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Myu 日常編

作者:時計塔
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給食の恨みと疲れる話

「俺を本気にさせたな……あの女ども」
「冥星、もうやめようぜ? なっ? チロルチョコ、おごってやるからよ」
「はいはい、落ちついて、飴、舐める?」

 屈辱以外の何物でもない。結局、あれから決定的な打撃を小娘共に与えることができず、冥星たちは放課後を迎えてしまった。しかも、冥星は自分の器に盛ったカレーの量が驚愕過ぎて、クラスメイトから非難される羽目になったのだ。それもこれも、全てあの小娘たちのせいだ、と言い知れぬ怒りを募らせていく。食い物の恨みは恐ろしい。ホームルームで教壇の上に立たされた挙句、先生どもに説教されてしまった。失笑と侮蔑の嵐には、冥星も涙目だ。
 必死でなだめる友の言うことはもはや耳に入っておらず(とりあえず貰える物はもらう)行く先は、あの雛人形とゴリラのところだ。名前すら覚えていない冥星は失礼な生き物以外の何物でもないが、そんなことは彼にとってはどうでもいい話なのである。

「というか冥星は何に対して怒っているんだい? 凛音にやられたことについて?」
「は? なんのことだ? 俺はカレーに対して怒っているんだ! 黙っていろ!」

 達也は冥星の反応にしばし呆然とした。この少年はいったいなぜ、怒っているのかという質問に対してカレーに対して怒っているのだそうだ。では、なぜ彼は彼女たちの給食に細工を施そうとしたのか? それについて問いただしたい達也であったが、隼人に止められた。

「冥星は、食事と睡眠を邪魔した人間には容赦しないけど、それ以外のことに対してはだいたい三〇分くらいで飽きるか忘れちまうんだ」
「結局、自分で怒りを煽っているだけなんだね……」

 地団駄を踏み、壁に頭をぶつけている冥星を必死で止める隼人たち。気味悪げに通り過ぎていく生徒たちの中に、なんと冥星が願ってやまない少女たち(復讐的な意味で)と……顔も合わせたくない少女……妹、海星と出くわしてしまった。
 海星は兄たち三人をじっと見つめていたかと思えば、一番右の達也に目が移った瞬間に顔をトマトのように赤く染め上げ通り過ぎていく。

「……海星……ちゃん!」
「……な、なに……」
「あの、昨日はごめん、俺、その、何も知らなくて」
「こ、こないで……」

「あ……」

 海星は達也を拒絶した。咄嗟に出てしまった言葉に海星は後悔を滲ませた苦い表情を作る。白髪の美少女は目の前に現れた自分とは異なる存在に戸惑いを隠せない。

「ち、違うの……」
「いや、いいんだ。僕はただ、海星ちゃんを困らせたことを、謝りたかっただけだから」
「こ、困ってなんか……」

 達也は少なくとも、海星が自分を嫌っている訳ではないことに安心した。必死に伝えようとしていることも何となくわかるので、それが余計にうれしく感じる。
 校内でも指折りの可愛さを誇る海星と、『元』彼氏にしたいランキング一位の達也。微妙な距離感を持つ二人の会話は、初々しくて、まだ自らの感情を持て余しているようだった。目の前で恥ずかしい会話を繰り広げる二人をこのままにしておくわけにはいかぬと、バカ代表の隼人はリーダーに救援を仰ぐ。この場を無差別に破壊できるのは空気を読まぬ、というか空気そのものが存在しない冥星だけなのだ。

「おい、冥星……お前の妹が大変なことになっているぞ」
「あいやまたれぇぇぇぇぇい!!」
「きいてねぇし……ってお前懲りもせずにまた……」

 ところが、冥星の目的は残念ながら二人の少女を泣かせることだ。自分が陥った屈辱と同じくらいにダメージを彼女たちに与えることが、自分の宿命といっても過言ではない。ちなみになぜ腹が立っているのかを、冥星は説明することができない。忘れているからだ。ただ腹が減って苛立っているだけ、ともいう。

「また……あなたなの」
「姫、下がりな。私が潰すから」

 ゴリラ女こと六道凛音は主人である大蔵姫に襲い掛かる白い怪物に牙を向ける。なぜ、とかどうして、とかそんなことは関係ない。目障りなら潰す、姫が不快に思うなら潰す。その姿はまるで物語の騎士のように正義に満ち満ちた姿だ。

