ノヴァの箱舟―The Ark of Nova―
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#2『教会』
《王都》。それは、現在の世界でもっとも巨大な都市だ。世界にひとつしかない”Sランク《箱舟》”であり、外側は純白の外装に覆われ、内部ではあらゆる最新技術をもって、崩壊以前の世界を、さらに発展させた形で維持している。空には人工太陽光が輝き、最新型のソーサーが街を飛ぶ。天を貫くように高層ビル群が立ち並ぶにもかかわらず、空気は澄んでいる。住民たちは何一つ不自由なく暮らしている、世界最高の楽園。
そう、この《箱舟》こそが世界の中心。世界を支配する最上位組織、《教会》の本部が存在する都市なのである。世界の崩壊から人類を救った、《救世主》たる存在、《教皇》が住まう《箱舟》。
そんな紹介文を、いったいどこで見たのだろうか。クロウ・ディアーロ・スワイは、ふとそう考えながら立ち止まった。少なくとも、それは多くが真実だ。この箱舟は世界最高だし、住民には不自由がない。食料が尽きることも無い。飢えに苦しむ末端の《箱舟》と比べれば、天上の国にも等しいだろう。中央を占める巨大な《教会》本部は、《王都》の、そして今の世界の象徴だ。
だが、その《教会》本部最上階に入ることを許された、実質最高ランクの司祭であるスワイは、一つだけ、大いなる誤りがあることを知っている。
それは――――
「スワイ~、お腹がすきました~」
「今朝飯を食い終ったばかりだろう!!」
目の前の扉の向こうから聞こえてきた気の抜けた声に、スワイは隠すことなく苛立ちをぶつける。そのまま扉の前に立つと、網膜や外見、《刻印》などの様々なチェックが行われ、許可が下りると同時にその扉は自動で開いた。
「それにどうせまた間食三昧なんだろう?いい加減にしろと言っているはずだ……!」
「あ、ばれました?」
とぼけた声がスワイの苛立ちを増加させる。
ずかずかと入り込んだ部屋は、死ぬほど汚い。
紅日というかつて極東にあった島国から取り寄せた最高級の畳の上には、スナック菓子やケーキを載せていた皿、アイスクリームのコーンやクッキーのこぼしカスと思しき物体、そしてこの部屋の主の大好物であるポテトチップスの袋が散乱していた。
それらをかき分けていくと、その先には一人の男が寝転がっていた。
長い髪は雪の様な白だ。黒い飾りでポニーテール調にされている。普段の荘厳な衣装ではなく、肩の大きく出るTシャツというラフな格好だった。右手には巨大なポテチの袋。口元についた食べかすをきれいにしたべろで拭っていた。自分と同い年なのだから、三十路には至っているはずなのに、その外見は十八歳程度の若さである。まるで不老不死であるかのように。
実際、この男の外見は、十年前とまるで変わっていない。
「片付けておけとあれほど言っただろうが!!いつになったら片付けるんだ、クド!!」
スワイは声を荒げてこの部屋の主を叱り飛ばす。しかし叱られた当の本人は、全く怖がる素振りも理解するそぶりも見せずにへらりと笑う。
「放っておけばスワイが片付けてくれると思いまして」
「馬鹿かお前は!!そんなわけがあるか!!」
「だってだってぇっ! 僕が片付けるよりスワイが片付けた方が綺麗になるじゃありませんか。僕の掃除の腕前知っているでしょうドヤァ」
「ド・ヤ・る・な!!」
どれだけ叱っても脅しても、なおへらへらした笑みを消さないのが、アドミナクド・セント・デウシバーリ・ミゼレと言う名の男……この部屋の、ひいては…信じられないかもしれないが…この世界の主である、《教会》の統治者……すなわち《教皇》である。
まったく、なぜこのような男が世界の支配者などと言う存在なのだ、と、つくづくスワイは不思議に思う。こんな奴が《救世主》だなどと、こっちが願い下げだ。
