魔法使いの知らないソラ
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第五章 友と明日のソラ編
最終話 別れのソラ
――――――相良翔が灯火町に来て、半年近くが経過し、季節は春へとなった。
「それではこれより、第**回灯火学園卒業式を執り行います」
灯火学園・体育館にて、校長先生の一言から、卒業式が始まった。
今日この日、いよいよ三年生は卒業式を迎え、この学校を卒業する。
桜が満開となり、道行く人を魅了し、気持ちを高鳴らせる季節。
彼女、井上静香を始めとする卒業生は、感極まって涙を流しながら卒業証書を受け取り始めていた。
気づけばこの日になるのはあっという間のことで、今までに起こった様々な事件は一瞬のように感じる。
そして、こう言う日だからこそ、今までに起こった過去の出来事が、滝のように溢れ出てくる。
決して良いものばかりではなかったけれど、俺たちにとってそれは、間違いなく大切な想い出だった。
それを忘れずにいることを心に誓いながら、卒業生は卒業証書を受け取る。
証書授与が終わると、卒業生代表の言葉となり、代表として静香さんが皆の前に出て一礼し、マイクの高さを調節し、優しい笑みで話しだした。
「本日はお日柄もよく、私達の門出に相応しい日となりました。 本日、この卒業式と言う日を迎えることができたのは、本日まで未熟だった私達を育ててくださいました、ご両親、教職員、地域の皆様のおかげです。 まずはそのことに深く感謝をさせていただきます」
そう言って深々と頭を下げ、さらに話しを続けた。
今日までに起こった様々な出来事、学んだこと、感謝していること。
その全てを、全卒業生を代表して語った。
誰一人、それを飽きずに聞いているのはきっと、井上静香と言う存在に対して、この学園全員が信頼して、尊敬していたからに違いない。
そしてもう二度と、彼女が前に立つ光景を見られないのだと言う事実への寂しさ。
だからこそ、最後の言葉はしっかりと聞こうと、この場にいる誰もが思っていた。
彼女の優しく、力強い言葉を、最後まで‥‥‥最後まで。
「‥‥‥では最後に、私の個人的な想いを述べます」
彼女の中でも、全生徒の中でも分かっていた。
その個人的な想いを述べ終わることが、この卒業式の終りを告げることであること。
そして、井上静香がこの学園の生徒ではなくなると言うこと。
「私はこの学園に来て、様々な人を見てきました。 それは、生徒会長と言う立場だからこそ、幅広く見れたのだと思います。 私は色んなことに必死でした。 勉学にも、生徒会にも、対人関係にも、全てが両立するように必死でした」
俺はここで思った。
多分、静香さんは魔法使いとしての活動もまた、必死で両立するべきもので、それも言いたかったのだろうなと。
それを堪えているのを、俺は察しながら聞いた。
「誰かに頼ることなんて出来ませんでした。 自分で出来ることを誰かにやらせることが嫌だったからです。 ですが、一人ですることには限界があって、本当は誰かを頼っていいのだと‥‥‥私は、ある後輩から学びました」
気のせいだろうか?
