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ストライク・ザ・ブラッド 〜神なる名を持つ吸血鬼〜

作者:カエサル
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観測者たちの宴篇
  23.囚人の狙い

 

「あああ……つ……かれたあああ……」

 藍羽浅葱は力無く背伸びをした。
 彼女がいるのは、絃神島の中心。キーストーンゲートと呼ばれる逆ピラミッドの巨大な建物だ。

「ああもう、やってらんないわ。なにが哀しくて祭りの日まで、バイトしなきゃなんないのよ」

 右手に握ったスマートフォンに向かって、浅葱が不満をたれる。

『いやいや、今回はマジで感謝してるえ。嬢ちゃんのお陰で助かった』

 声の主は、むかつく人工知能だ。
 モグワイが、不意に声を潜めて浅葱に言う。

『感謝してるついでに、もうしばらく公社に残ってく気はねえか?』

「はあ?」

 浅葱は声を洩らした。思い返せば昨日の昼頃、友人たちとのんびり観光中だった彼女を人工島管理公社に呼びつけたのも、この性格の悪い人工知能だ。
 おかげで浅葱は、魔女たちによて捻じ曲げられた空間座標の逆算という、クソ面倒なプログラムを書き上げていた。途中で彩斗の母親が手助けしてくれたおかげで少しは休憩できた。
 だが、いつの間にかその姿もいなくなっていた。

「なんでよ? 」

 モグワイは、いつにもなく真面目な口調で警告してくる。

北地区(ノース)の沖に、未登録の増設人工島(サブフロート)が出現してやがる。“図書館”の連中の目的もわからないままだしな。やべー予感がするんだぜ』

「あんたね……曲がりなりにもコンピュータのアバターなんだからさ、いちおうとか予感とか、そういういい加減な情報で他人を振り回すのはやめなさいよね」

 浅葱は呆れたようにそう言って、スマートフォンの電源を切る。
 空はもう暗く、波朧院フェスタのイベントも、夜に突入したところだ。
 見物客の中にはカップルたちが仲睦まじく祭りを満喫していた微妙に浅葱を苛立たせる。
 今ごろ緒河彩斗はどうしているのであろうか。

「思い出したら普通に腹立ってきたわ……あたしがこんなに苦労してるときに……!」

 八つ当たり気味に呟きながら、モノレールの駅へと向かった。

「浅葱さーん!」

 浅葱を呼ぶ声に周囲を見渡す。
 すると少し、遠くの方でこちらに手を振る少女の姿が見える。近づいてみてようやくわかった。
 黒髪に茶髪が薄く混じっているショートの可愛らしい顔立ちの少女。白い中央に何かしらの柄が入ったTシャツに昨日と同じようなショートパンツを履いている彩斗の妹の唯だ。

「浅葱さんはこんなところでなにやってるんですか?」

「あたしはバイトの帰りよ。そういう唯ちゃんはどうしたの?」

「あたしは彩斗くんと美鈴ちゃんが全然帰ってこなくて暇だったからパレードでも見ようかと思って外に出てきたんだよ」

 人懐っこい印象の唯。

「それにしてもひどいよね。二人とも、あたしをほっといて自分たちだけどこか行っちゃうなんてね」

 軽く頬を膨らませて怒る唯。
 唯の話を聞く限り、彩斗もいつの間にか居なくなっており、美鈴も家には帰っていないようなだ。
 久しぶりに家族が来ているのに家に帰らなかった彩斗。突然、管理公社に入って来てプログラムを書き換えていつの間にか消えていた美鈴。
 この二人は似たもの家族なのだろうか。
 だが、彩斗は家族をほってどこかに行くような人間ではない。黒死皇派に捕まった浅葱を危険を顧みずに助けてくれたのだ。結局、彼にはそのことを今だお礼はできていない。

「ところで浅葱さん。その娘だれですか?」

「は? その娘……?」

 突然スカートの裾を引かれて、浅葱は自分の足元に視線を向けた。目を丸くする。
 四、五歳だろうか。西洋人形のようなドレスを着た、長い髪の幼女。
 幼女はぎゅっと浅葱の腕にしがみついて、潤んだ瞳で見上げ、弱々しい声で言う。

