IS 〈インフィニット・ストラトス〉~可能性の翼~
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第二章『凰鈴音』
第三十三話『颯(はやて)』
前書き
今回のIBGM
○前兆
予感(Xenogears)
http://www.nicovideo.jp/watch/nm3232267
○黒龍乱刃
Conservation(ARMORED CORE Ⅴ)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm17407713
○疑惑と混迷の渦中で……
導火線(Xenogears)
http://www.nicovideo.jp/watch/nm3232168
○荒れ狂う暴龍
紅蓮の騎士(Xenogears)
http://www.nicovideo.jp/watch/nm3138038
○暴龍を穿つは風獅子の爪牙
Galaxy Heavy Blow(ARMORED CORE NEXUS)
http://www.nicovideo.jp/watch/nm9233530
○仕切り直……し……?(汗)
Smasher(ARMORED CORE VERDICT DAY)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm21956143
相方のイメージにより、AC系BGMが多いですw
ある日、少女は母に尋ねた。
「何でお父さんと結婚したの?」
母親は都突な質問に、寸の間戸惑った。
だが少し気恥ずかしそうに笑いながら、
「料理をしているお父さんが大好きだからよ」
そんな風に答えた。
少女もそんな母に、
「あたしも料理してるお父さん、大好き!」
満面の笑みで答えを返すのだった。
いつまでも続くはずだったそんな光景。
あの日々の温かさをもう一度、もしもう一度得ることが出来るのなら……。
「お前が作った酢豚、楽しみにしてるな!」
あの約束を、今度こそ本当の意味で叶えるために……。
「勝ちなさい凰鈴音、それがあなたに残された最後に道です」
――勝つ。
――――
第一アリーナ、フィールド内。
徐々に雨足が強くなる中で、一組の少年と少女が向かい合っていた。
少年――真行寺修夜は、低空から雨の踊る地面で倒れ伏す少女――凰鈴音を見下ろしていた。
「立てよ、鈴」
どこか苛立ちを混じらせながら、修夜は短く言い放つ。
すると先ほどまで微動だにしなかった鈴が、濡れた体をゆったりと起こし、再び地面に立った。
両の手には二対の大刀、その腕を力無く下げ、顔も俯いている。
だが僅かばかり見え隠れする口元が、小さく何かを呟いていた。
「負けない、絶対負けない、勝つ、勝たなきゃ届かない、必ず勝つ……」
繋ぎっぱなしにしていた開放回線から、修夜にもその小さな声は聞こえてきた。
「言いたいことがあるなら、はっきり言ったらどうだ?」
修夜の声に反応してか、ぼそぼそとした呟きは止み、雨音が静寂を埋めていく。
地上に立つ、まるで抜け殻のような少女の影。
眉間にしわを寄せながらも、修夜はただじっと鈴を睨み続ける。
そんな鈴の変化にいち早く気が付いたのは、戦いを外側から見ていたものだった。
〔聞こえるか、修夜。すぐに鈴との距離を取るんだ!〕
いつもは冷静な拓海が、焦りを隠さずに秘匿回線で修夜に話しかけてきた。
先ほどまで鈴の変化に関して考えていたBモニタールームと観客席の一同だったが、試合が大きく動いたことでまた試合展開に集中するよう努め出したところだった。
その矢先でのことである。
《拓海、どうしたの?》
血相を欠いた自身の開発者に、電子の妖精が質問を返す。
〔鈴と甲龍の同調率が、急激に上昇しているんだ……!〕
《え?》
〔シルフィー、分析機能で透視してみるんだ〕
言われてシルフィーは、半信半疑で鈴と甲龍の分析を開始する。
《え、ウソ……でしょ……!?
深化度二十……、三十……、ご…五十……!?》
ISの代弁者たる妖精をして、それは驚嘆に値する現象だった。
《なにこれ、どんどん同調率が上がってる。こんなスピードで上がるなんておかしい……?!》
数値が大きくなるたび、シルフィーの声も驚きを大きくしていく。
《深化度……百二十パーセント……同調率……【臨界…突破】……、これって……!?》
妖精の声が驚きから、恐れへと変化して上ずった。
そして異常な数値を叩きだした本人は、いつの間にか機体を一メートルほど宙に浮かせ、幽霊のように生気なく漂っている。
相棒の大げさな怯え方に、修夜も事の異常性を徐々に感じはじめる。
修夜は改めて鈴を確認すると、相手は相変わらずゆったりとした動きで剣を持ちあげ、構えの動作に入っていた。
所作からは生気も覇気も感じられない。
感じられずとも、相対する武の達人はそれとは全く違う剣呑なものを、幼馴染から察知する。
(これは、殺気……!)