今、一瞬だけ、彼女がこちらを見つめてきた気がした。
その理由を理解することのできないまま、静香さんの話は続く。
「誰かが傍にいてくれる。 そして力を貸してくれる。 それが、どれほど気が楽になって、心に余裕ができることなのだろうか‥‥‥私はその時になって、初めて知りました。 私はその彼に感謝をしています。 私を変えてくれた、強く生きている彼に、感謝しています。 ‥‥‥だから、皆さんも誰かを頼ってください。 甘えるのではなく、頼ってください。 誰かを頼ること、信頼すること、力を貸すこと。 それらはあなたの世界を広げてくれます。 そして、あなたの未来を変えてくれます。 以上です。 卒業生代表、――――――井上静香」
彼女が語り終わり、一礼して下がると、この学園にいる全生徒が拍手をした。
最後に残した言葉が、全員の胸に届いたとは思わないけれど、きっと残るものにはなっただろう。
「――――――では、第**回灯火学園卒業式を閉会させていただきます」
そして数時間に渡って行われた卒業式は、一瞬にも感じる程、あっという間に閉会した。
卒業生は退場し、残りの在校生もしばらくして解散となり、卒業式は終了した。
***
<PM13:00>
卒業式が終わって俺は、校内に戻り、廊下を歩きだした。
普段、この時間であれば教室で授業を行われているのだが、今日は卒業式だから、誰一人いない静かな廊下だった。
そんな違和感を感じつつ、俺は廊下の突き当たりに来ると、右側に一般生徒がよく使う階段があった。
俺は階段を上り、屋上に向かった。
屋上の出入り口であるドアを開けると、春風が全身に優しく当たる。
そして眼前に広がるのは、桜色に染まる灯火町全域の風景だった。
桜の花びらが風に乗って、まるで粉雪のように舞っていた。
そんな綺麗な景色の一つに、一人の少女が金網に背を預け、ソラを見上げていた。
黒く艶やかな長髪を靡かせ、左手で顔に髪が当たらないように押さえている。
ソラと同じ色をした瞳は、初めて出会ったあの日と全く変わらない、綺麗な瞳だった。
俺はその場で立ち止まり、無言で彼女を眺めていた。
愛おしくて、今すぐに抱きしめたいと言う欲求を抑えつつ、誰も寄せ付けない美しさを持つ彼女に見とれていた。
そんな美しい彼女が、今は俺の恋人だと思うと、何とも言えない幸福感があった。
少し離れて見るからこそ、再確認出来る。
彼女は本当に綺麗で、愛おしい存在なのだと。
「‥‥‥あっ」
と、不意に彼女はこちらを振り向き、俺を見つけるやいなや、花が咲いたように笑顔になる。
そう思うと、次は少しムスっとした表情になり、俺は苦笑いしながら小走りで彼女の傍に向かった。
「ごめんルチア! 遅くなった!」
「本当よ。 卒業式が終わったらすぐに屋上に来るって約束でしょ?」
「ごめん。 紗智達に捕まっててな」
「はぁ‥‥‥全く、翔は相変わらず誘いを断らないわね」
「面目次第もございません‥‥‥」
ルチアの言うとおり、俺は誘いを簡単には断われないタイプらしい。
自分の性格を的確に指摘されると、何も言い返しができない。
そう思って反省してると、ルチアがくすくすと笑いながらこちらを見つめた。
「まぁ良いわ。 翔の性格は理解してるし‥‥‥翔のそう言うところ、別に嫌いじゃないしね」
「っ‥‥‥そ、そうか」
嫌いじゃない‥‥‥遠まわしに好きだと言われると、俺の心臓はドキッと大きく弾んでしまう。
ルチアもルチアで、言い終えてから意識してしまっているようで、頬がほんのりと赤みを帯びていた。
そして互いに見つめ合うのが気恥ずかしくなってしまい、誤魔化し笑いをしながら視線を逸らす。
「えーっと、その‥‥‥、こ、この後さ」
「な、何かしら?」
「さ、紗智達がさ、この後、打ち上げってことで静香さんを誘ってカラオケに行くんだけど、ルチアも行くか?」
「え、ええ。 良いわね。 行くわよ」
