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優しい賢者

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第一章


第一章

                   優しい賢者
 それは動物園にいた。そしてとても怖い顔をしていた。
「ねえお母さんあれって」
「あれはゴリラよ」
 母親らしき若い女がまだ幼い男の子に話をしていた。
「あれがね。ゴリラっていうのよ」
「ゴリラ?」
「ほら、図鑑に載ってたでしょ」
 そのゴリラは檻ではなく放飼式の舎にいる。彼等はそこをうろうろと歩き回りそのうえで餌として置かれているセロリや果物を手に取りむしゃむしゃと食べているのだった。
「あれよ。あれなのよ」
「ふうん、それがあのゴリラなんだ」
「とても怖いでしょ」
 母親は楽しそうに笑ってゴリラを指差しながら我が子に話した。
「ゴリラって」
「そうかな」
 しかし男の子はゴリラを見てもこう言うのだった。
「僕そうは思わないけれど」
「えっ!?」
「ゴリラって怖いの?」
 そして今度はこんなふうにも言うのである。
「全然そうは見えないじゃない」
「ゴリラが怖くないって」
「一体何を言ってるんだ」
 母親だけでなく眼鏡をかけたその側にいる父親らしき男性もこれには驚いた顔になっていた。
「ゴリラが怖くなくて何が怖いんだ」
「そうよね。この子どうしたのかしら」
「だってさ。物凄く優しい目してるよ」
 しかしこの子は父親に対しても言うのだった。
「とてもね。そうじゃないの?」
「そう?」
「何処がなんだ」
 しかし二人は息子の言葉を全く信じようとしないのだった。
「ゴリラの何処か」
「そう見えるんだ」
「見えるよ」
 しかしこの子は言葉を変えようとはしないのだった。
「目は優しいしそれに何かしようってのもないし」
「あなた、やっぱりこの子って」
「おかしいのか?」
 夫婦は自分の子供の言葉に本気で眉を顰めさせていた。
「ゴリラなのに」
「こんなこと言うなんて」
「また来よう」
 そしてこの子は今度はこんなことを言うのだった。
「ゴリラを観にね」
「まあ動物園に来るのはいいけれど」
「それでも」
 二人にとっては何と言っていいかわからない事態だった。ゴリラが優しいなどとは。それは彼等だけでなく多くの者が思うことだった。
 しかしこの動物園では実際にゴリラは安心して飼われていた。係の二人も安心した顔でゴリラのところに来て。そうしてそのうえでいつも餌をやるのだった。
「さっ、ゴロ、ラリ」
「御飯だぞ」
 出すのはセロリに林檎やバナナといったものである。どれも野菜や果物ばかりで肉類は一切ない。完全に菜食のものばかりである。
「今日も一杯食べるんだぞ」
「いいな」
 係は二人の若い男だった。一人は強い目をして少し鬣を思わせる癖のある茶色の髪である。背は高い。一八〇を超えている。そしてもう一人はまだ幼さの残る顔をしていて口が波型になっている。目は少し垂れていて黒髪を少し伸ばしている。背はもう一方程ではないがやはり結構高いものがある。
 その二人がゴリラ達に餌をやっていた。ゴリラ達は静かに二人の側に来て餌を食べる。何か凶暴なところは何一つとしてなかった。
「ねえ剛史さん」
「何だ?」
 黒髪の若者がゴリラを見ながらもう一方に声をかけてきた。二人は今そのゴリラのいる舎にいるのだった。
「俺最初はゴリラって怖いって思ってたんですよ」
「顔がそれだからか?」
「ええ、それで」
 こうその剛史と呼んだ若者に答えるのだった。
「けれどそれって違うんですね」
「何だ淳」
 剛史の方も彼の名前を呼んで言うのだった。
 
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