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一つだけでなく

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第三章

 彼の予想を完全に裏切った、彼はドミンゴが踊る間一言も発しなかった。
 それでだ、彼が踊り終わってから驚きの声でこう言ったのだった。
「凄いものを観せてもらったよ」
「おいおい、褒めるのかい?」
「褒めてなんかいないさ」
 それは即座に否定した。
「事実を言ったまでだよ」
「そう言うのかよ」
「ああ、本当に凄かったよ」
 唸る様に言うキングだった。
「こんなダンスを観たのははじめてだよ」
「そうなのか」
「六十でか」
 歳で身体のキレは落ちる、しかしそれがだというのだ。
「全然ないな」
「ダンスには確かに身体のキレが必要だけれどな」
「それ以上にか」
「俺はずっと踊ってきてるからな」
「それでか」
「ああ、今もな」
「それでも太ってるな」
 身体は丸々としている、まさにビヤ樽だ。
「しかしそれでもか」
「ああ、こうしてな」
「そこまでのダンスが出来るんだな」
「サンバノコツがわかってるからな」
「あんたはそれの達人なんだな」
「そうだよ、どんな踊りでも達人になればな」
「年齢は関係ないか。それに」
 それだけではない、キングはそのこともわかって言った。
「極めればな」
「俺はまだ極めちゃいないがね」
「いや、極めてるよ」
 キングから見ればだ。
「確かにな。俺なんか足元にも及ばないよ」
「あんたは今世界一のダンサーって呼ばれてるんじゃないのか?」
「知られてる中ではな」
 キングは口の左端を歪めさせてシニカルな笑顔で返した。
「けれど世の中って違うだろ」
「知られてること以外にもっていうんだな」
「人間が知ってる、世の中に出てるものなんて鍋の中の一滴なんだよ。それに忘れられることだってあるだろ」
「忘れられることもか」
「実際にあんたも引退してな」
 世に埋もれていたというのだ。
「俺はその程度だったんだよ」
「そうだっていうんだな」
「ああ、そうだよ」
 こうドミンゴに話すのだった。
「だから俺なんてな」
「まだまだだっていうんだな」
「そうだよ、そのことがわかったさ」
「そうだっていうんだな」
「そのこともわかったさ」
 ドミンゴは今はあっさりとした笑顔で述べた。
「俺だってな」
「そうか」
「そうだよ、俺なんかその程度だよ」
 こう言った、そのうえで。
 キングはドミンゴにだ、笑ってこう言った。
「これから暇かい?暇なら何処かに行くか」
「飲みに行くんだな」
「飲んで食った分は動いてるからな」
 太らない様にはしているというのだ、ダンサーとして身体の管理はちゃんとしているのだ。 
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