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万華鏡

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第六十八話 秋深しその六

「あれは凄かった」
「そんなにですか」
「多分優等賞はあいつだ、まあ優等賞の発表もするからな」
「村山君って商業科の子ですよね」
「ああ、そうだ」
「何か野球馬鹿らしいですけれど」
「産まれる為に野球をしてきたみたいなな」
 こうした人物もいる、何かに熱中出来ることはいいことだ。
「そういう奴だがな」
「どんな本読んだんですか?」
「それは発表の時にわかるからな」
 今は言わないというのだ。
「その時を待ってくれ」
「わかりました、それじゃあ」
「とにかくだ」
「とにかくですね」
「君の読書感想文もいい」
「そうですか」
「ああ、いいものを読ませてもらった」 
 先生は微笑み琴乃に彼女の読書感想文の感想を述べた。
「ワーグナーか。いいな」
「先生もワーグナー好きですか」
「音楽は好きだ」
 ここで限定的な言葉を出してきた先生だった。
「脚本もな。ただな」
「ただ?」
「ワーグナーみたいな人間が近くにいたら嫌だな」
「どんな人だったんですか?」
「浪費家で逆恨みをして女癖が悪くて図々しくて尊大で厚かましかった」
「相当酷い人だったんですね」
「弟子の奥さんを奪った人だからな」
 これが本当の話だから恐ろしい、ワーグナーの後妻コジマ=ワーグナーは元々は彼の弟子ハンス=フォン=ビューローの妻だった。尚コジマはワーグナーの親友フランツ=リストの娘でありその顔はそっくりである。
「他にも恩人の奥さんと恋仲になったりな。反ユダヤ主義でもあった」
「うわ、本当に酷いですね」
「ワーグナーの音楽は好きなんだがな」
 しかし、とだ。先生は首を傾げつつ言っていく。
「人間性はな」
「よくわかりました」
「ワーグナーみたいな芸術家にはなれなくともな」
 しかし、というのだった。
「ワーグナーみたいな人間にはならないことは出来る」
「何か凄い言い方ですね」
「実際にワーグナーみたいな人間は近くにいたら迷惑だ」
 それ以外の何者でもないというのだ。
「ベートーベンもそうだがな」
「けれどベートーベンって偉人ですよね」
 人類の歴史上のだ、琴乃は先生のベートーベンの人間性もどうかという言葉に目を瞬かせて言葉を返した。
「そうですよね」
「音楽は素晴らしいがな」
「その人間性はですか」
「気難しくて尊大で頑迷で癇癪持ちだった」
「凄く付き合いにくい人だったんですね」
「あれだけの音楽家は滅多に出ないが」
 それでもだというのだ。
「あれだけの嫌われ者も滅多に出ない」
「そこまで凄いんですね」
「ベートーベンもワーグナーも周りは敵だらけだった」
「そんなに凄かったんですね」
「君は嫌われたいか」
 ベートーベンやワーグナーの様にというのだ。
「そうなりたいか」
「普通嫌われたい人いないですよ」
 琴乃は眉を顰めさせて先生に答えた。
「私もそうです」
「そうだな、普通はな」
「だからベートーベンやワーグナーみたいな人間にはなるな、っていうんですね」
「普通の嫌われ方じゃなかったからな」
 ベートーベンにしろワーグナーにしてもだ。
「まあベートーベンは可哀想なところもあったがな」
「耳が聴こえなかったんですよね」
「最後の方はな」
 解剖手術の結果耳の穴が肥大化し硬直し塞がっていたらしい、その原因は梅毒だったのではないかと言われている。
「そうしたこともあったからな」
「可哀想な人なんですね」
「ワーグナーは違ったがな」
 ベートーベンより遥かに強かで図太かった、だからこそバイエルン王の援助を得られそれに遠慮なく入り込んだのだ。 
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