亡命編 銀河英雄伝説~新たなる潮流(エーリッヒ・ヴァレンシュタイン伝)
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第百十七話 憂鬱な人々
帝国暦 487年 2月 10日 ミューゼル艦隊旗艦 タンホイザー ラインハルト・フォン・ミューゼル
『状況は如何だ?』
「想定された事ではありますが掃討戦と言えば一番しっくりくるかと思います。当主が居ませんので核になる人物が居ません、バラバラです。それだけに厄介とも言えます」
『そうか』
俺が答えるとスクリーンに映っているオフレッサーが顔を顰めた。ブルドックがエサの不味さに顔を顰めている、そんな感じだ。実際声にも苦渋が滲んでいる。
「幸いなのはこちらに損害が殆ど無い事です。彼らも勝てると思っているわけではないのでしょう。感情面で納得がいかない、面子が立たない、それで抵抗しているのだと思います。我々の姿を認めれば直ぐに降伏してくれます」
『そうか』
ブルドックは喜ばない。リューネブルク、卿の与えたエサでは不満そうだぞ。気が重くなった。
帝国は今軽い混乱状態にある。貴族連合軍がフェザーンで大敗を喫したことにより帝国政府は遠征軍に加わった貴族達の爵位、領地の剥奪を宣言した。当然だが貴族達、正確には遺族、親族、家臣は反発し抵抗している。そして俺達がそれを鎮圧しているのだが思ったよりも時間がかかっている。
当主は皆フェザーンで戦死するか捕虜になった。そのため反乱を纏める人物がいない。逃げてくれれば良いのだがそれが出来ない。同盟にはヴァレンシュタインが居る、そしてフェザーンはあの遠征以来反帝国、いや反貴族感情が非常に強い。逃げ込めばその場で殺されるだろう。彼らには何処にも逃げ場がないのだ。それに当主が居ない今、勝手に逃げ出すことも出来ずにいる。当主が戻って来る可能性を否定しきれないのだろう。
厄介な事だ。本当ならある程度纏まった勢力を撃破していった方が効率的なのだがそれが出来ない。やっていることは絨毯爆撃、ローラー作戦に近い。オーディンから辺境に向けて少しずつ貴族領を平定している。平定作戦を開始してから約一カ月が経つが平定した領域は帝国の四分の一にも満たない。非効率的でなんとも気が重い状況になっている。オフレッサー同様俺も顔を顰めたい。
『自由惑星同盟で起きていた反乱だが、……鎮圧された。あっけなかったな』
鎮圧された? 早いな、早すぎる。リューネブルクと顔を見合わせたが彼も驚いている。ケスラー、クレメンツも同様だ。クーデターが起きて十日程しか経っていない。それが鎮圧された?
「同盟軍の主力はフェザーンに居たはずですが……」
俺が問い掛けるとオフレッサーが頷いた。
『殆どがフェザーンに居た。ハイネセンは二個艦隊で攻略した』
「二個艦隊? 妙ですな、ハイネセンにはアルテミスの首飾りが有る筈です……」
リューネブルクが首を傾げながら呟いた。オフレッサーがまた頷いた。
『アルテミスの首飾りは役に立たなかったようだ。ヤン・ウェンリーがハイネセンを攻略したらしい、犠牲者は殆ど無かったと聞いている』
「ヤン・ウェンリー……、エル・ファシルの英雄ですか」
ざわめきが起きた。ヤンの名前にか、それとも犠牲者が殆ど無かった事に対してか。
『どうやらエル・ファシルの奇跡はまぐれではなかったらしい。ヴァレンシュタインだけでも持て余しているのに厄介な事だ』
確かにその通りだ。オフレッサーが不機嫌なのはその所為かもしれない。ヤン・ウェンリーか、あの当時は面白い男が居るものだと思ったが面白がってばかりも居られなくなった。
『ヴァレンシュタインはクーデターが起きる事を想定していたようだ。予め二個艦隊をハイネセンの近くに戻していた。レムシャイド伯からの報せだから間違いあるまい。可愛げの無い奴だな』
