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Monster Hunter ―残影の竜騎士―

作者:jonah
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5 「血華葬」

 
前書き
どうでもいいですが「血華葬」は適当に「ちかそう」とでも読んでやってください。

モンスターハンター2ndおよび2ndGを舞台に素晴らしい物語を作り上げている方、また上作品をプレイされている方へ。
物語の仕様上ポッケ村村民がどうも主人公へと嫌な役割を演じております。気分を害されましたら申し訳ありません。
ていうか今更、すごい今更なんですけど、この回想の舞台ポッケにする必要わざわざ無かったですよねー……あ”あ”あ”あ”
 

 
―――汀たちは無事にベースキャンプへとたどり着いただろうか。

 走りながらふと、視界に映った小さなものに焦点を合わせる。
 内蔵する煙をすべて出し切り、ただの黒い穴の開いたボールと化したけむり玉。降り積もる雪に埋まったそれは、すでに半分隠れてしまっている。いずれ雪ではなく氷に覆われる玉は、化石となることもなく永遠(とわ)の時をこの凍土で超えるのだろう。
 あれから何時間が経ったのか。それともまだ1時間も経っていないのか。
 考えるのも億劫になってきていた。
 うなじにぴりりと鋭い何かを察し、咄嗟に前かがみになりながら横に飛び退く。ひと蹴りで数メートルも垂直に方向転換した凪が目線をやった先には、見える範囲で3頭のギギネブラ。

(もう1頭……)

 逃がさない。お前らが求めているのは俺だろう? さあ、早く。
 背後から音もなく襲い掛かった4頭目の攻撃が当たる寸前、嘲笑うように躱して、回転しながら抜き放った太刀を勢いのまま振りぬく。体表を覆うぬめった体液とともに、鮮血が白い凍土に色を添えた。
 そうだ、早く。早く、俺に。俺を

―――俺を?

 まばたきするほどの一瞬、視界がモノクロに変化した。それから……

それから?

(……今、俺は何を考えてた? 何を……)

()た?

―――それは、鮮やかな赤と、それに浮かぶ白い……

 無意識に頭を押さえる、が、そんなことを考えている余裕は残念ながら今はない。大型飛竜4頭に狙われるというのは、想像していたよりもずっと過酷だった。
 ほんの一時でも油断すれば、毒にまみれる。
 かといって、四方から飛んでくる毒弾にだけ注意していれば、気づいたときには壁際に追い詰められてしまう。“洞窟の天井も使った三次元の攻撃”。岬の言っていたことが、ここにきて本当に理解できた。これは相当な脅威だった。
 息も凍るような寒さの中動き回りつづけた身体からはそれでも汗が吹き出し、そして外気に触れるとともにすぐに氷結する。体の内は熱いのに、手先はだんだんかじかんできていた。慣れない気候状態に、疲労がいつもよりも早くこたえてきているのだ。足が重い。
 傍目にもわかるほどに疲労してきた体を鑑みて考える。

(まずは一旦、避難してから出直すか。いや……)

 汀・岬・菖蒲の3人を無事にベースキャンプへと送り届けるためのこの作戦の立役者は、言うまでもない、凪だ。ここで休んでいる間に奴らが彼を追うことをあきらめてベースキャンプの方へ向かうとしたら、それは一番まずいケースだった。こやし玉の臭いも個数も有限のものだし、今の汀と岬がこの4頭を相手にするのは疲労した凪が4頭に向かうよりもさらに生存が絶望的であるということは、火を見るより明らかである。

(こいつらの体力もずいぶん落ちてきたが……)

 食事はしないのだろうか。それとも、凪を喰らうと心に決めてでもいるのか。
 なんとも光栄なことで。せめてシャーベットでなく一撃で綺麗にぽっくりと()ってほしい。
 思わずそんなことを頭の隅で考える程度には、凪もこの命懸けの鬼ごっこに飽き飽きしていた。

