久遠の神話
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第七十九話 次期大統領としてその十
「特にオテロが」
「ああ、あのオペラが」
「名作ですね、オテロは」
「シェークスピアの原作もいいですが」
オセローをイタリア語読みにしたものがオテロである、シェークスピアの悲劇をオペラにしたヴェルディ晩年の傑作の一つだ。
「あのオペラもまた」
「歌える歌手が少ないですが」
他の役はともかく主役、タイトルロールのオテロを歌える歌手が少ないのだ。テノールの役だが非常に独特なのだ。
「ワーグナーを歌える歌手でないと」
「そうですね、ですからあの作品は上演機会も少ないです」
歌手がいなくては歌えない、これはどの作品でも言えることだ。
「ですから」
「だからですね」
「そうです、中々観られないのが残念です」
スペンサーを見つつだ、大石は残念そうな微笑みで述べた。
そのうえでだ、その彼を観てこうも言うのだった。
「そういえば大尉は」
「オテロに似ていますか」
「私の中のイメージとして」
ムーア人、即ち黒人の軍人であるオテロに相応しいというのだ。
「合っています」
「そうですか」
「オテロは死にますが」
この場面も原作と同じだ、旗手イヤーゴに唆され妻デズデモナを殺してしまったオテロは真相を知り自ら命を絶つのだ。
だがスペンサー、彼はどうかというと。
「そうはなりませんね」
「ならない様にします」
これがスペンサーの返答だった。
「嫉妬や猜疑は避けなければ」
「オテロの様にならない為にもですか」
「はい」
大石は微笑んでスペンサーに述べる。
「幸せに」
「そうですか」
「嫉妬や猜疑はどうしてもあるものですが」
「人ならですね」
「そうです、しかしです」
「それに身を囚われると」
それで終わると言うのだ、オテロの様に。
「それだけはならない様に」
「そのお言葉肝に銘じておきます」
「大尉なら大丈夫だと思いますが」
「実はそうではありません」
少し苦笑いになってだ、スペンサーは大石に答えた。
「これが」
「そうなのですか」
「私も嫉妬や猜疑の心は強いです」
自分で言うのだった、自分自身の中にそうした負の感情がありそれは決して弱いものではないということを。
「それで士官学校にも入りました」
「嫉妬からですか」
「羨望と言うべきでしょうか」
嫉妬と羨望は近い感情だ、羨望自体は実は悪い感情ではない。しかしそこに妬みが加わることによって歪むのだ。
「あの様になりたいと」
「そう思われてですか」
「身体は元からあったので後は勉強をして」
それに加えてだった。
「議員の推薦文も貰いました」
「そうでしたね、アメリカの士官学校への入学は連邦議員の推薦文が必要でしたね」
「若しくは州知事の」
そうした立場の人間が推薦するだけ確かな人物だということの証明なのだ、士官ともなるとそれだけの人物でなければ駄目だというのだ。
「それが必要ですから」
「手に入れてですか」
「そして入りました」
そうしたこともしたというのだ。
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