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IS<インフィニット・ストラトス> ―偽りの空―

作者:★和泉★
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Development
  第十九話 乙女達の聖戦

 あれから約一カ月、検査や稼働テストを経て体にも月読にも今のところ問題は見られない。そのため予定通りあとは学園で経過を見ることになった。

「しーちゃーん!」

 部屋に戻って一休みしようと歩いていると、背後から声が聞こえ何かが飛びかかってくる。……というよりもうこの一カ月で毎日やっているやり取りなので驚くこともないんだけど。

「た、束さん。だからいきなり飛びかかってくるのはやめてって何度も……」

 それでも飽きないのか、毎日さまざまな方法を使って飛びかかってくる。途中の部屋に隠れていたり、天井から落ちてきたり、一番驚いたのはステルススーツ紛いのものを作り出して正面から抱きつかれたとき。この人は遊びでなんて物を作り出しているんだろう、とても実用できるレベルじゃないらしいけど。まぁ、それらに比べれば今日のはまだマシといえる。

「まぁまぁ、明日は学園にまた行くことになるんだしいいじゃん。それでね、ちょっとお話があるんだ~」

 束さんがこのように前置きをする時は、決まって重要なことだ。普段は勝手に話し出すしその場合は大抵どうでもいい話だったりする。
 自然と、僕の意識も切り替わる。

「うん、なら部屋で話そうか」

 僕が寝起きしている部屋に入ると、束さんは迷う様子は微塵もなくベッドにダイブする。

「えへへ~、しーちゃんの匂いがする~」

 そのまま布団に埋まりながらそんなことを言い出す束さん。

「もう、そういうこと言わないでよ。真面目な話があるんでしょ?」
「ちぇ~、相変わらずツレないね。ま、しーちゃんらしいけど」

 束さんはいじけた口調になりつつも、表情はそんなことはなく笑顔のままだった。それが、急に真面目な表情に切り替わる。

「しーちゃん、私がISを世界に公開した理由は知ってるよね?」

 束さんがISを、わざわざ白騎士事件なんていうマッチポンプを行ってまで世界に浸透させた理由。もちろん、世間では白騎士事件の発端について知っている人は限られているけど、それを抜きにしても公開された理由を知る人はより少ない、僕ら二人だけだ。

最終形態(アルティメットフォーム)への到達、だよね」

 そう、ISコアは自己進化の機能を持っていて形態移行(フォームシフト)を繰り返して進化をする。現状では第二形態(セカンドフォーム)へ移行している人は数えるほどしかいない。束さん曰く、あと一段階、第三形態(サードフォーム)を経てアルティメット・フォームへ移行する可能性が高いということ。
 
 なら何故それがISの公開に繋がるのかというと、フォームシフトには前提として一定以上の稼働時間が必要になるからだ。また、それを満たしたとしても操縦者との適正や他のISとの戦闘経験など様々な条件をクリアしない限り行われない。その自己進化の過程は既に開発者の手を離れており、詳しい条件は僕も開発者である束さん本人にもわかっていない。
 故に、稼働可能なISを可能な限り使用することで多くの経験値を蓄積させ、そのうちの一機でもアルティメット・フォームへ到達できればいいと束さんは考えた。

「あったり~、よく覚えてたね!」
「そりゃ、僕も不本意とはいえ一端に関わってるわけだしね」

 うん、気づいたら白騎士事件の関係者だったもんね。けが人もほとんど出なかったし、バレてないとはいえやっぱりそう割り切れるものでもない。

「……嫌だったの?」

 う……、言葉を間違えたかもしれない。急に顔を覗き込むようにして目をウルウルさせてくる束さんに僕は言葉を詰まらせてしまう。

「別に……そういう訳じゃないんだけど。でも、僕はそれを目指す理由を知らなかったし、今も知らないんだ。もし知っていて、それを受け入れられるなら喜んで手伝ったし、今からでもそうあろうと思うよ」

 僕がそう言うと一瞬束さんは表情を曇らせ俯いたが、すぐにこちらに向き直る。その表情には先ほどわずかに見えた暗い影はなく、かといって笑顔でもない。でも真っ直ぐに僕の目を見る束さんに、今から出てくる言葉に嘘はないと確信させるに十分だった。

「……箒ちゃんと……あとはしーちゃんを守るため、かな」

 言いづらそうに、力なく口から零れ出た言葉はそれでも覚悟を持つ力強いものだった。

「はぁ……、なら僕に異存はないよ」

 そんな束さんの様子を見て、言葉を決めて、僕はここしばらく迷っていたことに決着をつける。

「詳しく聞かないの?」
「聞いて話してくれるようなら、もう話しているでしょ? だから聞かない。話せる時に話してくれればいいよ。それに、さっきの言葉だけは嘘じゃないって分かったからそれで十分」
「そっか……」

