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それぞれの白球

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加持編 血と汗の茶色い青春
  第五話 俺の野球、是礼の野球

第五話


帰省から戻ってからの1月、2月はあっという間に過ぎていった。冬のトレーニングは、当たり前だが厳しい。しかし、合宿の地獄を経験した後では、何とも思わなくなっていた。あの絶望感に勝るものはない。余裕も無いが、その代わり、死にたくなるような事もない。そうして3月になり、ボチボチ技術練習も始まった。

体力トレーニングの成果は、すぐに表れた。ロングティーをすると、サブグランドの端から端まで、凡そ100mほどの所にあるフェンスにガシガシ当たる。腹筋、背筋、ハムストリングスなんかの筋肉の隆起は、まるでギリシャ彫刻のようになっていた。

帰省で微妙に褒められて以降、ただ耐えるだけだった高校野球に、少しだけ意味が見出せるようになっていた。自分自身がゆっくりと、少しずつでも成長している実感が持てた。その実感が、それからの俺を支えてくれた。



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一球一球、力を込めて、「おら!」と声を上げて投げ込んでくるその顔は、下克上に燃えているようにも見えた。

この頃から、同級生の香椎光輝の球をよく受けるようになった。地元中学出身の左ピッチャーで、身長は164センチしかないというのに、腕を振って思い切り良く真っ直ぐを投げ込んでくる。球速はせいぜい130キロ未満なのに、何故かその球には力がこもっていた。

どうして俺をブルペン捕手に指名してきたのかと言うと、俺がしばしば白神の球を受けているからだった。比較して欲しかったらしい。そんなもの、普通に考えりゃ白神の方が上に決まってんのに。しかし香椎は一般入試組で指導陣にも相手にされておらず、体格にも全く恵まれてはいないのに、白神と競う=エースを目指す事を諦めようとはしていなかった。底抜けの馬鹿とも言えたが、しかし、この時点で目がちゃんと生きてる一般入試組はこいつだけだった。知らず知らずのうちに、俺も香椎に刺激を受けていた所もあったかもしれない。



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そんな風に目をギラつかせる奴も居る一方で、我らがエースの白神は相変わらず、実にのんびりとしていた。188センチの身長に、この冬で体重も80キロ台に乗ってきた。マイペースながらも着実に鍛え上げてきた体を、白神はこの時期から酷使しようとはしなかった。ブルペンでもゆったりとフォームを確認しながら投げるばかりだった。

「だって寒いじゃん」

白神の答えは明快だった。
故障さえしなければ結果が出る事を知っているかのような、余裕の態度だった。そしてそれが決して間違っていないのだから憎らしい。
軽く投げた球でも、香椎と同じくらいの球速は出ているのだから、エンジンが違う。
同級生のピッチャー2人を受けながら俺は、世の中に存在するどうしようもない格差を感じた。



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冬のトレーニングの甲斐があって、是礼の一軍は春休みの練習試合で圧倒的な力を発揮した。まるで選抜を逃した鬱憤を晴らすかのような、冬に鍛えた体の力を爆発させるかのような勝ちっぷりだった。1試合平均3本のホームランをぶちかまして、負けなしのまま春季大会に入った。

だが、ここでまた落とし穴が待っていた。
春季大会の一回戦で、今度は公立校の鷹宮に足下を掬われたのだ。

この試合に先発した白神は冬月のオヤジから「盗塁を許したら即交代」という縛りを課された。昨秋横浜戦で7盗塁を許した課題の修正を測る為で、「この程度の相手、サクッと潰してこい」という意味もある。
3回まで3-0とリードして、白神のピッチングも順調だった。しかし4回の先頭に四球を出してしまい、そして、あろう事か盗塁を許してしまった。

鷹匠さんの送球は完全にアウトのタイミングだったのだが、ショートが球をこぼしてしまったのだ。正直、ショートのエラーなのであるが、約束通り白神は即刻交代させられた。そして後を継いだ準備不足のピッチャーが打ち込まれて6点を一気に失った。

「盗塁されたら即交代」なのだから、いつでもイケるように控えは準備しておくべきなのだが、ブルペンも完全に鷹宮を舐め切っていた。大失態に冬月のオヤジがブチ切れると、絶好調だったはずの打線に焦りが出て、鷹宮のエースのスローカーブを引っ掛け続ける。結局、4-6で負けて夏の大会のシードすら手に入らなかった。

学校に戻った俺たちに課されたのは、ベースランニングダイヤモンド100周。冬月のオヤジから、様々な罵倒を受けながら走った。

「そもそもお前がしょうもない縛りを設けなきゃ普通に勝ってただろうよ!」

俺はそう叫びたい気持ちを堪えて走るしかなかった。自分は試合そのものには一切関与せず、スタンドで見ていただけ。それでも、チームの結果を自分の結果と受け止め、その責任を試合に出ていた人間と同じように背負って走らねばならない。これがチームスポーツだった。



