アセイミナイフ -びっくり!転生したら私の奥義は乗用車!?-
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第15話「私、とりあえず宿屋」
その日の食事は豪華なものだった。宿の賄いはやはりつくしにとっては貧相なものだ。
当然のように日本の飽食時代に慣れていたつくし、イダにとってこの世界の食事は
結構どころじゃなく貧相だと思えていた。もう既に慣れているものとはいえ、
こうした街の出店やレストランでもなければ、それなりものが食べられないのは確かに
もったいないと思っていた。家に帰ったら、私が知ってるレシピをお母さんに教えようか。
イダがそんなことを思っていると、ストランディンから声をかけられた。
「大丈夫?なんか考えこんでるみたいだけど」
「あ、いやなんでもないわ。ちょっと、思うところがあて」
心配そうに覗きこむストランディンにそう答えると、木のスプーンを使って
目の前の肉と豆のスープを掬う。ほんのりと塩味のするスープは、彼女が前世のそれよりも
随分と薄く感じられた。無論、つくしではなくイダとして十分な味だとも思ったが。
…そういえば、元の世界でこの文明レベルだとスプーンは取り分け用しかなく、
スープは具を手づかみで食べて、スープそのものは口をつけて飲むようなものだったはず。
しかし、普通にカヴェリでもプロイスジェク全体でもこうした木製のスプーンや、
鉄製、銅製のフォークが一般的に用いられていた。
また、それだけではなく箸やレンゲなども用いる。それこそ、日本のあの時代のように。
これは不思議だな、と彼女は思った。
「あの、すいません。こういうフォークとかスプーンっていつぐらいから広まったんですか?」
その言葉に、そんなことも教えてないのか、と一瞬リックに冷たい視線を送って
ドライベールはニコやかに答えた。
「大凡300年ほど前、我が国の初代皇帝ロイヒテンド帝が広めたと言われております。
最初は毒があると信じられていた鉄や銅を口に入れることは忌避されていましたが、
その便利さがわかると徐々に広まっていったということです」
彼の言葉を捕捉するように、向かいの席に座っていたフェーブルが話を始める。
「かつては西方の国々と同じく手づかみで食べるものが多かったのですが、
やはり初代皇帝が提唱し、ある精霊使いによる「病の精霊」の発見以来
その対策を練ることが求められました。そこで錬金術師や魔素魔導師が様々な実験を
行った結果、病の精霊を食べ物に付けないためにはこうした食器を使うのが一番だと
わかり、こうしたフォークなどの導入を国策として始めたのです。
残念ですが、何にその病の精霊が付くのかがわからないので、
抜本的な対策はとれてはいませんが、以後お腹を壊す人は大分減ったということです」
上品にライ麦のパンを裂きながら言う彼女の齎した情報に、
イダは思わず「え!?」と大きな声をあげてしまった。
「…なんですか?そんな素っ頓狂な…」
「や、やあなんでもない!」
慌てて赤くなって笑う彼女にストランディンが苦笑しながら付け加えた。
「放っておくと増えちゃうし、増えるのを止める方法がそんなに多くないから、
いつでも汚れたところは水で清めるのが常識になってるのよ。
それもその初代皇帝様が広めたってわけ」
―――驚きだった。掛け値なしに驚きだった。
石造りのこの街であまり悪臭がしないのは、それを知っているからなのか、と納得もする。
ヨーロッパで衛生観念というものが根付いたのは比較的近年のことだ。
衛生観念の無さは、ペストやコレラなどの死病を誘発する大きな原因だ。
特にペストでは一時人口の3分の1を失うほどの被害をもたらし、
それが社会不安となって魔女狩りやユダヤ、ロマなどの少数民族の迫害にも
繋がってしまったのである。
確かに、人と他の種族が特に偏見もなしに付き合っていられるという背景にも
納得がいくものがあった。
そしておそらく病の精霊というのは、細菌やウィルスそのもののことか、
それに取り付いているものなのだろう、この世界では。
…抜本的な対策はできずとも、水で清める、砂で洗うなどの対処が可能な分、
死病の発生は極力抑えられるはずであった。
その初代皇帝とは何者だったんだろう。当然の疑念が彼女の心に湧いていった。
…もしかすると、と思う気持ちもあったが、その想いは口にはしなかった。
「その方って…当然亡くなってますよねえ」
「それはそうですね。プロイスジェクの皇族は人間の血統ですから」
ドライベールの言葉に、あからさまに肩を落としたイダは、目の前のスープの最後の一匙を
口の中に入れて鈍く笑った。
「ありがとうございます。ドライベールさんって、ほんと物知りですね」
