打球は快音響かせて
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高校2年
第四十三話 裏目
第四十三話
焦る気持ち。勝ちたい、でもこのままじゃ勝てない、何とかしないと……
そんな精神状態と、スローボールの組み合わせは、それはそれは最悪である。
コキッ!
「ショート!」
ツーアウトから、宮園がムキになったフルスイングから糞のようなショートゴロを引っ掛ける。南学ショートの諸見里が軽快に捌き、7回表、三龍の攻撃も三者凡退。
「ええなぁーええなぁー!」
「翁長お前どげんしたんや急に!」
「覚醒やないか覚醒!」
南学サイドの雰囲気は非常に良い。
甲子園決定戦をリードしているという気負いもなく、守備を終えてベンチに戻るナインには笑顔も見える。
「まだまだチャンスあるけんな!ここ締めていくぞ!」
「「「オウ!!」」」
一方、守備に向かう三龍ナインは必死。
このまま終われない、終わってはいけない、そんな思いに、表情は自然と険しく、厳しくなる。
<三龍高校、シートの変更をお知らせします。ピッチャーの美濃部君に代わりまして、剣持君が入り、ライト。ライトの越戸君がピッチャー。3番ピッチャー越戸君、8番ライト剣持君、以上に代わります>
浅海は、球数が増えてきていた美濃部を遂に降板させた。リリーフにはライトのポジションから移った越戸が上がる。
(……わざわざ木凪からやって来たのに、木凪代表のチームには負けられんけん)
マウンドに上がった越戸は燃えていた。
木凪本島のボーイズで活躍し、地元の高校からの誘いもあったが、あえて都市圏・水面の三龍を選び、アニメグッズの供給源を確保……ではなく、自分を試しに島を出たのである(半分くらい嘘)。
木凪、それも離島の南学などには負けられない。
バシィ!
「ストライクアウト!」
「いぇぇえええええぁああ」
南学の下位打線に対して、サイドスローからの癖球で真っ向勝負。いつもより走りが良いストレートで攻撃的にインコースを突き、腰を引かせた。上げる奇声も普段より更にパワーアップし、柄にもなく派手にガッツポーズを決めてマウンドを降りる。
「越戸が三人でキッチリと切った。点差は一点。相手だって、早く逃げ切りたくて苦しいはずだ。ムキになって振り回すんじゃない。……もうそれしか言う事はない、いけ!」
「「「はい!」」」
攻撃前の円陣で浅海が訓示を述べ、三龍ナインが力強く頷く。回は8回の表、試合終了まであとアウトは六つ。
(しかし、結局翁長相手にヒットは一本だけ……配球に打ち取られてるならまだ対策を授けられるが、スピードの遅さそのものにやられている現状じゃ……どうしようもない。引きつけて打てと、当たり前の事を言い続けるしか……)
ナインを鼓舞する、浅海の胸の内も相当に苦しい。有効な策を与えたいが、走者も殆ど出ず、ただ凡打の山を築く現状では、劇的な打開策は全く思いつかない。生徒が打つのを、信じて見守るしかない。
(……無力だ……)
浅海はギリ、と奥歯を噛み締めた。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
<8回の表、三龍高校の攻撃は、7番センター鷹合君>
この回は鷹合から。今日の鷹合は、南学バッテリーの前に全くタイミングが合っていない。特に翁長相手には変化球を三つ続けられてあっさり三振を喫していた。バックホーム刺殺はあったが、打撃に関しては生彩を欠いている。
(……?)
南学の捕手・柴引は、左打席に入った鷹合がブツブツ呟いている事に気づいた。
「楽にスコーンと、楽にスコーンと、力むのはアカン、力むのはアカン」
柴引はニタァーと笑った。
(反省を生かそうとしよんのやろな〜。でも、呟いて打てるんなら、苦労はないわな〜)
柴引はこれまで通り、アウトコースのスローカーブを要求。マウンド上の翁長もサインに頷き、飄々と90キロ前後のカーブを投げ込んだ。
「楽に楽に楽に…」
鷹合は、ゆったりとタイミングをとる為か、やはらとテークバックに余計な動作を増やしていた。まるで中村紀洋のようである。
「スコーン!」
そして、“最短距離でバットを出す”“強くボールを叩く”そんな意識を捨て去り、やたらと弧の大きなスイングでアウトコースを振り抜いた。遠心力をフルに使って、右手一本でバットを振り回す。
そのバットの軌道が、やたらノロノロと曲がり落ちるボールを真芯で捉えた。
キーン!