感づいた修夜は緩めていた構えを直し、臨戦状態に入る。
次の瞬間――
――ゆらり、ゆら……。
――ひょうっ……!
幽鬼のようにふらついたかと思うと、鈴は突如として鋭敏な加速で修夜に突撃したのだ。
「なっ……!?」
あり得ないほどの速度と機敏さで、赤紫の機影は白亜の獅子の懐に飛び込み、握りしめた刃を迷いなく振り抜かんとした。
対する修夜も、一撃を防御すべく大剣を前面に出す。
繰り出される片手での一閃は、
「ぐがっ……」
あろうことか一振りで修夜を、大剣ごと後ろへと吹き飛ばしてみせた。
一発、それも傍目にはさほど力んではいない、普通の一撃。
しかしこれを受けた修夜は、腕全体が痺れてしまいそうなほどの衝撃に見舞われていた。
壁に向かう前になんとか体勢を持ち直し、修夜は鈴がいるはずの正面に構えなおす。
「なに……!?」
構え直したところに、もう次の刃は迫っていた。
電光の速さで振られる刃を、上体を逸らし、ギリギリのところで避ける。
だが相手は二刀。間髪いれずに胸板を割らんと、もう一発の電撃が修夜を襲う。
「くそっ!」
修夜はとっさに地面にぶつかるのを覚悟で、アタックブースターを吹かして左斜め後ろに後退する。
その判断が功を奏し、寸でのところで電光の刃は修夜を掠めるに留まった。
振り落とされた一撃は、勢いそのままに地面を砕き、土砂と泥水を激しくまき散らす。
耐水フィールドが一瞬だが土色に汚れ、両者の視界を奪う。
この機を逃すまいと、修夜は上空へと急上昇し、鈴と大きく距離を取った――
「な……!?」
……はずなのに、自分を追跡する音に対して振り向いたときには、もう距離は埋まっていた。
鈴は既に剣を構えて振り抜く態勢にある。
(くそっ、何がどうなっていやがる……!?)
内心で悪態をつきながらも、修夜は降り抜かれた刃をブースターを利用して躱し、同時に距離をとっていく。
「おい拓海、なんなんだこれは?!」
修夜は鈴の執拗な追跡を避けつつ、事情を察しているらしい拓海に問いただす。
〔おそらく、【深層同調稼働】だと思う〕
「ディープ……なんだと?」
〔ザックリいえば、ISと操縦者の精神が極限状態まで同調している状態だよ。普段のISの反応値を大幅に上回る戦い方が可能になって、普段では不可能な動きやパワーを、一時的に捻りだすんだ〕
「要するにパワーアップ中ってことか?!」
〔有り体に言えばね。ただし本来、意図的にやるにはそれ相応の年季も必要だ。いくら鈴にすごい才能があったとしても、ものの数ヶ月で到達できる境地じゃない〕
IS操縦にとって、経験に優る学習はない。そしてその経験が、ISと操縦者に新たな可能性を与えてくれる、最も遠く限りなく近い方法だ。
もちろん才能で経験値の不足を補うことはできるが、専用機を扱いはじめて数ヶ月ほどの人間が易々と辿り着くものでもないらしい。
「……“裏がある”ってか?」
〔そこは何とも……〕
拓海と通信しつつ、必死に鈴からの猛撃を躱し続ける修夜。
完全に形勢が逆転するなかで、修夜は鈴の変貌に焦りながらも、自分の中で言い難い苛立ちを募らせる。
(なんで……)
修夜が睨むその先には、人形のように無感情な顔で戦う、人間らしさを失くした少女がいた。
(なんでそんな虚しい顔で戦ってんだ、お前は……!!)