「ルイーズ……」

 自分の肩を勝手に定位置にしてしまったあのおしゃべり好きなメラルーは、いつも痒い所に手が届くサポートをしてくれる。彼女がいないことも凪の疲労が大きいことの一因かもしれない。
 思わずつぶやいた愛猫の名前を頭から飛ばすと、無心になって宙に跳んだ。
 草履の下すれすれを掠めていくギギネブラの尻尾。普段より余裕が無いのは、やはり足に乳酸が溜まってきているからか。それが通り過ぎるのを待ってくれることもなく、空中で満足な身動きもとれない凪へ2頭目の毒弾が放たれた。
 衝撃を受けるまではゲル状を保つ性質がある毒の塊を太刀の細い腹を滑らせるようにして受けて、絶妙な力加減でネブラに打ち返す。力が強すぎればゲルが気化して毒を浴び、弱すぎれば下に落ちて結局自分が毒を浴びるその技は、今日初めてギギネブラと戦ったという者が出せるものではない。
 自分の毒を受けたギギネブラが一歩後ろに後退した、それよりわずかに早く3頭目が着地スレスレの凪をねらって突進する。
 大きく開いた丸い口が凪の手の指先に届くまでコンマ5秒。片足のつま先が凍土についた瞬間、もう片方の足をぐるんと蹴り上げる遠心力も利用しながら指の力だけで再び上に跳び上がった。空中でさらに一回転しながら3頭目の背中に一文字に傷跡をつける。右翼のすぐ右に着地したと同時に振り向いて、その翼の間接を1箇所、太刀の石突きが穿った。

バキッ...!

 瞬間的に力を入れられた骨は、鈍い音と感触でもって砕けたことを凪に伝えた。
 竜が痛みによろめく。が、当然この程度ではそれほどのダメージなど与えられていない。そんなことは百も承知。それでも僅かな足止めとなれば、次撃を確実に決められる。
 追撃しようとしたところに4頭目の影が上から落ちた。凪が視線を一瞬上に向けたその隙に、1頭目は凪の真後ろに毒塊を産み付ける。2頭目もほぼ同時に毒弾をふたたび凪の背中に撃った。

ひゅっ

「チッ!」

 舌打ちを禁じ得ない。
 さしもの凪も飛竜と1対4で戦った経験など無い。先ほどから、ついつい1頭に集中してしまってはその隙を他の3頭に狙われてばかりだった。そのストレスも加えて疲労に積み重なってきているのは自覚している。
 2振りの太刀でもって手数で圧倒し、怒涛の勢いで命を狩りに行くのが凪のスタイルだ。いわば短期決戦型である彼は、こうやってちまちまとダメージを与えていくというやり方にどうも違和感があって集中しきれないのだった。一撃見舞ったら即追撃、が脊髄反射のようにしみついてしまっているのである。

(焦るな……焦るな……)

 首の後ろを通ったぴりりとした気配を間一髪で避け、一息つく間もなく3頭目の負傷した翼を足台に跳び上がってさっきつけた一文字をもっと深く抉る。焼き切られた傷口にさらに燃える刃を迎えたそこでは、血が一瞬で気化した音がした。骨を折られたよりも痛みが大きかった竜が、今度こそうめいて動きを止める。
 滑るように刀を逆手に持ち替えた凪は鮮血したたる鈍色の切っ先を翼の付け根に狙うも、視界の外から迫る気配に回避を選択せざるを得なかった。
 刃が傷を刻むと同時に毒塊は爆発、3頭目が側杖を食って飲み込まれる。生体ゆえに毒耐性の高いギギネブラだが、傷口から入った毒ガスによって毒を浴びたようだ。
 しかし凪はそれを見届ける暇もなく、着地してすぐ前転。数瞬前まで彼の足のあった地は1頭目の首に喰われた。

ガリガリガリッ...!

 凍土を削る音と共に上からぶら下がった4頭目が、凪の足をすくうようにして捕食しようとした。一瞬よりさらに短い時間でそれを判断した凪は、灼熱を秘める太刀を凍土に刺し躊躇いなくその柄を蹴ることで、天盤からぶら下がる4頭目の口に手を届かす。全身をくねらせた竜の首は、獲物の足の下をからぶった。
 腰から引き抜いた剥ぎ取りナイフを天盤に張り付く尻尾の口に水平に入れた。いくらか筋肉を縦に断裂させながら深く突き刺さったそれは、口と天盤の間に空気を入れる羽目となり、無様な叫び声とともに4頭目は地面に墜落。空中で半回転した凪は天盤を蹴ることで着地点を操作する。

ギョアアア!