バットの金属音は短く、そして少し鈍い。
しかし打球は高々とレフト方向に舞い上がった。そしてそのまま、グングンと伸びて落ちてこない。深く守っていたレフトの当山がフェンス際までいち早く下がる。その頭上遥か上を白球は飛翔していった。
ポトッ
フェンスの向こう、芝生席に、白球は弾んだ。
一瞬の静寂。そして、三龍アルプススタンドから大きな大きな歓声が響いた。
鷹合の、同点ソロホームラン。
「おらぁぁああああーーっ!見たかオノレらぁーーー!」
両手をアルプススタンドに向かって突き上げ、鷹合は歓喜のダイヤモンド一周。ベンチも驚きやら喜びやらで、大騒ぎになる。
「…………」
浅海は、あっさりと同点に追いついた事に、かえって呆然としてしまった。たった一振り。たった一振りで、あれほど苦しんでいた翁長から一点を奪った。今まであれこれと悩んでいたのは、一体何だったのだろう?
「奈緒ちゃァン!」
ホームインしてベンチに戻ってきた鷹合は、浅海の前にデン、と仁王立ちした。破顔一笑。屈託のない笑みを見せつける。その笑みを見て、やっと浅海も笑顔になった。
「奈緒ちゃァン!ちょいと同点にしてきたりましたよ!」
「……名前で呼ぶなと、いつも言ってるだろうが!」
背伸びして鷹合の頭をはたく浅海。
少しその目が潤んでいた事には、誰も気づいていなかった。
<8番ライト剣持君>
鷹合の同点弾の余韻冷めやらぬまま、続いて打席に入るのは途中からライトの守備に入っている剣持。1年生ながらベンチに入っている実力者だ。
(……俺の前でこんな盛り上がられると、ちょっと俺の肩身が狭いなー。でも、そもそもこんなヘロヘロPにここまで苦労しとるんがおかしいんちゃ。)
途中までベンチから試合を見ていた剣持は、スタメン陣が何故こんな遅い球のピッチャーに手玉に取られているのか、一向に分からなかった。そして、こんな“打てそうで打てない”というタイプは、ベンチに居る本来控えの選手が打てたりするのである。
カーン!
剣持の打球も、右中間を破っていく。ライトの仲宗根が素早く追いつき、中継に返すが、余裕のスタンディングダブル。ホームランの後は二塁打。三龍が一気に流れを引き寄せる。
「……どうやら、魔法が切れてもうたみたいやの」
南学ベンチでは、神谷監督が腰を上げた。
「中村、レフトに入れ」
「ハイ!」
ベンチ前で慌ただしくキャッチボールしていた選手が、レフトのポジションに駆けていく。
それと同時に、翁長がマウンドを降り、ベンチに戻っていく。内野の観客席から、翁長に温かい拍手が送られた。
ーーーーーーーーーーーーーーー
<南海学園高校、シートの変更をお知らせ致します。ピッチャー翁長君に代わりまして、中村君が入り、レフト。レフトの当山君がセンター。センターの知花君がピッチャー、以上に代わります。1番ピッチャー知花君。3番センター当山君。5番レフト中村君>
翁長に代わってマウンドに上がったのは知花。翁長と同じサウスポーだが、投球練習を見る限り、翁長よりはかなり速い。ピッチャーらしい球を投げていた。
「キッチリ送れよ。」
ネクストで素振りを繰り返す安曇野に、渡辺が声をかけた。
「俺が絶対帰すけん。」
渡辺の表情には、鬼気迫るものがあった。
流れを変えるきっかけになった牽制死。その借りを返したいのだろう。
「おう、任せるわ。8割打者の渡辺さんに。」
安曇野は、渡辺の州大会打率を引き合いに出し、笑って打席に向かった。
<9番ファースト安曇野君>
無死二塁。絶好の勝ち越しのチャンスに、アルプススタンドからはチャンステーマが響いてくる。
「「「大チャンス到来 やりたい放題
お祭り騒ぎで打ちまくれ
ドヤ顔でお立ち台へ 夢の甲子園掴み取れ」」」
大音量の「グッキーチャンテ」。全校生徒による大応援に、安曇野はシビれた。
(ヒーローになれねぇのは残念やけど、まぁしゃーない。渡辺、譲ったるわ)
安曇野は9番打者らしく、三塁側にしっかりバントを転がした。知花が処理するが、三塁は見ず、一塁に送った。
一死三塁。勝ち越しのランナーが三塁に進み、打順は、州大会7打数6安打の
<1番セカンド渡辺君>
絶好調・渡辺に。しかも、気合い十分で、闘志に溢れている。
このピンチ、マウンドに南学の内野陣が集まった。
「敬遠か?」
捕手の柴引が尋ねると、知花はとぼけた顔でそっぽを向いた。
「まぁ普通は、こいつは敬遠やろな」
「普通じゃおもんないとか、言いたそうやな、お前」
「だってなぁ……」
知花が、ホームの方を見やると、知花を物凄い形相で睨みつけながらバットを振る渡辺が居た。
「敬遠とかしたら、俺、あいつに試合終わった後で刺されんか心配やわ」
「確かに」
南学ナインの間に、笑いが起きた。
「次ウチは1番からやし、一点くらい、やった所で打ち返したらええか」
「そうやなぁ。何だかんだここから上位やけ、満塁策でクリーンアップ勝負ちゅうのもなぁ」
「よし、勝負しよ勝負」
マウンドにできた円陣を、全員が拳を合わせて締めくくる。
「夢はひとつ」
「「「甲子園」」」
あえて、目の前に見えてきたゴールを口にして、南学ナインはポジションに戻って行った。
(キャッチャーが、座った?)