どこかぎこちない会話になってしまったが、なんとか話題を出して空気を戻した。
互いに落ち着いたところで、俺はルチアの右隣で金網に背を預けてソラを見上げる。
「今日は本当に綺麗なソラだな」
「ええ、そうね‥‥‥。 静香さんの言うとおり、卒業式日よりね」
「お花見日よりでもあるだろ?」
「それもそうね‥‥‥」
他愛もない会話だった。
だけど、その一つ一つが、俺とルチアにとってはとても幸福に満ちていた。
肩と肩が触れ合う距離で、俺とルチアはしばらくの間‥‥‥本当に他愛もない会話をしていた。
「‥‥‥ねぇ、翔?」
「なんだ?」
「“あの話し”本当なの?」
「‥‥‥ああ。 本当だ」
唐突に‥‥‥いや、ようやく、本題に入った。
ルチア自身、切り出しづらい内容だっただろう。
無理に切り出させてしまったのは、俺の責任だ。
心の中で反省しつつも、俺は頷いて、本題の話しをする。
「奈々がこの町に来て、過去にけじめをつけた時から分かってたし、受け入れていたことだ。 奈々の実家に帰る日はすぐになるって」
そう。 俺は今日、静香さんの卒業式が終わった後、この町を出ていくことになっている。
そして義妹、護河奈々の実家に帰るのだ。
実は俺がこの町を出ていくことを、俺は誰にも言ってなかった。
だけどルチアが知っている‥‥‥と言うことは、間違いなく奈々がルチアに言ったのだろう。
だから俺は、ルチアが知っていることには特に驚きはしなかった。
けれど、そのあとにあったのは隠していたことへの罪悪感だった。
「ごめん。 中々言えなくてな」
「分かってるわよ。 翔は最初からそうだった。 相手を苦しめないように、悲しませないように、隠すことへの罪悪感を一人で抱え込む。 ええ、本当にあなたらしいことね」
「‥‥‥流石だな。 その通りだよ」
この町に来て、ルチアと出会って、大体六ヶ月といったところだろう。
そのたった半年の間で、ルチアは俺のことを恐らく誰よりも理解している。
彼氏彼女となって、その理解はさらに多くなった。
今では互いに分からないことは少ないだろうと言えるくらいだ。
それでも俺は、彼女に隠し事をしてしまう。
それはルチアの言った通り、ルチアを寂しがらせたくなかったからだ。
別れを告げて、離れたくないのは俺だって同じだ。
同じだからこそ、ルチアに同じ想いを抱えて欲しくなかった。
「今更、怒りはしないわ。 でも、もっと早く言って欲しかった」
「ごめん‥‥‥」
「‥‥‥もういいわ。 翔がどれだけ隠しているのが、別れが辛かったのかを考えたら、あなたを怒れないわ」
「‥‥‥そう、か」
ルチアの優しさは、逆に俺の心を締め付けていた。
でもそれが、隠していた俺への罰なのだろう。
そう思いながらルチアを見つめていると、ルチアは微笑みを崩さずに、俺に言った。
「ねぇ? 精霊がどこから現れたかって知ってる?」
「え!?」
唐突だった。
全く関係のない話題だし、あまりにも唐突だったため、俺は呆気にとられた。
そんな俺を見つめながらルチアは話し出す。
「私達、精霊はこのソラから現れたそうよ」
「――――――ソラから?」
「ええ。 この世界は、実は九つに分岐しているって知ってる?」
「九つ? ‥‥‥北欧神話にある、『九つの世界(ノートゥング)』のことなら知ってるけど?」
「そうね。 それと全く同じね。 私達の世界は、その九つの世界(ノートゥング)の世界は、あのソラと繋がっていて、精霊はそこを潜ってこの世界に来たのよ?」
「そうなのか?」
「事実は分からないわ。 けれど、調べたらそういうことらしいわ」
空のことを、九つの世界(ノートゥング)の住人は『ソラ』と読むそうだ。
そしてソラは、九つの世界(ノートゥング)を行き来するための道となっているらしい。
そこを通ってやってきたのが、精霊だった。
これが精霊がこの世界に来た始まりだということ。