それでも、この男は《王都》の市民たちから熱狂的な指示を受ける。市民たちは彼のぐうたらな側面を知らないのだ。これを知っているのは、彼の幼馴染にしてお目付け役にあたる《教皇補佐官》であるスワイと、《教会》の最重要組織である《七星司祭》、《十字騎士》団長クラス、そして《十五使徒》らだけである。十億を超える世界総人口の中で、この側面を知っているのはたったの五十人にも満たないばかりなのだ。
その理由は、アドミナクド――――通称クドの、特殊な精神構造にあった。
「……定礼の時間だ。行くぞ」
「え~?もうそんな時間なんですかぁ?」
可愛らしく首をかしげてみるクド。それが余計にスワイの苛立ちを募らせる。とにかく我慢だ、と自分を律しながら、スワイは散らかった部屋の脇にある、部屋の電気をつけるためのスイッチにもにた《ソレ》を押す。
直後、きゅぃん、という軽快な音と共に、環境ががらりと変わった。ゴミだらけだった部屋からは、一切のゴミが消滅する。畳は無くなり、代わりに年季の入った木の床に変わる。加えて、八畳半ほどだった部屋が最低でもその二倍の大きさにと、何と部屋の広さまで変わっているではないか。
これが、《王都》……ひいては《教会》本部で最も高い場所にあるこの部屋――――一種の《玉座》ともいえる場所、”《教皇》座”に備え付けられた、特殊な機能の一つ、通称《早着替え》だ。パターンは現在十六種。一体どういうロジックなのか、スワイでもさっぱり理解ができないが、クドが《教皇》になったその日には、すでにこの部屋にはこの機能が存在していた。
とりあえず、今出現したアンティークな木造の部屋は、この”《教皇》座”本来の姿、通称《執務室モード》である。その中央を占める机の上には、一冊の本が置かれていた。いや、正確には浮いていた。
銀色の装飾が施された、分厚いその本は、青い燐光を纏ってふわふわと浮遊する。内包された膨大な魔力と神気があふれ出し、周囲の重力やエネルギーを混乱させているのだ。
名を、《禁書》No.002、《唯一神/偽》。現状人間が手にしており、その存在が知られている《禁書》の中では最強と言われる代物である。
《禁書》と言うのは、《グリモワール》とも呼ばれる、魔力や神気を帯びたせいで、それ自体が意志をもったり、所有者を破滅させてしまったりする、《力ある本》のことである。《教会》の高官ですら、全員がこれを与えられているわけではないという、非常に貴重な存在である。
《唯一神/偽》は、その中で最初に発見された存在で、本自体が意志をもつタイプの《禁書》である。
もっとも、その意識の出現方法は特異であるが……。
クドが《禁書》を手に取る、直後、彼の体を神気の波動が包み込む。びくん、と彼の体が痙攣し――――振り向いたとき、その右目は、本来の金色ではなく、紅蓮色へと変化していた。同時に、その口にはいつものほんわりとした笑顔ではなく、冷徹で慇懃無礼な嗤みが浮かんでいる。さらには髪の毛の質量がふえ、飾りがその姿を消す。
神気はそのまま質量をもち、眼の様な模様が描かれた、青いローブを出現させる。飾りの消滅と共に下ろされた、ポニーテール調だった白髪は、大きな三つ編みの様な形状にまとめられる。頭には筒状の儀礼帽。中央に《教会》の象徴でもある、金色の十字が刺しゅうされている。
こちらを振り返ったクドは、にやり、と笑って、スワイに言った。
「さぁ、行きましょうか?」
その声には、クドの声の上に別の存在の声がかぶっているかのように、奇妙なノイズが…微弱ではあれど…混じっていた。
「……」
沈黙で答えるスワイ。クドは興味をなくした様にふいっ、と部屋の外を向くと、そちらに向かって歩き出した。その右手には、大切そうに《禁書》が抱えられていた。