オフレッサーが鼻を鳴らした。気持ちは分かるが頼むからそれは止めてくれ。うつりそうで怖い。
「隙を見せて暴発させた、そんなところですか」
『そのようだ』
「クーデター勢力はアルテミスの首飾りを頼りにしたのでしょうが……」
『意味が無かったな』
またオフレッサーが鼻を鳴らした。最近ではリューネブルクも同じような事をするようになった。次は俺かもしれない、悪夢だ。
ヴァレンシュタインから見ればクーデター勢力がアルテミスの首飾りを当てにするのは見えている。反乱を長引かせ同調者を増やす、そんなところだろう。それが潰えた、そしてあっけなく鎮圧された。クーデター勢力はハードウェアに頼り過ぎたな、難攻は有っても不落は無い。帝国もイゼルローン要塞に頼り過ぎるのは危険だ。それにしてもどうやってアルテミスの首飾りを攻略したのか、知りたいものだ。
『同盟の混乱は終結した。トリューニヒト議長は和平を唱えているが油断は出来ん。国内が混乱していれば何かと不利に働くだろう。足元を見られて和平の条件そのものが厳しくなる可能性もある。平定を急いでくれ」
「はっ」
『イゼルローン要塞に送り届けられた貴族達はマリーンドルフ伯を除いて全員自裁した』
オフレッサーの言葉に艦橋の空気が強張った。自裁とは言っているが実際には強制だろう。自ら死を選ぶのなら捕虜になることなくフェザーンで死んだはずだ。
「その中にはフレーゲル男爵、シャイド男爵も居るのでしょうか?」
『リューネブルク、例外は無い』
オフレッサーの答えに皆が顔を見合わせた。
『これで抵抗している連中も諦めるだろう。平定も楽になる筈だ、頼むぞ』
「はっ」
「ブラウンシュバイク公も非情の決断ですな。あの二人を切るとは」
ケスラーが嘆息したのは通信が切れた後だった。俺も多少の驚きは有る、シャイド男爵は知らないがフレーゲル男爵に対するブラウンシュバイク公の扱いは良く知っている。息子の様に扱っていた。それを殺した……。
「急がねばなりません。公がそこまでの姿勢を示した以上、我々も結果を出さなければ」
クレメンツが厳しい声を出した。
「そうだな、急ごう」
俺が答えるとリューネブルク、ケスラーも頷いた。急がなければならない、ブラウンシュバイク公があの二人を切ったのは我々に対する援護であり早く混乱を収めろという叱咤でもある筈だ……。
宇宙歴 796年 3月 9日 ハイネセン 三月兎亭 ミハマ・サアヤ
ウェイターが注文を取りに来ました。私と母は魚がメインのコース、弟のシェインは肉がメインのコースを頼みました。飲み物は私と母は白ワイン、弟はウーロン茶です。シェインは寮生活ですから赤い顔をして戻るわけにはいきません。一つ間違えると退学処分になります。
「姉さん、ここ結構高いんだろ」
「気にしないの。こうして三人で食事するのは久しぶりなんだから」
「そうだけどさ、士官候補生じゃ入れないところだから気になるよ」
弟は周囲をキョロキョロと見回しました。あんたね、もう少し落ち着きなさい。ヴァレンシュタイン提督みたいになれとは言わないけど。それじゃ戦場では最初に戦死するわよ。
母はちょっと不機嫌そうです。“たまには良いでしょう”と言うと“まあたまにはね”と不承不承母は頷きました。
「卒業したらまた此処でお祝いしてあげるわ」
弟のシェインが嬉しそうに“有難う”と言いました。素直で宜しい。
今日は私がハイネセンに戻ってきて最初の日曜日です。という事で家族皆で夕食を食べようという事になりました。支払いは私です、ちょっと奮発して三月兎亭を予約したんですけど母はそれが気に入らないようです。もっと安いところで良いのにと思っているのだと思います。
「姉さん、昇進するの?」
「みたいね」
「はあ、ミハマ大佐か。姉さん、凄いな」
