皇太子殿下はご機嫌ななめ
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第48話 「嵐の前触れ」
前書き
これからどうなる事やら……?
第48話 「ここからが始まりだ」
「――皇太子殿下」
アンネローゼの緊迫した声に振り返ると、僧頭の迫力のある大柄な女性が、扉越しに姿を見せた。
しかしどこかで見たことがあるような……気がする。
何者だ?
脳裏でめまぐるしく、原作の登場人物の名が過ぎった。
該当者はいない。
そのはずだ。
しかし脳内で、警告じみたアラームが鳴り響く。
「アドリアナ・ルビンスカヤさんがお越しになりました」
アンネローゼが名を告げた瞬間、全身の産毛が逆立った。
こいつが来たのか……。
ホワン・ルイが女だったからな。なんとなく嫌な予感がしていたんだ。
フェザーンから黒狐ではなく、女狐が出てきやがったぜ。
「わかった。連れて来い」
宰相府内の応接間に案内させる。
いきなり肩が凝ってきた。気分も滅入ってくる。
はぁ~ため息も出てきたぜ。
やな気分だ。
■フェザーン自治領 ブルーノ・フォン・シルヴァーベルヒ■
民主共和制の実態を見て来い、という宰相閣下の命により、カール・ブラッケがフェザーンにやってきた。
積極的に同盟関係者と会談を繰り返しているものの、表情は優れない。
それどころか、だんだん顔色が悪くなる一方だ。
来た当初のばかばかしいぐらい、きらきらした目の色など微塵も感じられない。
「理想や理念は素晴らしいのだが……」
ぽつりとそう零す。
バカが、そんな事は宰相閣下が常々仰っていた事だろう。
あのお方は我々以上に、民主共和制を知っておられる。よほどお調べになられたはず。その上で、民主制にも共和制にも、夢は持っていないと言われたのだ。
「あのお方は、皇太子殿下だぞ。自他共に認める皇位継承権第一位。次期皇帝陛下だ。そんなお方が帝国改革を主導されているのだ。そのことの意味を考えた事があるか?」
「意味?」
ブラッケが不思議そうな表情を浮かべた。
俺の隣に座っているオーベルシュタインが、イラッとした表情を見せる。こいつは頭の回転が速いからな。俺の言いたい事が理解できる。
だからこそ、そのことの意味を考えてこなかったこいつに、腹を立てているのだ。
「おとなしく口を噤んでいれば、何事もなく、皇帝になれる」
俺がそこまで言った後、オーベルシュタインが、
「よく冗談めかして口にされる、贅沢三昧、自堕落な酒池肉林すら、当たり前のように手に入るのだ。それらを全て捨て去ってまで、改革に乗り出された。そのことの意味だ」
そう続けた。
オーベルシュタインは宰相閣下の事を、心から敬愛している。彼の理想にかなり近い君主らしい。
「それはそうしなければ、帝国が立ち行かないところまで来ていたからだろう?」
「そうだな。今ならまだ間に合う。そう思われたからこそ、自ら立たれた」
「その際、ただ漫然とこのままでは行かない、そう考えたと思うのか? 何を根拠に立たれようとしたのか?」
「貴族の横暴や汚職。それに社会不安や長い戦争だろう?」
ブラッケが自信ありげにそう口にする。
オーベルシュタインが、軽蔑を露にした視線を向けた。
あ、だめだ。こいつ、皇太子という、お立場を分かっていない。貴族の横暴も汚職も社会不安も、すべて平民相手の事だろう。そんな下々の事など、無視しようとすれば無視できるのだ。
門閥貴族どもが気づかなかったように、現皇帝陛下が眼を瞑っていたように、皇太子殿下も目を瞑ってしまえば良い。
それだけであのお方の周辺では、何事も起きない。
のほほんっとしていられる。少しずつ崩壊を続ける帝国。それすら気にも留めない。そんな貴族がどれほど多かった事か……。
その上、眼を瞑り、見ない振りをしてきた皇帝。皇太子殿下も、その中に埋もれてしまえば良い。下々の事など無視すれば良いのだ。それができる。できたはずなのだ。
「だというのに、あえて下々に目を向け、問題を直視なされた。その時、帝国だけを見たと思うのか? そんな筈はあるまい。同盟の事も、フェザーンの事も見られただろう。社会制度も現状も調べられたはずだ。あのお方は帝国の問題を直視なされたのだ」
「同盟の社会体制や問題点など、とうの昔にご存知だ。卿のように民主共和制に、過度の期待などしておらぬ。だからこそ、現実を見てこいとフェザーンに卿を寄越された」
