ノヴァの箱舟―The Ark of Nova―
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
#3『ファーストリべリオン』:1
目を覚ました時、最初に視界に入ってきたのは、豪奢なベッドの天蓋だった。次に、柔らかいシルクの感触。たぶん生まれて初めて味わった、空腹感の無い朝。
朝がこんなに気持ちいい物だったなんて知らなかった、とメイは思いながら、ベッドを降りる。《魔王》がメイに与えた……と言うより与えさせた部屋は、ソーミティアにあった自室の二倍はあろうかと言う広さだった。豪奢なのに、それがけばけばしさを感じさせない、奇妙にバランスのとれたその部屋の大きな二つの窓から、人工太陽の光が入ってくる。
地下にあるはずのこの部屋に、なぜ人工太陽の光が入ってくるのか、と疑問に思うと、窓の向こうになんと外の景色があるのが見えた。とりあえずメイは窓に近づき、それを開けてみる。
「うわぁ……」
思わず感嘆の声を上げてしまった。涼しい風が部屋の中に入り、太陽の光がメイを照らす。緑の香りがメイの鼻孔を満たし、気分をより一層素晴らしいものにしてくれる。見渡す限り、地平線は続いている。恐らくは仮想空間再現装置によるものなのだろうが、それにしても素晴らしい景色である。
部屋の端にあるクローゼットに歩み寄り、開いてみる。すると、中には様々な服が揃えられていた。一体いくらするのかわからないほど豪華なドレスから、メイがソーミティアで着ていたような、ケープと合わさったシンプルな服、他にも《教会》のシスターがきるような服に、ククリのそれに良く似た服、他にもいったい何の真似なのかメイド服まであったりする。
多種多様な服ではあるが、どれも一様に一級の素材で作られていた。これを売り払えばすべての下級《箱舟》を救えるのではないか、とも思ってしまうが、多分それを考えてもせんないことなのだろう。
ふと、クローゼット脇の洗面台に取り付けられた、金の縁取りがされた鏡をみたメイ。一瞬、そこに写っているのが誰なのか分からなかった。すぐに、自分なのだ、と思い出す。そして再び絶句。
――――私は、こんな人間だっただろうか?
明るい金色の髪は、絹の様にきめ細かで、長く腰まで流れている。肌は艶やかで柔らかそうだ。青色の目は澄んでいて、向こう側が見通せるのではないかと思うほど透き通っている。来ている服はピンク色のパジャマだが、それも非常に高価そうなものだ。
昨晩、無駄に巨大な浴場で、生まれてからもっとも長い時間をかけて湯編みをした結果である。《王都》にもこれほどの容姿をもった人間は少ないだろう、と思ってしまう。自分のことなのに、まるで鏡に映っている人間が自分ではない様に見えてしまう。
メイが不遜にも鏡に映った自分に見とれていると、こんこんこん、というドアをたたく音がきこえた。
「姫様」
「ひょわっ!?は、はい……?」
「朝食の用意ができました」
ドアの向こうから聞こえる声はリビーラだ。
リビーラ・ロイ・セイは、《魔王》の側に着く、《教会》からの裏切り者だ。《教会》を離反する前は相当高い地位にいたらしく、ソーミティア脱出の際に遭遇した雑兵たちはリビーラに敬意を払っていたように見えた。今でも時折、カモフラージュのために《教会》のほうにも出向いているらしく、先日メイを救助できたのもそれのおかげだったらしい。
「あ、はい、今いきます」
「ふふ、敬語などいりませんよ、姫様。……では、お待ちしております」
リビーラが扉の前から数歩下がる音。メイはクローゼットの中から、自分が着ても大丈夫そうな服を選ぶ。……今の自分なら、どの服を着ても間違いなく似合うという事は頭からすっかり抜けていた。
結局メイが選んだのは、ペールピンクを基調としたケープと、パールホワイトのニット、菫色のロングスカートの組み合わせだった。新しい服は、今までメイが着たどんな服よりも、自分にフィットした気がした。
部屋を出ると、廊下にリビーラが立っていた。
「お待たせしました」
「いえいえ。食堂への道を覚えていただいた後は、不遜ながら私はお迎えには上がりせんから」
リビーラはさらりとひどいことを言う。
