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僥倖か運命か

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第二章


第二章

 そして西鉄から大洋の監督になった。大洋は六年連続最下位。弱小チームであった。誰もが優勝は無いと思っていた。
 しかし智略を以って優勝した。ライバルに胴上げを許した水原はカメラマンを殴ってしまうという暴挙をしでかしてしまった。これが彼の辞任の一つの理由になる。彼はライバルを四度下したのだ。
 その強かさは不気味な程であった。激情家としても知られ荒くれ者揃いの西鉄を完璧に統率し審判室にバットを持って殴り込んだ事もある。西本も熱い男として知られるが彼には三原の持つドス黒さも無かった。三原は裏の世界の大物達ですら逆らえないどころか手足のように使えた男である。そこまで出来る者は彼の他に鶴岡か水原しかいなかった。底知れぬ沼のような男であった。
 西本はその彼の動きを警戒していた。向こうのベンチを見る。三原はただグラウンドを見ているだけである。だが彼には三原がこちらを見て不気味に笑っているように見えた。
(あの人は絶対に何かをやって来る)
 彼はそう思った。否、確信していた。それは何故か。既にやられていたからだ。
 シリーズ前の予想は誰もが大毎の圧倒的有利であった。毎年決まったように何処かの球団の圧倒的な優勝が言われるがこれは戦力の一面しか見ずに述べているか単なる提灯記事である。この程度の輩達が大手を振って偉そうに論調にもならない事を放言して回っているところに我が国の球界の問題があるのだが彼等は一向に気付かない。単に頭が不自由なのか媚を売っているのかはわからない。だが多くはその予想を見事に外している。だが毎年同じ事を繰り返す。もしかすると彼等は自分で考える脳味噌を持っていないのかもしれない。
 だがこの時は違った。戦力的にはどう見ても大毎が大洋を圧倒していた。ここまでの戦力差のあるカードも珍しかった。ミサイル打線が爆発して終わりだと殆どの者が思った。一人を除いて。
 その一人とは誰か。三原脩その人であった。
 三原は動いた。まず戦前の両チームを包む雰囲気を察しそれを逆手に取る事を考えたのだ。
 まず自分の意に合わない解説者を遠ざけた。そして次に西本との試合前の対談を約束した。
 西本はこれに喜び勇んだ。一代の知将の胸を借りて対談出来るのだ。彼は対談が試合前の前哨戦だと考えた。
 しかし三原はそれを直前になってキャンセルした。西本はこれに驚いた。そして屈辱に身体を震わせた。
 これで西本の心に強張りが出来た。彼はいよいよ強く決心したのだ。
「負けてはならぬ」
 本来は圧倒的な戦力を誇っている筈なのに。彼は妙に力んでしまっていた。
 三原はそれを見てほくそ笑んだ。そして西本がこう言ったのを聞いた。
「あの人は何を考えているのかわからない」
 彼はその言葉を聞いて笑った。まずは将の動揺を誘う事に成功したからだ。
 焦る西本。しかし永田は相変わらずであった。
 彼は完全に舞い上がっていた。連日マスコミの前に立ち彼等が言う大毎の優勢に鷹揚に頷いていた。
 オーナー同士の対談が行なわれた。大洋のオーナーは中部謙吉。永田より年上であったが永田は彼をこう呼んだ。
「中部君、中部君」
 と。もう完全に勝ったつもりであった。
 司会は報知新聞の社長が行なった。派手好きの永田にとって司会も記者クラスでは満足出来なかったのだ。
「中部君とこの大洋ホエールズというチームは実に理想的な素晴らしいチームだ」
 彼は言った。褒めているが完全に勝ってつもりでいる。
 彼は大洋の優勝を大阪出張中にラジオで聞いたという。
「全国の港、港の鯨か鮭の船かは知らん。しかしその船という船が汽笛を一斉にボーーーーッ、と鳴らしたんだな。大洋漁業という会社の団結の強さを知って感動したなあ」
 と言った。話はさらに続いた。
「土井捕手の奥さんが『女房役の女房として光栄に思う』という手記を発表していたなあ。わしはそれを読んで泣いた。一人で会社の屋上に上がって泣いたよ。大洋というチームはようまとまっとると感心した」
 最早彼の独壇場であった。ラッパ節全開であった。だがこの時彼は知らなかった。その土井に彼は奈落の底に落ちるきっかけを作られてしまうのだと。
 彼の話はある種の人の良さが出ていた。周りはそれを聞いて苦笑していた。これが彼の人間臭さの表れであった。彼は人の情けも心も知っていたのだ。それを知っているからこそ皆笑っていた。
 しかしそれが裏目に出る事も多いのが世の中である。仮にも一人で会社を動かしていた男である。それがわからぬ筈はなかった。しかし彼は舞い上がるばかりその事を忘れていた。そして試合は始まろうとしていた。
 まずはそれぞれのチームの帽子を被ったオーナー達が花束を手に握手する。双方のチームの選手達が入場する。その先頭には監督がいる。
「・・・・・・・・・」
 西本は三原を見た。だが三原は彼を見ない。戦いは始まろうとしていた。
 まずは始球式。この時の慣習では開催球場がある市の市長に頼むことになっていた。この場合は川崎球場で行なわれるので始球式は川崎市長。だが永田はそこでも派手にやった。
「わしのチームが出るシリーズや。ここは一国の宰相に投げてもらうか」
 この言葉に球界関係者は皆驚いた。そんな事は今まで考えられなかった。またやりやがった、ある球界の大物が顔を顰めたという。話を持ってこられた当時の首相池田隼人も驚いたという。
 だが頼まれて嫌と言えば男が廃る。池田は冷徹な切れ者の印象が強いがそうした事は快く引き受ける親分肌も併せ持っていたのだ。彼は喜んでその頼みを受けた。
 捕手は金刺川崎市長。永田はきちんと相手の大洋、そして川崎の顔を立てたのだ。
 彼はそれを中部と並んでネット裏に座った。彼にとってこの始球式は自分のチームが日本一になる前の幸先良い幕開けであった。彼は知った顔を見つけては声をかけていた。
 
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