笑顔と情熱
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第二章
第二章
「絶対にね」
これが彼の子供の頃のことだった。それから彼は小学校でも中学校でも高校でも漫画を描き続けた。そうして高校卒業と同時に上京してある編集部に自分が描いた漫画を持ち込んだのである。
編集室は活気に満ちていた。机の上はあれやこれやと原稿やら何やらで一杯であり誰もがせわしく働いていた。彼はその編集室の端の応接場所である編集者にその漫画を見てもらったのである。
編集者は若い男だった。髪は収まりの悪い黒髪で伸ばしている。目は優しげで僅かだが垂れている。眉は黒く太めだ。そして何よりもそのにこりとした口元が印象的だ。
彼は龍二を見てまず。こう言ったのだった。
「ええと、持ち込みだよね」
「はい、そうですけれど」
「そうなんだ」
その彼の細長い精悍な顔と吊り上がった細い眉、それにまるでウニの様に収まっていないあちこちに尖った髪を見て。こう言ったのだった。
「ボクサーじゃなくて」
「いえ、違います」
龍二ははっきりとこのことは否定した。
「俺漫画家になりたいんですけれど」
「そうだよね」
編集者も彼のその言葉を聞いてまずは納得した。
「ええと、まずは僕の名前はね」
「松崎さんですか?」
龍二の方から名前を出してきた。
「週刊マガデーの松崎さんですよね」
「あれっ、知ってるの?」
その編集者松崎康平は彼の言葉に思わず目を丸くさせた。
「僕の名前」
「だってあれですよ。いつも編集ページに名前と似顔絵あるじゃないですか」
「ああ、そこまで見ていたんだ」
康平は龍二のその言葉に感心さえした。
「凄いね。普通そこまで目を通さないよ」
「漫画は読んだら全部見るんです」
龍二ははっきりとこう答えた。
「だって大好きですから」
「そうか。だからなんだね」
「はい」
これまたはっきりと答えるのだった。
「そうです。絶対に全部」
「そうだったんだ。それにしても君」
今度は彼全体をまじまじと見ての言葉だ。
「大きいねえ。一八〇ある?」
「一八一です」
身長についてもはっきりと答えるのだった。
「それだけあります」
「僕も一七九あるけれどね」
見れば康平にしろかなりの大きさであった。
「それよりもまだ大きいなんてね」
「何か背は無闇に大きくなったんですよ」
自慢とも謙遜とも取れない言葉であった。
「まあそれは気にしないで下さい」
「わかったよ。じゃあそうさせてもらうね」
「はい、それで御願いします」
「それで漫画だけれど」
康平はその漫画を読みながらまた龍二に話すのだった。
「いいね。面白いよ」
「本当ですか?」
「今雑誌に空きがあるからね。載せさせてもらうよ」
「そうですか。それじゃあ」
「ただ。君今何処にいるんだい?」
ここでこのことを康平に尋ねてきたのであった。
「見たところ学生服のままだけれど」
「高校卒業してすぐに出て来ました」
彼はそのままありのままに話した。
「それでここに持ち込みに来ました」
「ってことはあれだよね」
康平はこの言葉からすぐに察したのであった。
「今お金も住む家もないよね」
「はい」
またしても素直に答える龍二だった。
「何も考えていませんでした」
「ひょっとしてここに来るまでに!?」
康平は龍二のその無鉄砲さにあらためて驚いていた。
「そうしたことは考えていなかったっていうのかい!?」
「漫画のことだけ考えていました」
これが龍二の考えていた全てのことだった。
「それだけを考えて来ました」
「いや、凄いねそれは」
康平は皮肉ではなく素直にこう言った。首を捻ってはいたが。
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