昨日半日を此処で過ごして分かったことだが、この廃棄された資源コロニーに造られた《魔王》の《居城》とでもいうべき秘密基地は、コロニーの地下の大半を占める巨大規模だ。メイの部屋から見えた様に、内部には大規模な仮想シミュレーターがあり、地下なのにもかかわらず自然の景色を楽しむことができる。ほかにもいったいどれだけの資源があったのかと思えるほどの大規模な施設をいくつも兼ね備えているのだ。
裏を返せば、それは慣れていないと非常に迷いやすい、という事である。《魔王》やリビーラ、ククリ、そしてシュートらはすでにここにきてから日が長いようなので、地下基地の構造を熟知しているようだった。しかしメイは昨日初めて来たばかりなのだ。すぐに構造を覚えるのは無理だった。
そこで、生活に特に必要な場所への案内をリビーラに頼んでいたのであった。リビーラは最初にメイと接触した《魔王》陣営の人物だ。メイにとってもそれなりにとっつきやすい人物であった。
ただ……
「そう言えば、リビーラさ……リビーラはどうして《教会》を裏切ったの?」
ふと疑問に思ったことを聞いてみる。すると、リビーラは「それを聞きますか」、と苦笑した後に、あの爽やかさの中に一握りの毒が入った笑みを浮かべ、言った。
「簡単です。私はね、《教会》での生活に飽き飽きしていたんですよ。もっと面白い生活は無いのか。そう思っていた矢先に、我が王と出会いました。即刻決断でしたよ。私はこの方に忠誠を尽くそう、と心から思いました。あの方についていけば、確実に私の人生は面白さでバラ色になるとね。それに……」
そしてリビーラは、満面に笑みを浮かべて、続けた。
「《教会》のお偉い方に、毒を盛ってみたかったんですよ♪」
「……」
これである。この面が、メイがリビーラのことを忌避する数少ない側面である。リビーラ・ロイ・セイと言う、《魔王》の話によれば、『最初の周』からの仲間であるこの男は、あくなき『毒殺』への探求心と興味と愛好心をもち合わせているのだ。
趣味は毒殺、特技は毒殺、将来の夢は高位司祭の毒殺。そんな彼に、『今回の周』の《魔王》が付けた称号は、《毒殺神父》。ちなみに過去の周回のリビーラも、やはり毒殺に対する愛着心があったらしい、と言う話は、昨日本人から聞いた。
毒殺するときの、あの殺された相手から伝わる恐怖と絶望、そして息絶えた時の脱力感がたまらない。そうリビーラは言った。メイには到底理解できない事である。
メイが口を閉じていると、リビーラはふいっ、と前を向いて、歩き出してしまう。とりあえずリビーラについて、長い地下基地の道を進んでいく。機械文明と《ラグ・ナレク》前の旧世界調で言うのであれば中世風の様式が見事に調和した廊下の上には、クリスタルを使って作られたライトを包む、豪奢なシャンデリアが吊るされている。これを売り払ったら、どれだけの金になるのだろう……。
「ここにある物品を全て売り払ったり、ばらまいたりすれば、一時的には貧困は無くなるでしょう」
以前の様に、メイの考えを読んだかのようにリビーラが唐突に呟く。しかし、と彼は続けた。
「それだけでは、根本的な改善にはならない。《教会》の支配を抜け出せなければ、結局のところ、また貧民に戻るだけです。加えて、私達の目的は、結局のところ《教会》の討伐ではなく、その裏にいる《神》の抹殺ですからね」
「……」
《神》を抹殺し、その《神座》を奪い取る。そして、その《神座》とのつながりをたどり、全ての次元を支配する《本当の神》に進言する。『世界の崩壊』をやめろ、と。それが、《魔王》達の目的らしい。
《魔王》の言葉が真実ならば、『一周前の世界』のメイは、これとよく似たことを成し遂げ、本来ならば当時の《教皇》だけが生き残るはずだった世界の崩壊を、多くの人間が救われる権利を手にできるように改革したらしい。
それと同じことを、今回《魔王》は行うのだ。そのためには、まず《神座》に現在座っている《神》を討滅しなければならない。そしてその神は、《教会》に匿われているという。そのため、《魔王》達の行動は実質的に『《教会》への反逆』になるのだ。
反逆罪は死刑罪だ。失敗すれば、もろともあらゆる魔術の効力を無効化する《対魔酸》によって溶かされ、殺されてしまう。実際、メイは《教会》による公開処刑が何度かあったのを知っている。もっとも、実際に見たわけではないのだが……。
だが《魔王》は、「絶対に失敗しない」と言い切った。彼によれば、かつての周回で共に戦った者たちのほぼすべてが、今世に転生してきているらしい。彼らを全員集めることが、最初の目的となるのだそうだ。
