打球は快音響かせて
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高校2年
第三十四話 粘り
前書き
三田祐司 内野手 右投右打 180cm71kg
出身 水面・青葉シニア
リトル浦田と形容できる商学館の1年生。ハンドリングの抜群の柔らかさを持つ。浦田と同じく軟派。
丸子克哉 監督 左投左打
水面商学館→海奈大スポーツ科学部
商学館の青年監督。13年前に商学館を甲子園に導いたエース。監督として当時以来の甲子園出場を達成した。一見無気力に見える。元々スポーツトレーナーをしていた。
第三十四話
水面商学館の学校は水面市西区の街中にある。
周囲には高級マンションや企業オフィスが立ち並ぶ中に、洋館風の校舎と運動場、そして野球場がある。
100年近い伝統のある硬式野球部の専用球場はバックネットが錆び、ベンチは古びていた。観客席に掲げられた「全国制覇」の横断幕はところどころ汚れていた。そんな野球部の球場に、ある春の日“彼”がやってきた。
「ど〜も、丸子克哉で〜す。今日からお前らの監督になっちまったけ、どうぞよろしく〜」
丸子監督はジャージ姿で無精髭も剃らず、寝癖のついたままの頭でグランドに姿を現した。集合した部員達は呆気にとられる。
「あの、監督、今日の練習は……」
「あ?普通にすりゃあええよ、普通に」
そんな新監督・丸子の練習メニューは至って普通。いや、普通ではなかった。
“普通の練習以外の練習が無くなってしまった”のだから。
キャッチボールに時間をかけ、ボール回しはタイムを切るまで延々続ける。ノックは普通の内外野のノックと中継プレーの練習だけで、それまであったトリックプレーやサインプレーはそもそも作戦のオプションから除外された。丸子監督が「そんなものは必要ない」と言ったからだ。
打撃においても、普通のフリー打撃やティー打撃ばかり。ただ、数をこなすようになった。ここでも、攻撃のサインが劇的に減って、バント盗塁エンドランの三つだけに。細かい作戦、意表を突く作戦は一切なし。
「お前らはなぁ、帝王大にも海洋にも行けなんだ連中や。やけん、細かい事やろうたって、無理や。細かい事やろ思たら、普通のプレーがおろそかになるやろ。そげんなモン求めとらんけ。」
費用対効果。丸子監督の重視したモノはこれである。トリックプレーの練習をいくら積んでも、それを発揮する場面は少なく、それが成功する事は更に珍しい。練習したって報われない事の多いプレーなのだ。一方、必ず野球の試合で起こりうるプレーと言えば、投手は打者に向かって投げる、内野手はゴロを捌いて一塁に投げる、外野手はフライを捕る、打者は投手からヒットを放ちにいく……これらのプレーである。野球の試合において多くを占めるこれらのプレーを徹底的に鍛え、それ以外は放っておく。これが丸子監督の野球である。
「ピッチャーはバッターを抑えりゃええんよ、バッターはヒット打ちにいきゃあええんよ、ランナー出てゲッツーがもったいなきゃ送ればええんよ。普通に“野球”で勝負しようや。負けてもーたら、残念でした、力足らんでごめんなさい、それでええんやけ。また次までに練習し直したらええんやけ。みんな、“野球”をやろうで。」
丸子監督はこう選手に語りかける。
その1年半後、愚直とも言えるシンプルな野球を展開した水面商学館は、13年ぶりの夏の甲子園出場を決めた。ヒット→バント→ヒットの正攻法で点を取り、相手の送りバントは全部素直にやらせてアウトカウント一つと引き換えにランナーを進めさせ、そこからバッター勝負。盗塁やエンドランにも、バッター勝負の意識は揺らがなかった。自ら動かない代わり、相手の揺さぶりにも全く動じない、“不動”のチームが出来上がった。
「私は、何にもしておりません。選手らが、何もしなくても私を引っ張って甲子園に連れていってくれました。本当に感謝しています。」
これは夏の甲子園でのメディアの取材で、丸子監督が残したコメントである。
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3-3。水面地区秋の陣の決勝戦、三龍対水面商学館の試合は、5回を終わって同点。実力伯仲の好試合となっている。
(勝てたらええなぁ。そしたら、チームに勢いもつくけんなぁ。)