三龍ベンチでは、浅海が目を丸くした。
三龍打線で最も当たっている渡辺相手に、南学バッテリーは勝負の構えを見せていた。
ベンチの方を見ても、神谷監督が上機嫌にちょこんと座っているだけ。
(絶対に打っちゃるけん)
渡辺は顎をぐっと引き、ふーと息をついてマウンド上、知花に対する。
知花はセットポジションに入り、初球を投げ込んだ。渡辺は初球から積極果敢に振っていく。ボールはアウトコースにグン、と落ちた。
ブン!
「ストライク!」
空振り。少しよろける程の空振りを披露した渡辺は、ボールの軌道に目を見開いた。
(左で、外に落ちていったって事は……スクリューか!?)
腕の振りと球速とのギャップ、変化量………今まで見たことがない変化球に驚く。
(渡辺、ボールが見えてないな。牽制死が引っかかってるのか?確かに、取り返したい気持ちは分かるけど……)
ベンチでその空振りを見た浅海は、一つの考えに思い至った。
(ここは、スクイズもありか……)
マウンド上の知花は元々外野手。グラブトスなど、バント処理が上手いとは思えない。左利きなのでランナーを背中に見る形になり、スタートしてから外すような芸当も難しいだろう。
そして、渡辺はバントも上手だ。
(仕掛けるなら、大きな空振りで打ち気を見せた、ここしか無い!)
浅海はサインを送る。三塁ランナーの剣持、打者の渡辺、両方が頷いた。
(スクイズ……)
渡辺は一瞬だけ、興を削がれたように感じた。
しかしすぐに、気持ちを引き締める。
(形なんかこだわってられん。今欲しいのはタイムリーやなくて、一点や)
知花がセットポジションに入る。三塁ランナーの方は見ない。渡辺は心の中でよし、と言った。完全に、自分との勝負に集中している。
知花がモーションに入ると同時に、三塁ランナーの剣持がホームに突進する。渡辺は左足を外側に開いてバットを横に寝かせ、バントの構えを作った。
知花の左腕からボールが放たれる。ボールはストライクゾーン、真ん中低めにやってくる。
十分バントできる。そう思った。
そのボールは、さっき空振りした球と同様、低めにグン、と落ちた。
(スクリュー!!)
渡辺は膝を曲げ、身を屈めて落ちるボールに対応しようとする。しかし、ショートバウンドするほど低い球には、バットは当たらなかった。
「サード!」
ショートバウンドを体で止めた捕手の柴引が、目の前のボールを拾って、すかさず三塁へ投げる。三塁ランナーの剣持は、渡辺の空振りを見て慌ててベースに戻ったが、柴引の送球が遥かに早く三塁に到達していた。
「……アウトー!」
3塁審の手が上がり、三塁側アルプスからの悲鳴と、一塁側アルプスからの大歓声がグランドに交錯した。
渡辺は、頭の中が真っ白になった。
「よう外したなー!」
「野生の勘っちゅーやつか!?」
思いも寄らない形でピンチを脱した南学ナインには、解放感の笑顔が溢れた。声をかけられた知花は、苦笑いして仲間に言う。
「いや、マジで、たまたま低めに球がいっただけやけん。いや、ホンマラッキーやったわ〜」
「………ッ…………!!」
三龍ベンチでは、浅海が両手を握りしめ、言葉を発する事も出来ずに俯いていた。また、采配が裏目。自分のせいで、絶好のチャンスを逃した。
初球の空振りを見ただけでスクイズを命じるとは、焦っていたのは渡辺の方じゃなく、自分だったのではないのか?あの6回の牽制死を……取り戻そうとしていたのは、実は自分自身ではなかったか?
……それに、今頃、チャンスを潰してから気がつくなんて!
「ストライクアウト!」
グランドでは、渡辺が三振し、スリーアウトとなっていた。
8回の表、三龍は同点に追いついたが、しかし同時に勝ち越しのチャンスも逃した。
事実上の甲子園決定戦は、いまだ双方譲らず。
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