魔法使いの知らないソラ
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第三章 兄弟の真実編
第二話 兄妹・友情と決意
相良翔に抱きついてきた少女は、相良翔がこの灯火町に来るきっかけとなった少女――――――護河奈々だった。
相良翔の義理の妹で、今は中学三年生。
受験の時期にも関わらず、何故か彼女はこの町に来た。
そのあまりの驚きに、翔は混乱して喉に言葉を詰まらせて何も言えなかった。
今、目の前で起こっていることが翔にとってはあまりにも衝撃的なことだったのだ。
「えっと‥‥‥翔。 その子、誰なの?」
混乱する翔に声をかけたのは、紗智だった。
紗智の質問で軽く混乱がなくなり、紗智の質問に答える。
「俺の|義妹の、護河奈々」
そう答えると、紗智、武、春人の三人は驚いた様子で翔に聞いた。
「翔って妹いたのか!?」
「妹って言っても義理だ。 血は繋がってない」
「そ‥‥‥そうか」
ここで三人は、質問を止めた。
他にも色々と聞きたいことはあるだろう。
だが、義理であること。血が繋がっていないこと。その二つが出た瞬間、三人は相良翔と護河奈々の関係には様々な経緯があると言うことを悟り、これ以上は踏み込まなかった。
翔自身、これ以上のことを聞かれることはなるべく避けたかったため、三人が気を使ってくれたのは救いだった。
三人に意識を向けていたおかげか、先ほどの混乱はスッキリとしたため、翔は奈々に質問をした。
「奈々。 どうしてお前がこの町にいるんだ? もうすぐ受験だろ?」
奈々は今、中学三年生でもうすぐ受験だ。
それがどれだけ大切なことなのかは今の翔の通う学園の空気感からも察しがつく。
その上、翔は“護河奈々の事情”を知っているため、その心配は誰よりも大きかった。
翔の質問に奈々は顔を上げ、翔の見つめながら答える。
「うん。 でも、受験をする前にお兄ちゃんに会いたかったの」
「なんで?」
更なる疑問に、奈々は翔から少し離れて右手を差し出すと、真剣な表情で答えた。
「お兄ちゃん‥‥‥帰ろう? 私達のところに‥‥‥もう一回、家族をやり直そう?」
「ッ!?」
その言葉に、翔は言葉を失い、全身を僅かに震わせた。
鳩が豆鉄砲を撃たれたかのように目を見開き、奈々の言った言葉を脳内で何度も再生させる。
再生させる度に、混乱が大きくなっていく。
翔の中で、奈々の言った言葉を納得できずにいた。
それに気づいてか奈々は話しを続ける。
「お父さんもお母さんも、お兄ちゃんが帰ってくるのを待ってるよ。 反省して、また一から全部やり直そうって言ってたから‥‥‥私、迎えに来たの」
「‥‥‥」
言葉が出なかった。
全てをやり直す‥‥‥翔にとってその言葉を聞くには、まだまだ早すぎた。
なぜなら、灯火町に来てからまだ二ヶ月ほどしか経過していないからだ。
その言葉は、もっと‥‥‥一年以上はかけないと聞けない――――――聞いてはいけない言葉だった。
それを僅か二ヶ月で聞くことになった翔は、その混乱から抜け出せなかった。
「‥‥‥翔。 話の間に入って悪いけど」
すると、翔の心境を悟ってルチアが二人にある提案をする。
「こんな寒い場所で話してるよりも、温かい場所で部外者のいない場所‥‥‥翔の家にでも場所を変えない?」
「‥‥‥そう、だな。 奈々、それでいいか?」
「うん。 急いでるわけじゃないから」
なんとか言葉を発した翔は無言でいつもの帰り道を歩き出す。
それに続いて奈々も荷物の入ったアタッシュケースをもって歩き出す。
「三人はどうするの?」
ルチアは紗智達の方を向き、翔についていくかを聞いた。
本当は聞く必要なんてなかった‥‥‥と言うよりも、聞かずともNO以外の選択肢は紗智達にはない。
なぜなら、この六人の中で部外者なのは紗智達なのだ。
