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IS 〈インフィニット・ストラトス〉~可能性の翼~

作者:龍使い
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第二章『凰鈴音』
  第三十二話『電(いなずま)』

 
前書き
今回のIBGM

○白夜の述懐(じゅっかい)
Heartbeat,Heartbreak(Persona4)
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm11600080

○凰一家のすれ違い
明日(VALKYRIE PROFILE-LENNETE-)
ttp://www.youtube.com/watch?v=p3kprenJmyA

○逃げる者、追う者
A Solitude That Asks Nothing In Return(Guilty Gear X)
ttp://www.youtube.com/watch?v=fSfV6eEd5cE

○鈴の闇
悔恨と安らぎの檻にて(Xenogears)
ttp://www.nicovideo.jp/watch/nm3232499
 

 
世の中には、ときとして理不尽で残酷なことが起きる。
たとえば、昨日まで元気だった友人が事故で亡くなった、大切にしていたものを紛失してしまった、取っておいたデザートを勝手に食べられた、贔屓にしていたお店が突然に潰れた、片想い相手が街角で不細工な恋人と幸せそうにしていた、等々……。
それはいつ、どこで、誰に降りかかるかも分からない。
人はこうしたことを“不幸”といい、一絡(ひとから)げにまとめる。
まとめられた負の現象は、ときにお互いに強い引力を発揮し、群れをなす。
群れをなした不幸は、大きな災厄となって、人の人生を狂わせもする。

凰鈴音もまた、理不尽な災厄に巻かれた少女だった。

――――

第一アリーナ、Bモニタールーム。

真剣勝負を演じるフィールドとは対照的に、こちらにはやや緩んだ空気が漂っていた。
「修夜のヤツ、とりあえず鍛練は怠っておらんようじゃのう」
そう言いながら、弟子の拵えた重箱入りの手弁当と試合を(さかな)に、銀髪の美女はのんびりと酒を味わっていた。
「当人の話じゃ、毎朝早い時間からきっちり鍛えているみたいですよ」
モニターが並ぶ部屋の機関部で、眼鏡の少年はコンソールを操作しつつ、美女の言葉に答える。
その美女の横では、銀髪の小柄な美少女が、重箱の中身を黙々と食していた。
それを監視員である女性教師は、試合内容に驚きつつも、憮然とした表情で酒の席を広げる美女を見張っている。
「お前さんも一杯どうじゃ?」
「要りませんっ、勤務中です!」
勧められた酒をきっぱりと断る菜月の様子を、白夜は「固いヤツよのう」といいながらからかって楽しんでいた。
(やれやれ、榊原先生もすっかり白夜先生のおもちゃだな)
二人の様子を横目で見守りつつ、拓海は黙々と作業を続ける。
Bモニタールームは、大体こんな調子で試合の動向を見守っていた。
「白夜先生としてはどうです、この試合?」
拓海は何気なく、白夜に対して質問を投げかけた。
「まあ、悪くはない。酒の肴には丁度良いしのう」
相変わらずな返答をしつつ、白夜は大杯(おおさかずき)を傾けて酒をあおる。
そして酒が減るたびに、菜月は眉間のしわを深くして白夜を睨んでいた。
「……あのお姉ちゃん、苦しそう」
ここで急に口を開いたのが、重箱弁当をいそいそと食していたくーだった。
突然の一言に、一同は思わずくーの方に顔を向けた。
「“苦しそう”って、どういうことなの……?」
菜月は恐るおそるくーにその真意を尋ねてみる。
「……自分で自分を追い詰めてる、だから自由に動けてないです……」
出てきたのは、まるで意図の見えない回答だった。
どうやら彼女の眼は、余人(よじん)には感じ取れないものを画面越しに捉えているらしい。
どこか和やかだった雰囲気も、くーの一言により少し重さが増たようで、部屋の中をなんともいえない沈黙が漂いはじめた。
「実際どうなんですか、白夜先生?」
寸の間の沈黙を破ったのは、拓海の一言だった。
拓海自身、鈴の急激な人格の変化には色々と疑念が尽きずにいた。そして彼もまた、鈴が白夜に可愛がられ、彼女が何かの相談を白夜に持ちかけていたことは知っていた。
もちろん拓海も、鈴について調べ得る範囲は洗いざらい調べている。
それでもまだ、この英才を納得させるには足りないものがあった。
「僕が思うに、白夜先生が一番答えに近い場所にいるはずなんです。それこそ、鈴と僕らが別れるまでのあいだに起きた出来事の、その一部始終を知っている。……僕はそう踏んでいます」
試合の様子はコンソールが記録するに任せ、拓海は白夜の方に向き直り、彼女を真っ直ぐに見据えていた。
「……やれ、さすがにお前は聡いのう」
観念したといった風に、白夜は微笑を浮かべる。
それから白夜は、一同が未だ辿り着けていない深層へ切り込む、衝撃の一言を口にした。