 楯無さんに問われてからずっと悩んでいたこと。僕に欠けていたこと。でも、もう迷わない。

「僕は束さんを、束さんの夢を守るよ。その、妹さんのことはよく知らないから彼女のことを守るなんて言えないけど、だから僕は束さんを信じる。束さんの目的を達するために、全力を尽くすよ」

 別に彼女以外を、楯無さんたちをただ切り捨てるわけじゃない。仮に楯無さん達と敵対することになってもギリギリまでは和解の道を探るだろう、でも取捨選択が避けられなくなった時には……もう迷わない。なら、そうなる前にできることをするだけだ。

 僕の決意を聞いて、僕を見つめる束さんは嬉しさと……それとは別の何かを内包したような表情になる。それが何なのかは僕にはこの時わからなかった。
 
「ありがと、しーちゃん。でも、これから話すことはしーちゃんの気持ちを裏切ることになるかもしれない」
「どういうこと?」
「しーちゃんは……アルティメット・フォームに移行するのは難しいかもしれない……ううん、それ以前に死ぬことだってある」

 その言葉は、俄かには受け入れ難いもの。一緒に目指すと決めたゴールに僕では辿りつけない? それに、僕の体は治ったはずだから。いや、もしかしたら治っていなかったのを束さんが黙っていたのかも? そんな思考が一瞬のうちに浮かんでは打ち消しを繰り返す。

「なん……で?」

 それでも自分では答えが出ずに、無意識に出た言葉でそう問いかけるしかできない。

「それを話すには、まずはそもそもISがなんで女性しか動かせないかから話す必要があるんだけど……」

 その後の説明は、俄かには信じられないもののある程度納得がいくものだった。

 まず、男性である僕や織斑一夏が動かせる要因は以前に話を聞いた通りであくまで女性として誤認識しているだけであって、正常なものでないということ。

 そもそも女性しか動かせないのは、女性に備わる能力、つまりその身に生命を宿すことができるというのが要因らしい。つまりは子供を産む、ということ。そもそも体内に別の命を生み、育てることができることから、異物に対する耐性も高いそうだ。
 
 いわば、進化の過程において見ればISと操縦者は胎児と母体のような関係だ。つまり胎児、ISの成長は操縦者にかかっていることがわかる。そもそも、ISは起動時の認証などからわかるように遺伝子レベルで操縦者とリンクする。そのことから人によっては拒絶反応を起こし、女性であっても操縦はできない。つまり、男性であればそもそも対象にならない。

 仮に僕らのような例外であったとしても、決して耐性があるわけではないため場合によってはISコアに浸食されてしまうとのこと。その一端が……。

第零形態(ゼロスフォーム)、いわゆる暴走状態だよ。ISと操縦者との親和を高めて進化するフォーム・シフトに対し完全にISに呑まれた状態だね。しーちゃんが爆発に巻き込まれたときに離れた場所で見つかったのは、一時的にこの状態になったからだよ」
「え、それじゃあの規模の爆発に巻き込まれて助かったのは、そのおかげ?」

 確かに、束さんはあのとき無事だったのが不思議なくらいだと言っていた。

「ううん、逆。本当はあの爆発はね、ゼロス・フォーム状態の月読が引き起こしたんだよ」
「なっ!」

 でも、真実は逆。爆発の原因は僕だった。

「あ、でも安心して~。爆発に巻き込まれた人はいないみたいだよ? 連中は逃げ出した後だったみたいだしね~、だから束さんがちょちょいと捕まえたんだけど」

 そうは言われても安心できるものではなかった。話によると、爆発によって広範囲の建物が消滅していたらしい。それを僕が、しかも無意識のうちの行っていたなんて簡単に受け入れられない。

「あれは、しーちゃんの命に危険が迫っていたから、ISコアが守ろうとしてシフトしたんだと思うな~。状況と、病気の発症が重なって暴走したんだね。今のところは安定しているし、病気は治したから大丈夫なんだけどね~」
「でも、このままフォーム・シフトを繰り返して親和性を高めていったらまた呑みこまれる可能性がある、ってことかな?」
「……そういうこと。あっち(・・・)のいっくんも同じなんだけど、基本的にコアにはプロテクトかけてあるから多分大丈夫。ちょっと成長遅いかもしれないけど後はいっくん次第かな。でも、しーちゃんのは今回の件で壊れちゃったみたい、原因はフォーマット時の不具合。ずっと終わってなかったでしょ?」

