赤城と烈風
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★改訂前
海の真珠
1911年9月イタリア軍が動き、地中海南岸を襲った。
フェザーン地方進撃、制圧後に要衝ロードス島も奪う。
オスマン・トルコ帝国指揮中枢、《海の真珠》イスタンブル掌握の野望は実現していない。
翌年10月バルカン同盟が動き、ブルガリア軍は単独で帝都西方40km前後に進む。
帝国軍反撃密度は濃く、損害が激しい。
同盟国ギリシア、セルビア、モンテネグロ軍の進撃は順調に進んだ。
12月休戦の後、帝国領分割の議論は難航が続く。
ブルガリア軍は最も犠牲者が多く、占領地面積が狭い。
各国代表は譲らず、連携が崩れる。
1913年6月第二次バルカン戦争が勃発、帝国軍の東トラキア奪還に道を開いた。
ロシア皇帝も露仏同盟を盾に戦艦の南下、地中海で待機を命じ帝都占領の時機を窺う。
1914年フィッシャー提督が動き海相、チャーチル卿を戦略的攻勢に誘う。
「オスマン帝国首都イスタンブル強襲、ペルシャ湾沿岸産油地帯占領を実施せよ。
黒海北岸から東部戦線に武器弾薬供給、独露両軍の疲弊も望める」
南北挟撃の野望を煽り、密書が皇帝に届く。
青年トルコ党指導者は独墺皇帝、同盟軍と連携を選んだ。
1915年2月アルハンゲリスク港に戦艦『ジュピター』が着き、結氷海域に補給線を通す。
3月14日ダーダネルス海峡、ボスポラス海峡を艦砲射撃が襲う。
海上補給線で帝政ロシア陸軍支援、東西挟撃の戦略的攻勢は膠着状態を衝き崩し得る。
4月10日夜『ヌスレット』が機雷50個、両岸に並行、縦に長い罠を敷く。
18日、巡洋戦艦4隻と戦艦13隻が動いた。
英仏露海軍の提督達は野望に燃え、功を焦り、隘路の罠に嵌る。
戦艦『ブーヴェ』『オーシャン』、巡洋戦艦『イレジスティブル』が姿を消す。
砲台群の連射で戦艦『ゴーロワ』『シュフラン』、巡洋戦艦『インフレキシブル』被弾の損傷も無視できない。
19日ボスポラス海峡には戦艦5隻が現れ、砲撃を繰り返す。
25日ダーダネルス海峡は避け、ガリポリ半島西岸に英仏連合軍の揚陸が開始された。
5月12日深夜ドイツ製の駆逐艦が南下、エーゲ海で戦艦『ゴライアス』撃沈後マルマラ海に凱旋の評価は高い。
25日『U21』も現れ戦艦『コンスタンティノープル』を撃沈、海底鎮座後28時間も動かず雷撃の機会を探る。
27日『U21』は『マジェスティック』も撃沈、ヘレス岬から英仏製の戦艦群が離れた。
群衆は帝都入港の艦長を英雄扱い、戦艦の駆逐者と賞賛の声も湧く。
12月20日ガリポリ半島の侵攻軍は撤退、黒海北岸に軍需品揚陸の戦略的強襲が潰える。
バレンツ海沿岸の英国製戦艦は厳寒期も駐留、砕氷艦として航路を維持の激務が続く。
1917年1月4日『リューリック』が『U73』敷設機雷に触れ、ポートランド北方海域で姿を消す。
僚艦3隻は遭難を免れ、バレンツ海で補給線の護衛任務に廻る。
1918年皇帝銃殺後ドイツ、オーストリア皇帝も実権を奪われた。
・1915年、ダーダネルス海峡進攻(4月3隻、5月3隻沈没後の増援を含む)
巡洋戦艦
『クイーン・エリザベス』(42口径381㍉砲4基8門、45口径152㍉速射砲16門、24㌩)
『インディファティガブル』(45口径305㍉砲4基8門、45口径102㍉速射砲16門、25㌩)
『インヴィンシブル』『インドミタブル』『インフレキシブル』(〃、〃、25.5㌩)上記5隻、英国製
戦艦
『ブーヴェ』(45口径305㍉砲2門、45口径270㍉砲2門、45口径140㍉速射砲8門、18㌩)
『デモクラティ』『ヴェリテ』(〃、50口径194㍉砲10門、18㌩)
『パトリー』(〃、45口径164㍉速射砲6基12門+単装6門、19.2㌩)
『シュフラン』(〃、〃10門、18㌩)
『シャルルマーニュ』『ゴーロア』(〃、45口径139㍉速射砲10門、18.5㌩)上記7隻、フランス製
『ダンカン』『コーンウォリス』『エクスマス』『ラッセル』『アルベマール』(〃、45口径152㍉速射砲10門、19㌩)
『ロンドン』『ヴェネラブル』『クイーン』『プリンス・オブ・ウェールズ』(〃、〃、18㌩)
『イレジスティブル』『インプラカブル』(〃、〃12門、〃)
『マジェスティック』『プリンス・ジョージ』(35口径305㍉砲2基4門、40口径152㍉速射砲12門、17㌩)
『カノーパス』『グローリー』『アルビオン』『オーシャン』『ゴライアス』『ヴェンジャンス』(〃、〃、18㌩)
ロシア海軍の戦艦、装甲巡洋艦
『コンスタンティノープル』『リューリック』上記21隻、英国製
『ヴォストーク』『ポサドニック』イタリア製
『チェスマ』(50口径254㍉砲2基4門、45口径152㍉速射砲4基8門、50口径120㍉速射砲20門、21㌩)英国製
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