ベンチで足を組んで座っている丸子監督は、この均衡した展開にも、リラックスした様子を崩さずに無精髭をさすっていた。その視線の先には、三龍ベンチで選手を集めて熱っぽく語る浅海の姿。
(あの娘、一生懸命やな。監督の自分が勝たせてやろう思うて、必死なんやろうなぁ。)
丸子監督はフッと笑った。浅海の姿を、微笑ましく見ていた。
(高校野球の監督なんて、自分が勝つもんやない、勝たせてもらうもんよ。やるべき事は選手の迷いば取り除く事。そしたら、こいつらは本当に生身の“勝負”ができる。勝負やけ勝つ事も負ける事もあるけど、例え負けてもそれもまた勉強ばい。で、勝負するんは選手やけ、監督は口を出し過ぎんでええんや。)
丸子監督は戦わない。むしろ、選手を見守る。
戦略を否定し、野球の実力そのままでの勝負を挑ませる。勝つ事よりも、その事を大事にする。若いのにも関わらず、達観したような見方の監督、それが丸子克哉である。
(めちゃくちゃ勝ちにこだわっても、勝ちがええ事とは限らんし、野球から学んだ事さえ持ってりゃ、後の人生何とかなっていくんやけん)
無精髭をさする丸子の左腕は、微妙な角度に曲がっていた。肘には、大きな傷跡がついていた。
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<水面商学館高校、シートの変更をお知らせ致します。ファーストの浦田君がピッチャー、ピッチャーの三田君がショート、ショートの室尾君に代わって岡野君が入りファースト。1番ショート三田君、5番ピッチャー浦田君、8番ファースト岡野君、以上に変わります>
グランド整備が明けた6回表。商学館のマウンドには、エースの浦田が上がった。昨日の準決勝では球数100球足らずで7回コールドゲームを投げ抜いているが、余力は十分。志願してこの決勝のマウンドに上がってきた。
(本当は三田に完投さして2番手に目処をつけておきたかったけど、ああ強く“俺が投げる”言われたら投げささん訳にはいかんわなぁ)
商学館ベンチでは丸子監督が見守る。
三龍サイドは、ここでの真打ち登場に騒然とする。
(優勝は渡せない、って事か。三田君は結構捉えてたんだけどな。しかし州大会ではこのレベルの投手とやらなければならないかもしれない。何とか、食らいついていけたら……)
浅海は表情を引き締めた。
打席には、この回の先頭、1番の渡辺が入る。
(昨日は城ヶ島から5点取れたんやけ、自信持っていこう)
渡辺は普段より心持ちバットを短く持った。
マウンド上、浦田がやや細身の身体で振りかぶる。体を捻るようにして足を上げ、長い手足で打者に向かってステップアウトしてくる。それら一連の動きのしなやかな事。体中の関節が連動して、指先から爪先まで神経が通っているかのような、自然で流麗な動きだった。
バシィーーン!
捕手の梶井のミットが大きな音を立てる。
ボールは文字通り空間を切り裂いてきた。
速い。これまで見たどの投手よりも速い。
渡辺は打席で驚愕した。
これが、全国レベルなのか。
(僕が出てきたからには〜、もう好き勝手させんよ〜?)
余裕綽々。マウンドから打者を見下ろすのは、商学館のエース・浦田遼。渡辺には、その姿がやたらと大きく見えた。
バシィン!
「ストライクアウト!」
バシィン!
「ストライクアウト!」
1番の渡辺、2番の枡田、三龍打線の誇る活発な1、2番コンビはどちらもあっさりと三振に打ち取られる。糸を引くようなキレ抜群のストレートに、“触らせて”もらえない。
キーン!
「ファウル!」
そのストレートに初見で当ててきたのは3番の鷹合。これには浦田はムッときた。
(は?僕の全力投球に合わしたきたやんこいつ。ムカつくわ〜)
浦田の次の投球は、ストレートの軌道から鋭く横滑りした。グニャリと“折れ曲がる”ような変化。まるで意思を持っているかのようにボールは鷹合のフルスイングを回避し、梶井のミットに収まる。球審の手が上がり、スリーアウトが成立する。
(ま、こんなもんよ)
浦田は颯爽と自軍ベンチに帰っていく。
登板していきなり三者連続三振。その圧倒的な実力を、結果でまざまざと見せつけてきた。
「あいつ、ホンマに高校生とか?」
「同じ人間に思われんけん」
三龍ナインの攻撃意欲は、浦田の前に一気に削がれる。これこそがエースの投球。試合の支配者たれる者の存在感だった。
ーーーーーーーーーーーーーーー
カーン!