「あの子の親たちはな、もう夫婦(めおと)ではないのじゃよ」

――――

「凰夫妻が……離婚……!?」
ほぼ時を同じくして、Aモニタールームでも鈴の隠された事実が、楊によって明かされていた。
珍しく千冬は、心底から驚いていた。
何にといえば、当時は近所でも名の通ったオシドリ夫婦であった凰夫妻が、自分たちと別れた日には夫婦の籍を抜いていたことにだ。
「えぇ、凰候補生が本省(ほんしょう)に帰国したのが三月の中頃で、本省の担当局には三月冒頭に離婚成立の通知を出した旨を、記録として残しています」
楊も管理官として、候補生である鈴の素性を、本省(中国本土)のIS協会からの通知書以外に、独自の調査を敢行して詳細を洗い出していた。
それを引き出す気になったのは、単に千冬の眼力に気押されただけではなく、千冬の方も拓海に掛け合って、修夜・一夏・セシリアの戦闘記録を融通させると鎌をかけたからだ。
「その反応から察するに、やはり凰夫妻にそういう影は見えなかったのですね」
楊の問いかけに、千冬は思わず押し黙る。
楊のいう通り、千冬から見ても、二人の仲にひびや隙間風など微塵も感じなかった。
千冬自身、夫妻との交流はさほど多くはない。だがその少ない交わりの中で、彼女が凰夫妻から感じ取ったものは、記憶の片隅で鮮やかに残っていた。
それほど千冬には夫妻の存在感は強く、また“女性として”憧れを抱く光景でもあった。
「……原因は?」
声を殺し気味に、千冬は楊に問いただす。
「担当局曰く『性格の不一致』、まぁよくある“ケンカ別れ”とのことです」
楊の方は、問いに対して淡々と、事務的に応じていた。
(ますます理解できない……)
千冬がそんな疑念を持つほどに、夫妻の円満ぶりは目に見えるものだった。
常に二人で店を切り盛りし、店は常に地元の学生と常連客で賑わって繁盛し、店内も夫妻にも笑顔が絶えない素敵な店だった。
だから、まず夫妻が店を閉めて本省に帰省するということが信じられず、一夏から聞いたときには悪い冗談にしか聞こえなかった。
さらに楊の話では、店主の方は日本に留まるも、その後の消息は不明。夫人の方は本省に鈴を連れて帰省後、地元の量販店でパートタイムの勤務をはじめたのだという。
「それから間もなくですね、凰候補生が養成所に入学したのは」
そう言って次に発した楊の言葉が、さらなる波紋を呼んだ。