「……ママ!」

 その言葉に周囲の雑音が一瞬消えたように感じた。

「え!? ……ま、ママ!?」

 唯も激しく動揺している。

「えええええぇっ!?」

 浅葱の悲鳴が混雑する駅構内に吞まれていった。




 壊れていく。
 聖堂が徐々に壊れていく。
 そのまま膨大な質量に押し潰されれば確実に命を落としていた。そんな友妃たちを救ったのは、目眩にも似た奇妙な浮遊感だった。
 誰かが空間を歪めて、崩落する聖堂の外へと友妃たちを運び出したのだった。

「ぐっ……」

 聖堂からさほど離れた場所ではない。かろうじて聖堂の崩壊から逃げられる距離に転移したようだ。

「優麻さんっ……!?」

 雪菜が短く悲鳴を上げた。
 そこには、ハロウィンの魔女の仮装をした少女だ。ボーイッシュと呼ぶには可憐すぎる、顔立ちの少女である。
 しかし彼女の全身は血まみれだ。
 胸元には深い刀傷が刻まれている。
 彼女を庇うように倒れこむ少年。

 苦痛にうめく彼女──仙都木優麻と同じく傷だらけの少年──緒河彩斗に駆け寄る友妃と古城。
 優麻は友妃たちを逃がすために空間転移をしたのだ。
 だが、それは肉体に多大な負荷をかけたはずだ。
 直前までの戦いで、彼女はもはや限界なのだ。

「違うよ、古城……ボク一人の力じゃない。“空隙の魔女”と彩斗が手を貸してくれた……」

「那月ちゃんと彩斗が? だったら、那月ちゃんは……どこに……!?」

 優麻の言葉に友妃は呆然としてしまう。
 南宮那月も緒河彩斗も“守護者”の剣に貫かれて、優麻以上にダメージを負ったはずだ。その状態で優麻に力を貸して、友妃たちを助けたというのか。
 しかし、ここのどこにも彼女の姿はない。

「先輩、友妃さん……!」

 雪菜が愕然としたように、聖堂が立っていた場所を見上げた。
 完全に崩れ落ちた聖堂の跡地に新たな建物が現れていた。
 分厚い鋼鉄の壁と有刺鉄線に覆われた軍事要塞──違う、監獄だ。

「これが……本当の監獄結界か……? じゃあ、さっきまでの建物はなんだったんだ!?」

 先ほどまでの聖堂とは違う雰囲気の要塞に一同が困惑する。
 いまだ出現した要塞は、半実体の姿を保って、揺らめいている。
 そして、困惑する友妃の耳に聞こえてきたのは、不気味な女の声だった。

「同じもの……だ……よ、第四真祖」

 声の主は、要塞の巨大な門の上に立っていた。
 足元まで届く、長い髪の女だ。身につけているのは、平安時代の十二単。華やかに重ね着した衣装だ。顔立ちは若く美しいが、緋色の瞳。その瞳はどこかこちらを不吉にさせる。

「──周と胡蝶とは、則ち必ず分有らん。此を之れ物化と謂う……あの空っぽの聖堂は、監獄結界が、南宮那月の夢の中にあるときの姿……だ」

 詠われる言葉の一つ一つが不吉さをより一層際立たせる。

「だが“空隙の魔女”は永劫の夢から醒め、監獄結界は現出した。同じ世界空間にあるのなら、そこから抜け出すのは造作もないこと……だ。この(ワタシ)にとってはな……」

 そう言って、緋色の瞳は嘲笑う。

「お母……様……?」

 鮮血に濡れた優麻にの唇が、か細く洩れる。

「あんたがユウマの母親だと……!?」

 バカな、と古城が低く叫んだ。
 優麻と緋色の瞳の女が血縁であることは、誰もがわかった。それはあまりにも似すぎていたからだ。

「ユウマちゃんと……同じ顔……」

「当然……だ。その娘は、我が単為生殖によって生み出したただのコピー。監獄結界の封印を破るためだけに造られた、我の影に過ぎないのだから」

 動揺する友妃たちを哀れむように、阿夜が傷ついた優麻を指さし告げる。

「我よその娘は、同一の存在──だからこそ、こういう真似もできる」

「う……あ…………あああああああああっ……!」

 そのとき優麻の喉から迸ったのは、絶叫だった。
 彼女の背後に、魔力によって実体化した人型の幻影が浮かび上がった。悪魔の眷属──すなわち魔女の“守護者”である。
 その蒼い騎士の全身が、黒い血管のような不気味な模様に侵食されていく。

