IS インフィニット・ストラトス~普通と平和を目指した果てに…………~
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number-18
医務室に運ばれて眠ったままであった鈴が目を覚ました。そして、今は何もついていない右手首に目をやる。そこにいつも身に着けていた筈のブレスレット――――自身の専用機《甲龍》の待機形態――――はない。
若干痛む体を多少無理して起こし、天を仰ぐ。そんなことしたって室内なのだから天井しかないのだが、そうでもしないと目から零れ落ちそうだった。いつもならはっきりと見える天井のシミなども歪んでしまってぼやけてしか見えない。それでも鈴は泣かないと心に決めていた。ここで泣いてしまっては、自分の選択に後悔していることになってしまう。いや、それは違う。なぜなら鈴は、自らが望んでこの状況に至ったのだ。けれども、実際にいつもあるものを一時的にとはいえ失ってしまったことの悲しみは想像以上だった。こんなに悲しくなって、息が苦しくなって、肩が震えて。
――コンコンッ
そしてこんな時に限って誰かが来る。誰も、誰にも見られたくない時に限って、いつも誰かが来る。――――そういえば、小学生の時に泣いていた時にいつも一夏がいたけど、あの時は嬉しかったなあ。でも、今は違う。むしろ来ないでほしい。もし、今ノックしたのが一夏だったらどうしようと思いもしたが、よくよく考えてみれば、あいつはこういう時はノックなんてしないことを思い出して少し気が楽になった。
鈴は、自分の体が痛むことを忘れて自分の腕で両目をゴシゴシと擦って零れ落ちそうだったものを拭くと返事をした。入ってきたのは、ラウラ・ボーデヴィッヒと見袰衣蓮。二人は医務室に入ると鈴のもとへ歩み寄る。
「大丈夫か? 全力でやってしまったが……悪いことしたな」
「やっ、やめてよそんな。頼んだのはアタシだし、手加減なんてしなくていいって言ったのもあたしだもん。別にあんたが気にすることじゃないよ」
鈴の頭には包帯が巻かれていた。多少の出血があったため、その処置ということだった。
ラウラにもいくら頼まれたからとはいえ、やはりやり過ぎてしまったという罪悪感があった。軍人育ちの彼女は、手加減をあまり知らない。一撃のうちに急所を突いて相手を倒す。または殺すということを叩きこまれていたからだ。しかし、そんなことを言ったって言い訳にしかならない。鈴を傷つけてしまったことはもう帰ることのできない事実なのだから。
ラウラが謝罪して、鈴は気にすることじゃないとラウラに対して気を使う。ラウラが頭を下げるのを見ていられなくなったのか鈴は、窓の方に顔を向けてしまった。まだ気が済まないラウラは、不承不承といった感じで頭を上げた。
蓮としてはこの二人の仲が良きものであればいい。ラウラは、この学園内で浮いてしまっている存在だ。あいつ――――一夏はあんな奴だがこの学園での評価は高い。後ろに織斑千冬という存在があることも一役買っているだろうが、あいつは織斑千冬の弟という期待を裏切らない結果を見せてはいるのだ。突然の乱入者しかり、代表候補生との一戦しかり。ということは、二人は一夏と対立してしまっているためこの学園の敵みたいな目で見られることも少なくはないのだ。気の休める時間がほとんどない中、鈴がラウラと友達になってくれれば少しは気も休まるだろうという考えからだった。
蓮が考え事をしているうちに彼女たちの関係は少し改善していた。お互いに顔を見て話しているし、笑顔も見られる。ひとまず安心と一つ息をついた時だった。
「――――鈴っ!! 大丈夫かっ!?」
扉をノックもせずに勢いよく開けたのは一夏。その後ろにシャルルとセシリアがいる。一夏が若干息を切らしていたが、後ろにいた二人は全く切らしておらず、基礎体力の高さがうかがえた。だが、一夏とラウラは文字通り殺し合いをしている。一歩間違えばどちらかが死亡または重傷、重体になりかねない戦闘だった。
蓮は表に出さないように毒づいた。今ここで鉢合わせしてしまうのは考えていた中で一番最悪の状況だった。ここでまた戦い始めてしまうかもしれない。それは鈴のために回避しなければならない。だが、事態はさらに悪化していく。
「ふん――――誰かと思えば負け犬じゃないか。今のお前にここに来る意味なんてないだろうに……何しに来た?」