「当局の推薦から二年以上ですから、時期としてはかなり遅かったですが……」

「……二年?」
千冬の意識が、困惑から再び疑念へと変わった。
「はい、凰候補生のご両親には強く入学を(すす)めていましたが、父親の方が頑として首を縦に振りませんでしたから」
――IS操縦者としての推薦は、栄光への約束手形。
ISが時代の寵児(ちょうじ)される現代において、IS操縦者としての遍歴は何にも勝るステータスであり、一種のエリート扱いが陰ながらに幅を利かせていた。
有益な検定資格よりも、IS操縦者としての経歴が勝るという現象が、この御時世には暗黙の了解として成り立っているのだ。
それが国家からの推薦ならば、なおのこと断る理由がない。それが普通の考えである。
(それを二年も……)
鈴の父親に如何様な意思があったかは分からない。
鈴がISに乗るのを好しとせず、そこから鈴を遠ざけていたか。もしくは本省からの推薦に思うところがあり、避けていたか。
いずれにせよ、そこまで頑なだった鈴の父親もそうだが、中国IS協会の執拗とも言い得る粘り強い勧誘も相当である。
「随分と熱心にご勧誘なさったんですねぇ……」
少し場違いなどこかのんびりとした口調で、二人のあいだにいた真耶が話に加わる。
「なにせ、十三歳で適性ランクAの逸材ですからね。本省側としても、早期から育成したかったのだと思います」
楊の語った事実に、真耶は思わず目を丸くして驚いた。
ISの特性はSからEまでの六段階の評価が存在し、その肉体がISの操縦にどれだけ適しているかを知る指標になっている。
しかし、すべての女性が操縦する権利を持っているとはいえ、実態は大半の女性がEランク(適性不足)、もしくはDランク(低適性)に分類され、操縦者としての道を諦めることを余儀なくされる。
訓練や精神的な成長によって向上はするものの、それでもAランク以上の適性者に育つ者は、全体の数パーセントしか存在しない。
Sランクにもなると、世界的な操縦者など一パーセントにも満たない領域であり、その希少性はなおのこと際立ってくる。
先天的なAランクともなれば、もはや数万人に一人の逸材なのだ。
(あの鈴が、まさかそれだけの“天才”だったとはな……)
千冬もこれには、心の内で静かに感心するしかなかった。
同じ代表候補生のセシリアがAランクだが、彼女の場合は数年来の努力でAランクまで向上させた部分が大きい、いわゆる“秀才”である。
対する鈴の場合、セシリアほどの努力が出来た時間がない。それにもかかわらず、一年という短期で国家代表候補生になったのだから、彼女の現状の強さは、努力以上に才能が占める割合が大きいと考えるべきだろう。
中国側が執拗な交渉を以ってして欲しがった理由も、今戦っている鈴の強さが表している。
「それにしても、離婚したとはいえ、どうして凰さんはお店をやめてしまったんでしょう……」
またも真耶が、小声で唐突な疑問を投げかけてくる。
「真耶……」
眉間にしわを寄せながら、千冬は呆れ気味に後輩を一瞥する。
「あっ、すす…すみません。思わず口に出てしまいました……」
ところが、何気ないこの一言から、楊はまた別の事実を述べはじめた。