「ユウマ!?」

「……まさか……そんな……魔女の“守護者”を奪うなんて……」

 魔女の“守護者”を奪うということなどその肉体へのダメージは途轍もないものとなる。

「いや……やめて……お母様……!」

 優麻が弱々しい声で叫ぶ。

「我が(オマエ)に貸し与えた力、返してもらうぞ──我が娘よ」

 仙都木阿夜が左手を上げた。その瞬間、みしっ、と耳障りな音が響き、優麻が声にならない絶叫を上げた。目には見えない巨大な腕が、のけぞる優麻の背中から、ぶちぶちとなにかを引き剥がしていく。

「いやああああああああああっ!」

 切断された霊力径路から、そこを流れていた魔力が鮮血のように噴き出した。
 優麻の“守護者”が阿夜の元へと向かっていく。阿夜は優麻の“守護者”を引きちぎろうとしているのだ。
 阿夜の元へと向かう優麻の“守護者”を何者かの腕が掴み食い止める。

「待て……よ……クソ……野郎……」

 か細い声が響いた。
 優麻の“守護者”を食い止めたのは、先ほどまでの倒れていた彩斗だった。
 彩斗の身体も相当ボロボロのはずなのに“守護者”の腕を掴んでいる。それでも、優麻の“守護者”は阿夜の元へと向かおうとする。
 その状態で彩斗は掴んだ“守護者”の腕を力任せに引きちぎった。
 優麻の“守護者”の蒼い鎧は、完全に黒く染まった。
 鎖から解き放たれた獣のように、咆哮する黒騎士。阿夜の背後へと移動した。仙都木阿夜は、優麻の“守護者”を完全に奪い取ったのだ。

「ユウマっ!」

 優麻の身体は壊れた人形(マリオネット)のように身体が地面に転がる。ぐったり倒れこんだ彼女を抱きかかえ、古城は呆然と息を呑む。
 彩斗は倒れこむ優麻へと近づいて先ほど引きちぎった“守護者”の一部を優麻へと返しているようだ。

「なんて……ことを……!」

 雪菜が怒気をあらわに槍を構えた。

「ほんと……最低だね……」

 友妃の刀と雪菜の槍の銀が仙都木阿夜に向けられる。

「第四真祖に、神意の暁(オリスブラッド)、獅子王機関の剣巫、剣帝か……いったいなにを憤っている? その娘は我が作った人形……だ。どう扱おうが我が自由であろう?」

 仙都木阿夜は、本気で訝しむような表情を浮かべる。

「……ざけんな……っ」

 古城が、低く潰れたような声を絞り出す。

「……テメェ……だけは……」

 その声とともに二つの魔力が噴き出された。その魔力は第四真祖と“神意の暁(オリスブラッド)”の眷獣の魔力だ。

「俺の友達(ダチ)をこんな目に遭わせておいて、言いたいことはそれだけか……!」

「潰される覚悟はあんだろうな……っ!」

「……っ!」

 爆風にも似た古城と彩斗の魔力を浴びて、仙都木阿夜が眉を動かした。平静を装う彼女にとっても、やはり第四真祖と“神意の暁(オリスブラッド)”の魔力は脅威なのだ。
 だが、古城の身体には、“雪霞狼”のダメージが残っているせいで激しく咳き込み吐血する。

「先輩!?」

「古城君!?」

 苦痛にうめく古城に気がついて、雪菜の顔が青ざめた。

「なるほど、七式降魔突撃機槍(シュネーヴァルツァー)で傷を負っているのだったな、第四真祖」

 そのときだった。突如として闇夜を照らす一つの光源が出現したのだ。
 それは彩斗の身体だった。まるで太陽のように輝く彩斗の身体はその場の全て者の目を眩ませる。
 友妃は困惑する。吸血鬼にそんな能力はない。さらに友妃の知っている限り彩斗が従えている“神意の暁(オリスブラッド)”の眷獣の中に光を放つ眷獣などいないはずだ。
 それに“負”の力である吸血鬼は日光を嫌う。それなのに彩斗の身体は、太陽のように輝いている。