――――
第一アリーナ、Aモニタールーム。
鈴の豹変ぶりに、室内にいた三人は凍りついたように動きを止めていた。
「……楊管理官、あれはなんだ?」
辛うじて冷静さを保った千冬は、事情を知るであろう楊に問いかける。
ところが、この中で一番鈴の変貌に戦慄を覚えていたのが、他ならぬ楊だった。
「なんなんですか、あれは……!?」
「楊管理官?」
「あんなもの、私が本省から送られた資料には一切ありませんよ……!?」
「なんだと?」
明らかな動揺とともに、手元の大型タブレットで楊は必死に資料を検証する。
しかしながら、そこには楊の求める解答はなく、ただいたずらにページだけがめくられていく。
「楊管理官、一体どういうことだ?」
千冬が再度問いかけるも、混乱する楊はタブレットの視線は画面を往復するばかりで、耳には届いていなかった。
「楊麗々候補生管理官!!」
雷鳴のような一喝が、モニタールームを震わせた。
千冬の大喝が部屋中に響くと、あまりの音声に楊はおろか、近くにいた真耶まで目まいを起こして頭をふらつかせる。
だがこれで楊も混乱から脱し、千冬の方に向き直った。
「楊管理官、凰のあれはなんなんだ?」
「……分かりません」
千冬の改めての質問に対し、楊は振り絞るような声で回答した。
「本省から送信されてきた凰候補生のデータに、あのような技能は記されていませんでした」
戸惑いを隠せないのか、楊の声にいつもの事務的な冷たさはなく、自信にも欠けていた。
「報告にもなかったのか?」
「……はい」
「日録や指導教官報告にもか?」
「……なにも」
眉をひそめながら答える楊を、千冬はじっと見つめる。
「なら、凰の担当だった指導教官は誰だ?」
「……“おそらく”は、清周英指導教官だと思います」
ここに来て、ひどくあいまいな証言が飛び出す。
「おそらくって、何でそんなにぼんやりしているんですか?」
真耶の問いかけに対し、楊はさらに眉をひそめて苦々しい顔をした。
「凰候補生を口説き落としたのが、他ならぬ彼だからです」
「彼……、つまり男なのか?」
千冬が意外そうな声を上げるのを一瞥すると、眼鏡の位置を直しながら楊は話を進める。
「三年ほど前に、本省の競技会が肝煎りで雇った男です。最初はいけすかない優男かと思いましたが、いざ登用すると、それまで首を縦に振らなかった資質者たちを納得させ、指導では冷静な分析と的確な指摘で有能な人材を育成していくなど、その才気で瞬く間に訓練学校で発言権を持つほどになりました」
「……気にくわない、といった風だな」
「色々と話題に付きない人物ですので……。何より、あの慇懃無礼な言動は癪に障ります」
あまり万人受けをする人物ではないらしい。
「それに……親友が、彼に妹を“壊された”らしんです……」
千冬の遠慮のない指摘に対して、楊は思わず本心を明かした、それもとんでもない事実付きで。
「こ……壊されたって……!?」
「凰候補生の前年に、その子は本省の訓練校で成績を伸ばし、あの男の指導下になりました。本省での苛烈な競争を何とか勝ち抜き、一年目の山を越えようとした頃に……」
驚く真耶への反応もそこそこに、楊は淡々と話しを進める。平静は装っているが、語気には暗いものが感じられた。
「……倒れたんです、あまりに初歩的な操作ミスによる事故で大怪我を負って」
「何だと……?」
「現在はカウンセリングとリハビリで、なんとか日常生活は送れるようになりました。ですが、ISを操縦できる可能性は……」
楊はそこで言葉を切って俯き、それ以上を口には出来ずに終わった。
押し黙る楊に、真耶は慰めの言葉を探そうとするも、上手く見つからない。
「それで、肝心の確証は?」
それでも要らぬ同情はせずとして、千冬は先を問う。
楊も千冬の態度の方が楽に感じたのか、顔を上げて口を開く。
「噂があったんです、『清周英は訓練生で好からぬことを試している』と」