「閉店理由は至って単純です、借金で店の運営が回らなくなったからです」

――――

「……え?」
観客席のモニターの正面に位置する座席。
いまはシェルターが雨避けとなって降りているため、シェルターの天井全面が、克明に試合を映す大画面となっている。
その座席で、織斑一夏は間抜けな声を上げていた。
〔『え』もなにもありはせんよ、あの店は借金の(かた)になってしもうたのだからな〕
一夏にとって、布仏本音のコンソールのモニター越しに白夜が語った事実は、まさに青天の霹靂(へきれき)だった。
「だって、あんなに繁盛してたじゃないか……!」
一夏がよく目にしていた光景は、昼時になると満席になって賑わう店内の風景だった。
土日には常連客であふれ、平日でも夕方から夜にかけては半分以上の座席が埋まっていた。
〔お前さんらが見かける時間帯は、な……〕
白夜に一言に、反論の言葉を探していた一夏は思わず押し黙った。
先ほど鈴の両親が離婚していたという、衝撃の事実を知ったばかりである。
加えて、今度は自分たちの知らないところで、幼馴染の家が借金苦に喘いでいたという。
「だったら、なんで俺や修夜とかにタダ飯食わせるとか……!」
悔む思いで独語しながらも、その理由を一夏は誰より理解していた。
鈴の父親という人物は、度外れて優しく大らかな人物であった。
常連にサービスといって、一品料理を無料で付けるのは当たり前にやった。
苦学生に30分の皿洗いを対価にラーメン定食を出したり、一夏や修夜のように近所の年頃の者に無料で料理をご馳走するなど、一銭の得にもならないことを惜しむことなくやってみせた。ときに足りない代金に目をつぶり、払える分だけを受け取るなんてこともやった。
思えばこの大盤振る舞いが、店の経営を陰でひっ迫させていない訳はなかった。
〔あの仁も、商売人としては人が好すぎたんじゃよ〕
白夜の言葉にも、どこか憂いのような感情が入り交じる。
(くそぅ……)
一夏は内心で後悔し、腹を立てた。
その怒りは誰でもなく、鈴の父親の厚意に何の疑念も持たず、図々しくも能天気にタダ飯をご馳走に上がっていた、あの日の自分自身に向けたものだった。
どうにもならない思いが、険しい表情として現れてくる。
〔お前が悔いたところで、何も戻りはせんよ。納得済みの決断じゃろうて〕
白夜に諭される一夏だが、まだ釈然としないらしい。
〔そもそもあの一帯は、駅前再開発の影響で随分と様変わりしたからのう〕
ISが及ぼした影響は、何も世界の価値観だけではない。
修夜や一夏の育った町は、IS学園から鉄道網を使えば三十分ほどで到達できる位置にある。
学園の創業以降、周囲は競うように再開発に乗り出し、学園の周辺地域は軽いバブル経済の様相を呈していった。
修夜と一夏の育った町もまた、学園直通のモノレールのある『学園海峡大橋駅』への特別快速が組まれたことで、それまで穏やかだった街並みは駅前を中心に小都会へと変貌している。
中でも数年前に出来た駅前の大型デパートとショッピングモールは、近在の商業エリアでも有数の売り上げを誇る地区となった。
〔食い物屋のほうも、随分と駅前に集中したからのう。常連や昔馴染み以外は、ほとんど駅前に客を取られてしもうたらしい〕
――よくある話だ。
白夜はそっけなく言い切った。
〔わしはあの子が引っ越す半月前まで、あの子から両親の仲直りを相談されていたんじゃよ〕
白夜が鈴から聞いて曰く、駅前地区が賑わいを見せて以降、二人は店の経営と中国政府からの勧誘を巡ってよく口論になっていたという。
それを耳にしていた鈴は、仲睦まじいかつての二人に戻って欲しいと切に願い、地元で知恵者としても評判だった白夜に相談を持ちかけたのだ。
〔話を聞かされときには驚いたわい。何せ馬鹿弟子とケンカしているか、一夏を追いかけているかばかりの我がまま娘が、目に涙を溜めながら二親の仲を案じておったのだからな〕
どこか愛おしげに、白夜は当時の様子を振り返っていた。
最初の相談は、彼女が中学二年生に上がってしばらくした頃だった。
それまで大した交流もなかった両者だったが、白夜の営む鍼灸診療所が暇になる時間帯に、普段は顔を見せることのない鈴がひょっこりと顔を出したらしい。
最初はぎこちない態度だったが、それも顔を合わせて言葉を交わすうちに、いつしか柔らかくなっていったという。
それは普段から弟子を通じて聞いていた、強情で鼻っ柱の強いおてんば娘とは違う、いたって普通の年頃の少女であった。
(特に一夏について訊いたときには、面白かったのう)
説明にこそ交えなかったが、白夜はこの交流で鈴の一夏への想いも理解した。そしてそれをネタに、恥ずかしがる彼女をからかって遊んでもいたらしい。相変わらずな仁である。
とにもかくにも、鈴は白夜との交流を得て自分なりに考え抜き、両親の関係修復のために小さな努力を重ねていった。
二人が忙しいときには、下手くそながらに家事を手伝い、以前は億劫だった出前や配膳を自ら買って出たりもした。
少女は少しでも二人に、精神的なゆとりを持ってもらおうと、柄にもなく懸命に店を手伝った。
――可愛い看板娘がいる中華屋がある。
いつしか、そんな噂もたちはじめていた。
それは結果的に店の売り上げを伸ばし、両親のケンカの回数をも減らしていった。
かつての平穏な凰家の姿は、そうして取り戻されていくように見えた。