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この負けは、罰走そのもの以上のダメージをチームに与えた。ノーシードから埼玉を勝ち上がらねばならないという事で、この夏の甲子園出場にも暗雲が垂れ込め始めた。グランドにはどんよりとした空気が漂っていた。練習試合でいくら勝っても、公式戦ではイマイチ勝ち切れない。モチベーションが低下し、いくらやっても無駄なんではないかという考えも浮かびつつあった。そんな鬱憤を、新入生相手にぶつけ始めるような先輩も居て、彼らの醜さときたらなかった。

「また、やってますね」

ある日の全体練習後の自主練習で、鷹匠さんがつぶやいた。その視線の先では、3年の背番号二桁の先輩が1年を走らせていた。3年で二軍に居るような人は、競争意識もすっかり萎えて、むしろ下級生には優しくなる傾向がある。一軍でベンチ入りを争わなければならないような人こそ自分を脅かす新戦力の台頭を嫌って、このように後輩には殊更に厳しくなるのだ。

「どうして、こう上手くいかないのでしょうか…」

鷹匠さんは遠くを見るような目をした。
そして、その視線を俺に向けてきた。

「加持君は、どうしてだと思いますか?」

その時の鷹匠さんは相変わらずの男前で、顔いっぱいに優しさが滲んでいた。この優しそうな顔には、正直さで応えなければいけないと俺は思ったんだ。そして、是礼においてはあり得ない事を俺はした。

「…正直にお話ししたいと思います。無礼な点がございましても、お許し頂けるでしょうか?」
「良いですよ、どうぞ」
「自分は、このチームが一皮剥けない原因は鷹匠さんにあると思っております」

鷹匠さんの目が意外そうに見開かれた。
俺はそのまま、思ってる事を話した。

「我々の打線の中で、最も打力があるのは、間違いなく3番の鷹匠さんです。しかし鷹匠さんは試合を決めるチャンスになりましても、次の打者につなぐ事だけを考えて慎重に球をお選びになられます。鷹宮戦もそうでした。そして4番の大井さんは主将という事もあってか、チャンスになると気負いすぎてしまわれるのです。大井さんがチャンスを潰しているように見えておりますが、鷹匠さんももう少し、大井さんを楽にしてあげても良いのではないでしょうか?それができるほどの打力がありますので」

鷹匠さんは俺の話を黙って聞いてくれていた。
俺は続けた。

「守備においても、鷹匠さんは冷静に過ぎます。リードは非常に考えられておりますし、捕球、送球も非の打ち所はありませんが、もう少し積極的に周囲を引っ張っても良いのではないでしょうか?このチームになってから、ビッグイニングを作られる事が目立ちます。ピンチになっても、鷹匠さんだけは冷静なのですが、スタンドから見ておりますと、そもそもチームの輪から鷹匠さんが外れているかのように見えてしまうです。高みから、見物しているような…。もっとチームを引っ張ろうという姿勢を見せて頂ければ、と思う事がありました。」

言いたい事を全部言った後、俺は鷹匠さんの反応を待った。殴られるかもしれない。結構生意気な事を言った。でもそれでも良いと思った。
しょうもない意見を言って失望されるよりは良いと思った。

「…なるほど…確かに僕には、自分の仕事だけしてれば良い、後は誰かの責任だという、逃げの気持ちがありました」

予想通り、鷹匠さんは怒りはしなかった。
真摯に受け止めてくれた。

「チームの柱と見られている以上、自分のプレーだけではなく、同僚のプレーの責任をも背負わねばならない、確かにそうですね。それがチームというものです。ありがとう加持君。これまでにない意見でした。同期も言ってくれないような事を、よくぞ後輩の立場から言ってくれたと思います。」

多分、俺と同じような事は、3年生の誰もが考えていたと思う。でも誰も鷹匠さんには言えなかったんだ。1年秋から不動の正捕手で、言わば学年の出世頭。この時点での通算本塁打24本はチームトップで、打率も5割近い。捕手陣の中で白神の縦スライダーを百発百中で止められるのは鷹匠さんだけで、白神の甘いランナー警戒のハンデの中で盗塁を半分刺せるのも鷹匠さんだけである。
これ以上ないほどの働きを見せている鷹匠さんになお、「もっと頑張れ」なんてご無体な事は俺くらいしか言えなかったんだ。
もしかしたら、育ちがめちゃくちゃ良いボンボンで、どこか「庶民」と距離があるような鷹匠さんの人となりも影響したかもしれない。