「そして精霊は、この世界で生きる生物‥‥‥人間を知るうちに、惹かれていった。 そして魔法使いと契約したのが、精霊系魔法使いの始まりよ。 『恋』が魔法使いと精霊を繋いだ」
「恋‥‥‥か」
俺は無意識に、左手でルチアの右手を握っていた。
ルチアは一瞬だけ、突然の行動に驚いたが、すぐに受け入れて、指と指を絡めてきた。
そしてギュッと握り締め、互いの体温を感じる。
恋‥‥‥それはまるで、俺とルチアのことを言っている気がした。
「そして精霊は、その一生を主である魔法使いと共に過ごした。 これが精霊系魔法使いの一生」
「一生を‥‥‥か」
「そう。 精霊系魔法使いとして始まり、精霊系魔法使いとして最期を迎えるのよ」
一生、主の傍にいる。
精霊の愛と言うのは、それだけ大きなものなのだと俺は知った。
別世界の存在の、全ての文化が違い、種族の垣根を超えた愛。
それは、生と死の共有なのだと思うと、何とも言えない気持ちが溢れてくる。
‥‥‥俺はここでようやく、ルチアがなぜこの話題を出したのかを察した。
そしてルチアは俺が察したことに気づいたようで、話題を戻して、俺が奈々の実家に戻る話しになる。
「私は精霊として、翔の傍に一生いるつもりよ。 だから翔がこの町を出ていくというなら、私も一緒に出ていくわ」
「いや、でも‥‥‥この町は、ルチアにとってかけがえのない場所じゃないか! 俺なんかのために、学園を卒業もしないで出て行くなんて‥‥‥」
俺は所詮、たった半年しかいなかった新参者だ。
この町に完全に馴染んだわけでもないし、出て行ったとしてもホームシックのようなことはない。
だけどルチアは違う。
ルチアは、ずっとこの町にいる。
そしてこの半年で、様々な人たちと交流して、関係を築きあげてきた。
そんな場所を出ていくのは、ルチアにとっては苦渋の選択のはずだ。
『卒業してからでも、また会えるじゃないか』。
俺はそう思ったし、そう言いたかった。
だけど、ルチアのその瞳は、俺を逃がそうとはしなかった。
俺と別れるなんて絶対に嫌なのだと、その蒼い瞳が伝えていた。
「翔。 私は精霊として、彼女として、あなたの傍にずっといたい。 卒業まで待つなんてできないわよ」
「ルチア‥‥‥」
ルチアの答えは、二度と揺るがないだろう。
こういう時のルチアは、何を言っても無駄なのだ。
‥‥‥つまり、俺が折れるしかないということになる。
「‥‥‥分かった。 俺と一緒に来てくれ、ルチア」
「ええ。 ずっと、永遠にね」
そう言うとルチアは、俺の左腕に抱きついた。
制服を通しても伝わる、ルチアの温もりを、俺は噛み締めながら感じた。
この幸せが、これからもずっと‥‥‥ずっと続きますようにと、願いを込めながら、俺はルチアの傍にいた。
そして気づけば、どちらからともなく、俺とルチアは唇を重ねていた――――――。
***
<PM15:00>
「え!? もう話してある!?」
武たちの約束を断り、俺とルチアは自宅に戻った。
ルチアを連れて帰宅した俺は、家で荷造りをしていた奈々の言葉に驚きの声を上げていた。
帰宅した俺は、まず最初に奈々にルチアを護河家に居候させたいと言うことをお願いしてみた。
そして奈々の返事に対して、俺は現在のリアクションをとっていた。
――――――『何言ってるのお兄ちゃん? とっくのとうに言ってあるよ?』。
彼女は堂々とそう答えた。
そう。 奈々は俺がルチアを連れて行こうと決断することをかなり前から分かっていたのだ。
計算高いのは知っていたけれど、まさかここまでとは‥‥‥と、俺は驚くばかりだった。
まぁ何はともあれ、ルチアは俺と共に護河家に行き、この町を出ていくことになった。
「お兄ちゃん。 さっきルチアさんの家に引越し業者の人に連絡を入れたから、その人に頼めば私の家に運んでくれるよ。 あと、電車の時刻表を確認しておいたけど、今からルチアさんの準備を含めて、三時間後の一八時に行くつもりなんだけど、どうかな?」