〔結果的に、これが一番の致命打になりおったがな〕

愛娘の張りきる姿に、両親は非情の決断を下した。
〔『自分の道楽にお前を巻き込みたくない』。それが父親からの返答じゃった〕
鈴の父親が娘に対して望んだもの、それは【何にも縛られない将来】だった。
ゆえに父親は、娘の将来が何かに縛られて身動きできなくなることを、何よりも避けてきた。
このまま店の切り盛りを任せ続ければ、きっと娘は何の疑問もなく自分の店を継ごうとする。だがそれは、本来娘が歩めたはずの無数の可能性を潰す、残酷な選択だとも考えていた。
本省からの勧誘を断り続けてきたのも、同様の理由だった。同時にこの父親は、友人伝手に本省の異様なIS良英才教育の実態を耳にし、決して踏み込ませてはならないとも考えたのだ。
加えて店の借金も、鈴の将来のための貯蓄に手を出さざるを得ない段階まで達していた。鈴の頑張りで経営が持ち直した頃には、すでに返済期限が差し迫り、焼け石に水でしかなかったのだ。
〔机に突っ伏して、泣きながら謝られたらしい〕
それが二月の末のことだったと、白夜は告げた。
なお離婚に至ったのも、愛する妻に借金を負わせることを嫌った父親の判断だったらしい。
――苦労も後ろ指も、自分だけでいい。
鈴の話を聞いて諸事を伺いにいった白夜は、彼女の父親からそう聞かされた。
同時にケンカの理由が、政府の要請を受理することで発生する莫大な奨励金に絡んでいたことも、このとき告白された。
母親の方が、夫の店を潰すまいと考えた、苦肉の策だったという。
ただ聞くと身勝手な方法に思えるが、子は親に尽くすのが道理の儒教社会たる中国では、ごく自然に発生する思考の一つである。
こうして凰一家は、互いの思いのすれ違いの末に店を閉め、それぞれの地に去っていった。

〔以上が、わしが鈴と係わって見届けた、事の顛末の一部始終じゃ〕

白夜は知っていることを、すべて話しきった。
モニターを見ていた者も、画面越しのBモニタールームの者も、一様に言葉を失っていた。
誰かや何かが、どうといえる話ではない。
強いて言うならば、人の性格と時の運の折り合いが悪かった。
白夜の言を借りるならば、それこそ世間には“よくある話”である。
だからこそ余計に、釈然としない思いが各々を苛んでいた。
その中で、白夜は再び言葉を発しはじめる。
〔あの子がどれほどのものを背負って、あの場で戦っているかは、はっきりとは分からん〕
それでも、親のケンカは子供にとって大きな傷跡になる。
それが今の鈴の歪みの土壌になっている――と、白夜は自分の考えを明かした。
果たしてこれが、鈴の真実にどれほど近づけたかは分からない。
ただ皆が沈痛な面持ちで言葉を失う中、
(……なら、鈴の向こうでの生活に、何かがあった。そういうこと、なのか?)
蒼羽技研開発部主任は、誰よりも先に思考を走らせていた。

――――

第一アリーナ・フィールド内。
小雨が降り続く中、二つの球体が雨を弾きながらダンスしていた。
一方の白い装甲は白刃を握って相手を追走し、もう一方の赤紫の装甲は肩の砲身から衝撃力の弾丸を撃って牽制し続ける。
「どうした、正面から来いよ!」
鈴からの砲撃の嵐を、修夜はアタックブースターによる瞬間加速で巧みに掻い潜る。
「うっさい!!」
一方の鈴は修夜を懐に入れまいと、龍砲を連射モードで放ちながら逃げ、必死に付き離す。
見えざる衝撃の雨も、砲口の位置と自分の位置さえ計算に入れれば、修夜にとって避けるのは難しいことではない。
前の試合では、一夏も徐々にコツを掴んで避けていた。修夜はこのときに、観戦しながら自然と龍砲の特徴を頭に叩きこんでいたのだ。
(……ったく、このままじゃ埒が明かない!)
衝撃の雨を右に左に潜りつつ、逃げる鈴に修夜も必死に食らいつく。
素直に銃撃戦で応じれば済む話だが、修夜の心情はもうその位置にはない。
(ぶつかって勝つ……!)
試合以上に、修夜は鈴と正面を切って戦い、ぶつかり合うことを望んでいた。
修夜にとっては、それが自分と鈴の戦い方だから。
自分の望む戦いを得るべく、ここで修夜は隠していたカードを切る。
「シルフィー、スモーク!」
《了解!》
短く命令した修夜に応じ、シルフィーは左肩から樽状の物体を現出(セットアップ)する。
そのまま樽状の物体は、ロケット弾を砲身から鈴に向けて連射した。
「そんなもの……!」
勢いよく近付く弾丸に対し、鈴は龍砲をすばやく拡散モードに切り替えて迎撃する。
砲身の周辺の空間が歪曲し、不可視の衝撃の壁が前面に展開される。
ところが――

――ぶわっ……!