 同族の下敷きにされた3頭目の2度斬られた背中の皮が、4頭目の重みに引き攣れて新たな血を流した。
 柔らかく膝を使って着地した凪は刺さったままの太刀を抜く暇もなく2頭目の首ふり攻撃を飛びずさって避ける。横を駆け抜けて愛刀を手にすると、近寄ってきた1頭目の頭に気を込めながら深く貫く。

ギョエエアアアア!!!!

 炎に脳を焼いた、と感じるが早いか太刀を引き抜き、バック転で1頭目の痛みで狂ったように暴走する頭を避ける。そのまま刀を入れたままだったら刃が折れていたかもしれなかったと、痺れが残る手を軽く振りながら冷や汗をかいた。
 近寄れない1頭目は放っておくことにし、次なる狙いを4頭目に定める。
 ひっくり返ってまだもがいているその腹に乗り、妖しく光る紫の毒腺に刀は跳ねるような動きで連続斬り。5太刀目で断ち切れたそれはびくびくと動きながら毒を垂れ流す。
 そのままじたばた暴れる4頭目の下から這いずり出てきた3頭目の頭は、両手に持って振り下ろされた飛竜刀【銀】の餌食となる。深く斬られた傷口は、今日何度目かの悲鳴をギギネブラに与えた。

ギャアアアアッ!!!

「ッ……らぁ!」

 声と共に振り切り、帰り血を派手に浴びた。
 ギギネブラを斬って血を浴びるということは同時に身体中に張り巡らされた毒腺も断ったということであるので、体にいいものではない。できるなら早く水で洗い流したかったが、もちろんそんなことをのんきにできるのは無事にこの4頭を片付けた後だ。
 もみくちゃに絡まっている4頭を置いて走り出す。2頭目がそのすぐ後ろを追いすがってきた。後ろを見れば追いつかれる。ただ全力で前へ駆けた。
 上がってきた息を整えて、暗い洞窟の奥に目を凝らした。
 入ったのはエリア7。天井にちらりと視線をやってから深く踏み込んで、ひとっ跳びに身長の倍はある崖に飛び乗った。そのまま上に飛び上り、太い氷柱の根本を蹴る。
 重力に従い落ちる鋭い氷柱の先端は、凪を追って洞窟内に入り上を見上げたギギネブラの翼に直撃した。蒸気となって傷口から溢れるのは、体内に流れる猛毒と氷が溶けているからか。
 凪はエリア5の闇の奥に目を凝らした。大きな影が3つ、押し合い圧し合いしている。狭い洞窟の入り口は一度に4頭の飛竜は入れないのだ。

―――今が、チャンス。

 突如翼を凍土に縫い付けられたギギネブラは、その身体全体に走る毒腺を膨らませた。みるみるうちに体表が黒ずむ。

(怒り状態、ということは……)

 移行と同時に、咆哮。

―――今!

 理解するが早いか、つるつると滑る氷に覆われた僅かなくぼみに指をつっこみ天井にはりついていた凪は、やすり状の口が開く一瞬前、天を蹴った。
 気を巡らせた飛竜刀の一撃が、毒怪竜の口を左右に割る。刀身にかかった負荷は腕力と体重で押さえつけた。
 噴き出した炎と血と毒液は、混ざり合ってひとつの赤灰の煙となる。
 ぬめる体液に包まれた肉、酸素を運ぶ血管と、網の目ように全身に張り巡らせている神経に毒腺。顎の骨すら叩き切った太刀は、その本来の使い方をされないがゆえに刃こぼれも目立ち、すでにただの鉄塊と化していた。
 しかし、太刀の刃を代償に得た一撃は十分すぎるほどにギギネブラを弱らせることに成功する。
 満足に響かせることができない自慢の咆哮はヒューヒューと空気がから回る音が目立ち、ぼたぼたと落ちる毒の混ざった血液は徐々に凍土へとしみこんでいく。翼を大地に縫い留める凪の身の丈ほどの氷柱はもうほとんど溶けきってしまっていたが、大穴の開いた翼膜から出血を防ぐ栓の役割を果たしていたそれが消えるにしたがって、また大量の血が流れ出た。

ギェェエアアアアアアアア!!!!!!