オーベルシュタインの声に冷たいものが混じりだした。絶対零度の氷のようだ。だが、ブラッケはいまだ認めたがらない。プライドだ。つまらぬプライドが認める事を拒絶している。
薄皮のようなプライドが破れ、現実を直視できたとき、こいつは文字通り、一皮剥ける。
宰相閣下もそれを期待されているのだろう。
■自由惑星同盟 ロイヤル・サンフォード■
アンドリュー・フォーク中佐が私を訪ねてきた。
今回の出征について相談があるというのだ。私室の応接間で応対したものの、フォーク君は椅子に腰掛けるよりも先に、口を開いた。
滔々と語られる言葉に、政治家である私ですら、圧倒されてしまう。
「閣下。今回の出征についてですが、なにも帝国軍とぶつかる必要などないのです」
いきなり何を言うのかと思ったが、聞いているうちになるほどと思えてくる。
中々に弁が立つ。
しかし同盟軍は、アスターテまで強行軍で向かい、さっさと戻ってくる。それだけでいい、か。なるほどな。
「誰もいないアスターテで、いつまでも帝国軍が待っていられる訳ではありませんし、かといって有人惑星を占領できる訳も、ハイネセンまで進軍できる訳でもありません」
「腹立ち紛れに、有人惑星を攻撃するかも……しれないだろう?」
私がそう言うとフォーク君は首を振る。
そして簡潔に纏めたレポートを提示しつつ、さらに説明を始めたのだ。
ロボス君を含めた幕僚達で必死に考えた末の、作戦らしい。
「それは有り得ません。相手はあの皇太子です。そのような事を認めるはずもない。今の帝国軍の指揮官は、かつての門閥貴族ではないのです。皇太子に忠誠を誓う平民達です」
だからこそ、同盟がさっさと戦場から立ち去ってしまえば、否が応にも帝国に帰還するしかない。ましてや有人惑星を占領して、それを維持するには八個艦隊では少なすぎる。
それが分からぬほど、あの皇太子も帝国軍も愚かではないだろう。
だからこそ彼らにも、選べる選択肢は少ない。
「それを逆手に取るのです。軍も政治の一環。あの皇太子ならば、今回の作戦の意味を見抜くでしょう」
「なるほど、政治的な意味合いを持たせるのか……。その上で同盟市民に今回の作戦の意味を伝える。あのような条件など同盟は飲めない事をアピールする」
政治的な意味合いに徹する。同盟は一戦をも辞さない覚悟を持っている。
そう帝国に突きつける。
それしか六個艦隊を無傷で残す事はできないというのだな。
「その通りです」
「可能なのか?」
私がそう問うと、フォーク君は力強く頷いた。
六個艦隊を出動させながらも、戦わずに引く。その意味を皇太子に考えさせる。
問題を出す側と解く側。
どちらが主導権を持っているのかは、明らかだ。
思わず喉が鳴った。
やれる。十分成功可能な作戦だ。
「今回の作戦は軍に一任する。やってくれたまえ」
「了解いたしました」
フォーク君が敬礼をして、部屋から立ち去った。
「はぁ~」
私は椅子に背を預け、深々と座り込んでしまった。
一時はどうなる事かと思ったが、なんとか首の皮一枚で、同盟は生き残ったようだ。
シトレ君にロボス君。
二人とも中々優秀な部下を持っているようだな。
大丈夫。大丈夫だ。
同盟は生き残れる。帝国に併合されてたまるものか。
なんとしても生かせてみせる。
これからはトリューニヒトなんぞにしてやられないように、軍と連絡を密にしなければならない。
■ノイエ・サンスーシ フリードリヒ四世■
うぬぬ。なんじゃこの仕事の量は。
ルードヴィヒから回ってきた仕事だが、やたら多いわ。
女官達がにこにこ笑いながら、書類を差し出してくる。これを予にこなせと言うか?
そうなのか?
ルードヴィヒ!!
「がぁ~っでむ!!」
許せん。
許せんぞ。
ルードヴィヒ。
予は悠々自適な生活をしたいのじゃ。
「できないんですか?」
ぼそっと女官の一人が呟く声が、予の耳に聞こえてきた。
予が睨むとあとずさったが、できないと思われるのも癪じゃ。
おお、やってやろうではないか。
予の本気を見せてくれるわ。
■宰相府 アンネローゼ・フォン・ミューゼル■
むかつくー。
むかつく女でしたー。
あのアドリアナ・ルビンスカヤとかいう女。
皇太子殿下に近づこうとするなんて、決して許せる事ではありません。
「そう思うよね、ラインハルトも!」
「あ、姉上。わたしは会っていないので、分かりかねます」
「チッ」
「あ、姉上が、舌打ちするなんて……」
「なんですか~」
じろりと睨むとラインハルトが、怯えたようにあとずさります。
ラインハルトには分からなかったみたいです。
チッ、なんという鈍い弟でしょうか?