「好からぬこと?」
「清教官の周辺と成績を洗ってみたんです。結果、彼が担当した訓練生の八十パーセントが、翌年には故障や不注意の事故を起こしていたと判明しました」
不自然な数値だと、楊は断言する。
「そんなの普通なら、クビにされても可笑しくないんじゃ……!?」
「……残った二十パーセントの訓練生は、本省でもトップレベルの逸材として活躍してます。何より彼は弁が立つうえに、交渉術においては比肩する人材がいませんから……」
「実績で負債を帳消しにし、責任は詭弁で煙に巻いている、ということか……」
「事故や故障を起こした少女たちのほとんどが、肉体や精神はかなり過度な疲労していました。ですが肝心なことについては、『清教官の指導を活かせなかった自分のせい』と、どれも判を押したような回答で……」
どんな悪評だろうと、大きな結果が伴えばそれは『周囲の嫉妬』の一言で消えてしまう。そこに教え子の弁護が加われば、もはや疑念などただの言い掛かりにしかならない。
「ただ清指導教官から何を教わったかを訊くと、全員に共通していたものがありました」
「共通?」
「……【強くなれるおまじない】、というものです」
「お……おまじない……ですか?」
千冬も真耶も、少し反応に困った。
それまでキャリア志向のインテリといった風に聞こえた清の印象が、急に茶目っ気を帯びてきたのだ。
まるで人物像が掴めない。
「その……おまじない……というのは……?」
「……憶えていませんでした」
「どういうことだ?」
「故障や事故の前は覚えていたらしいのですが、彼が見舞いに来た後から、よく思い出せないそうなんです」
そこまで言うと、楊は眉間にしわを寄せて嘆息した。
千冬も真耶も、まるで昔話や説話にある“狐狸の怪”を聞かされているようで、楊と同様に釈然としない気分に襲われた。
「それでも清教官は、彼女のたちに何か“好からぬこと”を吹き込んだ。そう考えないと、辻褄が合わない事だらけなんです」
楊は疑念に駆られながらも、それだけははっきりと声に出した。
千冬も真耶も、その声にこもる力を確かに感じ取る。
(おまじない、か……。鈴の様子からするに、あれはおそらく“深層同調稼働”で間違いないだろう)
横目でモニターに視線を戻しつつ、元世界最強は鈴の変貌の本質を、薄々ながら見抜いていた。
同時に疑念も生じていた。
(楊管理官の話と、あの子がその領域に踏み入るのに要する時間に差があり過ぎる。たった一年で意図的な深層同調を成功させるには……)
自身の持つISの知識を総動員するも、それに見合った回答は得られない。
束の間の沈黙ののち、
(管理官の言うように、やはり清というその男が何か仕掛けたか……?)
疑念の矛先は、やはり話題の人物へと向けられることになった。
――――
第一アリーナ観客席。
観客席の入口で、口に手を当てながら必死に笑いを噛み殺す人物がいた。
(いいですよ、いいです、素晴らしいっ!!)
中国のIS訓練学校の指導教員である清周英は、涼しげな顔を喜悦に歪ませるのを抑えられずにいた。
しかしそれは、決して鈴の逆転劇そのものを喜んでいるのではない。
(まさか“専用機に切り替えて”も、ここまで通用するとは……!!)
この男、鈴の戦いではなく【自分の功績】に酔っているのだ。
鈴に『深層同調稼働』の“裏技”を仕込んだのは、何を隠そうこの清である。
どういう訳かこの男、ISのメカニックや性能調整にやたらに詳しく、また人心を惑わすことに関しては天賦の才を持っていた。
中国IS競技会がこの男を訓練学校の教員に引き込んだのは、並の研究員では及ばないほどのISへの博識と、目ぼしい才能をいち早く回収するスカウトマンのとしての技量、そして訓練生の心理を自在に陽動する手腕を見込んでのことである。
(凰の性格もさることながら、やはり自己催眠と窮境心理で“ISをある程度は騙せる”……!)