悪い言い方をすれば、翔の何も知らないただの友人だからだ。
だからこそ、彼のあとを追うこと‥‥‥彼の過去に踏み込むことは、ただ友人であると言うだけであるなら不可能だ。
それ以上、彼の過去に踏み込めば、二ヶ月で築き上げてきた関係に支障をきたすのはおそらく免れない。
それでも踏み込むと言うのであれば、生半可な覚悟‥‥‥友達だからなんて理由は捨てるべきだ。
本当の意味で、相良翔の理解者になり、本当の意味で友達になろうと思う覚悟がなければこれ以上踏み込むことはルチアが許さないだろう。
それを紗智、武、春人はルチアの表情で察した。
今、背を向けて帰る選択をしたとしても、誰も責めたりはしない。
それを理解した上で、三人は自分の答えを出す。
「俺は――――――」
「私は――――――」
「俺は――――――」
三人はまるで最初から練習していたかのように同時に答えた。
「――――――翔の友達だから」
そう言って三人は――――――踏み込んだ。
相良翔の過去を、受け入れる覚悟を見せた。
たった二ヶ月で生まれ、築き上げてきた絆は確かに小さいものなのだろう。
だが、その小さなものの価値は大きな絆よりも確かなものだった。
友達思いで、優しくて、いつも助けてくれる。
だけど、いつも自分の辛いことや悲しいことは巻き込まないために話さない。
そんな彼に三人は惹きつけられていた。
だからこそ彼らは、ルチアに無言で頷くとルチアも無言で頷き、翔と奈々の後をついて行った――――――。
***
<PM17:00>
――――――相良翔の家は二階建て6部屋あるアパートの二階一番奥にある206号室である。
広さは2DKで玄関入って目の前がダイニングキッチンとなっている。
玄関入って左側にトイレや浴槽がある。
玄関入って奥には6畳の洋式の部屋が勉強部屋となっており、その左隣に同じ6畳の寝室がある。
ひとり暮らしにしてはとても広い部屋は護河奈々の両親が翔に必要以上の苦労をかけないようにするためだった。
ルチア、奈々、紗智、武、春人は翔の部屋にある縦長の長いこたつに足を入れて座っていた。
畳の感触やこたつの温もり、テーブルの上に置かれてあるみかんは、どこか懐かしさを感じさせた。
「みんな麦茶だけど、どうぞ」
そういうと翔はお盆の上に置かれた温かいお茶の入ったコップを五人の座る位置に置くと床の間に正座で座り、お茶を少しだけすする。
「ふぅ‥‥‥。 さて、何から話せばいいかな」
自嘲的な笑を漏らしながらそう聞くと、ルチアはいつものポーカーフェイスで翔を見つめてながら答えた。
「紗智達もいるから、義妹さんとの本題に入る前に話したほうがいいと思うわよ? あなたに起こったことの全てを‥‥‥。 まだ、私にも話していないことだってあるでしょう?」
「‥‥‥ああ」
全てを見透かしたような言葉に、翔はなんの言い訳もできずに頷いてしまった。
ルチアの言う通り、翔はまだルチア達に全てを話していない。
自分の過去を誰かに言いふらす趣味はもちろんなかった。
同情してもらうつもりも、慰めてもらうつもりも、過去を理由に優しくしてもらうつもりもなかった。
だからこそ、翔は誰にも言わなかった。
だが、今こそ話すときのようだ。
全てを、相良翔と言う人間を話すときが来たのだ。
嘘偽りのない、最低な人間である‥‥‥自分自身を、曝け出すときなのだろう。
「俺‥‥‥」
そう思った翔は俯きながら、叱られた子のように弱々しく、途方に暮れた声で話しだす。
「俺は一年前、ここにいる奈々の人生を、狂わせた」
「っ‥‥‥」
分かっていたかのように奈々は下唇を噛んで、翔と同じように俯きながら話しを聞く。
「‥‥‥ルチアには“途中まで”話したことがあるけれど、俺には両親がいないんだ。