――――《彼》は、スワイの知っているクドとは違う。《彼》こそが人々の知る『アドミナクド・セント・デウシバーリ・ミゼレ』なのだ。スワイが世話を焼いてやまない、ぐうたらで大食いな青年、クド・ミゼレではない。
《彼》の事情を知る数少ない存在は、クドの《教皇》としての人格のことを《リンドヴルム》と呼ぶ。ただ、スワイは長い時間をクドと共に過ごしているにも関わらず、その詳しい事情を知らない。そのことが歯がゆくもあり、知ることが恐ろしくもあり――――。
かつん、かつん、と、靴の音を廊下に響かせて、《教皇》が歩く。向かう先は、《王都》の街を睥睨できる大バルコニー。その下の大庭園に、一カ月に一回の定礼を聞くべく、無数の民衆たちが集っている。
アーチゲートをくぐると、バルコニーに出る。とたんに、人工太陽の、人の手による発明とは思えないほどのすがすがしい光がスワイを照らす。空気も、よっぽど《教会》内部より澄んでいる。まぁ、屋外なのだから当たり前といえば当たり前なのだが……。
バルコニーの下を見ると、やはり大量に民衆が集まっているようだった。その数は前回の定礼のときよりわずかに多くなった気がする。
《教皇》が手を上げると、歓声が爆発した。《教皇》の顔からはあの慇懃無礼な嗤みは消え、さわやかな笑顔が浮かんでいた。
これが、世界を支配する組織の首長、《救世主》たる男、アドミナクド・セント・デウシバーリ・ミゼレに対する、民衆のイメージそのものなのである。
スワイは収まることを知らない歓声の中、誰にも気づかれないように、小さくため息をついた。
――――なぜこの男が《教皇》なのだ、と。
――――どうしてここで讃えられているのは、本当の《クド》ではないのだ、と。
***
「ねぇ見て、あれ、キュレイ様じゃない?」
「ホントだ!うわぁ、写真で見るより凛々しいお姿……」
「あ、フェラール様もいらっしゃるわ!」
「キャ―――!小さくて可愛い~♡」
街角で自分たちを振り返る少女たちが、口々に黄色い歓声を上げる。それを聞きながら、実質《教会》最高機関である《七星司祭》、その第五席、《狂科学者》フェラール・ゾレイはため息をついた。
「何故だ……何故『可愛い』なのだ……なぜ『小さくて可愛い』なのだ……!!」
女たちからの歓声が嫌なわけではない。女たちの話題に上るのはなかなか気分のいいことであるし、こういう町中で、いつもの白衣ではなく、ライトグリーンと白を基調としたコート姿でも見分けてもらえることも嬉しい事である。
問題は、自分への評価が基本『小さくて可愛い』に固定されていることだ。背丈が同年代の男と比べて低いことを割と気にしているフェラールとしては、もっと『秀才っぽい』とか『科学者としての威厳がある』とか、そう言った評価が欲しいのだ。『小さくて可愛い』評価は《七星司祭》最年少のコーリングにでもつけておけばよいのだ。
だが、話題に上るのは大抵が背丈の話だけ。それも、隣をあるく憎き後輩と比べられてのことだ。
「事実だろ」
「うるせー、俺の方が年上なのに、なんでお前の方が評価高いんだ……!」
「知るか。あと年齢は関係ないだろ」
「黙れ!このおませ十三歳!!」
そう言ってフェラールが睨み付けつつ見上げたのは、紺のダッフルコートを纏った、精悍な青年だった。
短い銀髪のフェラールに対し、こちらは艶やかな黒の長髪だ。童顔なフェラールと対比するかのように、その顔つきには大人びた落ち着きがある。その上、背丈もフェラールと違って長身の部類に入る。
彼の名はキュレイ・マルーク。フェラールと同じく《七星司祭》のメンバーであり、第二席《死人遣い》の名をもつ存在だ。その大人びた外見年齢からは信じられないほど幼く、実年齢は高位司祭階級では二番目に若い十三歳。ちなみにフェラールは二十五歳なので、その差十二歳だ。しかしキュレイの方が背が高く、人気も高い。序列も上だ。フェラールは、この後輩が憎くて仕方がなかった。余談ではあるが、高位司祭最年少は六歳である。
