銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~
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歓迎会
「今日か?」
部下から歓迎会をと言われて、ウォーカーはしばらく目を瞬いた。
聞き返されてウォーカーの前に立つ部下も戸惑いがちだ。
両側から押されるように中央の女性が代表するように頷いた。
「ええ。マクワイルド中尉が着任して一カ月がたちますし。本当はすぐにと思っていたのですが、お忙しそうでしたので……それで、少しは息抜きをと思いまして」
お忙しいなんてもんじゃない。
この一カ月の濃密な時間を思い返すだけで、ウォーカーは暖かいお茶を飲んだ。
胃に優しい。
落ち着いてみれば、代表の女性はこの四月に配属されたばかりの事務官の女性だ。
配属時期ではマクワイルド中尉と同期になるのだろう。
もっとも士官学校を出た彼とは違い、彼女は一般の職員ではあったが。
そこまで考えて、ようやくウォーカーは納得した。
逃げださぬように周囲を固める女性を見れば、それよりも少し年長であり、飲み会と言う名目の出会いの場のセッティングだ。
前線とは違い、後方勤務で若い男と出会う機会は少ない。
ましてや士官学校出のエリートとなれば、後方勤務に来るころには三十を過ぎた妻帯者が関の山だ。まず若い男は望めない。アレス本人とは思わなくても、仲良くなれば彼の同期や先輩と席のセッティングを頼めとの打算があるのだろう。
当人の行動で今まですっかり忘れていたが、アレスが着任して危惧した面倒事が形になったわけだ。有無を言わさぬ左右の圧力に、若い事務官の女性は泣きそうになりながらウォーカーの言葉を待っていた。
――色恋沙汰ってのは、本当に面倒だ。
どちらに転んだところで、ウォーカー自身も巻き込まれる事になる。
一瞬断ろうかとも思ったが、アレスが着任してより歓迎会を開いた事がないのも事実。
そして、何よりもアレスであれば、そこまで大きな面倒は起こさないだろうと思う。
そう思っていれば、大量の書類を抱えたアレスがちょうど席に戻って来た。
自らの席近くにいる複数の女性に、少し戸惑っているようだ。
睨むような――これは本人は意図していないと、最近になってウォーカーは理解したが、そんな厳しい視線を受けて、先頭の女性が泣きそうになった。
それは可哀そうだろう。
わずかに浮かんだ庇護欲が、ウォーカーの口を開かせた。
「マクワイルド中尉」
「は。何でしょう?」
「今日の夜は暇かね」
「今日の夜ですか?」
「ああ。今日ではなくても構わないが」
と、視線が女性を見れば、アレスは首をかしげる。
「特に用件は入っていませんが」
「例の件は大丈夫かね?」
「ええ。締めきりはまだ先ですから」
「そうか。では、君たちは?」
「今日で問題ありません」
口をそろえたように三人の女性は言葉にした。
先ほどまでの戸惑いようが嘘のように、ウォーカーは言葉にできなかった。
左右の女性たちがアレスの左右に回り込んだ。
「マクワイルド中尉――ハイネセンの店は御存知ですか?」
「わたし。最近いい店を聞いたんですよ、穴場的な店で安くて料理もおいしいし」
「ちょっと、カリーナ。それはあたしが聞いたのに」
「早い者勝ちよ。レイラ」
いきなり煩くなる様子に、ウォーカーは苦笑する。
もっとも。
たまには、この部下が戸惑う姿が見れるのも悪くはない。
そうウォーカーは小さく笑うのだった。
+ + +
カリーナと呼ばれた女性が調べた店は、ハイネセンポリスの裏街にある小さな店だった。
大通りから、入り組んだ路地に入らねばならず初見で発見することは難しい。
先頭を歩くカリーナがいなければ、全員がたどり着けなかったに違いなかった。
