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SAO編
むしろ生でいく
不思議な夢を見ていた。そこの俺は俺の意思では動かない。
ゆらり、ゆらりと視界が揺れる。緩やかに上下する視界のなかで、男は何かを向かいに居る人に話しかけていた。中学生にしては高い身長と色素の薄い短髪に、日に焼けて浅黒くなった肌。そのどれをとっても現実世界の俺そのものだ。彼は一度二度言葉を重ねると、くしゃっと顔をパーツを真ん中に寄せるようにして笑う。逆光のように顔だけが見えない向かいの人はそんな俺の頭をはたくと、にかっと歯を出した。その独特の笑い方をするのは一人しかいない。見間違えるはずもない。だって彼の笑顔と、その大きな背中に俺は育てられた。
「じいちゃん……?」
ようやく聞こえた俺の声。けれど俺の目に映る俺は相変わらず目の前の男と何かを話し続けている。思わずその横顔に手を伸ばすと、届く前に誰かに強く頭を叩かれた。
「誰がじいちゃんだアホ」
「いって……お?キリト」
反射的に後頭部を右手で押さえて、重いまぶたを擦る。ぼやける視界のなかにぼんやりと浮かんだ黒。線が細く、見様によっては女にも見えてしまう顔立ちにはいつかの勇者然としたイケメンの名残はどこにもない。あのすべてが崩壊した日に聞いた説明によれば、彼のその姿こそ現実世界の彼なのだそうだ。まあこのことに関しては俺自身、あの日の小さな少年のアバターを奪われたことですでに証明済みなので、疑いの余地はない。
ぼうっと壁側に座り込んで毛布にくるまる俺を見下ろすキリトは、いつまでも動かない俺に痺れを切らしたのか呆れたような表情を浮かべる。
「おいポート。お前何時間ダンジョンこもってる気だ?」
「あー…どんくらいだろ。まあ、たくさんだ!」
「だろうな……。ていうか、何回も言ってるけどダンジョンの中で寝るなよ。ここの敵はモンスターだけじゃ無いんだぞ」
「分かってるって」
よいしょっと立ち上がって腰にある得物を確認する。アイテムストレージに毛布をしまい直すと、ぐっと伸びをして出口へ向けて歩き出した。数歩進んで、立ち止まったままのキリトを振り返る。
「ん?キリトは帰らないのか?」
「……帰るよ」
多分言いたいことはまだあるのだろうキリトは、若干納得いかなそうに難しい顔で沈黙を落としたものの、すぐに今までの経験から無駄だと悟ったようで軽く両手を上げて頷いた。降参だ、とでもいうようなその仕草に「参ったか」と軽く冗談めかして笑う。つられて顔を緩めて横に並んだキリトの肩を軽く小突いた。
「なんだよ」
「はやく行くぞ。街に戻ったら飯食おうぜ、飯!」
「はは……元気だな」
「そうか?」
「絶対そうだって」
久しぶりの一人じゃない帰路というのはやはり楽しいもので、話題は尽きることはない。なんやかんやと雑談をしながら十分ほど歩くと見えた出口に、自然と歩幅は大きくなる。明るいそこを通るとばっと広がる視界に、思わず目を細めた。
「はー……今日はいい天気だなぁ」
「もう夕暮れだけどな」
深呼吸をして、マイナスイオンを体中に浴びる俺にキリトが小声であげ足を取る。無言で俺は肩くらいの高さにあるその頭をぱしりと叩いて、眼前に広がる森に足を進めた。後ろから聞こえるキリトの非難の声に、べーと軽く舌を出す。
「いいんだよ。一日半ぶりのお天道様なんだから」
「一日半!?そんなに潜ってたのか……てかいちいち叩――っ」
聞こえた草笛の音色にも似た動物の鳴き声に、不自然に言葉を切ったキリトを横目で見る。ぱちりとあった視線で、音を出さずに頷いた。俺よりも熟練度が上であるキリトが《索敵スキル》を発動させると同時に俺は腰の愛刀に手を添える。するとキリトがほとんど音を立てず、そんな俺を制するように一歩前へ出た。
「見つけた。十メートル先の木の影《ラグー・ラビット》」
聞こえたレアモンスターの名前に息をのんで、発動させていた索敵スキルの意識をそこに集中させる。
「いた。俺が行く」
モンスターにしては大きくはないが、ウサギと呼ぶには二回りほどでかいその身体。言われた通り、その枝陰に隠れるようにひっそりといる灰緑色の体の上に表示された黄色いカーソルに自然と口角が上がった。その理由はいたって単純。それからドロップされる《ラグー・ラビットの肉》は超高額で取引されるほど美味だと有名なのだ。俺は腰の後ろに回していた手を前に回すと、投擲用のピックをひとつ取り出して投剣スキルの基本技である《シングルシュート》の構えを取った。モーションが検知され、瞬間に放たれたピックは寸分も違わず狙った先へ飛んでいく。決して低くないスキル錬度に、鍛えた敏捷性のステータス補正の与えるダメージは一ドットも残さずラグー・ラビットのHPを食らいつくした。
「よっしゃ!」
聞こえた断末魔の弱々しい鳴き声に、ポリゴンの飛散する音。思わず右手をぐっと握りしめてガッツポーズをとった。しかし肝心なアイテムが出ていなければ元も子もない。あわててシステムメニューを呼びだしてアイテム欄をひたすらスクロール。その一番下に見つけたお目当ての名前に、キリトと二人でハイタッチを交わした。
「やったなキリト!」
「にしても……どうする?」
「食うに決まってるだろ」
「いや、でも料理人は?」
「……いっそ生でも旨いんじゃないか?」
「早まるなポート!」
もっとも重要なことをキリトに指摘され、思考が止まる。高額で取引されるこの《ラグー・ラビットの肉》は高級な食材アイテムだ。つまりそれを料理する側の人間にもそれなりのスキル錬度が必要なわけで、けれど俺たちがそんなスキルを身につけているわけなどあるはずがない訳で。S級のレアアイテムであるこれは、そりゃあ売っても十分すぎるほどに役に立つものであはるけれど、見つけた瞬間から食べる気でいた俺がそう簡単に諦められるはずもなく、オブジェクト化しようとした俺の腕をあわててキリトが掴む。
「放せキリト!俺は生でも食うぞ!いや、むしろ馬刺し的な感じで旨いかもしれない!」
「落ち着け!せめて声のボリューム落とせ!」
「俺はもう煮込みの口になってんだ!今日の夕飯はシチューと決めたんだ!!今!」
「煮込みの口ってなんだよ!てか今!?」
「がるるる……」
「なんだキリト!威嚇しても無駄だぞ!俺は……ん?」
ふと感じた違和感に、背筋を嫌な汗が伝う。おそるおそる、引きつった顔のキリトと同時に辺りを見回す。木々の間から覗く爛々と光る赤の瞳が俺たちを見つめ返した。しかもその数はひとつではない。ぐるりと俺たちを囲むように並ぶその双眸に、逃げ場がないことを悟った。
「……キリト」
「……ああ」
瞬時に状況を理解した俺たちは、かつてないほどの反射神経を発揮してそれぞれ緊急時の為にとっておいた転移結晶を握りしめて《アルゲード》の街の名前を叫ぶ。青の結晶は儚く砕け散り、鈴のような涼やかな音色が鼓膜を揺らしては目の前が青色の光に覆われていく。完全に視界が染められる前に、牙をむいた狼たちが茂みの間から飛び出していくのが見えた。
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