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八百比丘尼

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3部分:第三章


第三章

「江戸・・・・・・いえ東京で何度か御会いしました。お話もしましたね」
「そうなのですか」
「お酒が好きな方でしたね」
「苦しみながら飲んでいたそうですね」
「はい。そして」
「自殺したと」
「残念なことでした。胸を患っておられていましたが」
 よく知っているなと思った。太宰は結核持ちであり吐血もしていたのだ。
「あれは今は助かる病気でしたね」
「はい」
「昔はあれで。よく亡くなられたのです」
 しかしそれは本当に昔の話だ。今の話ではない。少なくとも彼女の生きている時代のことではない筈だ。その顔を見る限り二十代後半、どう見ても三十台前半に見える。しかし今の彼女の話はどう聞いても不自然だ。如何にも太宰をその目で見てきた言葉だからだ。
「本当にね」
「同じ時代の作家の織田作之助もでしたね」
 ここで私は地元の作家を出してきた。
「織田作さんですね」
「はい」
 この作家も知っているようである。
「あの人とも御会いしたことがあります」
「東京でですか?」
「はい」
 だとすれば昭和二十一年の終わり頃か。彼は取材に大阪から出て、そこで客死するのだ。
「一度だけでしたけれど」
「そうだったのですか」
「あの時の都は。もう廃墟でした」
「その前にも廃墟になりましたね」
「はい、何度か」
 ここで私はかまをかけたのだ。関東大震災を出してくるだろうと思っていた。演技ならばそう答えてくると思っていた。しかし彼女は何度も、と言った。
「あそこは。本当に地震が多くて」
「関東はね」
 私はそれに答えた。
「関西から見れば異様に地震が多いですよね」
「はい。何度も何度も街が壊れました」
 私が知っているのは関東大震災だけだ。だが違うらしい。
「富士の山も噴火したことがありますし」
「富士の!?」
 それを聞いて顔を顰めさせた。あの山は長い間噴火していない。それこそ二百年、いやもっと経つ。それこそ大昔の話の筈だ。
「あの時も。お城が崩れて」
「お城!?」
「北条様がおられたお城です」
 それを聞いてわかった。小田原城だ。そういえばあの時の地震や噴火で小田原城は崩れている。
「あれだけ立派なお城が」
 小田原城はとにかく大きかった。街まで取り囲んだ城であったのだ。日本に一つしかない城塞都市であった。
「崩れてしまいました」
 それを聞いてこの尼さんがどうやら普通の者ではないと確信した。
「小田原におられたことがあるのですね」
「そうなのです」
 そしてまた応えてきた。
「いい街でした」
「そうらしいですね。行ったことはないのですが」 
 私は言った。
「一度行かれるといいですよ」
「何分関西にいますのでね」
 そう返して苦笑いを浮かべた。
「小田原までは」
「今回の帰りに行かれたらどうですか?」
「まあ考えてはみます」
 あまり考えずにこう返した。
「関東は好きではないのですけれどね」
「水がよくないと」
「はい」
「京や大阪の人はよくそう言われますね」
「食べ物の味も全然違いますしね」
 ここでお茶を一口含んだ。
「お茶も全然違うんですよ」
「ですね」
 これは尼さんもわかっていることであった。
「お茶はやっぱり京です」
「はい」
「けれど。あの街も随分と変わってしまいました」
 ふと遠くを見ていた。
「一度焼けてしまってから。本当に」
「そうなのですか」
 応仁の乱らしい。
「それまで残っていたものが。殆ど」
「凄い戦乱だったらしいですね」
「はい。都が焼け野原になって。多くの人が逃げていきました」
 都落ちした公家も多かった。戦国が終わりになりようやく織田信長や豊臣秀吉により復興されたのである。これは歴史にある通りであった。
「あの時で。都を去りました」
「京におられたのですね」
「ええ。暫くの間」
「はい」
 聞いていてそれはあくまで彼女の基準であり、実際にはかなり長い間の時間であろうと思った。だがそれは口に出しては言わなかった。
「それまでは。若狭にいたのですが」
「若狭に」
「はい。今は何といいましたっけ」
「今は京都にありますが」
 今の基準で考えると同じ府にあるがその時は違っていたのだ。違う国であったのだ。それに今でも同じ京都府にあっても京都とあの辺り、そう舞鶴近辺は全く違う地域である。山を越えていかなければならず、その山がまた深いのだ。そして山を越えたその場所はいつも雨や雪が降る港町なのである。
「そこにおりました」
「そうだったのですか」
「あれは私が娘子の時でした」
 彼女はまた語った。
「お父が。変わった魚の肉を私に食べさせて」
「魚の」
 どんな魚か不思議に思った。確かにあの辺りは魚がいいことで知られている。私も北陸やあの辺りでは魚と酒を楽しんだものである。
「それからです。私は一人残るようになったのは」
「残るとは」
「私の夫は。次々と死んで」
 私はそれに関してはあえて何も言わなかった。別れの辛さは本人にしかわかりはしないだろうと思ったからだ。
「いつも私だけが残ったのです」
「そうだったのですか」
「あの時も。私は見ました」
 横目で彼女を見ると遠い目をしていた。
「北の方へ向かう山伏様達が」
「それは何時の頃のお話ですか?」
「鎌倉様、いえ入道様が亡くなられた後でしょうか」
 鎌倉、といえば鎌倉幕府か。だが入道というと。若しかして平清盛のことかと思った。
「北の方に行かれていました」
「それは若しかして」
「はい」
 彼女はまたしても頷いた。
「ここで。亡くなられた方でした」
「そうでしたか」 
 私はそれを聞いて目を伏せさせた。
「やはり」
「兄上様とのことで。悩んでおられました」
「らしいですね」
 歴史のままだ。やはり彼はあの道を通っていたのだ。
「あの方に御会いしてから。私はその時の主人に先立たれ。尼になることを決めたのです」
「それは何故」
「私だけが生きているからです」
 彼女も目を伏せていた。
「ただ私だけが生きていても。何もないですから」
「左様ですか」
「そして私は。都に入りました」
「応仁までそこにおられたのですね」
「寺にいましたが。それも」
「戦で逃げられたと」
「そうです。そして小田原にもいましたし江戸にもおりました」
「江戸にいたのは長かったのですね」
「江戸はいい街でした」
 言葉がしみじみとしたものになっていた。
「賑やかで。それでいて綺麗で」
「はい」
「けれど。やはりそこにも無常はありました」
「そうですか」
 これは何処にでもあるのであろうか。私は話を聞きながら思った。
「花魁さん達が」
「彼女達ですか」
 それを聞いてわかった。華の街吉原も一歩歩けば闇が広がっていた。瘡と酒、そして鉛の毒で花魁達の命は短いものだった。昔は白粉に鉛を使っていたのだ。死ぬ者は多かった。
「美しくあっても。すぐに旅立たれて」
「彼岸までですね」
「ええ。私はそういう方々も見てきました」
「あの時はよくあった話ですね」
「そうです。時代が変わっても」
 明治になって東京になっても吉原はあったしそういう街もあった。こうした話は何時の時代にもあるものだ。
 
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