清が鈴に仕込んだのは、一種の【自己洗脳術】である。
ISは操縦者の精神状態を読み取り、それを稼働に反映させる。
操縦者が操作に対して、雑念なく一点に集中できれば、その分だけ稼働は機敏になる。
本来の深層同調稼働に一定の年季が必要なのも、ISでの操縦に対する慣れと、経験による冷静かつ強い集中力を要するからだ。
そこでこの男は、催眠術による雑念の抑制と、人が窮地に立たされたときの爆発的な集中力に着目し、自己暗示を利用した洗脳術を編み出したのだ。
これによって精神面を自己制御することで、ISに余計な心理への詮索を中止させ、さらにISに対して“操縦者が深く集中している”という誤認情報を与える。そうすることで精神統一状態を欺瞞し、ISから深層同調稼働の力を引っぱり出させているのだ。
だがリスクも大きい。
まず追い込まれた際の心理を利用するため、使えるタイミングどうしても窮地に限られる。
また自己暗示をかけるためにも、ある程度の時間が必要なため、使う際に隙を晒すことになる。精神が乱れて集中力を欠いていても、発動することはできない。
なによりこの裏技は、凄まじく体力と精神力を消耗する。
ISの深層同調稼働は、その逸脱した力ゆえに普段から掛かる肉体への負荷を増加させてしまう。
そこに加え、無理矢理トランス状態を生み出すために、精神に諸々の負荷が一気に掛かり、使用者の精神力を著しく消費することになる。
そもそも追い詰められてからの発動させるため、既に体力も精神力も消費した状態から使わなければならない。
多用するとIS操縦者としての寿命を縮めかねない、まさに諸刃の剣なのだ。
(今回は特に、深く同調が出来ているようですね。これはいいデータが取れそうです)
なのに清がこの光景を見るのは、既に一度や二度という回数ではなかった。
(しかし、彼女はこの方法に向いていますね。あの“短絡的”な性格は、実に自己催眠にうってつけです)
清は自分が手解きを加えた優秀な人材が、今季最優秀と言われたイギリス代表候補を降した少年を追い詰める様を、実に爽快な心持ちで眺めるのだった。
――――
第一アリーナ、フィールド内。
既に小雨から本降りとなった戦場で、白亜と赤紫の機影が激しい攻防を続けている。
先ほどまで猛攻に打って出ていた修夜だが、鈴の突然の豹変に為す術なく逃げ回っていた。
試合時間も差し迫っており、一応はこのまま修夜が逃げ切れば、試合には勝てる。
だが正面から鈴と戦いたい修夜にとって、それは本意から外れた“逃げ”でしかない。
加えていうなら、深層同調稼働で鬼神と化した鈴に対し、その勝ち方は非現実的でしかない。
鈴が深層同調稼働をはじめてまだ数分だが、修夜には剃刀の上を歩かされるような、大変危うい時間である。
なにせ一撃が必殺の攻撃と化している今の鈴からダメージを貰えば、残しているシールドエネルギーが、あっという間に削られてしまう。
現に、さっきの一撃を防いだ時点で526まで削られた。まともに食らえば、その倍以上のダメージが入ってしまう。
精密な動きをする暴力マシンを前にしては、一瞬の気の緩みは命取りなのだ。
しかしながら修夜にも、決して攻める手立てがないわけではない。
(少しずつだけど、“落ちて”きやがったな……)
序盤こそ紙一重で避けていた修夜だったが、ここに来てわずかに余裕を取り戻してきている。
理由は修夜自身が鈴の攻撃の見切るタイミングをわずかにだが掴んでいることと、鈴の攻撃自体の精度が徐々に落ちはじめていることにあった。
《マスター、相手の反応速度が下がって来てる。そろそろ攻めようよ!》
「まだだ、シルフィー…くっ……。今は不用心に攻めても……ぅおっ、……力押しで返り討ちに遭うだけだ!」
反撃を提唱するシルフィーに対し、修夜はまだ慎重に動くべきと説きながえら、暴力マシンの攻撃を必死に避ける。
実際にシルフィーの分析では、鈴の反応速度は少しずつだが、数値として低下しはじめていることを示していた。
好機はまだ失せていない。
失せてはいないが、切り込もうにもまだ相手は隙を見せていない。
鈴が先に力尽きるか、修夜が判断を誤るか。既に戦いは泥仕合の様相を呈していた。
(こうなったら、こっちから隙を作らせるしか……)
そう考えた矢先に、
《マスター、避けてっ!!》
「え……、しまったっ!?」
気がほんの僅かそぞろになった瞬間、鈴は既に二刀を振り抜く態勢に入っていた。
避けるには間に合わない。
――ぐわぁん!!