 絶叫とともに、2つの大きな傷口からさらに多くの血が吐き出された。

「しまッ―――!?」

 至近距離で血の混じる毒弾をかろうじて避けた凪は、気化したガスから逃れようと咄嗟に新鮮な空気のある方―――エリア2に続く、洞窟の入り口へと駈け出した。
 視界が完全に紫に覆われる前に進路を決め、目を固く閉じて息を止める。手にしたままの太刀をその膂力でもって振り抜くと、剣圧に毒ガスはわずかに遠のいた。

「げほッ…げほっ、ごほっ……チッ」

少し気管に入ったか。

 喉が狭くなる感覚と共に、呼吸をするたび肺が痛む。
 警戒を怠らないままポーチから解毒薬を出して飲み下した。途端、苦虫を噛み潰したような顔をして薬瓶を見る。青いラベルの下には、こんもりとバスケットに盛られたベリーと、吹き出しを出すキャラクター化されたウィンクと飛んだハートが眩しいドスフロギィの絵。吹き出しの中は、“MIX BERRY FLAVOR;honey in!!”の文字。

(甘ッ!!)

なんたること。

 苦虫ではなかった。しかし方向性が違うだけでスカラー的には同じくらいまずい。
 甘いのだ。甘ったるい。甘ったるすぎて死ぬかも。胸焼けしそうだった。
 町で調達した解毒薬は、いつも自身が調合したものと異なって口当たりが良いように(という名目で)いろいろなものがブレンドされているということをすっかり忘れていた。見るにこれはミックスベリーフレーバー、らしい。凪の舌には単に甘ぁ~いシロップとしか感じられなかったが。

(しかもその上ハチミツ入り!? 要らねぇ、マジで要らねぇよこれは!)

 どうせならミントフレーバーなどの方がまだよかったと、よく品物も見ずに購入した半日前の自分を恨む。
 ある意味逆に毒を飲んだような気分になりながら空になった瓶をポーチに戻した。こういうものは何の役に立つとも限らないから、取っておくべきというのは鉄則だ。ポーチがぱんぱんになったらその限りではないが。
 口内に残留する解毒薬の人工的な甘味を水で流したかったが、凪がポーチから水筒を出すより先に、向かって左、洞窟入り口から大きな影が現れた。
 言うまでもない。エリア4に置いてきたギギネブラ達である。脳を焼き切ったと思った1頭も、弱っているように見えつつもその脅威の生命力でよろよろと歩いてくる。
 しかし、ネブラたちは凪に目もくれず(もとから目はないのだが)、一直線に同族へと駆け寄った。3頭が3頭とも、大量出血でもう歩く体力すら失った仲間へと寄り添う。

「なんだ……?」

先ほどのネブラの大絶叫は、仲間を呼ぶためのものだったのか?

3頭はなぜ傷つき倒れた1頭に集ったのか?

まさか、仲間の死を悼んでいるとでも?

 わからない。が、今凪がすべきことはそのことについて考察を立てることでも、当然口内のシロップの味を忘れることでもないのは確かだ。
 むしろ、連中が一か所に固まっていてくれているのは都合がいい。

(チャンスは一回。うまくいってくれよ……)

 祈るように刀身を撫でる。ひそかにポーチから出したのは、先の解毒薬とはまた別の小瓶。中に入っているのは、黄金色の液体だ。
 柄に巻いてある滑り止めの赤い飾り紐を取った。長いそれをすばやく、しかし念入りに右手に巻き付ける。コルク栓を抜いて、刀身を抜いた鞘の中に中身を入れた。竜を刺激しないように静かに太刀をしまえば、完成。
 狙うは天井。飛竜集う崖のその真上。
 目を凝らせば見える、その天盤にはいくつもの亀裂が入っていた。さっき氷柱を蹴り落としたときと、天井に張り付いていたとき。凪が小細工しておいたものだ。

「ふぅ……」

 息を吐き、腰を低く沈める。

―――ふわりと、甘い香りが鼻先をかすめた。

シュッ...