弾丸は撃ち砕かれると同時に、あり得ない量の白煙を一帯にぶちまけた。
(しまった、煙幕……!?)
気付いたときには既に遅く、鈴の周囲はあっという間に煙に呑まれてしまった。
少女の視界に映るのは、煙で白く濁った空間だけである。
(くそっ、どこにいるのよ……!)
心中で悪態をつきつつ、四方八方を警戒する。
ハイパーセンサーでレーダーを使おうにも、レーダー画面は不自然な砂嵐が走って途切れ、使いものにならない。
(【索敵妨害煙幕(スモーク・ジャマー)】……、味な真似してくれるじゃない!)
この煙幕の成分には、空気に触れるとイオン分子を発し、それによって微弱な電磁波を生じさせる特殊物質を混ぜてある。単なる目くらましだけではなく、敵のレーダー機能も奪う優れものだ。
目の前は白煙、レーダーは機能を麻痺させられ、尋常の手では太刀打ちは不可能となった。
(……だったら)
一計を案じた鈴は目をつむり、自分の耳に意識を集中させる。
するとハイパーセンサーは、雨音以外の周囲の音を拾い上げ、鈴の聴覚を刺激しはじめる。
目が見えないなら、耳を使えばいい。
また不用意に飛び出れば、あっという間に相手の手の内に落ちてしまう。だから留まる。
一夏との試合で、砂煙の中から奇襲を受けた経験が、この対策を講じさせた。
それも直感で、だ。
研ぎ澄まされた聴覚が、煙の外からの音を拾いはじめる。
煙の外では、修夜が自分の周囲を旋回して突撃の瞬間を見計らっているらしく、機体が飛びまわる音がぐるぐると回っている。
(まだ、まだ……)
さらに精神を研ぎ澄まし、わずかな変化さえ漏らさず捉えようと試みる。
時間が一気に濃縮され、一秒が何倍にも伸びていく。
不意に、スラスターの音が遠ざかり、続いて自分に向かって“何か”が飛んで来る音を捉える。
(四時の方向……!)
かなりの速度で飛んでくるそれに対し、鈴はすぐさま双天牙月を呼び出し(コール)して構える。
(輪切りにしてやる!)
音と速度から、直感でタイミングを計っていく。
少女の直感が、そのときを捉えた。
「そこよっ!!」
四時の方向に振り向きながら、その体の捻りを利用して一気に二つの刃を振り抜く。
手応えあり。
だが、彼女が切ったものは……、

――ぶわっ……!

「!?」
再び自分の視界に、猛烈な白煙が立ち込める。
飛んできたのは、先ほどと同じ煙幕弾だったのだ。
より至近距離で炸裂したため、煙の勢いも凄まじく、鈴は思わず怯んでしまう。
そのとき、本来聞こえるべき“音”が、勢いよく三時時の方向から突っ込んできた。
(しまった!)
二度目の爆発から自分の向いている方向を読まれ、接近を許してしまう。
急いで体勢を立て直し、牙月を構え直す。

――がちんっ!!

