打球は快音響かせて
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高校一年
第八話 負けてから
第八話
「ヨッシー、これお願い」
「はーい」
「好村君、これもお願いするけんね」
「はーい」
放課後、夜8時の教室。薄汚れた練習着姿の翼は、ハリボテに色を塗っていた。甲斐甲斐しく働く翼とは対照的に、鷹合と宮園はボケーッとして椅子に座り、机に頬杖をついている。鷹合は目が澱んでいて、宮園はあからさまに無気力感が醸し出されていた。
(まぁ仕方がないか。あんな負け方したおかげで、文化祭に行けるようになっちゃったんだからなぁ。素直に準備を手伝う気にもならないよなぁ。)
1-11の6回コールド。帝王大の評判を聞く限り、厳しい勝負になるだろうとは翼も思ってたが、しかし、鷹合がここまで打ち込まれるとは思っていなかった。
(甲子園って、本当に、遠い所なんだなぁ)
翼は器用にブラシを操り、ハリボテを仕上げていく。黙々と、淡々と。
ーーーーーーーーーーーーーーー
文化祭当日は、朝から学校が騒がしい。
普段はノロノロ、始業寸前に登校してくる癖に、この日ばかりは大多数の生徒が早めに学校を訪れ、祭の雰囲気に酔うのだ。
別に祭そのものは、高校生がやる事だから大した事はないのだ。しかし、それでも文化祭には価値がある。実際に行われている事、実際にあるもの、それ以上の価値が。
ボコン!
「はい満点でーす!」
「おぉー」パチパチ
翼はいつもの三人組、山崎、そして大江と各クラスの出し物を回っていた。たまたま立ち寄ったクラスの展示で、翼は投擲のゲームで目標のピンを全部落とし、周りの生徒に拍手された。
「ヨッシーやっぱ野球部だけあるっちゃねー」
「ピッチャーやけ、球投げるんは本業よな」
「ま、ボールがお手玉だから、あんまり関係ないかな。ま、良かったよ。景品貰えたし。」
飾り付けられた袋の中身を見ると、入っていたはティーセットだった。翼は落胆し、そのクラスの教室を離れてから大江にそのままあげた。翼は紅茶が飲めないのである。
「えー!ヨッシーありがとー!これ、結構高いもんよ!ありがとね!大事に飲むばい!」
「うわー、優男やねー。こら、可愛い彼女おるんも頷けるわ〜」
「よせって。本当に飲めないんだって、紅茶。」
無邪気に喜ぶ大江と、茶化してくる山崎に対して、翼は照れた。普段は野球部での活動の事なんて全くこの2人には言わないし、言う必要もなかったが、この的当てゲームのおかげで、少し放課後の部活と、学校生活の日常とにつながりが出来たように思えて、何故か翼は嬉しかった。
「…ん?」
照れて2人から視線を逸らしていた翼は、これはまた意外なモノを見つけた。
宮園が傍に誰か連れて歩いている。その誰かは宮園よりずっと背が低く、口角を寄せて笑った笑窪が目立つ。そして、チビの割に胸は大きい。
宮園の隣に居てウキウキ上機嫌なのは、入学の日に宮園にアドレスを聞いた、あの青野だった。
「あ〜」
「見せつけてくるっちゃね〜」
山崎も大江も、2人を見つけて声を上げる。
文化祭を2人で回るとは、何ともベタで、そしてベタな故に小憎らしい。
(あれ、つい最近まではメールを返すのも面倒くさいって言ってたのに…)
子どものようにはしゃぐ青野に、微笑みをもって対応している宮園の姿は翼にとっては意外なモノだった。宮園は元々愛想良く対応してはいるが、基本的に「女はダルい」と思ってる節があり、特に青野のような頭の中がお花畑のようなのは嫌いだと言っていた。それが今は一緒に人前に2人の関係を晒すまでになっている。一体、いつから考えが変わったのだろう?
(…あの負け……?)
頭をよぎったのは、つい最近の秋季大会の敗戦だった。まさか、あれで野球への熱意が冷めて、適当に女に現を抜かし始めた…?
(いや、そんな考えはいけない。さすがに宮園だって、そこまで人の思いを適当に扱ったりはしないだろ。)
翼は自分の考えを否定した。
青野がニコニコ笑って、宮園と手を組みたがる。宮園は少し照れたが、やがて苦笑いしながら青野に合わせてあげた。
青野は本当に嬉しそうだった。
ーーーーーーーーーーーーーー
「うぉおおおおお」
鷹合は学校の外にある坂道を声を上げながら走り込んでいた。鷹合の野球人生で11点も取られたのは初めてだっただろうが、しかしそこは鷹合、持ち前のメンタリティで、立ち直りも早い。
そして今、走り込んでいる訳である。
ただ、帝王大戦はコントロールが悪かった→コントロールが悪いのは下半身が弱いから→だから走りこむ
という事だが、本当を言うと鷹合は脚力もチームトップクラスで下半身が弱い訳ではなく、原因はもっと他の所にありそうなのだが……
バシィッ!
ブルペンでは美濃部がキレの良い球をブルペン捕手のミットに叩き込んでいた。小柄ながらその投球は小気味良く、中学時代に日麻脇地区という田舎とはいえ、ベスト4に残った投手だけはある。鷹合に次ぐ2番手投手の立ち位置は既に先輩を抑えて確保した感がある。もちろん、本人は「2番手」などに納得などしていない。
(鷹合はあの体たらくやけ、負けてるなんざ思わんわい。見てろや、春に投げとるのは俺や!)
バシィッ!
美濃部の滾る思いを乗せ、そのボールは更に加速する。
翼はと言えば、相も変わらず、地道に投球フォームを固めていた。浅海の指導ポイントを意識して、丁寧にかつ数を投げる。ネットスローも、ただ丸ネットに放り込むのではなく、目標を定め、球筋をイメージして左腕を振る。
(少なくとも、最後の学年では、メンバーには入らなくちゃいけないんだ)
焦りなく、コツコツと。翼は自分の課題に向き合った。
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