弟のシェインが溜息を吐きました。正直に言うと私も溜息を吐きたい。何時の間にか大佐になってしまいました。どう見てもエリート高級士官です。同期でも私以上に出世している人間は居ません。戦死者を含めてもです。もっともこれから先は厳しいだろうという事も分かってはいます。
「じゃあ今日は御祝いだね。良いのかな、姉さんの奢りで」
「良いのよ、お給料上がるんだから。それに出兵したから手当も出るし気にしないの」
出兵すると危険手当が支給されるのですがこれが結構な金額になります。戦争したがる軍人が減らないのはこれが有るからかもしれません。戦死する危険性を考えなければ戦争は結構割の良い仕事と言えるでしょう。おまけに勝てば昇進してお給料アップです。
「ヴァレンシュタイン提督は?」
シェインの質問に母がピクッと反応しました。母は提督の事を良く思っていません。あえて気付かないふりをしました
「昇進するわよ、ヴァレンシュタイン大将ね」
「二階級特進じゃないんだ。ヤン提督は? アルテミスの首飾りを攻略したけど」
「ヴァレンシュタイン提督、ヤン提督、ワイドボーン提督の三人は大将に昇進、それと勲章の授与。自由戦士一等勲章か共和国栄誉章だと思う。もしかするとハイネセン記念特別勲功大章かもしれないわね」
弟がまた溜息を吐きました。名を上げた勲章はいずれも大きな勲功を上げた人物に対して授与される物です。三人とも二十代ですから異例の事でしょう。弟が身を乗り出してきました。
「トリューニヒト議長達が地上制圧戦に加わったって本当なの? 宣伝じゃないかって言われてるけど」
「本当よ、グリーンヒル大尉から聞いたから間違いないわ」
「グリーンヒル大尉?」
「ヤン提督の副官、グリーンヒル統合作戦本部長代理のお嬢さんよ。以前宇宙艦隊総司令部で一緒だったの」
弟が上半身を仰け反らせて“へえー”と声を上げました。
ハイネセンではトリューニヒト議長達が装甲服を着て地上制圧戦に加わった事が大きな話題になっています。クーデターを起こした愛国委員会を激しく糾弾して許さないと宣言した事も有り戦う議長、有言実行の政治家と評価されました。その所為でしょう、クーデター鎮圧後トリューニヒト議長は改めて最高評議会議長に選出されています。
もっとも私は何が有ったか知っていますから評価するよりも政治家も楽じゃないなとしか思えません。実際制圧戦に加わった事で議長達がハイネセン市民を置き去りにして逃げたという批判は殆ど有りません。市民に犠牲が無かった事も有り、あれは緊急避難で已むを得ない事だと市民達は思っているようです。何処かの誰かの思惑通りです。
愛国委員会は殆ど何も出来ませんでした。こちらが二個艦隊で攻め寄せて来るとは思っていなかったのも有りますがアルテミスの首飾りが何の役にも立たなかった事が信じられなかったようです。殆どがショック状態、虚脱状態で為す術も無く制圧され拘束されました。まあ氷で首飾りを壊すなんて彼らじゃなくてもショック状態になるでしょう。
料理が出てきたので食べ始めました。美味しいです、メインの魚料理はスズキのパイ包みですがソースが絶品です。サクサクするパイ皮も最高! パンプキンのスープも大変美味です。母も“美味しい!”と声を上げました。今からデザートのケーキが楽しみ。弟のメインはカルボナード・フラマンド、牛肉を黒ビールで煮込んだ料理ですがこちらも美味しそうです。
「姉さん、本当に和平が来るのかな?」
弟が和平の事を口にしたのは食事も大分進んだ頃でした。ちょっと不安そうな表情をしています。
「多分そうなるわね。帝国は和平を望んでいるし同盟も和平を望んでいる。理由は分かるでしょう?」
“うん”と弟のシェインが頷きました。
「軍人だけじゃなく政治家や財界人までクーデターに参加してた。直ぐに鎮圧されたけどクーデターの規模は大きかった、今は戦争よりも和平を結んで国内、人心を安定させる事を優先するべきだ、だろ」
「酷い話しよね、和平が来れば出世出来なくなる、経営が厳しくなる、誰も儲からない、だから戦争するべきだって言うんだから」