そしてそのためには、自分たちの名を知らせしめる必要がある。何らかのトリガーとなるワードや映像などがあれば、転生者たちは多少前世の記憶を取り戻すらしい。メイが《魔王》に対して「懐かしい」と思ったり、『過去』の自分が抱いていた感情を取り戻したりしたように。
だから、《魔王》とその仲間たち…その中には今やメイも含まれる…は、周期的に大規模な反《教会》活動を装った攻撃を繰り返す。できる限り民間人への被害は抑えることが絶対条件だが、多少の派手さなら許すらしい。
これを繰り返していけば、いつかは《神》が自分たちに興味を示し、表舞台に出てくるという。それを叩き潰す。火事場泥棒な気がしなくもないが、《魔王》が言うところによれば、そうでもしないと《神》を倒すことはできないらしい。
「さて、到着いたしましたよ、姫様」
メイがいろいろと考え込んでいるうちに、いつの間にか食堂についてしまっていたらしい。全く道を覚えられなかったのは失態である。
「ごめんなさい、考え事をしていて道を覚えられなかったわ」
「いえいえ。お気になさらずに。しばらくはお迎えに上がりますよ」
メイが謝罪を口にすると、リビーラはにっこり笑ってそれを許した。
食堂の扉は非常に大きかった。昨日見た《魔王》の居室の扉よりは小さいが、それでもこの地下基地にあるメイの自室の扉より二回りほど大きい。金色の装飾が施され、奇怪にねじれた不思議な形をした取っ手はやはり金でできているようだった。
リビーラが取っ手に手をかけ、扉をを引く。すると、ギィィ、という重厚な音と共に、ゆっくりと、半ば勝手に扉が開いた。
「うわぁ……」
メイは今日二度目になる感嘆の声を上げてしまった。頭上には廊下の物よりも豪華なシャンデリアが吊るされているが、今はそこには淡くしか光がともっていない。代わりに、黄金の縁取りをされたガラス(恐らくは)張りの窓の向こうから、シミュレーターによって作り出された人工太陽の輝きが部屋の中に降り注ぎ、その光が豪奢な食堂内を照らしている。まったく、これだけの物を作る資源をどこから手に入れて、いったい誰がつくったのだろうか。
大理石の様な質感と外観の床はピカピカに磨かれている。長テーブルは非常に凝ったつくりになっていて、その上には、以外にも家庭的な朝食メニューが並ぶ。ただ、見事な完成度の目玉焼きや、黄金色に輝くトーストなどは、素材の良さが感じられる雰囲気ではあったが。
「おはよう、メイ。よく眠れたかい?」
「おっはよー、お姫様!」
「おはようございます、姫様」
すでに《魔王》、ククリ、シュートの三人は席についていた。《魔王》が最も入口から遠い上座に座り、次の席は二つとも空いている。その次の席に、メイから見て左側からククリ、シュートの順番で座る。うろ覚えの知識によれば、上座が最も階級の高い人で、そこから入口から見て左・右・左・右の順番で階級が下がっていくはずなので、シュートよりもククリの方が階級が高い扱いなのだろう。席は全部で十三あるが、今埋まっているのはそのうちの三つ。これからメイとリビーラが座っても五つだ。つまり、これから増える仲間の数は八人近くにのぼるという事だ。
昨日の夕食時は此処には来なかったので、メイが食堂に来るのは初めてだ。どうやら《魔王》の左横…彼から見て右横…の、二番目に豪華な椅子がある席がメイの席の様だった。
「おはよう、メイ」
席に着くと、《魔王》が笑って、もう一度挨拶してくる。
「おはよう、えーっと……」
メイもそれに答えようとしたところ、彼をどう呼んだらいいのか分からなくて、言葉に詰まってしまう。ぼんやりと記憶が戻ってきた以前の世界では、メイは彼のことを名前で呼んでいた気がする。けれど、今のメイは彼の本当の名前を知らない。だが、他のメンバーの様に《我が王》と呼ぶのは気が引けた。なんだか、自分だけは別の呼び方をしたい、そんな願望が浮かんだのだ。
すると《魔王》は苦笑して、言った。
「キングでいいよ。意味は『王』だけど、みんなより砕けた感じだろう?あだ名のつもりで呼んでくれればいい。……それじゃぁ、食べ始めようか。食事が終わったら、最初の反逆について説明をしよう」
後書き
お待たせしました。『ノヴァの箱舟』、第一章『ファーストリべリオン』編が開始です。また遅めの更新となっていきますが、気長にお待ちいただけると嬉しいです。
なお、この章から今までよりも多少分量が少なくなっていきます。ご了承ください。
ページ上へ戻る