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BLUEMAP

作者:石榴石
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第一章 ~囚われの少女~
  断頭台からの使者


 私はそこから動けない。どれだけ動かそうとしても、体が動かない。絶望の色に似た白黒の世界。
「――ア……ア…………」
 首だけの男がこちらを見ている。口をパクパクとさせながら。むき出た目玉が、こちらを寸分の狂いもなく捉える。
 逃げられない。瞳さえ動かせず、視界には気味の悪い光景がこびりついているかのよう。
 それはきっと、私が目を閉じているから。これは夢だ。気味の悪い悪夢だ。
 それでも体がこわばる感覚、ひきつった体中から、乾いた音が立ちそうな感覚がある。これは現実なのだろうか。ともすれば私は、何かに憑りつかれてしまったのだろうか。冷静に自分を判断する。
 これが霊というものなら、これからお世話になるのだろう。いわば仲間入りをするのだから。死など恐れている場合ではない。
 それでもどこからか、救いを求めているかのような感情が湧いてくる。本能から来る、はっきりとした嫌悪――いやだ。
 声も出ない。そもそも聞いてくれる人もいない。それでも心の底からこの感情が湧いてくる。助けて、と。
 そんな叫びを聞いたか聞かずか、首の男は血走った目のまま笑みを浮かべ始める。そして首は嗤いながら、身の毛もよだつような不気味な声を発した。
「次ハ……オマエノ番……ダァアアアアァ!」
 その光景はだんだんと薄まっていき、やがて消えた。奇妙な笑い声を響かせながら。

 目を開けると、今までと何一つ変わらない空虚な空間が広がっていた。
 先程までの、全身が縛られたかのような感覚は解け、自由のもどった両手に目をやる。安堵したように体が温かみを取り戻すと、体中に冷や汗をかいていたことに気が付く。
 恐ろしかった。恐ろしかったのだ。確かに私は恐怖していたのだ。今までどうして私は、強がっていたのだろう。本当は死にたくなんかないのに。
 少しでも生きていられるのなら、もう少し生きていたい。今この瞬間死んでいたのならそれを受け入れる事しか出来ないけれど。でも、今、確かに生きている。
 今ここで死ぬのだけは嫌だった。
「次は……私の、番…………」
 私も首を落とされ、あんな風になるのだろうか。
「ああ。私の事を救い出してくれる、騎士はいますか? 私はこのまま、短い生涯を終えるのでしょうか」
 全てを諦めながらも、最後までもがく。
 誰にも知られず、誰にも触れられない。存在していたとも、生きていたとも言えないような。そんな短い生涯を。
「……こんなこと言っても、誰が聞いてくれるというの?」
 いつものように、また笑う。それでも、言葉にしないよりはまだましだった。言葉にすれば、誰かに届くかもしれないと思った。
『お望みというならば、貴女をそこから連れ出そう。その手を取り、あなたの騎士となろう』
 思えばそのとき、誰かの声が聞こえたような気がする。
 それは聖なる騎士の言葉か、死神の言葉か。それとも自分自身による一人芝居だったのか。そのときの私には知る由もない。


――


 黒い服を身に纏った、赤い瞳の男は目を覚ました。
「いててて……」
 固い地面の上、しばらく気を失っていた男は背後がひどく痛む。腰をさすればと低木の葉のカサカサと擦れる音がしたことから、茂みに落ちたのだと気が付いた。
(どうしてオレはこんな所に……)
 おぼろげな意識のまま、自分の記憶を整理しようと試みる。
 だがその中でも、先程意識を失っている間に見た夢が気になった。それは、少女が苦悩する夢。
――あれはレナ姫の記憶だ。
 男には確信があった。先ほどレナ姫と目が合った後、記憶を消したのではなく、記憶を奪ったのだ。あの記憶は、その時に姫が強く思っていたことなのだろう。だからレナ姫の苦悩も記憶として、一緒に吸収してしまったのだ。
 そこで男はあることを知った。
「呪われた少女か……」
 夢が映した記憶の中で、赤い瞳の少女を見た。その少女が姫に向かって絶望の表情で言うのを、まるで自分に言われたかのように感じた。
『私、明日死ぬの。あなたは……私を助けてくれる人?』
 助けてと、言いたいのに言えない。どうせ助からないからと、あなたにはどうせ無理だからと。その想いがありありと伝わってくる。
(オレに……無理だと? オレにはできないと?)
 少女に同情する気などなかった。ただ、少女の報われない呟きを聞いて、一種の怒りとも言えるような感情が込み上げてきた。それは男にとって意外だった。
 それから気になったのは、赤い瞳を持つという事。自分の瞳と同じ色。囚われているという意味。何の意味もなく囚われている訳ではないと、男にはわかった。おそらくは何か秘めているのだ。そして何らかの力を持っている。他人事ではないような気さえもしていた。
 少女はレナ姫と全く同じ容姿をしていた。あの少女の事が気になる。その理由は十分すぎる程十分だった。
「面白い。やってやるよ。オレがお前をそこから出してやる」
 自分に出来ないことはない。男はそう思っていた。少女を決して死なせはしない。それは少女のためではなく、わがままにも似た気まぐれだと。男は心で呟いた。
 少女は今にも命の危機が迫っているはずだ。残された時間に余裕はなかった。
 それでも余裕すら伺える笑みを浮かべており、男はそのまま城へと向かうのだった。


――


――コツ……コツ……。
 暗闇の中、扉の向こう側からかすかな靴音が聞こえてくる。今は幽かだが、それは確実にこちら側にやってくる。そしてそれ以外の音がない事から、その静けさが余計に少女をこわばらせた。
(殺される……)
 この場で殺されるのだろうか、それともどこか、知らない場所へ連れて行かれるのか。そして大衆から、痛いほどの視線を浴びながら死んでいくのだろうか。ゆっくりと向かってくる足音は、少女の恐怖心をひたすらに煽った。
 死ぬ時の痛みなど、単なる通過点にしか過ぎない。そのとき恐怖心は、頂点へと達する。あくまで想像にしか過ぎないが。問題はその恐怖心を感じる瞬間を想う時。
 少女にとっては今がそれだった。あくまで想像だが、その恐怖は頭の中で何度も繰り返される。
 叫びたい。今にも発狂しそうだった。しかし少女はその術を知らなかった。
 ただひたすらに震える体。のども震え、内臓さえ逃げ場を探している。目は焦点を失い、肩や背中、顔から冷や汗が湧き出る。そのうちに肺がひきつり、荒い息をあげた。そんな自分に、希薄な嗤いが込み上げてきた。
 殺されない確率は、一気にゼロに近づいた。あれは確実に死神だ。姿は見えなくとも、少女にはわかった。あんなにも遠い場所からでも感じ取ることができた、氷のような冷たさ。悪寒。揺らぎのない機械的な殺気。
 それを感じた時から、死んでしまったようなものだった。生きた心地はなく、すでに生き物として見なされていないような心地の悪さ。絶望的な、人ではなくなった体。いや、すでに体とは言えないかもしれない。それは心を殺した。
 すぐそこまで迫り来る死の恐怖。感じる事すらしなくなり、それが怯えることはなくなった。



                             -第二十幕へ-
 
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