「いやいや。貴方のお父上も知っているはずの話ですよ。はっはっは」
いささか脂肪のつきすぎた腹を揺すって笑うドライベールに、リックが「しつこい」と
ばかりに娘とよく似たジト目を向けていたことは、グウェンしか知らなかった。
主菜にシャリアピンステーキが出てきて驚いたこと以外は、後は普通にこの世界では
豪勢な部類の食事だったといえる会食もそろそろ終わる。
最後に出てきたのはフローブという彼女も知らないハーブで作られたお茶だった。
…イダはこの時、自分の知っている事柄が不完全ながらもこの世界に存在することを
少しだけ訝しんでいたが、それはすぐに頭から消した。
想像できることはいくらでもあった。例えば、同意書には「患者ID 0000000674」
と書いてあった。ということは、もしかすると自分と同じような人間が過去に
何百人もいた、という可能性も否定はできないのだ。
だとするなら…心当たりはまだある。飲酒の制限はこの文明レベルなら、ほぼないはず。
にも関わらず人間やエルフは二十歳になるまで酒を飲めないことになっている。
もしかすると、この世界にはそんな「前の世界」から来た人の痕跡があるのかもしれない。
証拠を集めないといけない、と思って、今はそのことを頭から消した。
「…ごちそうさまでした。食べておいてなんですけど、すごく豪華でしたね…」
イダがそう言うと、ストランディンやフェーブル、グウェンも肯んじた。
「それはもう。いい商売をさせてもらいましたからね。アレほどの香辛料はなかなか、です。
もし定期に納入することができるのであれば、素晴らしいのですがね」
先ほどの話で言ったことをもう一度言って微笑むドライベールの目は笑ってはいなかった。
「商売人になったよなあ、ほんとに」とリックが揶揄すると、「それは仕方ないでしょう」と
今度は目も笑って答える。
「ですが、本気ですよ。もし遣いの森にそういう場所があって、森守の人々が提供…いえ、
売却してくれるのなら、と思います。実際は無理でしょうけどね」
そう言って、これ以上この話はナシだ、と言わんばかりに「そろそろ次の仕事の時間です」
と言って彼は立ち上がった。
「どうかみなさんごゆっくり。それとリック。厄介事に首を突っ込む時はもう少し慎重に。
前から言っているでしょう?そこのお嬢さんたちのこととか、ね」
微笑みと裏腹の笑っていない目でそう言ってドアへと向かっていった。
「お忙しいところ、ありがとうございました」
「いえいえ、こちらもいい商売ができて嬉しいですよ」
イダの素直な言葉に、彼は顔だけ振り向いて素直に返す。
「…娘さんや奥さんにも迷惑かかってしまいますからね」
念押しの釘刺しを見舞って、ニヤリと太った商人は笑った。
「わかってるよ。まったくいつもお前はイヤミだなあ。それじゃまたな」
リックの苦笑に苦笑で返し、ドライベールはドアに手を掛ける。
「それは昔からですからね。それではまたどこかで。
チェリー。お客様を玄関までご案内なさい。失礼します」
チェリーに一言言付けると、ドライベールはドアをバタンと閉めて去っていった。
「あ。なんでお嬢さん…?って、行っちゃったか…」
お嬢さん…ストランディンとフェーブルを見ながら言った言葉の意味を問う間も無く。
「お気をつけてお帰りください。
奥様への早馬は我が商会が責任をもって行わせて頂きます。
…報酬金の送付につきましては、盗賊や魔物の数が例年より多いため、責任が持てません。
申し訳ありませんがご了承ください」
チェリーはペコリと頭を下げて、玄関に立つリックたちに別れを告げた。
三つ編みにした髪が揺れ、香油の淡い香りが漂う。
「うん、さようならチェリーさん。またどこかで会いましょう」
香油の香りを胸に吸い込むと、イダはそう言って彼女の手を握った。
その行為に一瞬、感情の動きが見えたが、それはすぐに消える。
「はい。ありがとうございます」
その言葉を合図に5人は玄関をくぐって外に出た。雲はなく、いい日差しだ。
その陽射に目を細めながら、グウェンはストランディン達へ声をかけた。
「…お嬢しゃん、あの人に会ったことはあるかにゃ?」
彼女の言葉に、二人共首を横に振る。たまに屋敷には来ていたそうだが、
応対は父や執事が行なっていたとのことだった。
「私達が補佐役になったのが1年前。それからは来てはいなかったと思います。
直接会ったのは今日が初めてです」
リックはその言葉になるほど、と頷いて「やっぱ知ってたな。街の兵士ですら知ってんだ。
アイツが知らないわけがない。韜晦しやがったな」と悪態をついた。
「…ってことは…面倒な事にはならないといいんだけどなあ…」
「にゃー、それは無理かもしれないにゃあ。多分、イダはロックオンされたにゃ。
