ジェネレーション=ミュージック
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第三章
第三章
「ここだけは相変わらずよね」
「曲はどんな感じなんだ?」
「それは聴いてみてのお楽しみよ」
このことはあえて隠す岡さんだった。
「それはね」
「お楽しみねえ。じゃあ早速聴いてみるか」
こうして彼は自分の部屋に入ってそのCDを次々に聴いた。曲はどれも彼の耳にはかなり馴れないものだった。最初は戸惑うことしきりだった。
「何だこりゃ」
チェッカーズの初期の曲を聴いてまずは面食らったのである。
「ええと、ロック!?いや」
そうではないことがすぐにわかった。
「アイドルみたいな曲!?それに大体」
もう一つあるジャンルを思い出した。
「アメリカン=ポップかね、こりゃ」
思い出したのはそれであった。
「また随分変わった感じだな。詞だって」
当然ながら詞の方も見ている。
「マジでアメリカイメージしてるな。成程な」
初期のチェッカーズの曲を一通り聴いてみての感想だ。だがそれは中期に成ると変わった。それは徐々に変わってきた感じであった。
「最初からそんな感じはあったか?」
聴きながらこうも思ったりした。
「まあそれでも」
まだ聴きながら考える。
「変わったのは徐々にだな」
それはわかる。
「けれどな。それでもな」
その初期と中期では全く違っているのがわかるのだった。初期は何だかんだでアイドル的なものがあったしベースはアメリカン=ポップだった。しかしそれは中期ではロックになりバラードになる。その作詞もかなり変わっているのだった。
「同じ藤井フミヤでも」
チェッカーズの作詞はその多くが藤井フミヤの手によるものだ。初期はアイドルの曲の作詞者であったがそれでも彼も作詞をしていたのだ。
「違ってきてる?そうでもないか」
藤井フミヤのその『らしさ』ははっきり感じた。
「同じでも進歩していっているんだな」
そういうことだった。そしてその進歩が中期ではかなり感じられたのだ。歌唱力や演奏も上達しているがそれと共に作詞、作曲が違っていたのだ。
その違いが中期のチェッカーズに出ていた。彼はチェッカーズの中期がかなり気に入ったのだった。後期は解散直前になると悲しささえ感じた程だ。
「これだけのバンドが解散したのか」
こうも思うのだった。
「残念なことだな」
最後にはこうさえ思った。そして次はBOOWYだった。
BOOWYが後期が彼のお気に入りとなった。やはり氷室と布袋の作詞、作曲に言葉では容易に言い表せない見事なものを感じ取ったのだ。
「ロックか」
彼は呟いた。
「ジャパニーズロックだな」
その源流の一つ、しかも大きなものをそこに見たのである。
「それだな」
解散直前の辺りは最高に思えたのだった。それに。
解散の時のコンサートの曲も聴いた。この時はファンの声も入っていた。
「わかるな」
その声を聴いているうちに感情移入さえしていた。
「これだけのバンドもかよ」
チェッカーズと同じくBOOWYに対してもその解散を悲しむのだった。悲しみはさらに深くなる。だがそれを何とか抑えて今度はサザンだった。
今度は気持ちはかなり楽だった。活動休止だがそれでも解散はしていないからだ。
「おいおい」
サザン初期の曲に突っ込みを入れた。
「これ日本語かよ」
思わず笑ってしまった。
だがそれでも。やはりその曲はよかった。
コメディーだけでなくシリアスもいけた。どちらも持っているその幅の広さを感じ取ったのである。そしてこのバンドも曲ごとに進歩していった。九十年代のそれは最高と言ってもよかった。
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