噛ませ犬
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第三章
第三章
「たまには勝てよ!」
「何が虎だよ!」
「阪神だって最近もっと勝つぞ!」
彼のリングネームからだ。こんな歓声もあがった。やはり虎といえば阪神である。しかし阪神は確かに最近勝っている。暗黒時代と比べるとかなり。
だからだ。新条はだというのだ。
「ちったあ勝てよ!」
「一回も勝ってねえんじゃねえのか!」
「今日も負けやがって!」
「格好悪いんだよ!」
彼への歓声が終わるとだ。それを待っていたかの様にだ。
花道にあの男が出て来た。彼こそは。
「元気ですかーーーーーーーーーーっ!!」
「おおーーーーーーーーーーっ!!」
猪場だ。彼がその見事な顎をひっさげて出て来た。そうしてだ。
リング上で憎々しげに挑発するチナを指差してだ。こう叫ぶのだった。
「御前を倒す!覚悟しろ!」
「おお、やれ猪場!」
「御前の出番だ!」
「今日も卍固め頼むぜ!」
「バックブリーカードロップも見せてくれ!」
こうしてだった。猪場は何時の間にか新条が退場したリングに颯爽とあがりだ。チナと正面からぶつかった。そして華麗かつダーティーな闘いを行いだ。
延髄斬りを決め卍固めをフィニッシュとした。その瞬間観客達のボルテージは最高潮になった。
これが今日の試合だった。他には兆州の試合もあった。しかしだ。
新条は前座だった。まさに噛ませだった。彼は今日もそれだったのだ。
だがそれでもだった。新条は試合が終わると満足した顔だった。そのうえでだ。
ちゃんこ屋に行きそのちゃんこを美味そうに食べていた。その彼にだ。同席している兆州は難しい顔でだ。彼にこう言ってきたのだった。
「あの、今日ですけれど」
「いい試合だっただよ」
「いいんですよね、あれで」
その顔でだ。兆州は新条の割れた額を見ながら言う。
「また負けましたけれど」
「そうだな。俺まただったな」
「それで猪場社長の前座で」
「まさに噛ませでな」
「それでいいんですか?」
ちゃんこ鍋から鶏肉を取り食べながらの言葉だった。
「新条さんは。お客さんの声だって」
「罵声みたいだよな」
「確かにお客さんの顔は笑ってますけれど」
「ならいいだろ」
「いいっていうんですか」
「いいさ。それが俺のポジションだからな」
当然新条も食べている。己の丼に葱や白菜をどんどんと入れていく。他には豆腐や糸こんにゃくもある。そうしたものを大量に食べながらだ。
兆州にだ。こう言ったのである。
「いいんだよ、別に」
「そうなんですか?」
「ああ。じゃあ言うけれどな」
「はい」
「前座がいないとどうなんだ?」
新条は少し真面目な顔になって兆州に問うた。
「メインイベンターと悪役だけだとどうだよ」
「それでもプロレスは成り立ちそうですけれど」
「寂しいだろ、何か」
「ええ、確かに」
「俺みたいな前座がいてまず悪役やライバルに派手に負けるんだよ」
そうしてだというのだ。
「そこから社長や御前みたいなヒーローが出て来てな」
「その悪役やライバルと対決するんですね」
「それがいいんだよ」
新条は笑顔で兆州に話した。
「だから俺みたいな前座も必要でな」
「そうしてですね」
「負ける必要があるんだよ」
「負けることが仕事ですか」
「ああ、そうだよ」
まさにその通りだというのだ。
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