二つの刃と、一つの大きな刃がぶつかり、鋭い音を響かせる。
突っ込んできた修夜の手には、先ほどと変わって自身の身の丈に届きそうな大剣が、一振り握られていた。
煙の外から勢いよく飛んできた修夜に押され、鈴も防御しながら反対側へと押し出される。
「そぉら!」
鈴を突き離して間合いを調整すると、修夜は逃げる暇を与えず大剣を振り上げて突っ込んだ。
黄昏色のフレームを持つ片刃の大剣が、小柄な少女に向けて容赦なく振り下ろされる。
鈴も体勢を崩しながら、とっさに双天牙月を構えて合わせに行く。
がちん、とまた鋭い音が雨の中で響き渡る。
一合、二合、三合と太刀筋を重ね、四合目で今度は鍔競り合う。
よく見れば修夜の大剣は、刀身が切っ先以外レーザーの刃であり、競り合いとともに火花のようなものが刃のあいだで弾けていた。
徐々に膂力の差からか、鈴の刃の方が押されはじめる。
甲龍自体はパワータイプであり、本来なら汎用型のエアリオルにパワーで劣る道理などない。
だがISは操縦者のメンタルによって、そのポテンシャルを変えるデリケートな機械でもある。
(なんで、なんであたしが……!?)
何故に代表候補生の自分が、自分にも操縦歴の劣る人間に押されているのか。
疑問は焦燥となり、焦燥は苛立ちとなって心に積っていく。
鈴の内心は今、修夜に迫られている現実を認められず、本来の力を鈍らせていた。
この緩みを、武の上で先を行く修夜は見逃さなかった。
「おらっ!」
競り合った刃にさらに力を込め、勢いに任せて鈴を突き飛ばす。
強引なやり方に鈴はもんどりを打ちながら後ろに飛ばされ、高度を下げさせられる。
「いくぜ、シルフィー!」
《了解、『プログラム<SO>』承認、PIC出力上昇を確認!》
シルフィーに命を下したのち、修夜は大剣を脇構えにし、そのまま鈴へと突撃する。
鈴も必死に体制を戻そうとするが、回転しながら飛ばされた反動で少し目を回し、動きが鈍くなっていた。
隙だらけの鈴に、獲物に“飢えた獅子の歯牙”が容赦なく襲いかかる。

「四詠桜花流大太刀之弐(おおたちのに)……、隻 刀 螂(せきとうろう)!!」

脇構えを解いたと同時に切っ先を後ろに流し、そこから体を大きく捻って回転させる。
回転はそのまま振り抜く力に変えられ、勢いのまま鈴へと直撃。
胴体を輪切りにせんばかりの強烈な一刀が、豪快に鈴を地面へと叩き伏せた。
衝突地点で大きく飛沫が上がり、鈴も水切りの石のように跳ねてフィールドを転がっていく。そしてAカタパルトとDカタパルトの延長が交差する位置で、雨で滑りながら止まった。
止まったのを確認し、修夜は高度を下げてゆっくりと鈴に近付いていく。
両者の距離、およそ十五メートル。
あいだには雨粒のカーテンが走り、見方によっては何かの絵画のようにさえ見える。
地面に倒れた鈴を、修夜は中空から見下ろす。
「どうした、もうギブアップか?」
煽るような言い方で、修夜はわざと鈴の癪に触るよう話しかける。
しかし鈴の方は、地面にうつ伏せに倒れ込んだまま、身じろぎ一つしない。
雨の降るフィールドにうつ伏せ、綺麗な髪を泥水に浸すままとしている。
修夜のシールドエネルギー、残り631ポイント。
鈴の方は、389ポイント残っている。
先ほどの一撃に加え、地面に叩きつけられたダメージで『絶対防御』が働き、シールドの消耗はさらに増していた。
絶対防御は操縦者を生命の危機を回避させる一方で、競技用で発動するとかなりのシールドエネルギーを消耗させられるのだ。
IS同士の対戦では、地面や障害物への衝突が効率よくダメージを与えるすべにもなる。
そして絶対防御が発動した以上、操縦者の気絶を防ぐ『スタンブロック』機能も発動する。鈴の意識は飛んでいないはずである。
起きているはずの鈴を、修夜はただ睨むように見つめ続ける。
「俺を土下座させるんだろ、あれは口先だけのパフォーマンスか、あの気迫もハッタリか?」
容赦のない責めで鈴をなじる修夜だが、修夜自身もこんなことは本意ではない。
こうして刺激することで、鈴が感情を露わにし、打算なしに戦ってくるのを待っているのだ。
だが修夜の考えを知ってか知らずか、鈴は一向に置きあがる気配を見せない。
濡れた地面に伏せたまま、修夜からの責められ続けるだけである。
「起きろよ鈴、いつまで這いつくばって不貞寝していやがるんだっ!!」

その一言に反応してか否か、鈴の指先が僅かばかり動いた。

――――

落ちた。
また落とされた。
また「ここ」だ。

いったい何度、自分は落とされることになるのだろうか……?