 月読は、ずっと紫音(・・)の専用機であって僕のものではなかった。月読自体はフォーマットすら終わらず、僕にフィッティングされていない。そんな、宙ぶらりんな状態だったために暴走したらしい。それに、月読は束さんの想定外、一般の各世代機とは別の構成をしていたことは以前に聞いた。それも影響しているとのこと。

「本当はコアまで手を出してほしくなかったんだけどね~、まだ束さんでも完全に解析できてないんだよ、これ?」
「え、作ったの束さんじゃないの?」
「ん~、それは内緒! 今はまだ、ね」

 衝撃の事実をいつものようにサラッと口に出す束さん。でも確かに、ISはオーバーテクノロジーだ。いくら束さんが天才だからって無からいきなり生みだすなんてことがそう簡単にできるだろうか。考えられるとしたら発掘や何か……それなら個数に制限があるのにも納得が……。

「あ~! 乙女の秘密を探ろうなんてダメだよ! いつかちゃんと教えてあげるから待っててね」

 何かにたどり着きそうだった僕の思考は乙女(?)のチョップで遮断された。腑に落ちないところはあるけど、本人がそう言うなら今は考えないようにしよう。

「話を戻すけど、プロテクトを戻すことはできないの?」
「そのためにはISコアを完全に初期化しないといけないよ。普通の初期化なら遺伝子情報とかは残る可能性があるのはいっくんの件でわかってるけど、プロテクトまで戻すとなるとそれすら、完全に消す必要があるの」

 それが意味することはつまり……。

「僕はISを動かせなくなる」
「そういうこと……」

 それでは意味がない。
 僕の守りたいものを守るためには、ISはなくてはならない。ならどうするか、決まっている。

「なら、このままでいいよ」
「うん、そう言うと思ったよ。でも気をつけて、フォーム・シフトを行うってことはそれだけ親和性が高まっている、つまりしーちゃんの場合は浸食が進んでいるとも置き換えられるからね」
「……わかった」

 もし再び暴走した場合、周りの人を巻き込むかもしれない。それだけは絶対に避けなければいけない。……状況が悪化することがあれば楯無さんには伝えておこう。もしもの場合は……僕を墜としてほしい、って。

「でもでも、悪い話ばかりじゃないよね。ようやく月読は……ううん、しーちゃんの専用機は第一次形態(ファーストフォーム)にシフトしたんだから! これで本当の意味でしーちゃん専用になったよ」
「そうだね、せいぜい呑まれないようにしないとね、このじゃじゃ馬に……」

 僕を、周りの人を危険にさらすかもしれない存在。でも僕は不思議とそれを恐ろしいと思ったりすることはなかった。
 存在を受け入れ決意を新たに僕は手元の指輪をそっと撫でると、それに応えるかのように光った気がした。





 

 僕は久しぶりにIS学園に戻ることができた。体感的には一カ月程度のはずなのに、酷く懐かしく感じる。まぁ、実際には半年以上の間が空いているんだから当然なのかもしれない。

 もう授業は終わるころなので、一度部屋に戻ってから心配をかけた人たちに挨拶してこよう。授業は明日から出ればいい。直接連絡が取れる人たちには連絡したけど、話を聞く限りでは本当に多くの人たちが心配してくれていたらしい。それを聞いたときは申し訳なさと嬉しさがこみ上げた。

 いろいろ考えていると、部屋の扉をカチャカチャする音が聞こえた……と思った瞬間急に激しく開け放たれて人が飛び込んでくる。

「……ただいま」

 そのまま僕の前に走り込んできた人影は楯無さんだった。

「おかえりなさい」

 先ほどまでの行動とは裏腹に、僕の言葉に落ち着いて答える彼女。そっけなく聞こえるそれも、今の僕にはとても好ましいものに感じた。

「いろいろ心配かけてごめんね」
「もうそれは聞いたわよ……その分、体で返してくれるんでしょ?」
「……え?」

 一瞬、あらぬ想像をして呆けてしまった僕は悪くないと思う、うん。

「……なんて顔してるのよ。もちろん、労働よ? 生徒会での半年分、きっちり働いてもらうからね?」
「そ、そんなぁ」
「あら、それとも別のイイコトするほうがよかった?」
「そそそ、そんなことないよ! 喜んで労働させていただきます」
「……そんなに拒絶されるのもちょっと悲しいんだけど」