「仙都木阿夜……優麻の“守護者”を返してもらうぞ」

 光が消えた彩斗の身体からは先ほどよりも多くの魔力を感じた。身体の外傷も“守護者”に刺された胸以外の傷が見た限りなくなっていた。
 それは再生能力。吸血鬼の再生能力ではない。それを遥かに超える超再生能力を彩斗は使ったのだ。

「魔力を回復したか……吸血鬼にそんな能力などあったのか?」

 仙都木阿夜も先ほど起きた現象の理解ができていないようだ。

「さぁな……俺自身もそんなにわかってねぇからよ。多分、あいつが一時的に力を貸してくれたんだろうよ」

 彩斗はいつもの無気力な表情で答えた。
 彼は右腕に鮮血を迸らせる。
 “神意の暁(オリスブラッド)”の眷獣の召喚を見ても阿夜は、慌てることなく自らが立っている場所を指して挑発的に笑う。

「いいのか、神意の暁(オリスブラッド)? たしかに汝と第四真祖の力なら我を吹き飛ばすことも容易いだろうが、監獄結界も無傷ではすまんぞ? この結界を維持している術者にも、相応の反動が及ぶであろうな」

「……那月ちゃんのことを言ってるのか」

 彩斗は要塞を見上げながら呟く。
 いまだ那月は行方不明。そんな状態で監獄結界を攻撃すれば那月へのダメージはかなりのものになる。
 だが、逆を返せば、この結界があるということは那月がまだ生きていることを証明している。

「──もっとも、そうなることを望んでいる連中もいるようだがな」

 仙都木阿夜は愉しげに自分の背後を振り返った。
 そのときになって友妃は気づいた。
 監獄結界の建物の上にいるのが仙都木阿夜一人ではないこと。

「なんだ、こいつらは!?」

 後ろで膝を付く古城が声を洩らす。
 黒い要塞の上に立つ七つの人影。老人。女。甲冑の男。シルクハットの紳士。そして小柄な若者と、繊細そうな青年、ローブを着た性別不明の者だ。

「まさか……彼らは……」

 鬼気に満ちた大気に抗うように、槍を構え直して雪菜が呟く。
 その言葉の続きは、聞かずとも理解できる。

 ここにいるのは監獄結界の囚人たちだ。

「最悪……じゃねーか……」




 紗矢華と別れ、アルディギアの騎士団たちとともに特区警備隊(アイランド・ガード)のヘリに乗り、国へ帰国するため中央空港に来ていた。
 離陸準備を終えたチャーター機が待機している先にラ・フォリアとアルディギアの騎士団は向かっていく。

「王女様。お久しぶりです」

 搭乗口に通じるゲートの前に女性が一人深々とお辞儀していた。
 ここは専用通路なので部外者が入り込めるところではないはずだ。
 その女性が顔を上げる。茶色の腰まで伸びる長い髪に、綺麗な瞳。どこか安心してしまうような穏やかな顔立ちの女性。

「あなたは……?」

 どこか見覚えのある女性。
 どことなく緒河彩斗が時々見せる優しい雰囲気に似ている女性だ。

「私は緒河彩斗の母親です」

 その言葉にラ・フォリアは目を丸くした。
 緒河彩斗の母親と名乗る女性の言葉にラ・フォリアは思い出した。

「あなたでしたか。少し雰囲気が変わっていたので気づきませんでした」

「私は何も変わってないですよ、王女様。歳をとっておばさんに近づいただけです」

 彩斗の母親は穏やかな笑顔を浮かべた。

「それでどうしてこんなところにいるんですか?」

 ラ・フォリアは一番疑問に思っていたことを訊いた。
 彩斗の母親は顔色を変えずに笑顔のまま答える。

「ただ、私は王女様の見送りをしようと思っただけですよ」

 彼女は当たり前のように口にした。
 そのとき突如として思い出した。この女性は、昔アルディギアで起きた暴動を止めてくれた一人だと母親から聞いた。
 そのとき、自分のことを“電脳の姫”と名乗っていたと聞いている。
 アルディギアのセキュリティーをハッキングし、電子機器を操作出来るほどの実力者ならここに潜り込むことは容易いことであろう。