「……鈴のお見舞いに来たんだ。お見舞いするぐらいなら何も文句を言われる筋合いなんてないと思うけど……何か?」
一触即発。まさしくこの言葉があてはまる。後ろにいるシャルルとセシリアはいつでも動けるように警戒している。一夏が飛び掛かっても押さえつけられるようにと。ラウラが先に動いても盾になれるようにと。
だが蓮はその限りではなかった。今すぐにここから切り抜けられる方法しか探していない。顔を動かさないように医務室内のあらゆる所へ目を向ける。しかし、この医務室内から出られそうなところなど、今一夏たちが立って塞いでいる出入口を除けば後ろにある窓から飛び降りるしかない。ここは二階だからできない話ではないが、出来ればあまりやりたくない。
となるとやはり和解……は無理だろうから、一旦の停戦。お互いに関わることを出来るだけ減らすしかない。それか何かで決着をつけるか。幸いにもあと二日で学年別タッグトーナメントが執り行われる。そこで当たったときに決着をつけさせるべきなのではないのだろうか。ただその試合でも、亡国機業に所属する人間同士で組む時の特別ルールは発動してしまうため、ラウラにとっては不利になってしまうが。
ラウラと一夏はにらみ合ったまま動かない。相手に少しでも隙があれば今にも飛び掛かりそうだ。セシリアもシャルルも変わらない。――――ふと、鈴の方を横目で確認する蓮。そして悲しい表情をしている鈴を見て息を呑む。今ここで争うわけにはいかない。多少無理矢理でもここはこちらから引くしかない。
「……ラウラ、寮に戻れ」
「……っ、ですが」
「戻れと言っているんだ」
「……了解、しました」
蓮の言葉に納得がいかず、一度は食い下がったラウラだったが、彼の気迫に押されて渋々引き下がった。また上からの命令でもあるため従わないわけにはいかなかった。悔しがるように一夏を一睨みした後、三人の横を通り抜けて扉を開けると荒々しく締めて医務室から出て行った。その時に一夏は勝ち誇るような表情を見せたが、無視した。どうせその表情も負けて打ちひしがれるのだから。
蓮もすぐにここから出て行こうと扉へ向かう。この時の三人の表情はそれぞれ違っていたが、この際はどうでもいい。ラウラと同じようにこれといって気に留めもせず、扉に向かい取っ手に手をかけたところで蓮が声を上げた。
「……お前らはいつまでその男に構っているつもりだ?」
「……へ?」
それはセシリアとシャルルに向けられたものだった。間抜けな声を上げたのはセシリア。シャルルは相変わらず警戒を解かない。警戒心が強いのはいいが、シャルル程度の秘密などもうすでに亡国機業で裏付けも済ませてある。本名はシャルロット・デュノアで社長である父と愛人の間に設けられた子供。別にこんな情報なんていらないから世界中にばらまいてやってもいいのだが、特に価値のないものだからやめておこう。こんな物でも揺さ振りをかけることはできる。しかし、今回蓮が標的としたのはセシリアである。
「いつまでその男に構うつもりだセシリア・オルコット。そんな時間があるのなら少しは、自分のために時間を作ったらどうだ? どうせ偏光射撃も出来ないんだろう? ……劣等生がっ。そんなんだからそこのゴミクズに負けがかさむんだよ」
「な、なんですって!! あなたにそんなことをいわ――――」
「そんな激情に駆られるならすべて努力に回せ。高々代表候補で満足してんじゃねえよ。代表候補風情が何を言ったってそれには力が伴っていない。結局は力がなければ社会を生きていけないし、オルコット家すら守れない。そこのゴミクズが好きだとか言ってるなら――――」
ぼろ糞に言われ激昂するセシリアであったが、それすらも挫かれて再びぼろ糞に言われる。しかも言っていることが正論なため、何も言い返すことが出来ず、ぐうの音を上げることすらできない。だが、そんな蓮の言葉が止まった。なぜなら一緒にさり気無く馬鹿にされていた一夏が蓮に向かって殴りかかったのだ。
「俺やセシリアを馬鹿にしてるんじゃねえよおっ!!」
そうして突き出された右拳はあっけなく掌で抑えられる。すぐに蓮は足払いをかけ一夏を転ばせると肘を一夏の鳩尾に合わせて一緒に地面に叩きつけた。
「ガハッ!」
「一夏っ!」
シャルルの心配そうな声が響く。一夏はピクリとも動かなかった。息はしているようだから、気絶しただけのようだ。
蓮は、服についた埃を手で払うとセシリアに言い放つ。
