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SAO編
シェフ捕獲
転移が完了すると、俺とキリトはアルゲードの転移門の前に立っていた。どこか油臭い猥雑に入り組んだその町並みがここの特徴だが、俺はあまり得意ではない。嫌いなわけではないが、なんというか苦手なのだ。たぶん、俺が生きてきた故郷とあまりにもかけ離れているからだと思う。
前にキリトに話してみたけれど、ここが落ち着くのだとねぐらを構える彼には残念ながら同意を得ることはできなかった。そしてそれは、阿漕な商売を続けるスキンヘッドの”奴”も例外ではない。
「よっ!エギル」
「相変わらず阿漕な商売してるな」
商談が終わったようで、満面な笑みでどこか納得のいかなそうな槍使いの男性プレイヤーを見送る禿頭の巨漢に俺たちは交互に声をかける。アイテム欄を見ながら脳内でいろいろ演算をしていたのだろう商人プレイヤーであるエギルは、落としていた視線を上げて俺たちと目が合うとニンマリと笑った。
「よぉ、お前らがそろってるんなんて珍しいじゃねぇか」
「おう!俺が迷宮区で寝てたらキリトに起こされたんだ」
「おいエギル。俺はスルーなのか?」
「……相変わらず大変だな、キリト。安く仕入れて安く提供すんのがうちのモットーなんだよ」
「おいエギル、それほんとか!?俺が前にエギルんとこで買った素材、他で安売りしてるとこ見たぞこのやろー!」
「うちは定価が安いんだ」
「それもどうか怪しいけどなぁ。まあいいや、俺も買取り頼む」
悪びれる様子もなくうそぶくエギルに、キリトが不信の目を向ける。ついでに俺も似たような視線を向けてみるが、当の本人はどこ吹く風だ。諦めてキリトと同じように俺も買い取りを頼むと、エギルはその長い猪首を伸ばし、トレードウインドウを覗き込んだ。
「お前らはお得意様だしな。あくどい真似はしませんよっと……」
「一見さんにはあくどい真似するのか……」
「おいポート。お前のその馬鹿正直に思ったこと口にする癖直せ。お前だけぼったくるぞ」
ぽつりと呟いてから、しまったと思いぱしりと革のグローブに包まれた手のひらを口におしあてる。当然ながら、それで前言を撤回できるわけは無くじろりとウインドウから目だけでエギルに睨まれる。その悪役顔負けの形相に、しどろもどろになりながら謝ると、その様子を見ていたキリトがにやりと笑った。それはいい悪戯を思いついた子供にも似た笑顔で、嫌な予感がした俺はひくりと口を引きつらせる。
「良いんじゃないか?ポートの分俺にまけてくれ」
「おいキリト!?俺を売るのか!?」
「背に腹は代えられん」
「うっ……そういう態度なら俺にも考えがあるんだからな!」
「なんだよ」
「なあエギル。これ一番下以外のドロップ品売ったらいくらだ?」
キリトに口で勝てる気はしない俺は向けていた視線をエギルに移して、トレードウインドウを見せる。その頑健な顔の分厚くせり出した眉の下、その両目でじっくりと三分ほどおれのドロップ品を吟味したエギルが、慎重にあたりをつけた金額を口にする。
「十コル」
「ワーム狩るより安い!?」
間髪を入れずに突っ込んだのは言うまでもない。ぼったくりを通り越してもはや闇金レベルの金額だ。
「まあそれは冗談として……これなら千三百コルが妥当だろうな」
「千三百……。一番下も売ったら?」
促されるように一番下に画面をスクロールしたエギルは、そこに表示された名前に驚いたように目を見開いて俺をまじまじと見つめた。
「一番下って……お前これ、S級のレアアイテムじゃねえか。《ラグー・ラビットの肉》……俺も実物を見るのは初めてだ。売るとしたら、そりゃ、二十万は下らないだろうな」
「そうか……」
アイテムの一覧を眺めながら、考え込む俺にキリトが釘をさす。相変わらず抜け目がない奴だ。がやがやと喧騒が俺たちの間に横たわる沈黙をまたいでいく。じとっと俺の意図を汲んだうえで向けられるその黒い瞳から、しらっと視線を逸らした。