なんて用意の良い義妹なのだろう‥‥‥と、すごく関心してしまう。
ここまで計画的な義妹も珍しい気がする。
「分かった。 俺は荷造りが終わってるから、荷物を持ってルチアの家に行ってくる。 荷造りの手伝いに行ってくるよ」
「はいはーい」
右手を額に当てて、敬礼をする奈々に、俺はふっ‥‥‥と、鼻で笑ってしまう。
俺は家を出るために玄関に向かおうとすると、奈々が耳元で一言囁いた。
「お兄ちゃん。 ルチアさんの家に行くのは良いんだけど、時間がないから破廉恥なことはしないでね?」
「ッ!? だ、誰がするかぁッ!!!」
恥ずかしさと衝撃が俺を襲い、爆発するかのように大きな声で怒鳴ってしまった。
奈々は面白そうに笑いながら和室へ走って逃げていった。
「‥‥‥ま、全くっ。 そ、そんなことするわけないだろうがぁ‥‥‥馬鹿がっ」
頭の中がぐっちゃぐちゃに混乱しながら、俺は一人ぶつぶつと罵倒していた。
玄関を出ると、ルチアが心配そうな表情で『どうしたの!?』と聞いてきたが、俺は別に何でもないと答え、足早にルチアの家へ向かった。
その時の俺の顔は、ルチアから聞いたところでは、林檎や苺並みに真っ赤だったらしい。
ほんと、恐るべし、我が義妹――――――。
***
<PM15:20>
ルチアの家の中で、俺は自分のアタッシュケースを玄関前に置いてから洋室の部屋に入った。
ルチアの家にきたことは何度もあるため、大体の物の位置は把握していた。
荷造りの作業は思いのほか順調に、効率よく進んでいた。
ダンボールに入れるもの、不必要なもの、アタッシュケースに入れるもので分けるのだが、ルチアは迷うことなくテキパキと整理していた。
まぁ、必要最低限のものくらいしかないのがルチアの部屋の特徴でもあるから、荷物整理に時間はかからないのだけど。
それでも、彼女が破棄しようとしているものの中に、本当はとっておきたいものはないのだろうかと気になってしまう。
「翔、作業しながらでいいから、聞いてくれる?」
「ああ。 なんだ?」
ダンボールの蓋をガムテープで締めながらルチアは話しだした。
「私、翔とこの町を出ること、本当に迷わなかったわ。 それは当然、翔の傍にいたいから。 そうなんだけど、もう一つ理由があるのよ」
「もう一つ?」
「ええ。 本当は私、この町に対して想い出がなかったのよ」
「え?」
ガムテープを手で破り取る音が部屋を反響する。
そして両手で底に手を添えて持ち上げ、玄関前に運びながら続ける。
「私の想い出は、このダンボール一つ分しかないの。 十七年この町にいて、たったこれだけの思い出なのよ。 その上、翔がこの町に来る前までは、このダンボールの半分も無かった」
「‥‥‥そうか。 ルチアは、人とあまり接しなかったから」
「その通りよ。 あなたがこの町に来る前の私は、誰とも接しなかった。 本当は接したくてしょうがなかったのだけれど、いつの間にか孤高の人扱いされて、近寄るに近寄れなくなってたのよ」
「なるほど‥‥‥」
「だけど、翔がこの町に来て、私と出会ってからは全てが変わった。 あなたと言う友人が、新たな友人を作って、私もその輪の中に入れた。 そして、たった半年で私もあなたも、沢山の人と交流を深めた。 それも全て、翔のおかげよ」
「いや‥‥‥そんなこと」
そう言われると、正直、照れてしまう。
俺は、そこまで感謝されるようなことをしたつもりはない。
全ては、まるで運命だったかのようなめぐり合わせだ。
俺が両親に捨てられていなければ、孤児院で朝我零や皇海涼香と出会うことはなかった。
孤児院にいる俺が、護河奈々に出会わなければ、この町にくるきっかけを失っていた。
そして俺は様々な理由を経て、この町に来て、ルチアに出会った。
ルチアに友人を与えるきっかけを、作ったのが俺であったとすれば、それは俺の運命にルチアが巻き込まれただけのことだ。