「それで王女様……」

 彩斗の母親はラ・フォリアに耳打ちする。

「彩斗くんとはどこまでいったの?」

 その言葉を聞いて頬が熱くなるのを感じた。

「赤くなっちゃってやっぱり歳頃の女の子なんだね、王女様も」

 それでも穏やかな笑みを浮かべる彩斗の母親だ。

「いえ……そ、その……」

 言葉に詰まったラ・フォリアに彼女は再び、耳打ちをする。

「……彩斗くんは手強いわよ。彼、慎治くん以上に鈍感だから、キス程度じゃ、わからないと思うよ」

 心の中を読まれている気がしてドキッとする。

「わかっています。でも、彩斗のことは諦めませんよ」

 ラ・フォリアも笑顔で返した。

「それでは……」

 そう言い残して、ラ・フォリアは搭乗ゲートをくぐった。




「仙都木阿夜……“書記(ノタリア)の魔女”か。あの忌まわしい監獄結界をこじ開けてくれたことに、まずは礼を言っておこう」

 最初に口を開いたのは、シルクハットの紳士だった。年齢は四十代ほど。がっしりとした体型に対して、服装からは知性的穏やかさが伺える。

「汝たち七人だけか……ほかはどうした?」

「どうした、じゃねー! こいつだ、こいつ!」

 ドレッドヘアの小柄な男が声を荒げる。
 派手な色使いの重ね着に、腰履きのジーンズ。ストリートファッションのような格好をしている、彩斗たちと年齢がさほど変わらぬであろう少年だ。
 だが、そんな彼も監獄結界に閉じ込められていた犯罪者の一人だ。彼は左腕に鉛色のくすんだ金属製の手枷を嵌められている。

「見ろ!」

 ドレッドヘアの若者が右腕を一閃。
 その直後、若者の前にいた紳士の身体から鮮血が飛び散った。

「シュトラ・D、貴様──!」

 紳士が吐血しながら憎悪の眼差しをドレッドヘアに向ける。
 服装から察するに魔導師のような紳士。監獄結界に閉じ込められるほどの実力を持った紳士の防御壁を軽々しく砕いたのだ。
 そのときだった。鉛色の手枷から、無数の鎖が出現する。それは、瀕死のダメージを受けた紳士を虚空へと引きずりこんだ。
 シルクハットの紳士の絶叫し、虚空へと呑み込まれていく。

「……なるほどな。監獄結界のシステムはまだ生きている、ということ……か」

 仙都木阿夜が、平静な声で呟いた。

「魔力や体力の弱ったやつは、こうして結界内に再び連れ戻されるってわけだ。わかったかよ。もっと脆ェ連中は、ハナから外に出ることもできねェんだけどよ」

 シュトラ・Dと呼ばれていたドレッドヘアの若者が、犬歯を剥き出して言う。

「……“空隙の魔女”を殺して監獄結界が消滅するまで、ワタシたちは完全に自由にはなれないみたいなの。ふふ……おわかりになったら、さっさとあの女の居場所を教えてくださる? 同じ魔女として、心当たりのひとつやふたつあるんでしょう?」

 ドレッドヘアの言葉を継いだのは、菫色の髪の若い女だった。
 美人というよりは、その雰囲気からは色気が感じられる。長いコートの下の衣装は異様に露出度が高い。
 仙都木阿夜は彼女の殺気を平然と受け流し、首を振る。

「悪いが、知らんな。あの女を殺したければ、せいぜい自分で探すことだ」

「そーかよ。面白ェじゃねーか……“図書館(LCO)”の総記(ジェネラル)さんよ。だったらあんたにも、もう用はねェなあ」

 シュトラ・Dは、右腕を振り上げて阿夜を睨む。彼は利用価値のない人間は全て敵と判断するようだ。
 阿夜は気怠そうに長い袖に包まれた左腕から一冊の古びた本を掲げてみせた。