 一瞬の沈黙ののちに、鋭い風切り音が洞窟に響いた。
 空を伝う火。
 黄金の油を得た銀色の太陽の焔は天盤へ直撃し、

ピシッ......ガラ...ガラガラ......!

ドガァァァァン!!!!

 崩落。天盤を築いていた氷塊が瓦解して、天から次々毒怪竜たちを襲う。
 その隙間から4頭の姿を凪は瞳に映した。

―――甘い、酔いそうに甘い匂いは、でも、嫌いではなくて。

 同胞に囲まれ死を迎えた竜は、その身を赤に染め上げて、苗床と(・・・)なっていた(・・・・・)

―――見開いた海の瞳の網膜に映ったのは、紅に浮かび、紅に染まる。
   わずかな薄紅を中心に宿した、清廉な一輪の、

白蓮(ハクレン)








******








 凪お兄様が村の子供たちと自分から接触するのを避けるようになって、半年。
 港お父様は兄様に乞われてハンターとして彼を教育していきました。……私の目には、容赦なくお兄様を叩きのめしていたという風にしか映りませんでしたが。
 それより前からその片鱗は見えていましたから、当然といえば当然かもしれません。お兄様の学問の才とハンターとしての力量はみるみるうちに伸びて、1年も経つころには一人で鳥竜種、牙獣種を狩れるようになっていました。ドスギアノス、こちらでいう、ドスジャギィのようなものや、ドドブランゴという大きな猿のようなモンスターです。
 一般的な6歳の子供では到底なしえない離れ業に、凪お兄様はますますポッケ村の大人たちから忌憚され、同時にますます子供たちからは尊敬のまなざしを受けるようになりました。

「…子供たちはわかっていたんです。自分たちの命を救ったのはまぎれもない凪お兄様で、それを憧れ褒め称えこそすれ、忌み嫌う理由などどこにもないということを」

 でも、そうして純粋に凪お兄様を英雄視していたのは本当に幼い子―――当時のお兄様と同い年くらいの子ばかりで、10歳にもなると親や周りの大人にならって、彼らも多くはお兄様に白い目を向けるのが常でした。
 5,6歳のころは“自分も凪お兄様のようなハンターになるんだ”と言っていたのに、9歳、10歳と成長するにつれだんだんお兄様から離れていく子供たちも少なくありませんでした。……お兄様は、その子たちには何も言わず、ただ投げられる雪玉を冷え切った身体で受け止めていました。庇おうとする私や他の子供たちには、冷えるからダメって、優しく怒るのに。本当に、あのひとは……

 すん、と鼻を鳴らした雪路は、眉を寄せつつも黙って話を聞いているリーゼロッテと、もうそろそろ沸点に届くのではないかと心配になる程度にはもの凄い形相をしているエリザを見た。目が合って、ふんわりと微笑む。その微笑には、思い出した過去の回想の憂いが含まれていた。

「大人のなかで元から凪お兄様の味方になってくれていたのは、真砂さんと、菖蒲さんだけでした。お母様……私の、実母である吹雪お母様は、もとからお兄様を快く思っていなかったこともあって……薄気味悪い、と、嫌っていました」
「ちょ、薄気味って……!」
「連れ子とはいえ、旦那の血が半分流れた子供でしょうが! あ、ごめん、ユキ……」
「いえ、いいんです。私もそれについては今でもお母様と口論しますから……。お母様のは、たぶん、亡くなった深雪おばさまへの嫉妬ですよ。今でも一番愛されているのは、自分ではなく姉の深雪おばさまと思っているのでしょうね……」
「死者に嫉妬って……ああごめんなさい。ほんと駄目ね、思ったことすぐ行っちゃう癖直さなきゃ……」
「でも、言いたいこと我慢するエリザって……想像できないかも」
「ちょ、それどういう意味よ!? リーゼ!」
「それがエリザちゃんのいいところでもありますよ」
「ほんとあんたにユキの爪の垢煎じて飲ませてやりたいわ」
「そりゃこっちのセリフよ、エリザ」
「……」
「……」
「「なぁにおぉう!!?」」
「ま…まあまあ、ほら、2人とも落ち着いて……。続き話しませんよ」
「それは困るわね」
「停戦協定か」
「「……………チッ」」
「お二人とも、顔が怖いです……」