俺は孤児院の前に捨てられていたらしい。
だから生まれて奈々の両親に引き取ってもらえるまでの12年間以上は俺と似たような境遇の男女と共に、孤児院で過ごしてきたんだ。
奈々の両親に引き取られるきっかけは、ある日に奈々の両親が孤児院に仕事で来たときに奈々と俺が仲良くなったことだ。
それから俺は奈々の両親‥‥‥特に母親には好かれて、中学入学と同時に奈々の一家の一員になったんだ。
だけど俺は、奈々の一家に慣れなかった‥‥‥なぜなら、孤児院にいる子の大半が両親による虐待や捨て子だったから、俺は知らないうちに父と母と言う存在を信頼できなかったんだ。
それでも奈々とは仲良くした‥‥‥と言っても、義兄としてのことは何もできなかったかもしれない」
その時の事は、今もなお覚えている。
奈々は甘えん坊で、いつも『お兄ちゃん、お兄ちゃん!』と義兄である翔を頼った。
勉強するにも、運動するにも、遊ぶにも、寝るにも、風呂に入るにも、何をするにも奈々は翔にべったりだった。
恐らく、兄と言う頼りになる存在に甘えたかったと言う欲が一人っ子の奈々にはあったのだろう。
今思えば、もっと優しくしてあげるべきだったと思う。
今思えば、もっと奈々のことを考えてあげるべきだったと思う。
今思えば、もっと信頼するべきだったのだろう。
そうすれば、奈々の人生を狂わせることはなかったのだから‥‥‥。
「俺は中学に入って、すぐにアルバイトを始めた。 俺なんかのために家族に苦労をかけたくなかったからだ。 極力、家事全般も自分の分は自分でやるように努力した‥‥‥と言っても、孤児院では自分のことは自分でやるようにと決められていたから今更苦労はしなかったけどな」
そう言うと、ルチア達は確かに‥‥‥と関心したように頷く。
それは翔の部屋を見ればわかるからだ。
ダイニングキッチンはまるで新築のように綺麗に掃除され、床もホコリはなかった。
この部屋も、本棚や机などもきれいに整理整頓されており、文字通り出来る男だった。
だが、ルチア達が何より驚くべきは、彼の過密なスケジュールにある。
相良翔の成績や身体能力は、魔法使いになる前から高かった。
それは当然、日々の努力の賜物だ。
だが、たった12歳の中学生がアルバイト、家事全般、学業、勉強、対人関係、その他もろもろをこなすのは容易ではない。
その上、三年生になれば受験まである。
いくら器用であろうと、天才であろうと、無茶にもほどがあった。
「だけど、俺は馬鹿だった。 そんな無茶すれば倒れることくらい、分かってたのにさ」
「‥‥‥倒れたの?」
紗智の質問に、翔は自嘲的な笑を見せながら、力なく頷いて続けた。
「中学三年生の冬‥‥‥丁度俺が高校の受験を終えたくらいかな。 俺は倒れて、三日くらい入院した。 当然、学校・バイトは休んだ。 それだけだったら、何の問題もなかった。 ここまでが、ルチアに話したことだ」
「ええ‥‥‥そうだったわね」
そして、ここからが相良翔の過去の全貌となる。
相良翔が、自分を嫌う最大の理由‥‥‥今、全てが明かされる。
「その日、奈々も学校を休んだんだ。 俺の看病がしたかったから‥‥‥だったと聞いたことがある。 だから奈々は両親には内緒で、無断欠席をしたんだ。 その日は両親が帰ってくるまで、奈々が俺の世話をしてくれた。 嬉しかったよ‥‥‥倒れるなんて経験ないから、看病してもらうのも初めてで嬉しかった‥‥‥本当に、嬉しかった」
翔の声が、一段と小さく、弱々しくなっていく。
その瞳からは光が消え、宙を茫洋と彷徨っていた。
「――――――親に奈々が休んだと言う事実が聞かされた瞬間、奈々の父が俺を殴った」
その一言を聞いた奈々以外の全員は、目を大きく見開いて翔を疑問を抱きながら見つめる。
――――――なぜ殴った? なぜ殴られなければいかなかった?