「よし、僕は今日から変わりたいと思います。ですので加持君、君も変わる事を約束して下さい。」
「はい?」

話が終わったと思っていた俺にとっては、これは予想外の展開だった。

「僕ももっと積極的になりますから、加持君も積極的になって下さい。本気でレギュラーを取りにきて下さい。共に変わりましょう。」

鷹匠さんにこれを言われた時は、訳が分からなかったよ。そもそも、あんたがレギュラーに居る限り、俺がレギュラーになんかなれる訳が無いだろうがって。

「君は自分の素質に自覚が無さ過ぎます。君は背も高いし、長打力もあるし、肩も強いじゃないですか。」
「しかし、自分は不器用で…」
「そこさえ越えれば、一軍も、その上も見えてきます。君はどうも、欲が無さ過ぎますよ。君に足りないのも積極性です。」

そう言った鷹匠さんは、俺の小指を自分の小指に絡めてきた。

「指切りげんまんです。男と男の約束ですよ。」
「は……はい!」

そうやって俺は、意図せずに「ガチになる事」を約束させられた。




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そうして気がついたら、俺は二軍の4番になっていた。別に俺の実力が劇的に伸びたという訳じゃない。少なくとも、俺自身にそんな感触は無かった。

ただ、周りが相当、落ちた感じはした。
昨秋に二軍の試合に出ていた3年生は、最終学年になってもまだ二軍に居る時点で見限られ、出番をどんどん減らしていった。俺の同級生も、早くも諦めの色が出てくる。今一軍に居る同級生は9人以上居り、このままではレギュラーはそいつらと1年のトップ集団で占められるのは確定している。「頑張ってベンチ入りを目指す」という惨めさに心が折れた奴も多かった。
ちゃんと生きた目でプレーしている奴は、俺と、香椎と、「まだ1年だから二軍で経験を積んでるだけ」と自覚している1年の特待生ぐらいだった。

夏の大会前では最後となる二軍の練習試合は、俺と香椎にとって、会心の出来の試合になった。
相手は弱い公立校だったが、4番の俺がホームラン2本を相手校グランドのレフトにそびえる校舎に叩き込めば、香椎は強気にインコースを攻める投球で3安打に抑えて完封。試合後、コーチに隠れながらも、香椎とやったハイタッチは忘れられない。この時、俺は自分に自信がついた。
まだまだ鷹匠さんの足下にも及ばないが、自分なりに、プレーが確立されてきたと思えた。


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夏の大会が近づくと、一軍二軍の境のない、総動員態勢が敷かれる。例えば、一軍に入れても良いが、あえて二軍に置いて実戦の場を与えているような奴も一軍球場でバッピをしたりするし、ランナー付きノックのランナーをしたりするし、シート打撃の守備に入ったりする。ベンチ外のほぼ確定した3年生はずっと雑用だ。しかし3年はベンチ外になった以上、少しでもチームが勝たないと自分達の経歴に箔が付かないので、雑用とはいえ、かなり必死である。雑用に足らない分は、一般入試組のどうでも良い奴で埋める。ベンチに入る選手は、雑用から一切解放されて常に何かしら練習している形になる。

香椎はバッピとして、連投に連投を重ねた。
左でそこそこの球を投げられるのは練習相手としては貴重だし、香椎も県内トップクラスの一軍の打者相手に投げられるのを喜んでいる節があった。それを受ける俺も、フリー打撃とはいえ、打席に入る先輩方を抑えにかかるリードをして香椎に応えた。

完全にバットを差し込んで、隠れてガッツポーズする時もあれば、予想もしなかったスイングでフェンスの向こうに叩き込まれて、仰天する時もあった。練習の雑用で、俺たちは確かに「勝負」をしていた。



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夏の大会直前に一日だけ、ある選手達の為の日がある。その選手達とは、3年生でベンチにも入れなかった選手達だ。

毎年春日部光栄と、3年生のベンチ外選手同士での試合が組まれる。この日のベンチに冬月のオヤジは入らない。レギュラー組はスタンドで声を枯らして応援する。是礼のユニフォームを着て「野球」をする最後のチャンスを、地獄のような日々を乗り越えてきた3年生達に与えるのだ。

ずっと二軍で一緒に野球をしてきた先輩も、あと一歩の所でベンチ入りを逃した先輩も、皆が皆、生き生きと野球をしていた。前者は、自身の運命を悟ったかのように気力が尽き、後者は、目を血走らせて可能性に縋っていた。だがこの日は、全員の目が光を取り戻しているように俺には見えた。

マネージャーの高橋さんが代打で打席に入った時には、俺たちの盛り上がりは最高潮に達した。俺たちが入学した時には既にマネージャーだったが、最初は高橋さんも選手だったらしい。センター前にヒットを放ち、選手生活を断念した原因の右足を引きずって一塁に達した時には俺も泣きそうになった。厳しい事も沢山言われたけど、1番俺達の面倒を見てくれたのも高橋さんだった。

試合後の先輩方は、清々しい表情をしていた。
レギュラー組の顔は、覚悟を決めたように引き締まった。

こうして、是礼の夏がこの年も始まったのだった。








 
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