鋭いゴロがセンター前に抜けていく。
「よしっ!」
打ったのは商学館の2番打者・楓山。三者三振に抑え込まれた三龍打線とは対象に、先頭打者を出塁させてきた。マウンド上の越戸は悔しそうに唇を噛む。勝ち越しのランナーの出塁に、宮園は声を張り上げて守備陣に指示を出す。
(商学館の打線はそんなに強力な訳じゃないし、攻め方にも芸がない。でも1番の三田、3番の梶井、5番の浦田、この力のある3人の前にキッチリランナー出すんだよな。)
宮園はマウンド上の越戸を見た。秋にも関わらず顔には汗が滴っている。
(……後は、越戸の癖球も長いイニングで考えると慣れられてくるんだよな。)
<3番キャッチャー梶井君>
そしてランナーを1人置いて打席に入るのは3番の梶井。これで3打席全てランナーを置いての勝負となる。初回はタイムリー二塁打。4回の無死一塁では、越戸が制球を乱し歩かせていた。
その4回には結局、浦田の2点タイムリーで同点にされている。
(ここは勝負にいこう。ゲッツーのあるこの場面じゃ、思い切ったスイングはできないし、癖球を低めに集めればそうそう長打は食わないはずだ。逃げてしまうと、余計に苦しい。)
宮園は外野の守備位置をかなり下げていた。
梶井にバントの構えはない。強行である。
そしてバッテリーも梶井と勝負に行く。
カーーン!
宮園の予想は外れた。
梶井はゲッツーを全く怖がっていなかった。
低めに沈む越戸のストレートを、実に思い切りの良いスイングで叩く。打球は上がらなかった。ショートの枡田の真正面に地を這うゴロになって転がる。
「うぉわぁ!!」
バシッ!
真正面のゴロだったが、その球足の速い事速い事。咄嗟に膝を落として“壁”を作った枡田のグラブを弾き飛ばし、その背後に転々とする。
枡田が機敏にそのボールを追い、芝生で拾った時には一塁ランナーは二塁に滑り込み、打者走者も一塁を駆け抜けていた。
「すまん!次はちゃんと捕るさけ!いや、ホンマにすまん!」
ゲッツーコースのゴロを捕り損ねた枡田がしきりに越戸に謝る。越戸は実に気持ち悪い笑みを見せていたが、“気にするな”という意思表示を試みているのだろう。
(枡田は責められないな……あんな速い打球、見た事も無いはずだ。むしろ、よくシングルヒットで止めてくれたよ。)
宮園は恨めしそうに一塁ベース上の梶井を見た。
中学の時から知ってはいたが、認めるしかない。梶井は怪物だ。正しくは、怪物に“なった”。
一体どうやって今の状態になったのかは分からないが、今の所、有効な対策が見当たらない。
<4番ライト赤石君>
無死一、二塁と大きく広がったチャンス。
打席には今日4番に入っている赤石。ガッチリとした体格の左打者で、パワーは十分。
コツッ
「ファースト!」
しかし、4番でもこのチャンスは送りバント。
打順は多少組み替えても、頼りにする打者は変わらない。
<5番ピッチャー浦田君>
前の打席では2点タイムリーを放ち同点に導いた浦田が、ニコニコしながら左打席に立つ。打席でも余裕たっぷり。まさに王者の風格である。
「ボール!フォアボール!」
ここで三龍バッテリーは外のボール球を4球続け、浦田を歩かせた。立ち上がりこそしなかったが、実質の敬遠だ。浦田はつまらなさそうに口を尖らせて宮園の方を振り向いた。
「は〜?ケチぃなお前ら〜。僕の見せ場とらんといてや〜」
「生憎、お前と勝負はできねぇよ。ほら、さっさと一塁に行きな。」
馴れ馴れしく声をかけてきた浦田を、宮園はピシャリと撥ね付ける。浦田は渋々といった様子で一塁へと向かった。
(大丈夫、浦田をここで歩かせてしまえば後は下位打線だ。梶井や浦田とは明らかに力が落ちる。このピンチも、切り抜けられる。)
宮園は声を張り上げて守備位置やフォーメーションを調整する。二遊間は中間守備で二塁ゲッツー、ファーストとサードはホームゲッツーを狙い、外野手は定位置で様子を見る。宮園はこの一死満塁も十分0に抑えられると踏んでいた。
<6番センター内田君>
左打席に入る内田は180cm75kgの大型打者で、旧チームからのレギュラーであるが、この秋は大不振。今日の試合も、左打者にとってはカモであるはずの右のサイドスロー越戸に対して2三振を喫してブレーキになっていた。
(ここは打たんと……ボチボチスタメンも危ないわ……絶対打たんと……)
内田の表情も構えも、既に気負いでガチガチ。
宮園はその様子を見て、勝ったと思った。
癖球は必死になればなるほど掴み所が無い球筋だからだ。
宮園は外低めのストレートを要求する。
越戸がセットポジションに入り、身を屈めて右腕を横に振った。
(え?)
