していく。
部屋の奥には無機質な輝きを放つ長方形の箱が置かれている。魔術が失われているこの世界でその箱は異様な輝きを放っている。
「あなたの目的はなんなの」
ローブは足を止めて振り返る。
ロングスカートの年齢よりも若く見える女性だ。
「フ……コンナトコマデ来ル者ガイルトハ思ワナカッタナ」
ローブに隠れて見えないが笑っている。
「私もまたここに来ることになるとは思ってなかったわ」
責めるような口調で女性が言う。ローブは再び歩みを進める。
女性は、闘志を剥き出しにする。
「ソウ気ヲ立テルナ、“電脳ノ姫”……イヤ、“幻想ノ姫”ヨ」
「……その名で私を呼ぶな。……潰すわよ」
殺意を背に浴びながらもローブは奥地にある輝く箱へと目指す。
その箱の前へと到達したローブは箱の中を覗き込む。
「神ニナリ損ネタ者ヨ……ソノ力ヲ役立テサセテモラウゾ」
ローブはわずかに笑みを浮かべて、無機質な輝きを放つ箱へと触れる。
するとローブの手枷が砕けて、床に散らばった。
「これが目的だったのね」
ローブの背中に女性は訊いた。
「ソウダ。コンナモノデモ使イヨウニヨッテハ役立ツ」
「……おまえ!!」
女性は殺意を完全に解き放つ。
「コレデワタシノ目的ハ達セラレタ。サラバダ、“幻想ノ姫”ヨ」
ローブは空間を歪める。それは空間制御魔法だ。
その言葉を言い残して、姿を消していった。
女性は悔しげな表情を浮かべながらも部屋の奥へと進んでいく。
闇誓書を吸血鬼たちが止めてくれたようだ。
魔力が戻りかけている。再びこの部屋の封印が始まってしまう。
その前に見ておかなければならない。謝っておかなければならない。
女性は輝く長方形の箱を覗き込む。
その中に横たわるのは黒髪の少女。眠っているようにそこにいる少女の顔を見て、自然と眼から大粒の涙が零れてくる。
「ごめんね、彩斗くん……柚木ちゃん」
後書き
観測者たちの宴篇完結
次回、中等部の修学旅行で本土に行くことになった雪菜たち。さらに友妃もある事情でついて行くことになる。
その間、彼女らも監視から解放されると喜ぶ二人の吸血鬼。そんな二人の前に天塚汞と名乗る錬金術師が現れた。
封印されし錬金術の至宝──液体金属生命体”賢者の霊血”を復活させるため襲撃する。
そんな彼はなぜか夏音を狙う。そんな彩斗と古城に悲劇が襲う……!
錬金術師の帰還篇始動!!
とは書きましたが下手したら途中に閑話を挟むかもしれません。
そして今回もかなり長くなったしまいました。
オリジナル要素を最後に挟んで見ましたがいかがだったでしょうか?
また質問や意見、誤字・脱字などを見つけましたら感想などでお教えください。
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