急遽の歓迎会と言うこともあって、参加者はそれほど多くはない。
ウォーカーとアレス、そして三人組の他には数名といったところだった。
特に女性は当初誘った三人の他にはおらず、今日という急遽の予定を告げた理由がそれではないかとウォーカーは思った。
女の戦場は宇宙だけではないようだ。
カリーナとレイラに引かれるように連れて行かれるアレスを見ながら、苦笑すれば、ふと同じように苦笑する女性がいた。
誘いに来た代表の女性で――シノブ・ミツイシという名前だったと思いだした。
ウォーカーと同様の苦笑をする様子から、彼女も無理矢理連れてこられた口なのだろう。
高等学校を卒業したばかりの彼女には、カリーナやレイラほどの意欲はないのかもしれない。
「ここ……だと思うけど」
「おいおい。随分と適当だな」
「す、すみません。私も今日聞いたばかりで」
戸惑う女性陣が立つのは、古ぼけた扉の前だ。
扉の向こうからの話し声と扉にかかった小さな看板が、かろうじて民家でない事を告げている。
少なくとも通っただけでは気付かない。
カリーナから話が違うとばかりに見られたレイラが慌てたように首を振る。
「い、いい店だって聞いたから」
今にも喧嘩が開始されそうな雰囲気に、どうするかとウォーカーがアレスに視線を向ければ、アレスは小さく笑った。
「店構えで酒の味が変わるわけでもないでしょう」
そう言えば、扉をゆっくりと開く。
新たな来客に視線が集中する。
そこにいたのは大柄な店主と、同じく大柄な強面の男達だった。
決して流行っているわけでもなく、広いスペース。
薄暗い店内には、穏やかなBGMが流れていた。
明らかに場違い。
と、いうよりも。
「何か。カプチェランカを思い出すな」
呟いた言葉と共に店内を見渡せば、そこは一般的な大衆店ではない。
どちらかと言えば、最前線の兵士達を慰労を目的とした酒場だ。
店主でさえも戸惑う状況に、頭をかいてどうするかと迷えば、ウォーカーがアレスの背を押すように店内に入った。
「酒の味はかわらんだろう。それにここで喧嘩が始まるのは胃に優しくないからな」
もっともだと思い、小さく笑えば、アレスは開いている席に歩きだした。
+ + +
そこはハイネセンを守る第一艦隊の陸上部隊が懇意にしている店であった。
戦傷によって退役した店主が開く小さな酒場だ。
訓練帰りに飲んだ帰りに立ち寄る。
店主こそ強面であるが、安く上手い料理と酒が出るとあって人気があった。
しかし、その日はいつもと様相が呈していた。
滅多に来ない女性客と、軍人らしくない文官風の男達。
最初こそ店内の様子に戸惑っていたものの、酒が入り、上手い料理が出てきて、次第に喧騒へと変わっていった。
それほどは大きくない声も高い女性の声に、カウンター席で禿頭の男が苦虫を噛み潰した。
ただでさえ女性の少ない陸上戦隊。
それも首都の防備を目的とする第一艦隊では戦場でストレスを発散させることもできない。
いい気なものだ。
どうやら話を聞けば、後方作戦本部の連中らしい。
軍人ではなく所詮は事務官と言うわけだ。
まだ若い青年が女性二人に囲まれている。
自分たちが訓練で汗水をたらしているというのに、後方で呑気に文字仕事か。
いい気なものだなと、禿頭の男はウィスキーを飲み干した。
それは明らかな八つ当たりであったが、後方部隊と前線部隊は元来仲が良くはない。
禿頭の男と同様の思いをした者たちは多くいて、ちらちらと後方で騒ぐ男達を見ていた。
「いい店だと聞いていたのですが、随分やかましいですね」
苛々として三杯目のウィスキーを頼んだところで、隣から声がかかった。
見れば不快そうに眉をひそめる男だ。
特徴的のないどこにでもいそうな軍人容貌。