やはり、肉食系に育てるべきでした。
どうもラインハルトは女性に対して、潔癖すぎるのです。
その上、女を見る目がないんですね。
ラインハルトの将来が心配になって来ましたよ。
姉としてはっ!!
「あんな権力欲に取り憑かれたような女が、皇太子殿下に近づこうとしたのです。どうせ碌な目的ではありません。ええ、ええ、きっとそうに決まっています」
「それで皇太子は?」
「話を聞くだけ聞いて、追い返してしまいました」
「良かったじゃありませんか?」
「良くありません。近づいたという事実が問題なのですっ!!」
あの女は皇太子殿下に禍を齎す。
アレクシアさんなど、問題にならないぐらい。厄介な女です。
あの女に比べれば、アレクシアさんなど、天使といっても良いぐらいでしょう。
なぜ、それが分からないのかっ!!
■統合作戦本部 アレックス・キャゼルヌ■
「よく来てくれた」
ヤンとアッテンボローが顔を見せた。
ぜひとも聞いて欲しい話があって呼んだ。
「先輩、なんですか?」
「いきなり呼び出すんですから」
二人とも呆れたような表情を浮かべている。
しかしこの話を聞いても、まだ平静でいられるか?
「二人とも、ロボス司令長官が六個艦隊を率いて、出征する話は知っているな?」
「知っています」
ヤンは不満そうだ。無駄な戦いだと思っているのだろう。
しかしロボス司令長官に対して、悪感情は持っていないようだ。無駄と分かっていながら、行かねばならない立場に、いくぶん同情的な様子だった。
「戦わずに引けば良いんだ」
「そう、その通りだ」
アッテンボローの言葉に俺は、思わず同意の言葉を言ってしまった。
しまった。驚かすつもりだったのに……。
「は?」
「はぁ~?」
二人とも鳩が豆鉄砲を喰らったような驚いた表情を見せる。
「どういう事ですか?」
ヤンの声が潜められた。
アッテンボローも身を乗り出してくる。
俺の机を囲んで、三人でこそこそと小声で、話し出す。
まるで悪巧みをしているような気分になった。
「いや、ロボス司令長官率いる六個艦隊は、アスターテまで、強行軍で進軍し、その後、帝国軍と遭遇する前に、撤退する。出撃したという事実のみを帝国に突きつけるんだ」
「それって……」
「まるで……ピンポンダッシュですね」
「しかしうまくいけば、六個艦隊は無傷で帰還できる。今この状況で、六個艦隊も失うわけにはいかない」
「まさしく、奇策ですね」
「そうだろう。俺も聞いたときは驚いたね」
「よほど、ロボス司令長官の幕僚達は必死に考えたんですね」
「いや、大したもんだ。いえ、冗談ではなくて、本気で言ってますよ」
アッテンボローがいつもの冗談口調ではなく、本気で感心している。
ヤンも驚きを隠せないようだ。
「一戦もせずに引く。できそうで中々できない事です。しかし帝国に対する政治的な意思表示にはなる。そして同盟は戦力を温存する」
「あのプライドの高い連中がねぇ~」
「自身のプライドよりも、同盟の未来を考えたんだ。はあ~」
ヤンが深いため息をついた。
エリート組の本気を見たな。あいつらも中々バカにはできんものだ。
シトレ校長とロボス司令長官との間にも、協力体制ができたし、サンフォード議長も軍との関係がうまくいき始めている。
「つまり、政府と軍が協力体制をとったという事ですか?」
「そう、そうなんだ。今までのように政府に振り回される事もなくなるだろう。もちろん、軍は政府に対して、正確な報告を提出するようにとの厳命が下されたが、ね」
今までのようにあの皇太子に、一方的に振り回される事もなくなるだろう。
同盟は帝国に対抗できる。ようやく体勢が整いだした。
その実感に身震いする思いだ。
■宰相府 オットー・フォン・ブラウンシュヴァイク公爵■
「卿には、自由惑星同盟首都星ハイネセンに出向いてもらう」
「彼らの首都にですか?」
「そうだ」
皇太子殿下に呼ばれ、宰相府に出向いた私は、いきなりそう言われ、困惑を隠し切れずにいた。
椅子に深く座ったまま、皇太子殿下が話し始める。
このお方は冷静だ。落ち着いている。
「何ゆえにでしょうか?」
「地球教だ。あの連中、帝国と同盟を共倒れにするつもりらしいぞ」
「バカなっ!! いえ、失礼しました」
声を荒げてしまったが、慌てて謝罪する。
皇太子殿下の前だった。
しかし皇太子殿下は気にした風もなく、落ち着いている。
「いや、卿がそう思うのも無理はない。誇大妄想だろうが、本気で策略を練ってきたらしい。そしてその思惑は、今までのところ、うまく行っていた。俺が改革を実行するまでは、な」
なるほど、皇太子殿下が立った事で、地球教の思惑が外れだしたのか……。
しかし、それとハイネセンに出向く事と、何の関係があるというのだろうか?
