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僥倖か運命か

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第一章


第一章

                    僥倖か運命か
 人は時として恐ろしいまでの強運に恵まれる時もある。かって連合艦隊を指揮した東郷平八郎は類稀な強運の持ち主として知られていた。彼が司令官に任じられたのはその将としての資質もそうであったが強運も考慮されたのである。山本五十六も運の無い人物を使いたがらなかったという。いざという時に運に見放されるというのは戦場においては致命的な敗北に繋がるおそれがあるからだ。
 運、それは偶然である。これは人には如何ともし難くどうしようもないものである。人は時としてこれに大きく左右される。運に恵まれている時は何をしても上手くいく。しかし運が無いとその逆だ。落ちていくばかりである。
 それは運命だという人もいる。確かにそうかもしれない。人の一生はほんの数秒先でさえわからないものなのだ。それを知るのは運命の女神達だけである。彼女達の糸の紡ぎ次第でどうにでもなるものだ。それだけ不安定かつわからないものである。
 そうした運命論は非常に大きな主張となる場合がある。それはどんなものにおいてもそうである。戦争においても政治においても。そしてスポーツにおいても。
 スポーツ、そう野球においてもそうである。否、野球程それが大きな意味を持つものもそうないのではなかろうか。あの戦いの時のように。
 昭和三五年、この年の日本シリーズは以外な顔触れであった。
 パリーグは大毎オリオンズ、ミサイル打線で知られる強打のチームである。
 ミサイル打線、その名を憶えておられる年配の方も多いだろう。シュート打ちに名人として知られる山内和弘を筆頭に首位打者榎本喜八、阪神から移籍した田宮謙次郎、葛城隆雄等強打者が揃っていた。そしてエースとして小野正一がいた。そのそうそうたる顔触れを率いる将が西本幸雄。後に阪急、近鉄を優勝させた不世出の名将である。
 これ以上はない強力なチームであった。この時パリーグは野武士集団と言われた西鉄、名将鶴岡一人が率い杉浦、野村といったスター集団を揃えた南海等強力なチームがあったが大毎の力はそれ以上であった。
 打線は開幕早々爆発した。六月に入るとリーグタイ記録の十八連勝、そのうち小野が十五試合に登板して十勝をあげていた。打線は前述のように榎本が首位打者、二位に田宮、三位が山内と上位を独占、そして山内は本塁打王と打点王を獲得していた。小野は三十三勝で最多勝であった。まさに無敵であった。
 しかもそれを派手に宣伝する者がいた。大毎のオーナー永田雅一である。
 彼は大げさな身振り手振りと絶妙かつ威勢のいい言葉、派手好きな性格で知られていた。映画会社大映の社長としても有名であった。『ラッパ』と呼ばれとかく話題の人物であったのだ。
「いやあ、あれ以上はないという程の堂々たる優勝だな」
 彼は満面に笑みを浮かべて言った。
「京都の実家でお袋に会いに行った時こぼしたんじゃ。『わしゃあ何か前世で悪い事しかんかのお。一所懸命やっとるのに野球だけは報われん』とな。甘えてのう」
 彼は政界にも顔が利き映画人としては『羅生門』『忠臣蔵』『日蓮と蒙古襲来』等派手な大作で世界的に知られていた。ちなみに彼は熱心な日蓮宗の信者であり身延山に詣でる事が多かった。日活に若きスター石原裕次郎を取られていたが映画監督として市川コン、増村保造、俳優として勝新太郎、長谷川一夫、市川雷蔵、山本富士子と大物を揃え君臨していた。ワンマンであったが力があった。大映は実質的に彼のものであった。
 だが今まで野球では今一つパッとしなかった。大映スターズは伸び悩んでいた。
 しかし毎日オリオンズと合併し『大毎オリオンズ』になると意気上がった。そして優勝したのだ。
「けどそん時お袋は言うたんや」
 彼は得意気に言った。とにかく何でも話してしまう人物であった。
「『けどあんた、一所懸命に人に尽くすことは続けなあかんで』とな」
 彼は母親の口真似までして言った。これが永田独特の話術であった。時に激しく、時に人の情に訴える。いかなる場面でも人の心を掴む。そうした話術であった。
「それが今報われたのお」
 得意の大弁舌であった。彼は有頂天であった。
 それに対して大毎を率いる西本は表情を暗くしていた。
 彼は就任一年目にしてチームを優勝させた。早速若き名将と謳われるようになった。強力なチームを率い彼の運気は上昇気流に乗っていると思われた。
 だが彼は後にこの時を含めて八回のリーグ優勝を達成した男である。その眼は厳しかった。彼は冷静に自分のチームの状況を見ていた。
 オールスター明けに南海に首位を奪われたことがある。後半自慢の打線も下降線にあった。明らかに前半戦飛ばした疲れがあった。シリーズにまでその疲れが残っている怖れがある。
 そしてオーナーは舞い上がっている。選手達にまで吹聴して回っている。彼等が慢心すると危険であった。油断すればそこを付け込まれる、それは勝負の世界にあっては常識であった。そして相手のチームの将はそうした事が何よりも得意な人物であった。
 対するチームは大洋ホエールズ、将はかって巨人、西鉄を率いていた三原脩である。
 三原脩、球史にその名を残す男である。早稲田大学卒業後暫くは株で飯を食っていたと言われる男でありその智略と勘は恐るべきものであった。
 巨人においては別所を南海からいまだに語り継がれる強引なやり方で強奪に近い形で獲得した。そして優勝させた。西鉄においては自らスカウトまでして集めた戦力を育て上げ黄金時代を築き上げた。その時の水原茂率いる巨人との日本シリーズ三連戦は今でも最高の勝負として知られている。
 このシリーズの最後の戦いで雨を理由に試合を中止させたりオーダーを変更させたりした。これに水原が怒った。この二人は同郷出身であり大学時代からのライバル関係であった。そもそも三原が巨人から西鉄に移ったのは水原との確執もあったのだ。
 
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