その疑問は、4人全員が抱いていたものだ。
翔はその時のことを思い出したのだろう、目を大きく開いて全身を小刻みにガクガクと震わせ、呼吸を荒くした。
「両親は‥‥‥特に父親は、奈々の将来のために色んな努力をしてきていたんだ。 塾や家庭教師、体調管理ももちろん、学校生活にも厳しい人だった。 だから奈々は、今まで小学中学の間、皆勤だった。 それは高校進学のためだ‥‥‥だけどそれを、俺が全て無駄にさせた」
つまり、奈々の父親からすれば、翔は父親が今までしていたことと、奈々の努力を全て無駄にさせた奴として見ただろう。
そして翔はその時、父親の本音を聞かされてしまった。
「その時に、俺に言ったよ。 俺を異物のように見ながら、軽蔑したような無表情で――――――」
――――――『所詮、捨てられるようなガキが、俺たちに関わろうとしたことが間違いだったんだ! やはりこんなガキ、拾ってやるんじゃなかった!!』
その言葉は、翔の信じてきた全てを崩壊させ、それと同時に、翔の中で何かが切れた瞬間だった。
「その後、翔はどうしたの?」
「‥‥‥俺は、父さんを殴った。 父さんも殴り返してきた。 俺は更に殴った‥‥‥その繰り返しだ」
その話しを聞いたルチアたちは、ゾッとしたように全身を震わせた。
ルチア達には、そのときの光景が浮かんだ。
きっと、見ている母親と奈々は辛かっただろう、見ていられなかっただろう。
怒りに任せ、怒号を上げながら鈍い音を立て、激しく血を流しながらぶつかり合う光景。
あの明るく優しい翔からは全く想像もつかなかった。
ましてや怒りに任せて我武者羅に殴るなんて、イメージのかけらもなかった。
そんな彼は、話しを続けた。
そう‥‥‥まだ、話しは続いていたのだ。
「意識が朦朧とするまで殴りあった。
当然、体調も万全じゃない俺は勝てなくて、しばらくすれば、奈々の父親に一方的に殴られているだけになった。
そして俺は胸ぐらを掴まれて、渾身の拳を受ける――――――はずだった」
だがその時、護河家と相良翔の間に鼓膜が破れるほどの高い叫び声が響き渡った。
――――――『やめてぇええええええええええッ!!!!!!』
その声のおかげで、奈々の父も翔も我を取り戻した。
そして全員、その声の主の方を向いた。
――――――「だ‥‥め‥‥‥だめ、だよ‥‥‥」
――――――「奈々‥‥‥」
声の主は、奈々だった。
自分が学校を休んだせいで、大切な義兄が傷つけられてしまった。
自分のせいで、家族がぐちゃぐちゃになってしまった。
自分のせいで、義兄が苦しんでしまった。
自分のせいで、自分のせいで、自分のせいで、自分のせいで――――――。
全てが、当時はまだ11歳だった奈々に襲いかかった。
そのことを考えれば、ああなることは必然だったのだろう。
――――――「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい‥‥‥ごめんなさい、ごめんなさい」
瞳から光を失い、目の焦点はどこにも合わず、ガクガクと全身を震わせ、呼吸を荒げた奈々は――――――その場で意識を失い、病院に搬送された。
――――――それが、相良翔の全てを変えた。
「奈々は、精神に負担がかかって‥‥‥俺が中学を卒業するまで、ずっと意識を失ったんだ」
「‥‥‥」
奈々はゆっくりと頷いた。
翔の記憶では、中学卒業までなので約2~3ヶ月の間だったとされる。
それまでの間、奈々は意識を取り戻さなかった。
病室に置かれた点滴が一滴ずつ流れる光景、日に日に白く細くなっていく奈々の体、ピッ、ピッ、ピッ、と聞こえる穏やかな電子音。
全てが翔の中にはトラウマのように残っている。
「‥‥‥俺がもっと奈々の両親を、奈々を信頼のことを理解して、信じていればこんなことにはならなかった。 だから俺は、全部をやり直すためにこの町に来た。 学生の町で、色んな人と触れ合って、世界を知って‥‥‥今度は『|護河 |翔』と名乗れる俺になるために俺はここにいるんだ」
全てを話し終えた翔は、既に冷め切った冷たいお茶を一口だけ飲んで一息つく。
ルチア達の方を見ると、皆暗く俯いていた。
当然だろうと翔は思い、そして最後に言った。
「俺は最低野郎だよ。 義妹一人守れないでなんでもやれると勘違いしていたんだからさ。 家族と喧嘩するような最低野郎なんだよ‥‥‥俺はな」
再び自嘲的な笑みを零すと、翔は本当の本題に入ろうと奈々に聞く。