幼い頃からそうだった。
親戚内では常に底辺の扱いで、学校でも決して恵まれた環境にはなかった。
日本に引っ越してからは、一夏と“あの馬鹿”のお陰で改善はされた。
しかし、自分の体格や性格を卑下して楽しむ人間が消えることはなく、結局はいつまでも無力なままだった。
そして両親にも――。

自慢の父だった。
優しくて大らかで、みんなから愛される立派な人だった。
母も少し厳しかったが、美人で優しく自分のことを誰より愛してくれた。
だから報いたかった。
店を継ぐことなら、むしろ大歓迎だった。
あの場所で、あの店で、あのみんなで……。
だから必死に頑張った。
両親のケンカが無くなって、店が繁盛すればきっと上手くいくと思った。

――でも、そうならなかった

想い合っているのに、愛し合っているはずなのに。
それなのに二人は盆の水を覆してしまった。
現実はただ無慈悲に、自分をどん底へと突き落とす。
自分の努力は、現実に負けた。

……また“負ける”のか?

また負けを重ね、自分の“追い求める理想”を逃すのか?
また地の底に叩きつけられて、泥まみれになって、泣いて終わっていくのか……?

――いやだ

もう嫌だ。
もう沢山だ……!
誰かに見下されるのも、夢を壊されるのも、無力に泣いて悔しがるのも!!

「どうした、もうギブアップか?」
黙れ

「俺を土下座させるんだろ」
「あの気迫もハッタリか?」
うるさい……

「いつまで這いつくばって不貞寝していやがるんだ」
……偉そうに説教して、なんなのよ。

いつもそう。
いつも、いつも、いつもいつもいつも……!!
いつだって、あたしのこと分かってるつもりで口を利いて、さんざん文句付けてきて……!

この前だってそうよ。
一夏と一緒に居たいって思って何が悪いのよ。
一夏に馴れ馴れしい女がいて、それに腹が立ってどこがおかしいのよ。

クラス代表だってそうよ。
本省の訓練学校だったら、あんなの日常茶飯事だった。
実力のある人間だけが、自分の理想と夢を追うのを許される場所だった。
実力がないヤツは、ただ引きずり落とされて道を絶たれるしかない。
勝ち続けるしか、理想を追う手段なんてなかった!

そうよ、あたしは負けない……!

負けてたまるか
落ちてやるもんか

勝ってやる、勝ち取ってやる!!

また【あの場所からやり直すために】――!

――――

第一アリーナ観客席。

天井いっぱいの大画面で二人の試合が移される中、開いている席にも座らずに入口で立っている人物が一人いた。
「ねぇ、あの人誰だろう?」
「ちょっとイケメンじゃない、何かステキ~!」
近くにいる女子生徒たちは、試合の様子もそこそこに、入り口で佇むその“男性”に対して、小さく黄色い声を上げていた。
体の線は細く、背丈は百八十センチメートルを超えているだろうか。
黒いスーツに深い紫のネクタイ、手には綿手袋をはめており、髪はきっちりとオールバックで固めている。
顔は細面で整っており、特に切れ長の目とその視力を補う銀縁の眼鏡が、男にスマートで美麗な印象を与えていた。
その涼やかな目が、雨天の下でぶつかり合う少年少女の戦いを見据えている。

(どうやら、調子はよくなさそうですね、凰)

男の名は清周英(チン・ジョウイン)、鈴の訓練学校時代の指導教官である。
中国では男であろうと、有能であれば人材にとして訓練学校の登用し、自国の強化に充てることを普通におこなっている。
清は訓練生のマネージャー的な立場にあり、訓練生の生活や精神面を指導している。
先日の無人機騒動では、航空便の発着が遅れて会場にはいなかった。
それゆえに今回の修夜と鈴の戦いは、清にとっては願ってもない僥倖だったのだ。
「……さてどうしました凰、本省でのあなたなら【ここからが本番】でしょう?」
清は雨の中で倒れる鈴を、ただじっと見つめて小さく独語する。

「さぁ、彼に見せてあげなさい。あなたの力を……!」

涼しい目元のその男は、わずかに口角を上げて不敵な笑みを浮かべるのだった。
 
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