 凪お兄様が6つ、私が3つの時に生まれた子は、流産でした。お母様はとても落ち込まれて、食が細くなったりと大変だったのを覚えています。まあ、怪我の功名というべきか、お父様がお母様につきっきりに看病をしたことでお母様の嫉妬心もすこし落ち着いて、同時に凪お兄様に対する態度も少し軟化しました。
 そして、それから2年後―――お兄様が8歳、私が5歳のころ、今度は元気な双子の赤ちゃんが2人の間に生まれました。汀と、岬です。
 お兄様は2人をたいそうかわいがりました。最初はあまりお母様もいい顔をしなかったのですが、あんまり双子がお兄様に懐くものですから、それも仕方ないと許容することにしたようでした。
 お兄様は立派な“おにいちゃん”でした。今の汀の懐きようからもそれは分かりますけど、たとえば外で鬼事をするときも絶対2人に怪我なんてさせませんでしたし、昔からそれほど体が強いわけではなかった私に屋内の遊びもたくさん教えてくださいました。…その遊びで、私はポッケ村の子供たちとお友達にもなれました。

「よく、雨―――ポッケ村の場合は大抵が雪だったんですが、珍しい雨が降っていて外で鍛錬が出来ないときなどは、ざら紙の裏によく分からない数式を幾列も書き殴っていました。以前大陸を渡り歩いたと自慢の商人だったおじさまも知らないような高度な算術を知っていたり、暗号のような何かの文字を使ってご自分で辞書をお作りになられていたりもしていましたね。あるいは、その記号なのか文字なのかも私たちにはわからないような模様を使って、何かのフレーズや手紙のようなものを書いていました。その暗号のようなものは、ついぞ私にも教えてくださいませんでしたけれど……。
 ただ、『忘れないようにするため』とだけ言って私に微笑んだお兄様は、なんだかいつもより更に大人びていて、その表情は強く、印象に残っています」

 私の敬愛するお兄様は本当に、誰より優しく、気高く、誰より強くて……

「……でも、誰よりも孤独でした」

 小皿に置かれた茶菓子を二又のフォークで切りながら、雪路は間をあけた。その表情は、過去の自分を責めているようであった。

 私、今でも後悔してるんです。
 あの頃、物心ついたばかりの私でもわかる孤独を、孤高というにはあまりに寂しすぎた凪お兄様の背中を、私はなんで見ていただけだったんだろう、って。
 そのまま駆け寄って、抱き付いていたら。そうしたら、お兄様はきっと振り向いて微笑んでくれました。でも、私はお兄様のあの押し殺したような微笑が、あの頃はちょっと怖かったんです。何か、お兄様が私たちとは違う存在だ、と感じてしまうような……。同じ人間なのに、おかしいですよね。今考えてみると。

「その凪お兄様の孤独を一層深めたのが、ポッケ村近辺に出没したドドブランゴの事件でした」

 ポッケ村は切り立ったフラヒヤの雪山に抱かれた村です。一番近くの村は小一時間かかる麓まで行かなくてはありませんでした。つまり、それくらい孤立した村だったんです。よく言えば、“周りを大自然に囲まれた”という表現ができるのでしょうが、その時ばかりはそれが(あだ)となりました。
 私が6つ、お兄様が10のときです。先ほどお話しした、雪獅子と名高いドドブランゴの率いる群が、なんと3つも、よりによってポッケ村の近辺を縄張りとして喧嘩を始めたんです。喧嘩といってももちろん牙獣種に分類される大型モンスターですから、ちょっとそこらへんでブランゴが……と呑気な茶飲み話になるような程度の低い争いじゃあ終わりません。それはもう、群れと群れがぶつかり合う戦争なんです。
 ふつうは群れの長同士が戦って、敗者が出ていく、あるいは死ぬかで終わるんですが、そのときは山すら殺気立って、ポポやガウシカなどおとなしいモンスターも巣穴から出てこない日々が続きました。
 となると私たちの食糧、つまりお肉が底をつくのも時間の問題で。ハンターにこの闘争を強制終了させてもらうことになりました。
 でもその時、たまたま港お父様が旧密林へ他のクエストをに行っていたんです。その上、ドドブランゴの3頭同時狩猟に加えて必然群れの数だけ集まったブランゴの方も倒さないといけませんから、そうなると上位ハンターは確実、下手をすればG級ハンターを呼ぶこととなるって、ハンターズギルドの方が判断したそうなんです。日々の暮らしに不自由は無いなれどもともとそれほど潤った村でもありませんから、そんな大金はすぐに用意できない、とも。