しかしどうしたことか、外出するときは自然とこの青年……否、少年と二人組になってしまうのだ。そのせいで、一般市民の間ではいつの間にかコンビの様に扱われている。それもまた気に入らない。
いがみ合って騒いでいると、周囲の少女たちがこちらを振り返って黄色いコメントを上げる。彼女たちの反応がキュレイ→フェラールの順番と、なんだか自分がキュレイの附属物の様にみられているのもいただけない。
「大体だな……」
フェラールがキュレイに対して罵倒を放とうとしたその瞬間。
二人が歩いている道の、少し先にある本屋の周辺で、キュレイとフェラールのときに勝るとも劣らない黄色い歓声の嵐が巻き起こった。足りない背丈を精いっぱいに伸ばして人だかりの向こうを見ると、そこによく見知った紫の頭があるのが見えた。顔を確認するまでも無く、フェラールはその人物に心当たりがあった。
「見て見て、セルニック様よ!」
「うっそぉっ!一日に三人も《七星司祭》の方にお会いできるだなんて……!」
そしてその予測は、少女たちの会話を聞いたことによって確信に変わる。同時に、人だかりをかき分け現れた、その青年の姿を見て、それは疑いようもない事実へと昇華した。
女子顔負けの艶やかさを持つ、紫の少し長い前髪が、整った顔つきを隠している。今日は儀礼服でもコートでもない、パーカーにジーンズというラフな格好だったが、仮にも同僚だ。気に入らない存在ではあったが、間違えるはずがない。
彼の名はセルニック・ニレード。《古の錬金術師》の称号を持つ、《七星司祭》が第三席にして、素で魔術を使える珍しい存在としても有名だ。今日は魔導書を買いに来たのだろうか、少女たちに囲まれて苦笑しているその姿が、妙に絵になるのも腹が立つ。
「セルニックさん」
キュレイがセルニックに声を掛ける。キュレイとフェラールが近くにいることを知らなかった少女たちが、再び…主にキュレイを見て…黄色い歓声を上げる。
セルニックはキュレイを見ると、助かった、とばかりに微笑んで答えた。
「やぁ、キュレイ。それにフェラール。買い物か?」
「おいセルニック、地味に俺の方が年上だぞ」
「黙っていろガキ大将。……セルニックさんこそ。今日は何をお買い求めで?」
「ガキ……? おい今ガキって言ったな!?」
「いや何、そろそろ《復元魔術百科》の今年度版が出たころだと思ってね。運よく増刊されていたから買ってきたところなんだよ。いやぁ、この完璧な変装なのにどうして俺だとバレるんだろうね」
「おい! 訂正しろ! 俺は大人だ!! お前らより年上だ!!」
「うるさい黙れ。……そうか、《復元魔術百科》、今年度版出たんですね。僕もそろそろ《解体冥所》の最新版発注しないと……最近蛇人間族の治療方法が混乱して来まして」
「ああ~。接合部分が特に厄介だよね、半人系亜人族は……俺も人魚かまったことあるけどさ、結構難しかった」
「それよりもどうしてセルニックさんは自分の変装が完璧だと思うんです?」
「んん? 完璧だろうドヤァ。次回はサングラスでもかけるかな……」
セルニックとキュレイのマニアックすぎる会話の合間に、しつこくフェラールが喚く。そんないつもの光景を、少女たちが歓声を上げながら見つめる。
《教会》に支配された《箱舟》、《王都》は、一見こんなふうに、平和に動いている。
その下で、どれだけの邪悪がうごめいていようとも。
後書き
こんにちは、Askaです。『ノヴァ箱』のキャラの濃い敵陣営が登場です。この小説は、どちらかと言うと《魔王》サイド(主人公側)よりも《教会》サイド(敵側)の方が話が多いです。
次回の更新は金曜日か土曜日を目指します。お楽しみに。
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