「‥‥‥翔?」
「え‥‥‥あ、いや、ごめん。 ぼーっとしてた」
「そう? ‥‥‥そっちの荷物、こっちにお願い」
「分かった。 よっと!」
俺はダンボールを持ち上げ、ルチアの指定した場所に持っていく。
ルチアは予想以上に行動が速く、俺が二つ目のダンボールを運んでいる頃にはすでに四つ目に取り掛かっていた。
ルチアの部屋は元から絵に書いたように綺麗に整理されているから、多分、整理整頓・片付けの類が得意分野なのだろう。
「翔。 そこにあるゴミ、悪いけれど捨てに行ってもらってもいい?」
「了解。 それじゃルチアはそっちの荷物を玄関前に運んでおいてくれ」
「分かったわ」
それから一時間半程で、荷造りはあっという間に終わった。
配送車が来て、一通りの荷物を運んで行ってもらったあと、俺はルチアはお互いにアタッシュケースを持って、家を出た。
名残惜しさは、やっぱりルチアにはあっただろう。
その証拠に、家の鍵を締める瞬間、僅かに手の動きが止まっていた。
恐らくその間に、色々な想い出が走馬灯のように溢れ出たのだろう。
だけどそれは、ルチアの決断だったから、俺は何も言わなかった。
言わない代わりに、そっと抱きしめてあげると、彼女もそっと抱きしめ返してきた。
泣くことはなかったけれど、きっと心のどこかで泣いていただろう。
相変わらず、弱い部分を見せないな‥‥‥。
***
<PM17:00>
俺、ルチア、奈々の三人は灯火町にある唯一の駅『灯火駅』に向かって歩いていた。
あと一時間で電車が来るから、それに乗って俺たちはこの町を出ることになっている。
現在地から駅までは大体十分。
まだ余裕があるからと言う理由で、俺たちはのんびりと、灯火町を歩き回っていた。
「お兄ちゃん。 やっぱり、帰りたくない?」
「え?」
「すごく、寂しそうだよ?」
「‥‥‥寂しくないって言ったら、嘘になる。 この町は、俺の持っていない様々なものをくれた。 そりゃ辛いこともあったけど、全部が価値あるものだった。 この町に来て、本当に良かったって心の底から思う」
「そうなんだ‥‥‥」
奈々は、嬉しそうで、どこか辛そうな表情を見せた。
それは多分、俺が変わったことへの喜び、自分が俺の人生を変えてしまった後悔が混じった表情なんだ。
俺はそんな奈々の表情を、これから何度も見ることになるだろう。
それを受け入れながら、俺は話し続ける。
「だけど、俺を変えてくれたこの町だからこそ、俺はこの町に甘えちゃいけないんだ。 だから俺はこの町で得たことを生かして、前に進んでいきたいんだ」
「‥‥‥お兄ちゃんらしい答えだね」
「ほんとね。 翔なら、そう答えるわよね」
「そりゃどうも」
雑談を交わしながら、俺たちはこの町を歩き回った。
今までに行った場所は、一通り回っている。
それなのに、友人である、紗智達を見かけない。
メールや通話でも良いのだが、やっぱり直接、別れを告げたかった。
それも叶わないのなら、仕方ないか‥‥‥。
「お兄ちゃん。 そろそろ時間だから、駅に行こ?」
「‥‥‥分かった」
そして時は過ぎ、俺たちは駅に向かった。
***
<PM17:50>
電車が来るまで残り十分。
駅に着いた俺たちは切符を購入し、改札口を通るとホームに設置されている椅子に座って、電車が来るのを待った。
俺たちは、どこか落ち着かなかった。
あと少しで、この町から離れてしまう‥‥‥その事実が、俺たちの心を震わせる。
今になって、この町を出たくないなんて思ってしまう。
悲しいけれど、俺たちは受け入れなければならない。
それを分かっているにも関わらず、この中で誰一人、落ち着くことができなかった。
それでも刻一刻と時が過ぎて、電車が来るまであと少しだった。
――――――その時、俺たち三人の耳に、聞き覚えのある男女の声を聞こえた。
「翔ッ!! ルチアッ!! 奈々ッ!!」
