戦国異伝
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第百五十一話 四国と三河その六
「そして民達も田畑の仕事に励めとな」
「わかりました、ではその様に」
「民達にも知らせます」
「そうせよ、しかしじゃ」
「しかし?」
「しかしとは」
「御主達は鉄砲をどれだけ持っておるのじゃ」
讃岐での戦のことからだ、こう言うのだった。
「一体」
「いや、鉄砲は雑賀衆が持っていますが」
「御坊にはかなりありますが」
「しかしそれでも我等は」
「殆ど持っておりませぬ」
僧侶達は怪訝な顔になり元親に答えた。
「鉄砲等は」
「とても」
「そうか」
ここまで聞いてだ、元親は頷いた。
「この讃岐には殆どなかったか」
「阿波にもです」
「四国にはほぼありませぬ」
「とても。織田様の様には」
「そうか、しかしじゃ」
元親は彼等の話を聞いてだ、あの者達のことを話したのだった。
「しかし随分と鉄砲を持っている者達がいたぞ」
「はい、その様ですが」
「しかし百姓達があそこまで鉄砲は」
持っていないというのだ。
「漁師が持っているにしても漁師の門徒はここには然程おりませぬ」
「それでもあそこまでの鉄砲は」
「とても」
備えていないというのだ、そうした話を受けてだった。
元親は訳がわからなくなった、それで彼等を退けてだった。
あらためてだ、そこにいる者達にこう告げたのだった。
「では行くぞ」
「色々気になることはありますが」
「それでもですな」
「うむ、行くぞ」
境から摂津にというのだ。
「よいな」
「はい、では」
「勘十郎様達をお助けに」
四国を収めた彼等はすぐに港から船を出し堺に向かった、そのうえで摂津でも激しい戦いに入るのだった。
三河でも戦が行われていた、家康はまずは岡崎においてだった。
徳川家の諸将を集めた、だがその彼等はというと。
「少ないのう」
「一向宗の者もいますので」
酒井が家康に苦い顔で話す。
「ですから」
「そうか、そういえばな」
家康もわかっていた、徳川家の中には一向宗の者もいるのだ。そしてその彼等がだというのだ。
「それでか」
「流石に本願寺についた者はいませぬが」
「それでもです」
「そして本多殿もです」
本多忠勝はいる、しかしもう一人の本多である本多正信はというと。
「今迷っておられます」
「「これからどうされるべきかと」
「それで今もご自宅に篭っておられます」
「ですから」
今この岡崎には来ていないというのだ。
「残念ですが」
「一向宗には加わっておられませぬが」
「他の者達もです」
「多くは家に篭っております」
「わかった」
ここまで聞いてだ、家康はまずは頷いた。
そのうえでだ、今己の前にいる家臣達にこう言った。
「出陣は三日後、しかしその三日の間だ」
「来なければですか」
「その時は」
「いや、待つ」
家康は微笑みを浮かべて言った。
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