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マウンドの将

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第十二章


第十二章

 そして十月二七日、遂に第六戦がはじまった。先発は予告通り川村と西口であった。
「おいおい、本当にあの二人かよ」
 観客達もまだ信じられなかった。
「こりゃ打撃戦になるぜ」
 彼等は口々にそう言った。だがマウンドに立つべき二人と指揮官は違っていた。
「この試合は接戦になる」
 指揮官達はそう見ていた。彼等は二人の目を見ていたのだ。
 初回西武はいきなりチャンスをつくる。一死三塁でバッターボックスには高木である。
 やはり川村は精神面で問題があるのか。ストライクが上手く入らない。
「・・・・・・・・・」
 キャッチャーの谷繁はそれを冷静に見ていた。強気のリードで知られる彼だがここでは完全に落ち着いていた。
 ここで川村は谷繁のサインに頷いた。そして投げた。
 それはチャンジアップだった。高木はそれに泳がされサードへのファウルフライに終わった。
「あそこで緩い球を投げるとはな」
 東尾はそれを見て呟いた。
「あんなリードはそうそうできるものじゃない。これも権藤さんの教えか」
 その通りであった。谷繁はピンチにおいても緩い球を投げる度胸を権藤から教わっていたのだ。
 これで西武の先制のチャンスは潰れた。四番鈴木健もあえなく倒れ西武結局この回無得点に終わった。
 それは西口も同じだった。得意のチェンジアップが決まると彼の顔に生気が戻ってきた。これで彼は本来の調子を取り戻した。
 それを見た中嶋もリードを組み立てた。非力なバッターにはストレートを、バットコントロールに長けたバッターにはチェンジアップを、と的確に攻めていった。
 だが川村もそれは同じである。彼のピッチングの前に西武打線はホームを踏めないでいた。
「遠いな」
 四回表、東尾は呟いた。
 一死一、三塁の絶好のチャンスである。ここでバッターボックスに入るのは中嶋である。彼はバットでもこのシリーズ貢献していた。五球目であった。
 ここで西武はエンドランを仕掛けた。一塁にいた高木浩之が走った。中嶋はボールを的確に打った。
「いった!」
 西武ベンチはその打球を見て確信した。センター前を抜けるクリーンヒットだった。
 普通だったらそうであろう。しかしそこに高木の動きを見て二塁へのベースカバーに向かっていたローズがいたのである。打球はローズのグラブに収まりあえなくゲッツーとなった。
「ツキがないな・・・・・・」
「いや、采配ミスじゃないのか、あれは」
 西武ファン達はそう言い合って嘆息した。あまりにも悔いの残る併殺であった。
 こうして西武は得点できないでいた。こうして試合は進んでいく。
「得点が欲しいな」
 川村も西口もそう思った。だが互いに踏ん張り得点を許さない。こうして思いもよらぬ投手戦が続いた。
 七回裏川村はバッターボックスに入った。ここまで両チーム共無得点である。
「今日はこのまま川村でいくつもりかな?」
「そうじゃないの?今日は調子がいいし」
 観客はそれを見て囁きあった。
 だがそれはなかった。八回先頭打者の松井にヒットを許し大友が送り一死二塁となる。打席には左の高木。西武にとっては先制のチャンスだ。
「よし、ここで打てばヒーローだぞ!」
 東尾はバッターボックスに向かう高木に対してハッパをかけた。こういう時の東尾の声は非常に大きい。権藤はそれを黙って見ていた。
「今だな」
 彼はそう呟くとベンチを出た。
「おや、交代か?」
 観客達はそれを見て呟いた。
「川村を最後まで引っ張らないのか」
 権藤は背中からそれを黙って聞いていた。そしてマウンドにいる川村に対して声をかけた。
「今までよく投げてくれた」
「はい」
 温かい言葉だった。川村はそれに対して頷いた。
「ピッチャー交代」
 権藤は川村に声をかけたあとで審判に交代を告げた。
「誰だと思う?」
 一塁側スタンドにいる観客達は予想を言い合った。
「阿波野じゃないのか?相手は左の高木だし」
「だろうな。このシリーズの阿波野は絶好調だ」
 予想通りだった。リリーフカーに乗ってきたのは阿波野だった。彼は権藤の見守る中投球を開始した。
「やっぱり阿波野か」
 東尾はマウンドの彼を見て呟いた。高木のあとは鈴木健、予想された継投であった。
「まあいい。思いきり振っていけ」
 かれは作戦を伝えた。高木はそれに頷いた。
 だが粟野は絶好調であった。高木をセカンドゴロに打ち取り次の鈴木健もレフトフライとした。西武の攻撃はこれで終わった。
 チャンスを作りながらも得点ができない。こうした状況はピッチャーにとっては大きな精神的負担となる。西口は顔にこそ出さなかったが内心追い詰められだしていた。こうした時の彼は危険だった。これが巨人の桑田真澄のように安定感の強いピッチャーや阪神の井川慶のように図太いピッチャーなら問題はなかっただろう。彼等はあくまで自分の力と技で相手を抑えてみせると飲んでかかれるからだ。
 だがそれが出来ないピッチャーもいる。精神的に脆いピッチャーは特にそうだ。やはり西口は精神的にはそれ程強くはない。覇気がないとも言われるが投手特有の繊細さが特に出ている男なのである。
 八回裏の横浜の攻撃である。まずはこのシリーズで散々苦しめられた石井を三振にとった。次のバッター波留を四球で歩かせる。ここで石井以上にこのシリーズでは痛めつけられている鈴木を迎えた。
「走らせはしないぞ」
 キャッチャーボックスに座る中嶋は一塁にいる波留を見た。石井程ではないが彼も脚は速い。警戒が必要であった。西口にはバッターにだけ集中させた。そうでなくては到底打ち取れる相手ではなかったからである。
 彼は投げた。カーブである。明らかに打たせて取る為だ。
 それは当たった。鈴木は泳がされ打球は詰まった。そしてセカンドに転がっていく。
「よし!」
 西口の顔から笑みが零れた。これでダブルプレーとなる筈であった。
 だが打球があまりにも弱かった。セカンド高木浩之は一塁に向かう鈴木を諦めランナーである波留を殺そうとした。ボールを収めタッチに向かう。
 だがここで運命の女神は西武を振った。何とタッチする瞬間に波留が転んだのである。
「えっ!」
 これには西口も驚いた。前屈みになりタッチを逃れた。そして判定はセーフであった。
「おい、ちょっと待て!」
 これに血相を変えたのが東尾であった。彼はヘッドコーチである須藤と共にセカンドベース上に向かった。
 
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