「卿には、対地球教に関して同盟と協議してもらう。帝国だけではなく、同盟側にとっても死活問題だろう。共に共通の敵がいることを知らせてくるんだ」
「話に乗ってくるでしょうか?」
「同盟は帝国と違って、信教の自由を保障しているからな。嫌がるだろうが、地球教はサイオキシン麻薬を製造している。その点を突くんだ。麻薬問題であれば、乗ってくるだろう。サイオキシン麻薬は同盟にとっても、脅威のはずだ」
皇太子殿下が、以前、サイオキシン麻薬を摘発した際の調査結果を、机の上に投げ出すように置いた。
帝国にとって機密情報とでも言うべきものだ。
それを同盟に見せるおつもりか……。
確かにこれならば、同盟側も無視はできまい。
「皇太子殿下は、その話をどこからお聞きになられたのですか?」
「アドリアナ・ルビンスカヤ。ルビンスキーの影武者だった女からだ」
「それを信用されるのでしょうか?」
「今回はな。手土産代わりに持ってきた話で、嘘はいわんだろう。それにこちらの調査とも合致している」
アドリアナ・ルビンスカヤ? ルビンスキーの影武者? つまりフェザーンの暗部も動き出したという事か。
ここにきて急に、色々なものが表に現れだしてきた。
しかし皇太子殿下は平然とした表情をしておられる。これぐらいの事は予想されていたのだろうか? いや、これらの事を正確に予想していたのでは、ないだろう。
予想していたのは、色々な者が動き出す。という事か。帝国を改革する。つまり変える。動かす。巨大国家、銀河帝国の暗部を剥き出しにしてしまう。それに呼応するように、あらゆるものが露になる。
思わず身が震えた。ぞくりと背筋に冷たいものが走り抜ける。
「嵐だ。本物の嵐が吹き荒れるぞ。本番はここからだ。これからが改革の始まりといっていい」
皇太子殿下が楽しげに笑う。
ここからが帝国改革の本番。いや……銀河の勢力図そのものを変える、始まり。
「色んな連中が表舞台に登場してくる。喰われたくなけりゃ気合を入れろよ」
舞台が整い。役者が揃う。抑えられ続けてきた力が行き場を求めて、蠢きだす。
よ、良かった。このお方が帝国のトップで。
嵐に立ち向かう気迫。一歩踏み込む強さ。強引に状況を引き寄せる力。
皇太子殿下はそれをお持ちになっている。
我々だけでは、喰われて終わりになってしまっただろう。
生き残るためには、死に物狂いでやらねばならぬ。
もはや引き返せぬのだ。
「まずは、同盟との協議ですな」
「そうだ。やってくれるか?」
「無論」
私は、ブラウンシュヴァイク家は生き残ってみせる。
嵐などに負けはせぬ。負けてたまるものかっ!!
「あと、ラインハルトを連れて行け」
「ラインハルトをですか?」
「ああ」
確かにラインハルトは我が、ブラウンシュヴァイクの婿に欲しいが、それにしても連れて行けとは……。皇太子殿下のお許しが得られたのだろうか? それなら良いのだが。
「いいでしょう。連れて行きます」
「勘違いするな。ラインハルトは軍事の才能がある。天才といってもいい。同盟に行った際、向こうの軍事的な思惑で、理解できない事があれば、ラインハルトに聞け。あいつなら見抜く」
……天才?
まさか? いや、皇太子殿下はラインハルトに目を掛けている。
その理由はアンネローゼの弟だからではなく。
ラインハルトの才能ゆえか……。
なるほど、あやつもまた、これからの嵐の一風。
表舞台に上がる役者の一人なのか……。
後書き
寒いからおうどんがたべたい。
鍋焼きうどんがいいなー。
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