性的じゃない意味で」
イダのげんなりした声に、心なしか嬉しそうな顔でグウェンは言った。
「楽しそうね、グウェン」
「にゃあ、そりゃあ金持ちとは仲良くするべきだにゃあ。
半年に一回こっち来るなら、そん時にまたもらった、ってことで売ったげたらどうにゃ?」
手を腰の裏で組み、イダの顔を覗き込む少女の姿にイダはため息をつく。
「…それでばれないならいいけどね。とにかく、売るもんは売ったし、次は…」
「ああ、次はウヴァの街へ行く番だな。ここから4日ほど歩くと到着する。
まあ、今日はもう夕方に近いし、明日から向かうことにしよう」
イダとリックはそう言って、三人に向き直った。
「よし!まずは宿に戻るぞ!細かいことは後で考えよう。今日はもう戻って休むぞ」
リックの宣言に、三人とも頷いて、そして宿屋への道を歩き始めるのだった。
―――その夜。
イダは寝付けず、フェーブルが回復魔法を使えることを確認してから、宿の部屋で日課の
筋トレを始めようと思っていた。だが…
「あれから24時間そろそろ経ちます。
声が出せなければ魔法も使えません。申し訳ありませ…」
と言って、口をパクパクさせるフェーブルを見て、断念した。
…音繰りの魔法の弊害で、1日経つとそれから1日の間まともに喋れなくなってしまうのだ。
それが話している最中に訪れてしまったので、筋肉痛で動けなくなっても
何とか出来るものはいない、ということになってしまった。
フェーブルは身振り手振りで申し訳ない、ということをアピールしてベッドに潜り込む。
リックやグウェンはもう既に寝ているし、起こす可能性もあったから、
それはそれで仕方ないと思って自分もベッドに入った。
「…夜はなべて事もなし、とはいかない、ってことだよね。あのチェリーって子も…」
瞑目して、今を思う。昔のことはどうでもいい。不意に入手した様々な「前の世界」の
痕跡じゃないかと思われる情報。ジェイガンが言っていた「たまにいる転生者」の話。
転生者が他にいるならば、私の状況ももう少し的確にわかるかもしれない。
…勿論、そうするためには旅に出なければいけないし、今のまま宿に居たければ
する必要もないことは彼女にも十分わかっていた。
「…眠れないんだ?」
ストランディンの声が耳元でした。
「…何?」
「私もちょっと眠れなくて。まだ下の酒場はやってる時間だから、行ってみようよ」
ストランディンの茶色い瞳が間近でイダを射抜く。
「お酒は出してもらえないだろうけど、ホットミルクとかさ。いいと思うんだけどなあ」
それはたしかに魅力的だった。カヴェリにいてはあまり牛乳などを飲む機会もない。
「帰ってきた時聞いたんだけど、裏で牛鳥を飼ってて、新鮮なミルクが飲めるんだって」
…決定した。イダはベッドから即起きると、寝間着から着替えを始めた。
「ところで、牛鳥ってどんな生き物なんだっけ?」
ズボンを履きながらそう言うイダに、ストランディンはやっぱりちょっと呆れて
「文字通り、牛と鳥がひとつになったみたい生き物よ。
肉も乳も脂が少ないからさっぱりしてるの」
へえ、そうなんだ、と言いつつ服を着終えたイダはドアにそっと手をかける。
ドアにはフェーブルが「鍵(ロック)」の魔法がかけてある。
決められたキーワードを言うか、「鍵開(アンロック)」の魔法を使うか、
或いは無理やり力で壊す以外では開くことはなくなる。
キーワードはイダが決めていた。
「―――水野晴郎」
金曜ロードショーやシベリア超特急シリーズで有名な映画解説者の名前を言うと、
ドアは静かに開いてしまう。
「…ミズノハルオって何?」
「さあ?転生前に有名だった人、なんじゃないかと思うんだけど」
ストランディンの疑問をはぐらかせて外に出る。すると、ドアはなにもしないまま
静かに…カチリ、と鍵がかかる音だけを残して自動的に閉まったのだった。
―――むくり。
不機嫌そうな顔で、ドアが閉まるのを確認し起き上がったのはグウェンだった。
「にゃあ。イダってば、自分がどういう立場に今あるのか、ってわかってないにゃ」
素早く着替えると、彼女はナイフを片手にイダたちの後を追って外へと出た。
…きっと騒動が待っているだろう。騒動を引っ掻き回す楽しみもあったが、
それ以上にイダへの心配が勝る。やれやれ、と心で呟いて階段を目指すと…
―――ガシャアアアアアン!!
――――何すんのよ、このあんぽんたん!!
…盛大な破砕音と共に、心配していた本人の声が響いてきた。
―――案の定すぎるにゃあ…
と、呆れの粒子をまとったまま、グウェンは速度を上げ階段を一気に駆け下りた。
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