鐘を撞くような響きとともに、修夜は再び壁の方まですっ飛ばされる。
ギリギリで攻撃を防いだものの、受けた衝撃で全身が軋むような苦痛に襲われ、後から壁が背中にぶつかる感覚で肺が潰されそうになる。
ISがなければ、死んでもおかしくはない。
《マスターっ!!》
悲鳴を上げる相棒の声で意識は保ったが、
《マスター、避けて!!》
警告から視線を戻すと、不可視の弾丸の雨が容赦なく修夜に襲いかかった。
壁に張られたバリアーシールドごと蜂の巣にせんと、死の雨が修夜に横殴りに降りかかる。
もうもうと上がる煙と蒸気で隠れ、修夜の姿が見えなくなっていく。
――まるで公開処刑だ
誰かがそう呟き、皆がその光景に青ざめる。
数十秒にわたる銃殺刑を終え、鈴はその場で無感情に様子を窺う。
その仕様はまるで、任務を達成した殺し屋にさえ見える。
終わった……
あとは駄目押しに最後の一撃を見舞うだけ
勝利を確信したか、徐々に鈴の意識が元に戻りはじめていく。
雨の歌声だけが、フィールドを包んでいた。
「……!?」
モニター上の修夜のシールドエネルギー――【116】
鈴が驚愕した一瞬だった。
煙の向こう側から、巨大な刃が一直線に鈴へと飛んでいく。
突然の出来事に、慌てて臨戦態勢に戻る鈴。
とっさに弾いてみたそれは、先ほどまで修夜が振るっていた黄昏色の大剣だった。
何故こんなものが――
そう思ったのが命取りだった。
「はぁぁぁぁぁぁあああっ!!」
全速力で飛びかかるは白亜の弾丸。
わずかな隙をついて、死んだはずの獅子が反撃の狼煙を上げんと迫り来る。
逃げなければ。
そう思ったところで時既に遅く、相手は自分の懐にもう潜り込んでいた。
右手には黄昏の外殻を持つ必殺の鉄杭。
それは既に、自分の腹部に据えられていた。
「――ッッッ!!」
耳をつんざく炸裂音とともに、少女の細い胴体にかつてない重撃が捻じ込まれる。
内蔵を潰し、脊柱をへし折り、呼吸さえ押し潰すような容赦ない一撃。
衝撃は腹を突き抜けようと、彼女の小さな体を押し、何メートル、何十メートルも吹き飛ばしていく。
赤紫の機影はフィールドの半分ほどを飛んだ後、そこで失速して地面に激突する。
そして幾度か地面をはね回って後、衝撃は鈍痛を残して逃げて行き、彼女の体はようやく飛ぶのをやめた。
地面に突っ伏して苦しげにせき込む鈴を、パイルバンカーを提げた修夜が近付いてきて見つめる。
「どう、して……!?」
鈴は潰れた呼吸で声を絞り出し、修夜に問いただす。
「煙の多さに気が付かなかった、お前の判断ミスだよ、鈴」
《エアリオルの自律ユニットのシールドを舐めないでよね!》
修夜が話しはじめる横で、その相棒が得意気に機能を自慢してみせた。
「エアリオルの自律ユニットには、エネルギーシールドを展開する機能が備わっていてな。衝撃砲の連射が来たときに、とっさに展開してダメージを最小限に食い止めたのさ」
「な……なによ、それ……!?」
「ついでにとっさに煙幕弾も使って、過剰に煙を撒いておいて正解だった。お陰でこっちがやり過ごしているのがばれなかったうえに、気が緩んで元に戻るのも待てたからな」
よくよく考えれば、砲撃で煙が立つのは火の気のある物体が壊れるか、土煙によるものがほとんどである。雨が降りしきるこの場所で、あれほどの煙が立つのはむしろ不自然だ。
だが鈴は意識を深層へと落としたせいか、ただ修夜を倒すことに集中し過ぎ、状況を疑うための思考をも止めていた。
鬼の如き強さの源が、ここに来て裏目に出てしまったのだ。
(ほとんど、シルフィーの手柄なんだけどな)
修夜が全身の痛みに悶え、不可視の死の雨に晒される中、シルフィーは独自でユニットを動かし、さらに時間を稼ぐべく数発の煙幕弾をわざとその場で起爆させたのだ。おかげで修夜は体勢を立て直し、さらに策を弄する時間も得ることが出来たのだ。
すべてがとっさの判断でおこなわれ、その判断が功を奏して逆転の一手が生まれた。
総じて言えば、ほぼまぐれ当たりである。
しかし結果として、鈴の意識を深層域から引きずり出すことに成功した。
鈴のシールドエネルギー、残り109ポイント。