「おまえ、城島冥星だろ? 外部生の分際でずいぶん偉そうだな」
「ぬんだと? お前こそダイエットとか意味不明なことするな! 食べ物に感謝しろ! 俺に謝れ! なんかくれ!」
「意味わかんねぇよ……なんだこいつ」
「死ね、くそ兄貴」

 凛音は気味の悪いものでも見たように後ずさり、兄の相変わらずイカれた言動に嫌悪感を隠せない海星ははっきりと言葉で示す。兄への暴言だけははっきりと口にする海星に目を丸くすると同時に微笑ましく思う達也。

「お腹、空いてるの?」
「見てわかんないのか? だったらお前の目は節穴だ!」
「なんで偉そうなんだよ! 姫、黴菌がうつるから近づくな! えんがちょー!」

 意味のわからない言動で姫に迫る冥星を押し返す凛音。それでも無駄に力強く襲い掛かる変人に凛音は一種の恐怖を感じる。
 そんな二人のやりとりに大蔵姫は、割って入る。
その手にはどういう理屈でなぜ入手したのかそしてこの場になぜ持ち合わせているのか不明な饅頭が二つ、姿を現したのだ。

「…………食べる?」
「……そんなもので、カレーの恨みが晴れると思ったら大間違いだもぐもぐ」
「……あ、二つ食べた……私のだったのに」
「世の中は実に理不尽にできているんだ。勉強になったな、ぎゃん!」
「死ね! お前マジ屑! 姫に謝れ!」
「くそ……またか……」

 凛音の回し蹴りをもろに食らい、再び冥星は地面にひれ伏す。だが後悔はない。饅頭のためなら、このくらいの痛み、甘んじて受けよう。例えまた視界が闇に落ちてしまおうと、その前に味わった幸福な食感が自分にとって最も優先すべき欲望なのだ。

「許さない……食べ物の恨みは恐ろしい。あなた、お名前は?」

まるで自分の生き写しみたいなことを言う少女だ。その瞳は純粋に冥星を見下ろしている。
不思議な少女だ。怒っているのか、悲しんでいるのか、それを表情に表すことをしない。教育されているのだろう。冥星は自分の家で味わった苦い経験を思い出した。
 凛とした振る舞いと大きな黒い瞳。純粋無垢で真っ白なキャンバス。

「田中、太郎、だ」
「太郎……その名前、忘れない」

 世の中にどれだけ太郎という名前を持つ人間がいるのか。加えて田中という平凡な苗字で納得してしまった彼女を見て、冥星は確信した。

「隼人、こいつ、バカだぞ」
「……純粋なんだよ」

 そんな言葉で片付けていいのか隼人。それでいいのか隼人。照れくさそうにはにかむ気持ち悪い隼人を見ながら、冥星は己の意識が沈んでいく感覚に溺れていく。
 恋は人を堕落し、麻痺させる。達也然り、隼人然り。……妹然り。
 人はなぜ、そんな愚かなで意味のない快楽を求めるのか。
 答えは簡単だ。それは、人間が、生きとし生きる者すべてにとって尊いモノだからだ。
 チョコレートよりも甘いのか。食事よりも大事なことなのか。睡眠を削ってまで会いたくなるような行為なのか。
 冥星はまだ理解できない。
 周りは大人になっていき、置いて行かれるような疎外感を感じることすらある。
 それでも構わないと思った。
 冥星は一つの成すべきこと成すために、今を生きるのだから。

※※※※
 

「冥星、来い。訓練だ」
「饅頭が食べたい饅頭が食べたい饅頭が食べたい饅頭が食べたい」
「布団を噛むな! いい加減起きろ! 休日だからといってダラダラ過ごすなど、秋坂家は許した覚えはない」
「なぜだ。なぜ俺はこうまで女に虐げられなければいけないんだ……」

 敗戦したまま泣き寝入り。そして翌日は秋坂明子によって快眠を妨げられた冥星。
 なんというか、自分はゴリラ的な何かに呪われているのではないだろうかと疑問を抱かざるを得ない。布団を取り上げられ、枕を奪われ、まるで己の一部をごっそりとなくしてしまったような喪失感で目覚めた朝。
 とりあえず、今日も平和だ。

「見ろ、冥星。海星の体さばきを。この二年間であいつは成長した。もう立派な兵士だ」
「自分の娘を兵士にする母親なんて嫌い!」
「だーまーれーこの怠け者が! 私はお前をニートだけはしないと決めているんだ、けっしてな」
「この物語のラスボスは、秋坂明子で決まりだな……」