「自分が強くなってどんな人でもものでも守れるようになったらどうなんだ」
「――――ッ!!」
セシリアは膝からその場に崩れ落ちる。蓮から言われたことが相当ショックだったようだ。そして蓮は、鈴に騒いでしまったことを一言謝ると医務室から静かに出て行った。気絶している一夏と、放心状態のセシリアは放置したまま。怪我人である鈴に迷惑をかけてしまうことになってしまうが、その辺は寛大に見てほしかった。
少し廊下を歩いて階段に差し掛かると急に声を掛けられた。
「すこーし、やり過ぎじゃないかしら? おねーさんは、そう思うなぁ」
更識楯無だった。IS学園の生徒会長として言っているようだったが、その真意はいまいち読めなかった。今更生徒会長ぶる理由が分からなかったのだ。楯無も暗部の人間でこういう取引も行ってきたはずだから読みにくくてもそれが当たり前と自分を多少無理矢理であるが納得させた。
「なんだそのお姉さんキャラは、そんなことは年下の奴にやってやれ。年上なら束で間に合ってる」
「ぶーぶー。つれないなあ。……それはそうとやり過ぎだよ」
「別にいいじゃないか。あいつらにとっていい薬になっただろうし、何よりこれ以上関わってると頭がおかしくなりそうだ。……ただでさえ平和ボケした日本に住んでいるっていうのに」
楯無には最後の方は聞こえなかった。たとえ聞こえていたとしても特に気にせず何も言わないだろう。
会話はそれ以上なかった。この状態で校舎を後にし、寮にある部屋へと向かう。
「……ふふふっ」
楯無は少し何かを企んだように笑うと、自分の指を蓮の指に絡ませてそのまま腕に抱きついた。
蓮としては歩きづらいとしか言いようがないのだが、こういう時の楯無には好きにさせておく方が今までの経験上でいいと分かっているのだ。だから無理やり離れようともせずに好きにさせておく。
「んふふー」
何より、この幸せそうで満足している表情を見せている楯無を無理やり突き放すなんてことは出来なかった。
◯
ラウラと蓮が出て行った後の医務室。セシリアが膝をついて床に座り込んで、一夏が倒れてシャルルに介抱されている。その場に鈴がいるのもお構いなしにそれぞれのことをしている。
鈴は、シャルルを見て苛立ちを覚えた。いつもならそれは嫉妬だと、そう思い込んでいた。でも、それはもう違った。純粋な怒りからくる苛立ちだった。そう考えた時にはもう口に出ていた。理性が抑え込むより、本能が爆発する方が早かった。
「――――出て行って」
「……え?」
「出て行ってって言ってるのが聞こえないの!? もう顔を見たくない。だからそこにいる奴ら連れて出て行ってよぉっ!!」
「り、鈴。そんなに言う必要は――――」
シャルルは必死に鈴をなだめようと話しかける。だが、鈴は全く取り合わない。今ここに自分のISが在ったら、今にも襲い掛かってきそうな剣幕であった。もう癇癪を起こしているとシャルルは思ったが、どうやらそうでもないらしい。どうすれば分からないが、取り敢えず落ち着かせようと言葉をかけるが、鈴に遮られた。どうやらかえって逆効果だったらしい。
「うるさい! 私の気も知らないで、勝手に暴れたやつのことなんか嫌いよっ!! 早く出て行け……。早くそんなやつら連れて出て行けぇ!!」
「鈴……。――――分かった。また、来るよ」
「……もう来なくていいわ。来ても話すことなんて、ないから」
鈴に言われ、ショックを隠し切れないシャルルだったが、ここは大人しく出て行くことにした。一夏に肩を貸して、自分だけじゃ重いからセシリアに我に返ってもらって手伝ってもらい、医務室から出る。
「……ねえ、そこで眠ってるやつに伝言をお願い」
「…………なにかな?」
シャルルは医務室の扉の前で歩みを止めた。隣ではセシリアが何か思いつめた顔をして考え込んでいるから話は聞こえていないだろう。だから自分が聞くことにしたシャルル。何を言われてしまうのか怖かったけど、聞いておきたかった。鈴の想いを。鈴の本心を。
「――――『さようなら、一夏。また、会いましょう、織斑』」
その言葉の意味をシャルルは一瞬で理解した。理解してしまった。もう後戻りできないところまで来ていた。
鈴の心の壁は、固く、閉ざされていた。
後書き
この話にタイトルをつけるなら決別。farewell.
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