わずかに打ち込みが浅かったか、鈴がとっさに後ろに身を引いたのか、それともわざとか。本来なら一撃必殺を狙えただろう獅子の剛腕をして、鈴を仕留めるには至らなかった。
肝心の剛腕に腹を穿たれた当人は、青龍刀を杖にしてフラフラと起き上がっている。
「いい加減、小細工も飽きたろう。そろそろガチで来いよ」
鈴の切り札を“小細工”の一言で片付け、修夜は再び挑発をはじめる。
「うる……さい……!」
未だ腹に居座る鈍痛を堪えながら、必死に鈴は地面に直立しようとする。
「まさか、またさっきの小細工に頼る気か。いい加減諦めたらどうだ?」
「……っ、黙れ……!」
鈴が現状で修夜に勝つには、再び深層同調稼働を発動させるか、それこそまぐれでもないと無理だと、鈴はそう考えていた。
だがさっきから腹は痛むし、いつも以上に長く同調していた反動で酷い立ち眩みに襲われ、もう一度など無理なのも感じている。
でも勝たなければならない。
勝たなければ、自分に道はない。
「勝たなきゃ……、何もないっ……!」
「へぇ」
「あんたに勝って……、IS学園で成功して……、全部……取り戻す……!」
「取り戻すって、何をだ?」
「うっさいっ……、全部よ、全部……!」
「はぁ?」
「お父さんとお母さんのことも……、お店も……、一夏の隣も……、楽しかった頃も……」
雨に打たれ、体は痛みと疲労で悲鳴を上げ、意識は今にも手綱を離しそうになる。
それでも、それでもなお――
「あの日に失くしたものは……、全部ぜんぶ……全部っ、ぜんぶあたしが取り戻すっ!!」
己の意地を大声にして、少女は自らの体にその言霊を染み渡らせる。
意地の言霊が、少女の意識に活力を蘇らせる。
痛みも眩暈も振り払い、四肢に力を漲らせ、瞳に再び火を灯す。
顔を上げ、背筋を伸ばし、討つべき相手を鋭く睨み、武器を取る手に力を込める。
倒す。
ただそれでいい。
それで自分は取り戻せる。
あの日あの時に零れ落ちていった、何もかもすべて――
「……で?」
自身の目標のために燃え滾る鈴に対し、修夜は――――とても暇そうな顔をしていた。
「え……」
「だから、それからどうする気だ。さっきからこっちは置いてけぼりなんですけど?」
凄まじく熱意を持った鈴に対し、修夜の方はまるで要らぬ長話を聞かされて辟易しているように見える。
「あんた……、人が真剣にやってるときに、どういう態度なのよぉ!!」
当然、至極真っ当に怒る鈴に対し、
「いやさ、なんか取り戻したいのは分かるけど、話の前後が全然見えてないから」
修夜の方は、いつになく酷い冷め方で受け答えする。
いつもこのぐらいの勢いで行くと倍ぐらい返してくる相手が、まるで先ほどまでとは別人と思えるぐらいに、適当でのらくらとした生返事しか返してこない。
姿勢としては正しいのは自分のはずなのだが、あまりの温度差に自分の方が浮いているのでは、とさえ感じてしまう。
その態度に誰よりも、彼の相棒が一番間抜けな顔で困惑していた。
「まぁ、冗談は置いといて……」
「じょ……」
息を吐きながらあっさりと悪ふざけを認める修夜に、段々と鈴の中で別のイライラが溜まりはじめる。
「何を御大層に意気込んでるかは知らないけど、正直、全然様になってないから」
「なん……ですって……!?」
「そもそもお前、“悲劇のヒロイン”ってガラじゃないし。どっちかって言うと、猛獣?」
「だだ……誰が猛獣よ、誰がぁ?!」
「お前」
「~~~~ッッッ!!」
真面目に返答すると思いきや、またものらくらと話しはじめる修夜に、ますます鈴の怒りはヒートアップしていく。
それと重なるように、シェルター内の観客席に徐々に困惑とどよめきが広がりはじめる。
もっとも息を呑むような緊迫の差し合いから一転、はじまったのは奇妙な口ゲンカなのだから、当たり前の話なのだが。
「……いや、猛獣は言い過ぎた。すまん」
「……っ」
「ポメラニアンぐらいだな、あの犬種めっちゃ気が強いし、よく吠えるし、うん」
「ふっ……ざけんなあぁぁぁあっ!!」
「見た目が可愛いだけ、ブルドックより数倍マシだろ」
「どっちも犬っころじゃないのっ?!」
「お前、犬好きなんだからいいだろう。六年生のときに、給食のパンで近所の捨て犬を餌付けして悦に入ってたし」