弟は憂鬱そうですが母の口調には憤懣が有りました。
あっけなく鎮圧されましたがクーデターの規模は大きかったと思います。軍人はエベンス大佐の他に情報部長のブロンズ中将、ムーア中将、パストーレ中将、ルグランジュ中将、ベイ大佐、クリスチアン大佐、マロン大佐、ハーベイ大佐らの高級軍人が参加していました。驚いた事にロボス元帥も参加していました。もっとも周囲からは余り相手にされていなかったようです。
財界人は殆どが軍事産業の経営者です。取り調べに対して和平が実現すれば経営が悪化する、その事を恐れたと供述しています。フェザーンを属領化し経済的な権益を得たい、そういう考えも有ったようです。彼らに親しい政治家達がクーデターに参加しました。その殆どが何らかの形で財界人から金銭面での見返りを受けていました。軍産複合体による私的利益を追求したクーデターだとマスコミは批判しています。
「俺、どうなるのかな。六月に卒業だけど和平が結ばれたら……。士官学校でも皆が心配しているよ、将来の事を。今年から入学者数も減らすって話も出てるしね……」
シェインがウーロン茶を一口飲みました。
「帝国が存在する以上急激に減らす事は無いし無制限に減らす事も無いと思うわ。でも色々な面で影響は出るわね。一番大きいのは出世が遅くなる事かな。戦争が無くなれば手当も減るから他の職業に比べてお給料も決して良いとは言えなくなると思う。まあ斜陽産業ね」
「はあ、参ったなあ」
弟が太い息を吐きました。
「何言ってるの。戦死する事が無くなったのよ、こんな有難い事無いじゃない。お給料が安いくらいで文句言うんじゃありません」
「それはそうだけど」
母に怒られて弟がボソボソと答えました。まあ母の気持ちは分かるけどお給料が安いのはちょっと辛い。それでも弟は男だし士官だからまだ恵まれている。少なくとも結婚には苦労しない筈。一番不利なのは独身の女性下士官だと思う。
「まさかとは思うけど任官拒否とか考えてるの?」
私が問うとシェインは驚いたような表情を浮かべて首を横に振りました。
「いや、それは無いよ。不名誉だからね。でも周囲には考えている人間も居るみたいだ。先が見えないから……」
「任官拒否は止めなさいね、詐欺師扱いされるから。後々不利になるわ」
弟は“うん”と言って頷きました。
任官拒否、士官学校の候補生が卒業後、軍隊へ任官するのを自発的に拒否する事です。市民の税金で学び給料を貰う、にも拘らず任官しない。養成課程で生じた費用は全て無駄になってしまうため甘い汁を吸い義務を果たさず恩を仇で返す詐欺的行為として著しい不名誉とされています。民間で就職しようとしても任官拒否に正当な理由がなければ拒否される事が多いでしょう。特に軍、政府と関係の深い企業、公共機関はその傾向が強いと言われています。
弟が憂鬱になる気持ちも分からないではありません。私は今年二十五歳ですが大佐に昇進します。戦時とはいえ非常に若い大佐でしょう。今後平時になれば昇進はかなり遅くなります。おそらく任官後一年で中尉に昇進する万歳昇進も無くなるかもしれません。弟が二十五歳の時の階級は多分中尉か大尉のはずです。少佐になるのは三十歳を超えてからでしょう。
自分が少佐にもなれないのに目の前には二十台の大佐が居る、さらに上を見れば二十台の大将までいる。納得が行かないだろうなと思います。武勲を上げたのだから昇進は当然と思いますが弟達には武勲を上げるチャンスが無いのです。不公平感は当然出ると思います。
ヴァレンシュタイン提督は主戦派を叩き潰しました。和平を結ぶのも難しくは無いでしょう。ですが和平が根付くまでにはまだまだ問題が多いですし時間がかかりそうです……。
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