「おいポート。お前、売ったら割り勘にしろよ?」
とうとうがしりと掴まれた肩に、しかし視線は逸らしたままぽつりと申し訳程度の反応を返す。その様子にいろいろ察したのだろうエギルは、カウンターに肩肘をついて傍観を決め込んでいた。おいエギル、助けてくれ。
「……背に腹はかえられん」
「意味わかって言ってるか!?」
「俺に分かると思うのか。つーかキリト。お前金持ってんだろ?良いじゃんたった十万コルぐらい譲ってくれても!」
「たったってなんだ……。それに見つけたのは俺だろ?」
「でも仕留めたのは俺だし!」
「俺の索敵スキルがなきゃ見つけられなかっただろ!?ポートの熟練度いくつだ」
「うっ……い、いや、ハイディングぐらい見破れるし」
「いくつだ」
「……完全習得してるし」
「ポート」
「……」
「おい」
「きゅ……九百三十…」
「ほれみろ」
ぼそりと根負けした俺が呟くように白状した熟練度に、キリトが勝利を確信した時のような笑顔を浮かべる。プレイヤーの未熟なそれならその限りではないが、完璧なハイディングを見破れるのは熟練度が九百五十以上の索敵スキルだけだ。ここ最近、そのあまりの地味さに飽きてしまった俺が索敵スキルの修業をさぼり気味だったのがいけなかった。
「だああっ!もう分かったよ。エギル、割り勘にするから買い取ってくれ」
両手を上げて降参のポーズ。「参ったか」と、ドヤ顔を決めるキリトの足を思い切り踏みつけてエギルにトレードウインドウを示した。そこに表示されたレアアイテムの名前をちらりと見たエギルは、すこし納得のいかなそうな顔で俺たちを見た。
「しっかしお前ら、別に金に困ってはねえんだろ?自分たちで食おうとは思わんのか?」
「そりゃ思ったさ。つーか俺は生でも食う気だったんだぜ?でもキリトが……」
「止めたんだ。それにこんなアイテム扱えるほど料理スキル上げてる奴なんてそうそう……」
「キリト君。ポート君も」
心底落ち込む俺と、残念そうにしながらも諦めた様子で頭を掻いていたキリトの双眸が、後ろから聞こえた綺麗なソプラノの女の声にきらりと輝いた。キリトが自らの左肩に触れたままだった彼女の手を掴んで、振り向きざまに俺を軽く見る。にやり。二人であくどい笑みを浮かべた。我ながら怪しい自覚はあるので、通報はしないでいただきたい。
「シェフ捕獲」
「よくやったキリト」
「な……なによ」
状況を飲み込めずにいぶかしげな顔で手を掴まれた栗色の髪を腰まで伸ばして細身の体を白と赤を基調とした騎士服に身を包んだ美少女――アスナが、後ずさった。かと思えば軽く世間話を始めたふたりからアスナの後ろに構える騎士然とした二人の男に視線を移す。彼らはおそらくアスナの所属するギルド《血盟騎士団》から派遣された護衛なのだろう。それなりに顔の知れ渡っているアイドル的存在のアスナだ。理由は考えるまでもない。
特に右側に立つ、溢れ出る殺気を隠そうともせずにアスナと親しげな様子のキリトを睨み付ける長髪の男に意識を集中させた。キリトがアスナの名前を口にする度に、ぴくぴくと引き攣る顔。嘆息したくなる気持ちを抑えて、満面の笑みを浮かべてやる。俺、こいつ嫌いだ。
「おいあんた!そーんな怖い顔してっと、禿るぞ?」
「……」
「おーい!聞いてるか?おーい!」
「……」
「……ふーん」
むさくるしい男とは話したくありません、てか。じっとキリトを睨み付ける男が自分に向けられる敵意に気づいたのかどうかは分からないが、笑顔で話しかける俺を一瞬見て、またすぐにアスナに視線を戻した後に、そいつが俺を警戒したようには見えなかった。だから、まあ、そういうことだろう。
苦笑しながら少し視線を逸らすともう一人、アスナの左側に控えていた青年がその長髪の男の対応に、すこし困ったように俺とそいつを交互に見ていた。たまたま目が合うと、少し申し訳なさそうに小さく会釈をしてくれた彼とは友達になれそうだ。その青年には作ったものじゃない笑顔を向けて、気にしてない、というように軽く手を振っておいた。