「……そして、白羽の矢が立ったのは、当たり前といえば当たり前、凪お兄様でした。村のひとたち、お兄様をタダ働きのハンターとしか考えてなかったんですきっと。お兄様は強くて、並のハンターよりもずっと強くて、でもハンター登録はしていませんでしたから、お金を払う必要もなくて……」

 それでも、お兄様は笑顔でそれを受け入れました。
 真砂さんが制止しても、菖蒲さんが怒鳴りつけても、お兄様はただ大丈夫とだけ言って聞く耳持ちませんでした。しまいには強引についていこうとした菖蒲さんの鳩尾を一発殴って気絶させて……。あの時はびっくりしました。そして荷物をまとめると太刀を手にして、そのまま行ってしまったんです。たった、独りで。
 お兄様がどんなふうに戦って、成し遂げたのかは分かりません。けれど、とうとう10日目の朝、お兄様はボロボロになって、でも、帰ってきました……!
 早朝、私と真砂さんと、菖蒲さんの3人が転がるようにお兄様を迎えました。

「疲れ切った顔で、まだ10歳の子供が、たくさん血を流して。『ただいま』って、それだけ言って倒れてしまった凪お兄様を見て私も倒れてしまって……目を覚ましたら、お兄様が傷がもとで発熱していて、菖蒲さんが看病していました。……ブランゴは、お兄様がすべて残らず殲滅していました。
 翌日になってやっと熱が下がって、でも利き腕を負傷してしまっていたんです。二の腕が“折れた”、というよりのしかかられて“砕けた”に近かったみたいで、完治には骨折より時間がかかると、治療した菖蒲さんに告げられました。その傷も、下手をすれば一生腕が使い物にならなくなるくらいギリギリのもので……。そのことを聞いたとき、私はまた倒れそうになったこと、覚えています。
 それから数日間、何事もない穏やかな時が過ぎました。お兄様の看病は菖蒲さんと私の2人でやりました。右腕が使えないものですから、スプーンを持つのも危なげで、恥ずかしそうに私からあーんしてもらっていたんです。ふふ、恥ずかしがるお兄様なんて、たぶんあの時以来私見たことないです。……幸せでした」

 村を襲った脅威ももう無く、村人は最低限の誠意として薬草や傷の治りに良い雪山草を多少分けてくれましたが、でも、お兄様が受けた傷の対価としては決して見合うものでは当然なくて……!
 でも、そんな安寧も長続きしませんでした。
 雪山に立ち込めた血の匂いをかぎ取って、ドスギアノスの群れが―――今度は1つなんですが―――襲ってきたんです。雪山草を摘みに行っていた村民の1人のお爺さんが亡くなりました。帰ってこないのを不審に思ったご家族が、その、見つけて……。肉が散乱して、顔だけ確認してなんとかそれがおじいさんなのだと分かりました。
 村はまた恐怖に慄きました。頼りのお父様が帰るのは予定ではまだあと2週間はありましたし、凪お兄様も今は利き腕を負傷していて、戦えませんでしたから。
 ギアノスたちも殺気立っていて、とてもじゃありませんがクエストを依頼してから僻地にあるポッケ村へハンターが来るまで待っていられるような状況じゃありませんでした。何せ、人里へはふつう降りてこないギアノスが、村の門の100メートル向うに姿を現すほどだったんです。
 依頼を出して、最速でも1週間弱はかかるといった連絡の入った後に、村の男衆は夜通し火を絶やさないよう見張りにつき続けました。一部の竜を除いた大抵のモンスターたちは火を本能的に恐れるものですからね。
 しかし、賢いギアノスたちには分かってしまったのでしょうか。そのとき、ポッケ村は針の抜け落ちたハリネズミも同然だったということ。
 月が雲に翳って、また顔を出したそのわずかの間に。20頭はいるだろうかというギアノスたちが、ポッケ村を取り囲んでいたんです。
 村人が最後に泣きついたのは、凪お兄様でした。