それが後方を見る様子に、禿頭の男は苦虫を噛み潰した様に後方に視線をやった。
「ああ。いつもはそうでもないんだがな。今日は特別にうるさい」
「それは残念です。これから外に出るので、その前にと思ったのですが」
「何帰ってからまたくればいい」
差し出された杯を受け取って、男は静かに飲んだ。
それから男と話しながら飲んだ。
誘われるままに男は自分の経歴を語る。
配備された場所が如何に危険な場所であったか。
死と隣り合わせの戦場。
身体を張った訓練。
幾度もついた身体の傷。
「まったくですね。彼らは私達を消耗品とでも考えているのか」
彼らと言ったのが、誰であるかは禿頭の男はすぐに理解できた。
後方ではいまだに楽しいおしゃべりが繰り返されている。
それまではほんの少し気になる程度だった言葉に、随分と苛々とさせられた。
小さく舌打ちをして、ウィスキーを再び飲み干す。
隣の男にお代りを手渡されて、そんな男の顔が少し悲しげに歪んだ。
「楽しそうですね。私もああして飲みたいですが、次に帰ってこれるかどうか」
「どこに向かう?」
「申し訳ないが、それは言えないのです」
首を振った男の様子に、禿頭の男はそうかと呟いて、再びグラスを飲み干す。
「少し静かにしてもらってくる」
「そんな。大丈夫ですよ」
「何……。あんな後方の連中など簡単なものだ」
立ち上がり身体をカウンターで支えれば、禿頭の男はどうやら相当酔っているようだった。それでも男に支えられ、身体を真っ直ぐに起こせば、ちょうど楽しげに会話する男達の姿が見えた。
いい気なものだ。
そう口にして歩きだす禿頭の男は、背後で男が小さく笑ったことに気付かなかった。
+ + +
「このチーズポテト美味しいですよ。中尉はいかがですか」
「ほんと。最初はどうなるかと思ったけど、美味しいわね」
リスのように頬を膨らませる様子に、周囲が小さく笑った。
注目を浴びてカリーナが戸惑ったように慌てて口元を隠す。
その様子が一段の笑いを誘った。
楽しげな雰囲気は、しかし、近づいてくる禿頭の男に気づいて静まった。
酔ったように頭すらも赤くしながら、しかし、足取りは確かに近づいてくる。
最初にアレスが気付き、次にウォーカーが気付いたころには、既に禿頭の男は席の傍にいた。
「随分と楽しそうだな」
唐突にかけられた声と強面の男の様子に、それまで楽しげであった装備企画課の面々は押し黙った。
沈黙を恐れと捉えたのであろう。
どこか別の場所を見つめる金髪の男――アレスに向けて、禿頭の男は語気を強くして、詰め寄る。
「お前に言ってるんだ。それとも女性相手じゃなければ話せないのか?」
強く言われれば、誰もが怯えを見せて声を出せない。
そんな状況下で、アレスは男を振り返った。
その表情に怯えはなく、どこか楽しげですらあった。
「ああ。騒がしくしたならすまない。気をつけるよ」
「謝る必要はねえ。ただあまり楽しそうなんで、少し俺も混ぜてもらいにきただけだ。なあ?」
禿頭の男が背後を振り返れば、顔見知りであろう男達が表情に笑みを作った。
どうように暇を持て余していたであろう男達が近づいていく。
どれも大柄な体格の良い男達であった。
小さな悲鳴はアレスの隣から。
男達の後ろに隠れるように逃げようとして、禿頭の男の視線に止められた。
「可愛い子を一人占めはずるいだろう。俺たちも混ぜてくれよな?」
「お断りだな。店主――会計を……」
立ち上がったアレスの肩を、禿頭の男が握った。
止めようとして、しかしその肩についた筋肉に気付いたようだ。
驚きを浮かべた男は片手でアレスを止める事は叶わず、アレスは制止などなかったように店主を呼んだ。
店主も面倒事は御免だとばかりに、急ぎ会計を手にする。
しかし、そんな店主が他の男に遮られる様子に、ウォーカーが苛立ったように禿頭の男を睨みあげた。
