噛ませ犬
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第一章
第一章
噛ませ犬
タイガー新条はレスラーだ。しかしだ。
彼はメインイベンターではなかった。彼のプロレスファンの間での評価はというと。
「噛ませだよな」
「ああ、まずあいつが強敵に向かって行ってな」
「それで派手に負ける」
「そこからメインイベンターが出てそのヒールを倒す」
「そのお膳立てだな」
完全にだ。前座、即ち噛ませ犬として見られていた。
体格は立派でありそれなりに強い。しかしなのだ。
「もう顔立ちがなあ」
「ぱっとしないしな」
「如何にも昔いじめられてましたって感じだからな」
「まず出て来てそれで派手に負ける」
「それが似合うんだよ」
こう思われていたのだ。ファン達の間ではだ。そして実際にだ。
彼が所属する真日本プロレスの社長であるジャントニオ猪場、言わずと知れたプロレス界のスーパースター、メインイベンターにだ。トレーニング中、リングのすぐ傍でスクワットをしている最中にこう言われるのだった。
「御前は今日もな」
「前座ですか」
「ああ、今日の相手はパンサー=スパーク=チナだ」
外人レスラーだ。サーベルを使う悪役レスラーだ。
「あいつが相手だからな」
「ヘイ、新条」
ここで紅いジャージにターバンを巻いた髭の男が出て来た。顔は黒い。
その彼がだ。明るい顔で新条に言ってきた。
「今日ハ宜シクネ」
「ああ、俺がやられて」
「私ガ新条ノ額ヲ割ッテ」
そのインド人を連想させる外見のだ。チナが言う。
「新条ヲノックアウトスルヨ」
「ああ、それで俺の後に」
「私が出るのだよ」
猪場がだ。腕を組んで誇らしげに言う。
「御前が負けたその場に来てな」
「そうしてですね」
「私が御前の敵を討つ」
猪場はにやりと笑って言い切った。
「縁髄斬りと卍固めで決める」
「私、負ケルヨ」
チナは明るく笑っていた。
「新条ノ後デネ」
「ああ、いつも通りやるか」
「そうだ、いつも通りやってくれ」
猪場もだ。その新条に言う。新条は今はスクワットを中断してそのうえで二人と話している。彼は地味な黒いジャージ姿である。上下共だ。
「御前も慣れてるだろ」
「ええ、まあ」
その通りだとだ。新条も社長に答える。
「いつものことですから」
「頑張れよ。御前の負け方は絵になる」
「私モヤリヤスヨ」
チナもだ。笑顔で新条に言う。
「新条ノ負ケ方トテモイイ。私ニシテモ楽シイ」
こう言ってだった。彼等は今日の試合の打ち合わせをするのだった。
そしてその後でだ。新条はトレーニングを再開した。その彼にだ。
後輩、メインイベンター候補の兆修理木、長髪にカリスマさえ感じさせる精悍な顔立ちの彼がだ。怪訝な顔になってこう新条に尋ねてきたのだった。彼は青のジャージだ。
「あの、新条さん」
「ああ、何だ?」
「今日もですか」
「そうだよ、前座だよ」
笑ってだ。彼は両手にそれぞれ十キロのダンベルを持って上下させながら言った。
「今日もな」
「それでやっぱり」
「噛ませだよ」
やはり笑ってだ。こう言う新条だった。
「チナに負けてくるよ」
「そうですよね。けれど」
顔を曇らせてだ。兆州は新条に対して言うのだった。彼は彼で縄跳びをしながらだ。新条に対して言う。レスラーはとにかくトレーニングだ。
「いや、俺はその」
「メインイベンターだからだってのか?」
「はい、社長には維新軍、造反勢力のメインイベンターってことで」
そうしたポジションでだというのだ。
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