「な……なんで、知ってんのよ……!?」
「その犬が行方不明になって、『プクがどこにもいないの~』って、半ベソかいて泣き付いてたのはお前だろ」
「あの子の名前は『花』よっ!!」
段々と口ゲンカの内容は、非常にプライベートかつ【どうでもいい】方向に走りはじめる。
本来、長時間試合が戦闘行為なしに停滞すると、審判から注意勧告が入るのだが、その判断とアナウンスをすべき放送室でさえ、訳の分からない雰囲気に唖然し、すっかり仕事を忘れていた。
観客席などは、もうすっかり二人のペースについていけなくなっている。
「あぁ、半ベソって言えば、小学校の修学旅行で広島に行ったときに、資料館の後半で泣きながら猛ダッシュしてたよな、お前」
「ちょ……、なに言いだすのよ……!?」
「そのあとの宮島で、鹿に追い回されて半ベソかいてたし」
「黙りなさいよ、黙らないと今すぐ叩き斬るわよっ!!」
「鹿といえば、中学の修学旅行でも、奈良で鹿に追い回されてたよな。さっさと鹿せんべいを手放せばいいものを……」
「黙りなさぁぁあいっ!!」
恥ずかしい過去を大衆の面前で暴露され、たまらず鈴は修夜に突っ込んでいく。
しかし直線的過ぎたせいで、あっさりと攻撃を読んで回避され、距離を取られてしまう。
「それと家族へのお土産を買いすぎて、集合時間に遅れた上に先生に雷落とされたよな」
「だから……黙れって、言ってんでしょうがっ……!」
力一杯振るった双天牙月を地面から引き抜きながら、鈴は未だに減らず口を叩き続ける修夜に鋭い眼光を向ける。
「そういえば雷も苦手だよな、お前。近くで鳴るとすぐ物陰に隠れて縮こまるし」
「黙れ黙れ黙れぇ!!」
再び双天牙月を構えて突っ込んでいくも、やはり怒りで動きが単調になり、これも易々と躱される。
「そのくせ、弱いヤツが不良に絡まれてると、後先見ずに突っ込むし。それでこっちが、何度冷や汗を掻かされたことやら」
「いい加減にしなさいよっ!」
今度は龍砲による拡散砲を放つが、これも狙いがバレバレで難なく回避されてしまう。
「地元の番長に突っかかりに行ったときには、さすがに俺も一夏も固まったわ。ケンカ売る相手考えろよ、マジで」
のべつ間もなく、赤っ恥の数々を垂れ流していく修夜を、暴露された鈴は必死に止めようと追い回す。
「ケンカ売る相手といえば、ちふ……織斑先生にも――」
「黙りやがれっ!」
「間違って師匠の酒飲んで、幼児退行したり――」
「殺す殺すころすコロすコロスッ、殺す!!」
「国語の故事の授業で、本場の人間にしてエライ勘違いを――」
「だぁまぁれぇぇえっ!!」
「あ、そういえば――」
「このこの、このぉっ!!」
修夜が喋れば鈴が怒りにまかせて突撃し、突撃するとすぐさま回避される。
黙っていれば手に汗を握る攻防だが、会話の内容がくだらな過ぎて、まったく締まらない。
観客席の方も、先ほどから微妙な雰囲気のままざわついている。
Aモニタールームの一同などは、間抜けな顔でモニターを注視するばかりだ。
しかしそんな雰囲気に反して、
〔あったね、そんなこと〕
「あったあった、金髪ゴリラに啖呵切りに行ったのを見たときには、俺の人生終わったと思ったよ、ホント……」
〔あの酒の件は、わざとなのじゃがのう~〕
「え、まじっすか」
〔いやぁ、あれは……ぶふっ、今思い出しても……くくくっ……!〕
「なんか、りんりんかわいい~!」
イタチごっこをする二人を知る数名だけは、在りし日の思い出を呼び起こしていた。
まるで先ほどの重苦しい話などなかったかのように、修夜がなにか暴露するたびに、笑いを交えながら三人は過日のいきさつをモニター越しに語り合う。
ついでに本音も、ちゃっかりと会話に混ざっていた。
それを呆然と、あとの箒・セシリア・菜月が、何とも言えない表情で聞いている。
そして最後の一人はというと――
「……愉しそうです」
重箱をつつきながら、モニターの鈴に向けて小さく零すのだった。
空は段々と重い灰色から薄くなり、雨足も弱まりはじめるのだった。
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