 くだらない会話を適当に流しつつ、冥星は既に健全な汗を流している妹の様子を観察した。
 スラリとした肢体は、徒手空拳の反復練習を機械的に繰り返している。表情は乏しく、息使いだけが海星を人間だと証明する手がかりのようだ。
 そんな海星を、明子は誇らしく思うと同時に後悔の念を抱く明子。
 海星は強くなった。だけどそれは表の面だけの話だ。つまり殻を破れば中身は未完成なのだ。それではだめなのだと、明子はため息をつく。
 それでは、生きてはいけない。

「……心配するな」
「冥星、私を気遣ってくれるのか」

 眠気の収まり、頬杖をつく冥星の隣で泣きそうな横顔を見せる母親代わりの女に慰めの言葉を告げる。
 何も心配することはない。なぜならば、そんなものは必要ないからだ。この先も、ずっと。

「ところで冥星……お前はどこに行くつもりだ?」
「見てわからないのか? 朝飯を探しに行くんだ」
「残念ながらそんなものはない。訓練をサボるようなただ飯ぐらいのガキに与える兵糧など皆無だ」
「……ゴリラァ……どこまで俺を苦しめれば気が済むんだ!!」
「黙れ。海星! 相手をしてやれ! 容赦するな、レディをゴリラ扱いする輩など滅んでしまえ!」

 首根っこを摑まれ冥星は庭に放り出された。そういう行為がゴリラと言われざるを得ないことを千の文字で伝えたいのだが、いかんせん時間が足りないため今はよしておこうと思う。
 今日は厄日だ。というか連日厄日が続くのはどうしてだろうか。目の前には兄を兄とも思わない妹が、睨み付けるようにこちらを見ている。既に少女は態勢を整えており、どこからでもかかってこいとでも言いたげだ。

「……やだやだ……高貴な俺は、こんな野蛮な遊びには付き合わなくてよ」
「……逃げるんだ。さすが兄貴、カス、屑、人類が生んだゴミ」

 ごめんあそばせ、と吐き捨ててさっさと庭を去ろうとする冥星を、明子は止めようとはしなかった。本人にやる気がなければ訓練はお互いの身にならないことをわかっているからだ。冥星がやる気を出したことなど皆無に等しいが、それでも明子はいつかこの兄妹が仲良くなれる日を願っている。今日はちょっと、急ぎすぎただけなのだと。

「――――お姉ちゃんみたいに死ねばいいのに」

 冥星は聞こえないふりをして、明子は海星を咎めようとした。
 冥星は振り返らない。振り返ればきっと海星を憎んでしまう。それは負けだ。アウトだ。自分にそんな感情は不要であり、妹程度にそんな労力を割く必要などない。
 それでも言っていいことと悪いことがある。それくらいの倫理観を持ち合わせていないというのは明子の教育が悪いのであって、自分のやることは決して正当な行為なのであってつまり冥星は振り返ってしまったのだ。

「! 冥星! やめろ! 冥星! おい!」
「くふふ…………なに? そんなにお姉ちゃんのことが好きだったの? そうだよね? だってさぁくふふ……」
「フー……フー……ヒッヒッフー……」

 なぜ妹が生きているのか? それがこの世の謎だ。悪意を持って願いたい。冥星はあの時、なぜこんな雌犬の娘の手を握ってしまったのか。どうしてあの時屋敷の外に出てしまったのか。考えれば考えるほど、泥沼に浸かってしまうような感覚に陥る。
 くだらないことだ。興味がない。しかし、その言動を許すことはできない。それは死者に対する愚弄であり、何よりも、傷が疼くのだ。
 疼くのだ……。

「生きている……」
「……本気で、言ってるの? どうしてあんな奴のこと……」
「あいつのご飯が、食べたいからだ」
「…………バカだよ、にーちゃ……兄貴は」
「お前にはわからんのだ。家族が死んだ程度のことで殻に閉じこもってしまうような、脆弱なやつにはな」 
 冥星は冷静さを取り戻していた。振り返ってしまったことに対しては己を律することができなかったので弁解する余地はない。明子が叫ばなければ自分は何をするかわからなかった。自分は頑張らないと決めた。そうじゃないか。そう言い聞かせる。

「――飯、食ってくる」

 今日も、冥星は平和に過ごす。頑張ったって意味はない。努力したって疲れるだけだ。もう、それをする意味は見つからない。だってもう見つける力も気力もないから。
 何よりも、その意味を、忘れてしまったのだから。
 
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