俺たちは反射的に椅子から立ち上がると、その声の方向を振り向く。
するとそこには、こちらに向かって走ってくる、仲間たちの姿があった。
三賀苗武、桜乃春人、桜乃春人、小鳥遊猫羽、井上静香、斑鳩瞳。
皆が走って、ここに来た。
「皆‥‥‥どうして?」
「どうしてはこっちのセリフだバカ野郎!! なんでなんも言わずに出ていこうとするんだ!?」
早々に俺は、武に胸ぐらを掴まれて、怒鳴られた。
恐らく他の皆も同じようで、春人や紗智もその表情は怒りに満ちていた。
「翔が何も言わないのはいつものことだけど、別れの時くらいは言ってくれてもいいんじゃないか?」
「春人‥‥‥」
「そうだよ。 それに、ルチアちゃんも、奈々ちゃんも! どうして言ってくれなかったの!?」
「紗智‥‥‥」
二人の説教に対して、ルチアは頭を下げながら言った。
「ごめんなさい。 本当は言いたかったけれど、別れが寂しくなるから、言えなかったのよ」
「ルチアちゃん‥‥‥」
紗智は頭を下げるルチアの傍に歩み寄ると、そのまま優しく、ギュッと抱きしめた。
目を見開いて驚くルチアに対して、紗智は堪えきれなかった涙を流しながら言った。
「当然、だよ! 私、ルチアちゃんと離れたくないよぉ! 翔とも、奈々ちゃんとも、離れ離れになりたくないよぉ!! ずっと一緒にいたいよぉ!!」
「紗智‥‥‥」
ルチアも、まるで伝染ったかのように涙を零した。
紗智はルチアにとって、初めての女友達だった。
時には好きな人を求めて争う関係でもあった。
それでも、大切な友達だったはずだ。
別れるのは、辛くて当然だ。
「お兄ちゃん!」
「ミウちゃん‥‥‥」
右手で胸を握り締めながら、ミウちゃんは俺に言った。
「お兄ちゃん、ありがとうね。 お兄ちゃんのおかげで、私は外の世界をでられるようになった。 世界が広がった。 それは全部、お兄ちゃんが私を助けてくれたからだよ! ずっとずっと、ありがとうって言ってたけど、これが最後だから、ちゃんと言いたかったの。 お兄ちゃん、私を助けてくれて――――――ありがとう。 元気でね」
「ああ。 ミウちゃんも、ショコラも元気で」
「うん!」
小さな花が満開に咲いたように、ミウちゃんの笑顔は綺麗で可愛かった。
俺は彼女のこの笑顔を、二度と忘れないだろう。
そして次に前に出たのは、静香さんだった。
「翔さん。 短い間でしたけど、あなたといられてとても楽しかったです」
「俺もです。 静香さんは、この町に来て何もわからない俺に、この町のことを色々と教えてくれました。 本当に感謝してます」
「いえ、私も翔さんから色々なことを学びました。 互いに、色々と大変でしょうけれど、頑張ってください。 お元気で」
「はい。 静香さんも、お元気で」
桜の花びらのように、美しくも儚い笑顔を、俺は忘れないだろう。
そして次に前に出たのは、瞳さんだった。
「翔には、色々とお世話になったね。 私の因縁にも区切りを打ってくれた。 私の我侭に付き合ってくれたこと、感謝してるよ」
「いえいえ。 俺だって、瞳さんから色々なことを教えてもらいました。 瞳さんがいなかったら、俺は間違った答えを出していたのかもしれません。 ありがとうございました」
瞳さんは、魔法使いとして未熟だった俺に、色々な知識を与えてくれた。
そして冷羅魏氷華のことや、ルチアのことも。
全部、瞳さんがいてくれたから答えが出せたんだ。
「事件は灯火町だけじゃない。 翔が行く場所にだって事件はある。 あなたはあなたにしか解決できない事件があるから、その時はあなたの力を発揮してね。 それじゃ、またね」
「はい。 お元気で」
そして瞳さんが下がると、武、春人、紗智の三人が俺の前に出た。
思えば、この三人が俺の最初の友達だった。
転入初日で何も分からない俺に、何の気兼ねもなく声をかけてきた。
すぐに友達になろうと言って、すぐに仲良くなった。
