妾の子
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第六章
第六章
「ですから。小野田様の様な方とは」
「それは」
「ですからすいません」
震える声で言うのだった。
「私は。とても」
「小野田様」
セツがここでまた口を開いてきた。
「はい?」
「言わないでおこうと思いましたがその通りです」
まずはカヨの今の言葉を事実と告げるのだった。
「この娘は私の娘ではありません」
「左様ですか」
「腹を痛めて産んだ子ではありません」
こうも言う。
「ですが。私の娘です」
「えっ!?」
「セツさん、それは」
「カヨさん」
厳かな声をカヨにかけた。目もまた厳かなものになっている。
「貴女は静かにしておきなさい」
「ですけれど」
「母親の言葉です」
今度は自分が母だとさえ言った。言い切ってみせた。
「いいですね」
「母親の、ですか」
「その通りです」
今度はカヨだけでなく小野田にも言った言葉であった。
「ですから御聞きなさい。いいですね」
「わかりました」
「それでは」
カヨも小野田も彼女の気迫を前に頷くのだった。そうして頷くとまた。セツが言うのであった。
「それでです」
「はい」
「娘は確かに妾の子と言われています」
このことをあえてまた言ってみせるのだった。しかしそこには蔑みも哀れみもない。毅然としてカヨを見据えた上での言葉だったのである。
「ですが。だからといって娘を蔑んだり哀れんだりしませんね」
「それはないです」
小野田ははっきりと言い切ったのだった。
「私も百姓のしがない息子。碌に米も食べられない家で育ちました」
「左様ですか」
「はい、貧しいものでした」
陸軍士官学校にはそうした出の者も多かったのだ。この傾向は海軍よりも強く陸軍将校には華族出身者も皇族の方々までおられたがそれと共に貧しい農村の出身者も多かったのである。その中には朝鮮半島出身者もいた。陸軍中将にまで昇進した半島出身者さえいる。
「米よりも麦や雑穀を食べていました」
「それ程ですか」
「東北の貧しい村でして」
当時東北はそうした村も多かったのである。
「市ヶ谷に入るまでは。白米なぞ滅多に食べられませんでした」
「苦労をされたのですね」
「生まれは決してよいものではありませんでした」
だからといってそれを蔑んでいる様子はなかった。
「育ちも。ですから」
「娘を蔑みも哀れみもしないのですね」
「士官学校の同期にもいました」
このことさえ言うのだった。
「妾の子なぞ。何が」
「陸軍は。そういうことにはあまりこだわらないと聞いていましたが」
「陸軍です」
小野田の言葉は絶対の自信をもとにした断言だったがこれには裏付けがあった。陸軍という組織はとかく平等思想が強かったのだ。同時に正義感もかなり強くこれが帝国陸軍軍人の性質の大きな特徴となっていたのである。
「能力があればその様なことは」
「では娘は」
「はい、構いません」
今度も断言であった。
「お嬢さんを是非。私に下さい」
「セツさん・・・・・・」
「母と呼びなさい」
まだおどおどとした様子のカヨに対して告げた言葉はこうであった。
「よいですね」
「お母様・・・・・・」
「そうです」
反論は許さない。そんな言葉であった。その言葉をカヨに告げたのである。
「それでカヨさん」
「はい」
話が最初から仕切りなおされカヨはセツの言葉に頷くのだった。
「貴女はどう考えていますか」
「私ですか」
「この方は貴女を妻に欲しいと言っています」
このことをはっきりとカヨにも言うのであった。
「それに対して貴女は。どう思っているのですか」
「私はです」
「貴女は?」
答えるように少し急かす感じになっていた。
「私を見て頂いて。そうして言って下さっている言葉でしたら」
「左様ですか」
「ええ」
セツの言葉にこくりと頷いてみせた。静かに。
「そして。妾の子でも構わないと心から仰っているのなら」
「それは御安心なさい」
またしても言葉が毅然としたものになっていたのだった。
「この方は嘘を申してはいません」
「そうなのですか」
「目です」
セツが言うのはそこであった。
「あの方の目を。御覧になればわかります」
「小野田様の目を」
「いい目をしておられますね」
セツの言葉の通りだった。確かに小野田の目は清く凛とした強い光を放っている。そこには何の淀みも曇りもない。セツはその目を見て彼を確かめたのである。
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