「まぁ俺の話しはこれくらいにして、奈々‥‥‥本題に入ろう」
「え‥‥‥あ、うん」
急に話題を振られて驚く奈々はビクリと反応すると、頷いて最初の話しに戻す。
それは、相良翔を迎えに来たと言うことの意味。
なぜ今、こんなにも早く迎えに来たのか。
色々と聞きたいことがあった。
「お兄ちゃんがいなくなってから、私はお父さんとお母さんとでちゃんと話し合ったの。お兄ちゃんのこと、もっと真剣に考えてあげて欲しいって」
それはとても小さく、そして大切な願い。
気兼ねなく甘えることが出来、優しく答えてくれる兄と言う存在の暖かさを感じることができた、一人の少女の小さな願いだった。
親が仕事で忙しく、帰ってこない日々に感じた胸を締め付ける孤独感。
もしかしたら自分は、この家族のお荷物なのではないかと感じ、その不安に押しつぶされそうだったこともあった。
本当は、生まれてはいけない子なのではないだろうかと、何度も迷っていた。
気づけば小学6年生になる頃には、親の気を使うことばかり考えていた。
親が心配しないために、勉強やスポーツを必死に覚えて、それ相応の結果を残し、親を安心させてきた。
甘えることなんてせず、むしろ遠慮がちになっていた。
知らないうちに、両親との間に壁を作り、その壁からは乗り越えないようにしてきていた。
そんな壁を壊したのは、相良翔だった。
偶々、母親の友人が孤児院で働いている人で、社会勉強の一貫と言うのも兼ねて奈々はその孤児院に行った。
そこで出会った一人の少年‥‥‥それが、相良翔だった。
その孤児院は十数名の若い男女が生活していて、その中で相良翔は奈々にとって異彩を放つ存在だった。
自分とは違い、誰にでも隔てなく接している彼に奈々は憧れのようなものを持っていた。
そして奈々は勇気を振り絞って、相良翔に声をかけた。
それから奈々は何度も翔に会いに来たりしたため、護河家に引き取られて義兄になった。
――――――だが結局、彼を苦しめてしまった。
自分の事情をもっと早く、彼に話していれば彼が父に殴られることはなかった。
彼が傷つき、家を出ていくことはなかった。
その責任を感じていた奈々は、初めて自分の欲を強く言った。
たった一人の義兄と、もう一度仲良く過ごしたいと。
「そしたらね、お父さんも反省してたみたいで凄く後悔してた。 もう一度、全部やり直したいって思ってるんだって。 お母さんも、お兄ちゃんが帰ってくることを心待ちにしていたよ?」
「そう‥‥‥だったのか」
奈々は翔の隣に寄り、彼の左手を優しく両手で包み込んだ。
死んでいるかのように冷え切ったその手を温めながら、奈々は言った。
「私もお父さんもお母さんも、お兄ちゃんを待ってる。 あの日のことはなかったことにはできないけど、私たちはやり直したい。 お兄ちゃんに帰ってきて欲しい‥‥‥お願い」
「奈々‥‥‥」
力強く握り締められた翔の左手は、徐々に温もりを取り戻していった。
伝わってくる、義妹の温もりと想い。
二ヶ月、たった二ヶ月だけしか会っていなかったにも関わらず、たったそれだけの期間で、奈々は大きく変化していた。
大きくなり、強くなった。
「強いな。 俺はまだ、あの日のことが夢に出て、その度に涙が止まらない。 弱いんだ俺は‥‥‥奈々のこと、守ってあげられないダメダメな兄さんだよ」
「そんなことない‥‥‥そんなことないよ」
奈々は優しく微笑むと、翔の瞳を覗き込むように見つめながら言った。
「お兄ちゃんは、私の自慢のお兄ちゃんだよ。 我侭で甘ん坊の私なんかに、お兄ちゃんはいつも優しくしてくれた。 今ここにいるみんなだって、お兄ちゃんのことが大切で優しい人だから全てを聞こうって決意したんだと思う」
奈々の言葉に、この部屋にいる翔の友達が全員力強く、笑顔で頷いた。
「お前にどんな過去があっても、俺たちは別に気にしねぇよ。 そんなことでお前を嫌ったりしねぇよ、絶対にな」
「武‥‥‥」
武は翔の右隣に来ると左腕を肩に回して体を強引に寄せ、右手でゲンコツを作って翔の頭をぐりぐりとやる。
「それにな、嫌なことの一つや二つ、あって当然なんだよ。 俺なんて親から高校を卒業したらとっとと働け!! ってうるせぇんだぜ? 面倒ったらねーぜ」
「お前は頭悪いんだから仕方ないだろ?」
「うるせぇ! お前よりは上だろ!」
「んだと!?」
「何言ってる? 五十歩百歩よ」
「「‥‥‥」」