「逸るな、山猿……南宮那月の居場所は知らんが、手を貸さないとは言っていない」

「あァ?」

 シュトラ・Dが腕をそのまま止める。

「“No.014”……固有堆積時間(パーソナルヒストリー)操作の魔導書ですか。なるほど……面白い」

「どういうことだよ、冥駕?」

「馴れ馴れしくその名前を呼ばないでもらいたいのですが……まあいいでしょう」

 不愉快そうに眼鏡を直す、冥駕と呼ばれる青年。

「要するに、呪いです。仙都木阿夜は魔導書の力を借りて、“空隙の魔女”に呪いをかけた。今の南宮那月は、おそらく記憶をなくしている──そうですね、仙都木阿夜?」

「そう……だ。正確に言えば、奪ったのは記憶だけでなく、やつが経験した時間そのものだがな」

「他人の肉体の堆積された時間を奪い取る……それが“図書館(LCO)”の総記(ジェネラル)にだけ与えられるという魔導師書の能力ですか。いえ……違いましたか……あなたも持ってましたね……」

 平坦な口調で青年がローブで全身を包んだ者へと視線を向ける。
 ローブの者は微動だにしない。
 その者の空気だけがほか誰とも違っていた。強烈な殺意もない、憎悪も感じられない。
 だが、その覇気はその場にいるものにそこしれない圧力を与えている。

「完全に魔力を失う直前に、南宮那月は逃走したようですが、あなたが魔導書を起動させている限り、彼女はもう二度と魔術を使えない。あとは我々の中の誰かが、逃走中の彼女を見つけてとどめを刺せばいい、というわけですか。仙都木阿夜?」

 眼鏡の青年が、冷静な口調で確認する。

「そういうことなら、手を貸してあげても良いわよ、仙都木阿夜。あの女を殺したいと思っているのは、みんな同じ──早い者勝ちということでいいかしら?」

 菫色の髪の女が、自分の左腕の枷を見ながら微笑む。

「ケッ、面倒な話だが、まあいいか。長い牢獄暮らしで身体も鈍ってることだしな。リハビリには、ちょうどいいかもしれねェな」

 彼の言葉に同意したように、ほかの脱獄囚たちも無言でうなずく。
 その時点で彩斗は限界だった。
 まだ少しだけ痛む身体を起こし、脱獄囚たちを睨む。

「ざけんじゃねぇぞ……そんなこと聞いてミスミス行かせると思ってるのか」

「……アァ? なに言ってんだ、このガキは……?」

 シュトラは鬱陶しげに彩斗の方へと視線を向ける。
 後方で胸の傷口を押さえながら、古城も立ち上がった。

「そういえば、あなたがいましたね。第四真祖。それと……あなたは……?」

 物静かな口調で、眼鏡の青年が告げる。

「俺はただの神意の暁(きゅうけつき)だよ」

 だが、誰一人として古城と彩斗に恐怖するものはいない。世界最強の吸血鬼を二人を相手にしても、自分が敗北するなど思っていないようだ。
 それでも、彩斗と古城には脱獄囚を止めなければならない

「ったく……たかが吸血鬼の真祖風情が、この俺を止める気かァ?」

 シュトラが蔑むように言い放ち、塔から飛び降りる。
 シュトラの位置から考えてこちらに攻撃が届くわけがないが大上段に構えた右腕を振り下ろした。
 放たれた殺気は強烈だが、シュトラの右腕からは魔力を感じられない。その攻撃を避けず、迎え撃とうとする。

「──駄目です、緒河先輩!」

 雪菜の緊迫した叫びとともに、彩斗の前に出る。
 その直後、雪菜の頭上へ叩きつけられたのは、大地を震わせるほどの爆風。
 雪菜の掲げた銀の槍が、シュトラの烈風を受け止める。凄まじい轟音が鳴り響き、雪菜がその場に膝を突く。

「「姫柊!?」」

「雪菜!?」

 シュトラ・Dの不可視の斬撃。
 その攻撃以上に驚かされたのは、シュトラの攻撃を雪菜が防げなかったことだ。
 “雪霞狼”は、ありとあらゆる魔力を無効化するはずなのだ。それをシュトラの攻撃は突破したのだ。

