楽しみ
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第七章
第七章
思えばヤクルトとの因縁は凄まじいものだった。阪神投手陣はことごとくヤクルト打線に打たれヤクルト投手陣は見事に抑える。阪神ナインは次々にエラーをしでかし古田敦也のリードは冴え渡る。しかもそれが幾度も続き最後には野村の嫌味が待っているというフルコースだった。この嫌味がまた強烈だった。しかもバリエーション豊かだったから余計に始末が悪かった。
「そういえばなあ」
中沢さんは思い出したようにまた言ってきた。
「広島に滅茶苦茶負けとった時もあったな」
「ええ」
僕はそれを聞いてまた思い出した。
「あのチームが投手王国だった時ですよね」
「そや」
中沢さんはまた頷く。
「開幕から十連敗とかなあ。見事に負けまくって」
「いいところなかったですよね」
そんな有様だった。ヤクルトにはいつものことだったがそれ以上に優勝したチームには為す術もなかった。どうしようもなかった。
「それに気付いた。それで」
「どのチームにも勝つ」
「巨人だけやなくてな」
それを気付かせてくれた。何があっても絶対に勝つ、勝つことこそが阪神の目標、猛虎なのだと。星野は僕達に教えてくれたのだ。
「全部のチームにな」
「そうですよね。勿論巨人にもですが」
「そっから早かった」
中沢さんの顔に笑みが戻っていた。
「すぐやったな」
「そうですよね、本当に」
「二年やもんな」
中沢さんは述べてきた。
「星野が監督になって二年」
「田淵も戻ってきて」
「僅か二年やった」
それをまた告げる。
「優勝までな」
「夢みたいでしたよね」
「夢やなかった」
僕達の目は遠くを見るものになっていた。それだけのものを見たからだ。
「何もかもな」
「ここででしたよね」
「忘れへんで」
これが何よりの言葉だった。
「星野の胴上げは」
「勝利の美酒が久し振りに美味かったなあ」
「僕ははじめてですよ」
「ああ、そうか」
中沢さんは僕の言葉でふと気付いた。
「前の優勝はあんたが子供の頃やったな」
「ええ、それであの時は」
「ジュース美味しかったやろ」
「はい、それは」
その言葉にこくりと頷く。
「けれどお酒はもっとでした」
「よかったか」
「最高でしたね。甲子園でね」
「星野はやってくれた」
この上ないことにだ。それを今また噛み締める。
「優勝の味だけやない、勝つってことをな」
「阪神は勝たないといけませんよね」
それを忘れていた。阪神は勝てるのだ。阪神でもだ。
「やっぱり」
「そうやったんやな。忘れとったことや」
「けれどですね」
しかし僕はここで言った。
「あれですよ。阪神は」
「阪神は?」
「勝っても負けても華がありますね」
「さっきと言ってることが全然違うで」
中沢さんはグラウンドを眺めながら僕に言ってきた。
「どないしたんや?」
「いえ、そうじゃないですか」
しかし僕はさらに言う。
「何か阪神ってチームは」
「そうかもな」
意外にも中沢さんはそれを否定しなかった。全てを受け止めていた。
「阪神は何て言うか特別な魅力がありますよね」
「ああ」
「勝っても負けても」
それをまた言ってみた。
「阪神は華があるんですよね。どんな勝ち方でも負け方でも」
「面白いこと言うな」
意外だが笑ってくれた。
「言われてみればそうやな」
「そうですよね、やっぱり」
僕はさらに言った。
「何かどんな勝ち方をしてもどんな負け方をしても」
「絵になるな、確かに」
中沢さんの顔がにこにことしてきた。
「あの時かって何だかんだで絵になった」
「はい」
その何の希望もなかった暗黒時代だ。どういうわけかあの頃の阪神もやけに絵になっていたのだ。どんな負け方もしていてもだ。それは不思議と言えば不思議だ。
「今かてそうやな」
「やっぱり絵になりますよね」
「そやな」
僕の言葉に頷いてくれた。
「どんな勝ちでもそこには華がある」
「胴上げも野次受けて帰るのも」
「甲子園でもそうやけど神宮あるやろ」
「あそこですか」
言わずと知れたヤクルトの本拠地だ。甲子園が高校野球の聖地なら神宮は大学野球の聖地だ。そういえば男ドアホウ甲子園という漫画があったが主人公は藤村甲子園であった。彼がいささか以上に強引な話で東大に進んで大学野球に入った時のライバルの一人に神宮の名があるスラッガーがいた。その頃阪神のライバルは巨人しかなく藤村も最終回で引退する長嶋茂雄を見事バットを折って三振に仕留めているがそうしたライバルがいたことははっきりと覚えている。
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