『どうにかしてくれ』
『あんた、港さんの息子だろ』
『腕だってもう動いてるじゃないか』

 そうです。そのころもうお兄様は、日常生活に支障はない程度には腕は回復していました。
 凪お兄様はもとから体がとても丈夫で、怪我をしても普通より治るのが早かったんです。でも、だからといって、砕けた骨が完全に元通りになるのはいくらなんでも1週間じゃ無理というものです。その時だって、菖蒲さんにスプーンより重いものはできるだけ持つなと言われていたんですから。厚い本だって、もっちゃいけなかったくらいなんです。

「それを、知りもしないで…あんなに重い太刀を使えだなんて……!」

 ただ、切羽詰っていたのも確かでした。あのままではどちらにしろ、ギアノスたちが踏み込んでくるのも時間の問題だったでしょう。
 凪お兄様はただうなずいて、左手―――利き手と逆の手で太刀を持ち上げました。それだけでも反対側の腕に負担がかかって、顔をしかめるくらいだったのに、無理して無表情を作って。……その一部始終が見れたのは、その中で唯一お兄様を見上げていた、私だけです。

「その時お兄様が小さく言ったんです。うつむきながら言ったから、背の低かった私だけが聞こえたんだと思います。……『反対の手でも太刀が振るえるようにしておけばよかったな』って。『いつ使えなくなるか分からないから』って……。…何でもないこと、のように……さも当たり前のことを、なぜ今まで思いつかなかったのか、と自分にあきれるように……!」

 お兄様のまだ癒えていない怪我は右腕だけではありませんでしたが、それでも凪お兄様は太刀を引きずってポッケ村の入り口へと行きました。
 そして……

カチッ

ゴォーン…ゴォーン…ゴォーン…

「あ、12時……」
「……お昼ね。おなかもすいたし、丁度いいわ。続きはまたあとにしましょう。あたしちょっとお昼の準備するから、ユキ、お料理できるなら手伝ってくれる?」
「…わかりました。手、洗ってきますね」
「わたしは?」
「あんたはー…………ええと…テ、テーブル拭いておいてくれると助かるわ」
「なにそれー!」
「あんたは片づけ要員! テーブル拭かないと食べさせないから!」
「ちぇっ。片づけしない女は嫌われるぞー、ナギさんに」
「なっ、なんで今ここにナギの名前が出てくるのよ! あんたこそ、料理一つできない女があの料理上手なナギに好かれると思ったら、大間違いなんだから!」

 バチバチと火花を散らしてにらみ合うこと数秒。
 別段味覚が人とずれているというわけでもなく、普段の調合や肉の丸焼きだって問題ない、料理人の娘であるにも関わらずその“料理”だけは壊滅的にできないリーゼロッテと、片づけをしようとするとなぜか余計荷物が散らばる“ポルターガイスト”の(実に不名誉な)異名を(陰で)持つエリザ。
 ベクトルは違えど2人の理想とする女性像の中では決定的にやらかしてはいけないポイントを押さえてしまった2人の熾烈な戦いは、結果、両者敗退となった。

「………おりょうり」
「………おかたづけ」

がくーん…

 沈んだ2人の横、水で濡らした台拭きをもってやってきた雪路が食べ終わった小皿を重ねてさっとテーブルを拭く。濡れていない方の布の面をだして2度拭きを終えると、洗い物を器用に持ってそのまま勝手知ったるヴェローナ家のキッチンへと姿を消した。水を鍋に張り火を点けて、まな板を包丁が叩く規則正しいリズムが凍り付いた2人の少女の耳に届く。
 かつてない衝撃に、2人の美少女ハンターは戦慄した。
 そんな2人をあざ笑うかのごとく響く、包丁と、澄んだ鼻歌。この時間帯ならどこの家庭でもありふれた日常であったが、それらは無情にも、今、敵が以上のことに余裕をもって取り組んでいるのだと彼女たちに恫喝する。

「ユキちゃん……顔良し、料理よし、」
「性格よし、片づけよし……で、しかも、」

「「……………妹ポジ…だと…!?」」
 
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