「ア……アスナ様!こんなスラムに足をお運びになるだけに留まらず、素性の知れぬ奴をご自宅に伴うなどと、と、とんでもない事です!」
「このヒトは、素性はともかく腕だけは確かだわ。多分あなたより十はレベルが上よ、クラディール。それから、ポート君。あなたも来るでしょ?」
ラッセルと名乗ったその青年とフレンド登録をしていると、慌てたように例の男がアスナにつっかかっていた。その大声に驚いてアスナを見やると、うんざりしたような顔をした彼女と目が合う。言われた言葉に訳も分からず頷くと、クラディールと呼ばれたそいつがさらに目を爛々と光らせた。よく分かっていない様子の俺に、アスナが食材レベルに免じて部屋を提供してくれる旨を伝えてくる。それでようやく得心がいった。なるほど。
「お待ちください、アスナ様!その男に限らず、こちらの男まで……それにわたしがこんな奴らに劣ることなど……」
「無いって?」
「そうだ!野蛮なお前らになど劣ることはない!」
俺がかぶせるように言った言葉に過剰に反応して、クラディールがこちらを睨みつける。ここが現実世界ならば唾がいくらか飛び散っているであろうその形相はお世辞にも《血盟騎士団》に身を置く高レベルプレーヤーのものだとは思えなかった。思わず苦笑がこぼれて、さらに向けられた眼光が厳しくなる。いつのまにやら隣に来ていたキリトと目が合うと、互いに眉を下げて笑った。
「ひどい言われようだな、キリト」
「いや、お前も入ってるから」
「キリト……そうか、手前《ビーター》だろ」
「ああ、そうだ」
キリトの名前から察したように、蔑称を口にしたクラディールにたまらない不快感を抱く。アスナの眉も不機嫌そうにしかめられていた。唯一表情を崩さなかったキリトが眉一つ動かさずに肯定すると、勢いづいたクラディールはさらにアスナに言い募る。
「アスナ様!こいつなんて自分さえよけりゃ良いと思っているような奴ですよ!こんな奴と関わるとろくなことが無いんだ!」
「ク、クラディールさん。そこまでにして下さい」
いい加減に見かねたラッセルがクラディールをなだめるように仲裁に入る。しかし聞く耳を持とうとしないクラディールは相も変わらずアスナに詰め寄っていた。気づけば辺りの注目を浴びていて、聞き覚えのある単語がいくつか聞こえてくる。その中には騒ぎの中心である彼女の名前も含まれていて、いい加減にアスナも苛立ちを見せ始める。その様子に、今まで下手に出ていたラッセルが、アスナに目配せをすると彼女が意図を理解したように語調を強めた。
「ともかく今日はここで帰りなさい。副団長として命令します。……ラッセル。お願い」
「了解しました。お疲れ様です、副団長」
「ありがとう。ほら、キリト君行くよ!ポート君も!」
クラディールには素っ気なく、ラッセルには軽く表情を緩めて言い放ったアスナは左手でキリトのベルトを持つと、右手で俺の胸当ての背中部分にある止め紐を掴んで歩き出す。ぐいぐいと俺たちを引きずっていく彼女が向かうのは、十中八九ゲート広場だろう。
「お……おいおい、いいのか?」
「いいんです!」
驚いたキリトがアスナに突っかかっている間に、後ろを振り返るとクラディールの背中を押して本部に帰そうとしているラッセルと目が合った。口の動きだけで感謝の言葉を伝えると、ちょっとびっくりしたように目を見開いたあとで、ぺこりと軽く会釈してくれた。人好きのするその仕草に、思わずぶんぶんと手を振る。それに返された彼の気弱ながらも性格の良さがうかがえる笑顔の向こう側、顔だけで振り向いたクラディールがその双眸を鋭く細めていた。
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