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僥倖か運命か

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第九章


第九章

 ボールはそのままライトスタンドへ向かって行く。そこには大毎ファン達がいる。ボールは彼等の中に落ちた。
 球場は一瞬静まり返った。だがその直後それは大歓声に変わった。
 近藤はダイアモンドをゆっくりと回っていく。大毎ナインも西本もそれを唇を噛み締めて見ている。この試合はそれで決まったようなものであった。
 永田は顔を下へ向けた。そして黙り込んでしまった。そこにはつい三日前の自信に満ちた姿は何処にもなかった。
 第三戦は終わった。大毎は九回の攻撃は何無く抑えられてしまった。
 大毎ナインは力無くベンチを後にする。西本は無言のまま大洋のベンチを見た。御通夜の様な自軍とは違い向こうは勝利に沸き返っている。
「・・・・・・・・・」
 そして彼はベンチを後にした。無言で引き揚げていく。
 永田は顔を上げていた。だがその目はライトスタンドを見ていた。九回に近藤の決勝アーチが飛び込んだ場所だ。
 誰も声をかけられなかった。皆黙っている。
 試合は三戦全て大洋が勝った。そして次の試合に向かおうとしていた。
第四戦、大洋の先発は島田、大毎は小野であった。第二戦と同じである。この試合でも秋山は先発させていない。
「最後までそう来るか・・・・・・」
 西本は大洋のベンチにいる三原、そして秋山を見て言った。これまでの三試合と同じくここぞという時に投入してくるのだろう。それはもう予定通りであった。
 大毎の先発小野は鬼の形相となっていた。もう負けられない。彼の左腕に全てがかかっていた。
 打線も必死である。何とか点をもぎ取ろうとする。
 しかし試合は双方無得点のまま進む。四回を終わって零対零である。
 だが均衡が破れる時が来た。五回表大毎の攻撃であった。
 まず七番の渡辺清がレフトへヒットを放つ。大毎のレフト山内へのドライブがかかった猛打であった。
 渡辺清。かっては阪急にいた。五五年にルーキーで一三二試合に出場、打撃五位の打率三割三厘をマークした。その年の新人王が榎本であった。彼の打率は二割九分八厘、打撃十位であった。彼にしては面白くなかったであろう。そしてこの六〇年に大洋に移籍して来た。
 このシリーズにぴて彼の起用は一定しなかった。もっともこれは三原の采配の特色であったが。
 第一戦は最後の守備固め。第二戦は三打数一安打。第三戦は代打で登場し四打数一安打。この試合も仮の偵察用メンバーを出した後相手投手が左腕の小野なので七番センターでの出場であった。この男は今日打つ、三原はそう読んでいたのだ。
 そしてそれは当たった。第一打席にはレフト前に打っている。そしてこの打席では二塁打だ。三原は笑みを浮かべた。
 次の打者はキャッチャーの土井である。彼は打撃はお世辞にも良くはない。そして次は投手の島田。何無くツーアウトまで取られる。ここで前の試合に決勝アーチを放った近藤がバッターボックスに入る。
 だが彼はこの試合ノーヒットである。小野は完全に抑えていた。彼は近藤を完全に抑える自信があった。
 カウントは忽ちツーストライクワンボールとなった。小野は近藤を捻じ伏せていた。そして四球目を放つ。
 人には運命というものがある。それは誰にも見えない。そして本人にも筋書きはわからない。それを知るのは神々だけである。しかし優れた眼を持つ者はそれをほんの少しだけ見ることが出来る。そしてそれが出来る人物がここにいた。
 それは誰か、言うまでもなかった。三原である。彼は近藤は打つと確信していた。だからこそ彼に対し前の試合でささやいたのだ。そしてそのささやきは今も生きていた。
 近藤はその四球目を打った。だがそれは詰まっていた。小野の足下に転がっていく。
 小野は口だけで笑った。抑えた、と思った。そして右腕のグラブを差し出した。
 だがそのボールは速かった。小野が思ったよりもそれは速かったのだ。
 打球は二遊間を抜けた。まるで測ったかのように。
 二塁ランナー渡辺は駆けた。彼の脚は速い。忽ちホームを陥れてしまった。
「よし」
 三原は歓声の中戻って来る渡辺を迎えて言った。彼はこの時次の手を考えていた。チラリ、とその手を見る。
「行くぞ」
「はい」
 彼の言葉に声をかけられたその男は一言返した。
 四回裏マウンドには島田がいた。彼はこれまでヒットを浴びながらも何とか抑えていた。
「今日は秋山は出ないのか?」
 観客席で誰かが言った。西本はそれを黙って聞いていた。
「いや、絶対に出て来る」
 彼はそう呟いた。その時三原が動いた。
 アナウンスがピッチャー交代を告げる。そしてその名は。
「ピッチャー、秋山!」
 場内がどよめく。西本の読みは当たったのだ。しかしこの場面で出て来るとは。
「もうこの試合で決着をつけるつもりやな」
 西本はマウンドで投球練習をする秋山を見て言った。そしてベンチに立っている三原も。
 秋山は大毎の並みいる強打者達を危なげなく抑えていく。そしてそのまま試合は進んでいく。
 永田はもう念仏を唱えるばかりである。彼の発言を取材しようとしていた記者達は試合の感想が聞けないことに戸惑いながらもこれはこれで記事になるな、と考えていた。
 しかし西本も大毎ナインも最後まで諦めない。意地を見せねばならなかった。
 七回秋山を攻める。一死二、三塁の絶好の好機である。
「ここで打ってくれ・・・・・・」
 永田の言葉は最早祈りであった。威勢のいい言葉を売りにする彼とは思えないものであった。
 打者は坂本。ここで強打かと思われた。流石に併殺打の可能性は少ない。
 しかし西本はここでもスクイズに出たのだ。だがもうそれは通用しなかった。西本の采配がまずいのではない。坂本の技量が劣っているのではない。もうそれは流れとして、運命として成功しないものだったのだ。
 
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