宮園は越戸が投げた瞬間に違和感を感じた。
どこか、球が遅い。そしてそのボールは大きく横滑りしていく。
(スライダー!?)
宮園がそれに気づいて対応しようとした時には遅く、ショートバウンドしたスライダーは宮園のミットをすり抜けてバックネットへ転がっていった。
「ゴーゴー!」
「楓山!突っ込め!」
宮園が逸れたボールを拾いに行く間に、三塁ランナーの楓山がホームを駆け抜けた。他のランナーもそれぞれ進塁。商学館が労せずして勝ち越し点を手に入れる。
(……サインミス……?)
宮園は、ベースカバーに入ったホームベースの上で憔悴した顔をしている越戸を見て事態を悟った。宮園のストレートの要求を、どういう訳かスライダーと勘違いしたらしい。
(……何てボーンヘッドだよ!)
想定外のミス。そんなつまらないミスで勝ち越し点を献上し、更に二、三塁と、ゲッツーの心配も無くしてしまった。この一点は浦田相手には致命的かもしれない上に、まだ追加点を取られるかもしれない。宮園の気持ちが一気に切れかけた。
「宮園ォー!!」
その時、三龍ベンチから高い声が響いた。
名前を呼ばれた宮園がドキッとしてそちらを見ると、浅海は鬼気迫る表情で自分を見ていた。
「ここが大事だぞ!」
そう言って浅海は自分の薄い胸を右の拳でドン、と叩く。宮園は浅海が何が言いたいのか、それだけで悟った。急いで越戸の下に駆け寄り、耳打ちする。
「まだ一点だ。一点なら何とかなる。気持ち切り替えろよ。サインは1がストレート、2がスライダー、三番目に出した奴だ。OK、分かったな?もう大丈夫だろ?」
「は、はい」
宮園に声をかけられて、少し越戸の目に生気が戻る。宮園は守備陣に対しても声を張り上げた。
「二、三塁だ!ゴロ突っ込んでくるぞ!内野も外野も前に来い!ゴロはホームで殺すぞ!OK!?」
宮園は叫んだ後、頼もしくニカッと笑みを見せた。その笑顔は野手陣にも力を与える。
「おっしゃー!鬼のバックホーム見せちゃるわー!」
「外野はカットでええんやぞ!俺らがちゃんと殺しちゃるけん!」
まさかのバッテリーミスで呆気にとられていた野手陣にも声が満ち、活気が戻る。
宮園はそれを見届け、再び捕手のポジションに就いた。
(まだ一点。ここで諦めちまったら、夏までの俺と同じだ。一点取られても二点目を防ぐ、二点とられても三点目を防ぐ。それが捕手の仕事。ここで諦めちまったら、後には何も残らねぇ!)
カキッ!
内田はシュート回転するストレートをバットの先っぽで引っ掛けた。ボテボテのゴロがセカンド渡辺の前に転がる。三塁ランナーの梶井はホームを突く。渡辺は素早くバックホームする。
(殺す!)
宮園はホームベース上でその送球を受けた。梶井は宮園の足下のベース目がけて滑り込む。宮園は全身で阻止する。体同士がぶつかり合い、2人とも後ろに倒れこむ。
「…アウト!アウトー!」
際どいクロスプレーになったが、宮園のミットからボールはこぼれなかった。三龍サイドからは歓声、商学館サイドからはため息。
「……さすが、ブロックは相変わらず堅いな」
クールな顔を土で汚した梶井が立ち上がり、宮園を褒めた。宮園はニッと笑顔を見せる。
「まだ試合は終わっちゃ居ないからな!もう点はやんねぇぞ!」
この宮園のガッツプレーに勇気を貰ったか、越戸の球が再度走り始める。二死一、三塁となってからの7番・森に対しては強気のインコース勝負。
バシィ!
「ストライクアウトー!」
「キェェエエエエエエエエ!!!」
インコースに腰を引かせて見逃し三振を奪い、マウンド上で越戸が会心の雄叫び。受ける宮園もガッツポーズして、勢い良くベンチに帰っていく。
「監督!」
浅海の前に躍り出た宮園は、浅海の目を見た。
険しい顔で少し見つめ合った後、ペコリと頭を下げた。
「すんません!勝ち越されました!」
「…………」
突然の行動に、浅海は一瞬面食らった。
が、すぐに笑顔になる。
「……よく一点で凌いだ!」
そう言って浅海が拳を差し出すと、宮園も自分の拳を出してゴツン、と突き合わせる。
会心のグータッチ。宮園は夏に比べて確実に、逞しくなった。人としての粘りが出てきた。
すぐに諦める“冷めた少年”の面影は、そこにはもうなかった。
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