今までの俺にとって、この三人の存在はあまりにも新鮮で、価値のあるものだった。
俺が困った時、悩んだ時、いつだってこの三人が真っ先に助けてくれた。
この三人がいなかったら、俺は人知れず孤独でいただろう。
そして、そんな三人だからこそ、別れを告げるのは一番辛かった。
「‥‥‥まぁ、なんだ。 染み染みとした別れ話は、苦手なんだ。 だからうまく言えねぇけど、お前といれて、めっちゃ楽しかったぜ!」
「ああ、俺もだ!」
「武と同じく、俺も別れ話は苦手だ。 だけど、これだけは言える。 お前の友達になれて良かったぜ!」
「俺も、春人と友達になれて良かった!」
武、春人と最後の会話をし、残るは紗智となった。
俺の、最初の心の支えだった存在だ。
いつも何か時にかけてくれて、影で助けてくれた。
どこかで傷つけていたのかもしれない。
だけど彼女は、いつも俺に笑顔を見せていた。
俺はそんな紗智が、大切な存在だった。
恋愛感情ではなくて、友人として、仲間として。
「翔。 私ね、翔のことが好きだったの。 一目惚れで、初恋だった。 だけど、ルチアちゃんには勝てなかったな」
「‥‥‥ごめん」
「謝らなくていいよ。 翔とルチアちゃんが決めたことだから。 だから、幸せになってね! それが私の最後のお願いだから」
「‥‥‥分かってる。 ルチアを、絶対に幸せにする」
「うん。 一緒にいられて、幸せだったよ、翔」
「俺も、幸せだった。 ありがとう、紗智」
「――――――うん!」
涙を流しながらも、彼女は笑顔だった。
それが、紗智の最後の意地なのだろう。
俺は紗智の涙を、絶対に忘れない。
この涙を思い返すたびに、ルチアを愛するだろう。
誰かを失い、誰かを得たからこそ、今あるものを大事にできるのだと、紗智から教わったから。
それだけじゃない。
ここにいるみんなが、俺に色々なことを教えてくれた。
何も分からない俺にとって、皆は救いだった。
だから俺は、最後に‥‥‥みんなに言った。
「俺、この町に来てほんとに良かった。 仲間を作れてよかった! 仲間と色々な毎日を過ごせてよかった! 俺にとって皆は、大切な宝だ! 本当に‥‥‥ほんとに、――――――ありがとう!」
涙を堪えきれず、俺は大粒の涙を流した。
きっとその顔は、酷くグシャグシャになっているだろう。
それでも構わない。
今は、この思いが伝わってくれれば、それでいい。
きっと伝わっただろう。
だから俺は、もう心残りなんてない。
心おきなく、この町を出ていける。
「翔、行こう」
「‥‥‥ああ」
ルチアの声に返事をすると、線路の先から赤一色に染まる電車が来た。
俺たちの目の前に着き、俺はアタッシュケースを持って、皆に言った。
「それじゃ皆、またな」
皆は笑顔で、力強く頷いた。
涙を流し、鼻をかみながらも、皆は笑顔で頷いてくれた。
ルチアと奈々が先に電車に乗りこみ、俺は少し遅れて乗り込んだ。
電車のドアが締まり、ゆっくりと速度を上げて、走り出した。
「皆ッ!! またなッ!!!」
窓を開け、上半身を出した俺は、右腕を全力で振った。
みんなも振り返してくれた。
どこかの青春漫画みたいで気恥ずかしいけど、手を振りたくて仕方なかった。
その姿を、ルチアと奈々は優しく微笑みながら見ていた。
これが俺、相良翔のたった半年の短くて長い日常だった――――――。
この世界には、明るい時に人が平穏な日常を過ごしている。
けれど、寝静まる夜は魔法使いと呼ばれる存在が命を賭けて戦いを繰り広げていた。
知る人はそれを、都市伝説のように噂として広める。
この物語は、そんな噂が毎日のように広がる町で始まる、恋と友情と魔法の物語。
――――――俺たちのあのソラは、いつだって青く澄み渡っていた――――――。
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