家族
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第一章
第一章
家族
疎開しても何もなかった。正確に言うと何もかもがなくなってしまった。
富田修一は何もなくしてしまった。それがわかったのは電報の話を疎開先の叔父夫婦から聞いたからであった。話を聞いた時はとても信じられなかった。
「嘘や、そんなの」
大きな目をさらに見開いて叔父に対して問う。信じたくなかった。
「皆死んだなんて」
「本当なんや」
だが叔父の修治は苦い顔でこう言うだけだった。小柄な身体がさらに小さく見えた。
「御前のお父さんもお母さんもな。妹達も」
「皆、死んだって」
「本当やで」
叔父修治の横から叔母の恒子も言う。彼女はとても悲しい顔をしていた。
「あんたは一人になったんや」
「一人・・・・・・」
「ああ、一人や」
恒子だけでなく修治も言った。
「一人だけ残ったんや。あんただけ」
「そやからな。いっちゃん」
修治が今呼んだのは修一の仇名である。彼の家は全員修という字を男につけてきている。だから彼をそんな仇名で呼んでいるのだ。わかりやすいようにである。
「あんたは今日からうちの子や」
「叔父さんと叔母さんの子供って」
「だからな。聞くんや」
恒子も言う。
「私等夫婦にも子供はおらへん。そやから」
「わし等の子供になるんや」
それをまた言われた。
「あんただけ残ったから。もうあんたしかおらんから」
「僕しかおらんて。何が」
「家を継ぐ人間や」
修治はまだ幼い修一に対してはっきりと言った。あえて言ったのだ。これは家の為でもあり修治の為でもあった。そこにあるのは複雑な事情によるものであった。
「そやから。ええな」
「それともや」
恒子はここで悲しい顔になって修一に問うた。
「うち等の子供になるのは嫌か?」
「わし等じゃあかんか?」
「そんなん言うてへんやんか」
それはきっぱりと否定した。修一はそこまで聞き分けのない子供ではなかった。
「叔父さんも叔母さんも大好きや、僕」
「そか。それはよかった」
修治はそれを聞いてまずは顔を綻ばせた。修治も恒子も非常に心根の優しい人間である。だから今の修一の言葉に顔を綻ばすことができたのである。
「そやったらええわ」
「私達は」
「けど。ホンマにおらんようになったんやな」
修一は泣きそうな顔で二人に尋ねた。もう初老と言っていい二人に。
「お父さんもお母さんも昭美も実美も良美も」
「ああ、皆や」
「空襲でな」
二人はまた悲しい顔に戻って修一に言って聞かせた。
「この前の大阪の空襲で」
「皆おらんようになったわ」
「皆、皆かいな」
ようやく事情を心で受け止めることができた。受け止めるともう我慢できなかった。涙が溢れ出るのをどうしようもなくなってしまった。
「おらんようになったんかいな・・・・・・」
「悲しいやろな。今は泣くんや」
修治はそんな甥に対して告げた。彼もまた泣きそうな顔になっていた。
「好きなだけ泣くんや、泣きたいだけ」
「あんたが一番辛いんやから」
恒子も同じだった。今にも泣きそうだった。
「何でおらんようになったんや・・・・・・」
「あんなに元気やったのに」
「お父さん、お母さん」
修一はその場で立ったまま泣きだした。ただ涙に滲んだ目に家族の顔が思い浮かぶ。だがそれはもう記憶でしかない。それがわかるから余計に悲しかった。
「照美、実美、良美・・・・・・」
小さい妹達ももういない。誰もいなくなった。彼はその悲しみの前に泣くだけであった。
それからすぐに彼は修治と恒子の夫婦の養子となった。正式の富山家の跡継ぎにもなり彼は叔父夫婦の大きな家に住むことになった。田舎だが大きな家であり生活には困らなかった。彼は疎開先の小学校に通い表面上は楽しく過ごしていたのであった。
だが叔父夫婦にはわかっていた。彼がまだ立ち直っていないことに。
「まだあかんか」
「全然やわ」
二人は夜遅くに今でそんな話をしていた。当然修一に関してのことである。修治は妻の酌を受けながら話をしていたのだった。
「一人になるといつも泣いてるわ」
「そやろな」
修治はそれを聞いて俯いた。そうして一旦酒を口に入れた。殺風景な居間であった。殺風景に見えるのは二人の心が寂しいせいなのかはわからない。だが今は殺風景な部屋になっていた。
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