言い争う武と春人に、ルチアが氷の矢のように鋭く冷たい言葉を浴びせると、二人は撃沈してその場で膝と手をついて凹んだ。
「‥‥‥ふふ」
だが、笑いを堪えていた紗智が我慢しきれずに笑いを零した。
「はははッ」
「あははッ」
「ふふ‥‥‥」
それに釣られて翔、奈々、ルチアの三人も笑いを零す。
気づけばその空気は、いつもと何ら変わらい、だけど大切で幸せな空気となっていた。
まるで今まであった、翔の不安を嘲笑うかのように、翔の過去を受け入れた。
それでもまだ、友でいてくれると言ったことに翔は驚いて、嬉しくて、涙が溢れてくる。
そして翔は、そんな彼らのいるこの場所に、もう少しいたかった。
別れるのが、嫌だった。
だから翔は‥‥‥奈々が言った。
「奈々‥‥‥悪いけど、俺はまだ、まだここにいたい。 こいつらと、この町で、色んな思い出を作っていきたい。 だから‥‥‥まだ俺は帰ることはできない」
気づけばこの灯火町は翔にとって、とても価値のある場所になっていた。
当初、この灯火町は相良翔が護河翔になるために来た場所だった。
自分と同じ年代の学生が多く生活する学生の町で、色んな人と接することで今度こそ人を信じることを学ぼうと思っていた。
だから転校初日に出会った時の武たちもまた、翔の中では自分を変えるために利用する存在でしかなかった。
だが、魔法使いとして命を賭け、様々な事情を抱える人と出会うことで翔にとっての彼らの存在の意味は大きく変わった。
武のように、馬鹿で大雑把で元気な熱血野郎。
春人のように、熱血野郎を抑える人。
紗智のように、そんな二人を影で支えて見つめる人。
この三人の存在は翔にとって、大切な日常となっていた。
そして同じように、命懸けで戦ってくれる仲間であるルチア=ダルクや井上静香、それだけでない、この町の魔法使いたち。
彼らとの出会いで、様々な絆を生み出した。
その絆を知るうちに、彼らと過ごす日々があまりにも大切なものになっていた。
だからこそ、翔は彼らを守りたいと思った。
大切な日常を、大切な人を守りたい‥‥‥そう思い、頑張ってきた。
今はまだ、その途中なのだ。
だからこそ、こんなところで全てを投げ出して帰るわけにはいかなかった。
「‥‥‥やっぱり、そう言うと思った」
「え‥‥‥?」
それは、驚きの返事だった。
甘えん坊の彼女が、翔の拒否を受け入れ‥‥‥それだけではなく、分かっていたと言った。
微笑みながら、ゆっくりと頷いた奈々はここに来るときに持ってきていた茶色のアタッシュケースを開ける。
その中にあったのは、大量の衣服だった。
まるで旅行に来ているか、どこかに泊まるかのように‥‥‥
「だから、お兄ちゃんが帰る日まで、私もこの町で過ごします!」
「――――――は!?」
一瞬、世界が静止した気がした。
この少女の言葉は、翔を動揺させるには十分過ぎる破壊力を持っていたのだ。
「な、な、なな、なんでそういう事になるんだ!?」
「だってお兄ちゃんがいなくて寂しいんだもん! 一緒にいたいんだもん! お父さんとお母さんには許可も貰ってるし、灯火学園に来年度は入学するから良いの!」
「なんと!?」
翔の預かり知らぬところで、話しはかなり飛躍していた。
もしや、翔の家がここまで広いのは最初からそうなることを予知していたのではないだろうかと推理してしまう。
しかも奈々は、灯火学園への受験を既に済ませているらしい。
「お前、もっと良い高校いくんじゃなかったのか!?」
「私は、お兄ちゃんと一緒がいいって‥‥‥ずっと思ってたから、何があっても絶対にお兄ちゃんのそばにいるよ」
「奈々‥‥‥」
翔は奈々の言葉に、つい頬が緩む。
やはり、奈々は奈々だったのだと改めて感じた。
甘えん坊で、いつもお兄ちゃん、お兄ちゃんと言ってついてくる‥‥‥そんな奈々が再びそばにいてくれる。
それは、あの頃の再現‥‥‥そして、新たな始まりなのだろうと翔は察した。
「‥‥‥みんな、改めて紹介するよ」
そう言って翔は、みんなに笑顔で、胸を張って紹介した。
大切な――――――義妹を。
「俺の義妹の、護河奈々だ。 これから、仲良くしてくれ」
皆は笑顔で頷いてくれた。
これが、相良翔と護河奈々の再会。
そして、相良翔の友情が確かなものと感じたときだった――――――。
その日の夜、そして全て守る戦いが――――――始まる。
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