「こちらも騒がしくして悪かったが。その態度はどうかと思うがね」
「態度が悪いのは元々でな。何せお前らと違って、こっちは毎日命がけで……」
叫んだ男の声は、しかし、扉を開いた音にかき消された。
集中する視線が、苛立ったような男の顔を捉える。
決して大柄ではない。
しかし、服の上からでも透けて見える筋肉が一般人ではない事を告げていた。
「そ、曹長……」
ばつが悪そうに呟いた言葉を聞いて、入ってきた男が眉をひそめた。
「何してる、伍長。人が残って残業してるってのに随分とご機嫌だな……え」
そこで曹長と呼ばれた男の顔が変わった。
目を開けば、立ちすくむ禿頭の男を無視して、その脇を駆け抜けた。
周囲の驚きなど知らぬように、男はアレスの前に来れば、勢いよく敬礼。
直立不動のままで、アレスに頭を下げた。
「これはマクワイルド中尉。こんなところでお目にかかれるとは出来るとは思いもしませんでした!」
唐突な礼に、驚いたのはアレスも同様であった。
眉根が戸惑ったように動いて、少し考える。
結局わからなかったようで、いまだに敬礼を続ける男に手を振りながら問うた。
「ああ。ええと、君は誰だ?」
「は。自分はリュナス曹長であります。カプチェランカでは第五中隊第三小隊の第一分隊長を任されておりました。先日の戦闘では中尉の部隊に危機を救われました一人です」
カプチェランカの名前に、周囲が騒然となった。
前線部隊の中でもカプチェランカの名前は広く伝わっている。
特に最近に起こった戦闘は、同盟軍帝国軍双方とも大きな死者を出しており、カプチェランカ帰りというだけで尊敬の視線を集めたのだった。現に目の前の曹長も、この十月でカプチェランカから帰ってきており、周囲からの信頼は非常に厚い。
まさかという視線と、そんな人物に絡んだ事実から騒然とした周囲が、逃げるように視線をそらした。
そんな微妙な空気を感じたのだろう。
リュナスは周囲を見渡して、そして先の騒動を思い出す。
「まさか。お前ら……この方達に絡んでいたというわけではないな?」
否定の言葉はない。
それを肯定と受け取って、リュナスの表情に血管が浮き出た。
怒りだ。
「きっさまら」
「怒るな曹長。騒がしくしたこちらも悪いし、それにこれ以上連れを怖がらせないでくれ」
「は、失礼しました。まことにお連れの方にはご迷惑を――申し訳ございません」
曹長が頭を下げて謝罪しながら、人を殺さんばかりの視線で背後の男達を射抜く。
その視線に慌てて背後の男達も、全力で謝罪をした。
申し訳ないと――すでに、禿頭の男の酔いも完全に醒めたようだ。
繰り返される謝罪の言葉に、それまで緊張していた装備企画課の面々も脱力したように身体を椅子に預けている。
ようやく自由になった店主が会計を席に運んだ。
確かに安い。
払おうとしたアレスを、慌てたようにリュナスが止めた。
「こちらの支払いが私が。迷惑料で……」
「いや。気にしなくても結構だ」
と、会計に書かれた金額よりも多く、アレスは机に置いた。
「騒々しくして悪かったな。迷惑料だ――これで後は楽しんでくれ」
そう言って、席を後にする。
男達は驚きをもって、彼らが帰るのを見送っていた。
どうすると視線をかわす中で、最後まで頭を下げていたリュナスが顔をあげた。
その表情は能面のように白い。
「お前ら……中尉は許してくれたが、俺は許さんぞ。明日の訓練は地獄の方が良かったと――そう思わせてやる。だから、今日は中尉の行為に甘えて、自由に飲め。最後の晩餐だと思え」
そう呟かれた言葉に、男達は喜んで良いのか嘆いて良いのか。
微妙な表情を見せて、結局酒をたらふく飲んだ。
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