「……なんだ、その槍? 俺の轟嵐砕斧を受け止めやがっただと?」

 しかし、シュトラも自分の技を止められて動揺にしているのは明確だ。
 その瞬間、彩斗は地を蹴り一気に間合いを詰める。右の拳に魔力をまとわせシュトラ・Dめがけて叩き込む。
 すると突如として右腕が上空へと弾かれる。なにが起きたか全く理解することができなかった。
 それはローブの男が彩斗の右腕を上空向けて弾いたのだ。
 一体いつからそこにいたのかもわからなかった。
 得体の知れない殺気にローブと間合いをとる。
 だが、そのときにはローブはそこにはいなかった。

「やってくれるじゃねーか。プライドが傷ついちまったぜェ! ちっと本気を出すかァ!」

 荒々しく吼えながら、シュトラが再び腕を振り上げた。これは先ほどとは比較にならない凄まじい技がくる。

「雪菜、古城君、彩斗君……ここは私が止めるから、優麻ちゃんを連れて逃げて!」

 銀の刀を構えた友妃が、彩斗たちを守るように前に立つ。
 その発言に彩斗は絶句した。ここにいる全員を彼女を一人で相手するというのか。
 誰一人としてその実力は未知数。この場の全員が万全の状態でやっと相手できるかどうかの相手を一人で戦うなど死ににいくようなものだ。

 ──『最善策』だからこの場に残る。
 その言葉が記憶のどこかから引きずりだされてくる。
 これがなんなのかはわからない。
 だが、その選択が間違った道しか産まないことを彩斗は知っている。

「駄目です、友妃さん!」

「残るなら、俺が──!」

「ボクならこのくらいやつらの時間稼ぎくらいできる。早く、優麻ちゃんを連れて逃げて!」

 後ろすら振り向かずに友妃は一方的に早口で言う。
 彩斗は彼女の隣に立つ。

「お前は俺の監視役なんだろ? だったらしっかり俺のそばにいろよな」

 友妃の身体は小刻みに震えていたのだ。それが恐怖による震えだと言うことは考えるまでもなくわかる。
 友妃の身体を後ろから抱きしめるように覆う。

「えっ?」

 彼女に彩斗なりの不器用に微笑みかける。
 友妃の手を握りしめると小刻みに震えていた身体が止まる。
 それで安心した彩斗は後方にいる古城と雪菜に叫ぶ。

「俺がここには残る。だから優麻のことは頼んだぞ、古城、姫柊!」

 古城と雪菜は、こちらを信じて優麻を元へと駆け寄る。

「ハッハァ──! まとめて潰すぜ、第四真祖、吸血鬼──っ!」

 シュトラの不可視の斬撃を友妃の銀の刀の煌めきが烈風もろとも消滅させる。

「おいおい……本気をそんな簡単に止めてくれんなァ!」

 口ではそんなことを言っているがシュトラ・Dは明らかに動揺にしている。
 先ほどの攻撃は友妃一人の力では止められなかったであろう。彩斗の“真実を語る梟(アテーネ・オウル)”がその翼の魔力を部分的にだけ展開し、友妃の“夢幻龍”の無力化の力と合わさって全てを消滅させた。

「もう手加減は、いらねぇみたいだなァ!」

 先ほどを超える殺気が、練り上げられてこちらに伝わってくる。

「逢崎、デカイのが来るぞ!」

「うん。でも、ボクと彩斗君なら防げるよ」

 彩斗と友妃は身体をさらに強く抱きしめ合う。二人の魔力が強く共鳴し合う。“夢幻龍”と“真実を語る梟(アテーネ・オウル)”の能力は同種である。二つの力を混ぜれば強大な力に変わる。
 それならシュトラ・Dの攻撃であろうが、他の囚人たちの攻撃であろうが無力化できる。

「死ねェ──! 吸血鬼、女──っ!」

 不可視の斬撃がこちらへ叩きつけられる瞬間、二人の視界を眩い真紅の閃光が覆い尽くすのだった。
 
 

 
後書き
何と無くラ・フォリアと美鈴の会話を入れてみました。
ちなみに美鈴は、ラ・フォリアのちょっとした弱点でもあります。 
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