 久しぶりに受ける楯無さんの洗礼に僕はしどろもどろになってしまう。あまりの狼狽に、最後に楯無さんが呟いた言葉は耳に入ってこなかった。

「はぁ、それにしてもとんでもないタイミングで帰ってきたわね」
「ん? どういうこと?」

 ある程度、以前連絡したときに話してたとはいえ直接会えばまた話も弾むわけで、しばらく近況報告や雑談に興じていた折に楯無さんがふとそう漏らす。

「何って、今日は何日だか覚えてる?」
「えっと、二月十三日だよね」
「明日は何日?」
「二月十四日?」
「……はぁ」

 楯無さんが僕の答えを聞いて嘆息するも、いまだピンとこないでいた。ん、待てよ。よく考えたらその日って……。

「あ、ヴァレンタイン? そっか、お世話になった人にチョコとかって渡したほうがいいよね、友チョコっていうんだっけ? 女の子同士でもやり取りすることあるんでしょ?」
「やめなさい! あなたは明日絶対誰にもチョコなんてあげちゃだめよ……そんなことになったら下手したら戦争が起きるわ」
「……は?」

 何を言っているんだろうこの人は。平和……とはいえないけど、ただの学園でなぜ戦争が起きるというのか。でもまぁ、男の僕が作ったりしてチョコを用意するのは抵抗があったから作らないほうがいいって言うなら気が楽だけど。

「いい? あなたが明日から戻ってくることはもう学園中に知られているわ。今まであなたがいなくなっていた分の蓄積されたものが……明日、一気に爆発することになる。どれほどのものになるか想像できないし、したくもないわ」

 う~ん、楯無さんが何かを恐れるように説明してくれるけどそれも要領を得ない。僕がいなかったことで、みんなを心配させてしまったのはわかるから、なおさらお詫びの意味も込めてチョコが丁度いいとも思ったんだけど。

「あなたは自分の置かれている状況を理解していないの! あなたがいなくなってそのしわ寄せが私にきたのよ!? まったく、毎日下駄箱にあふれるラブレターにプレゼント。常に誰かの視線を感じるし上級生にまで楯無様やらお姉さまやら言われる身にもなってほしいわ」

 話を聞く限り、最初のうちは涼しげに対応していた楯無さんもあまりの対応の増加ぶりに身動きが取れないほどだったらしい。今までは生徒会長の座を狙ってからまれることはあっても、ここまで露骨にアプローチを受けることはなかったとのこと。

「はぁ。二人いたときは近寄りがたいとか、遠巻きに見ているだけで満足してたけど紫苑君がいなくなったことで行き場に困った感情の矛先が私にきたみたいよ」

 それは彼女に迫った一人に聞いた談とのこと。

「そ、それは重ね重ね申し訳なく……って僕に本当にそんな人気があったのかなぁ。気のせいだと思うけど」
「もういいわよ、明日になればわかるから。いい? 告白まがいのことされたら絶対に曖昧な返答はだめよ? 肯定と取られるような発言は特に。かといって、傷つけるようなこともだめ。信仰に近いものが翻ったときはかなり性質が悪いものになるから」

 それはかなり難しい気が……。傷つけないようにハッキリ断れ? どうすればいいのさ。

「いつものあなたの詐欺師まがいの話術ならなんとかなるでしょ。とりあえず、明日は一日油断しないこと。あ、紙袋はある? 最低でも五袋くらいは持っていったほうがいいわよ?」

 詐欺師って……いやそれに、袋持っていくってどうなの? しかもその数。それでもしそんなことなく一個も貰えなかったら自意識過剰すぎてかなり恥ずかしいんだけど。でも楯無さんも同じ状況になるってことだよね? それってやっぱり現実味があるってことなの?
 
「ううん、心配しすぎだと思うけど……わかったよ、楯無さんの言う通りにする」

 渋々従った僕だけど、この時の自分を後に僕は後悔した。



 僕は学園のみんなを甘く見ていた、と。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 ヴァレンタインデー、それは思春期の少女たちにとって一年を通して育まれた関係の成果を具現化するための聖戦である。新学期から学校のイベントを通して気になる相手に出会う。早ければクリスマスにはカップルで過ごす者もいるだろう、しかしそれに乗り遅れた者たちにとってそれを羨ましそうに眺めていた屈辱をひっくり返す最大のチャンスとなる。

 というほど大げさなものでは本来ないはずの、お菓子メーカーの販促のなれの果てだが、ここIS学園ではそれすら生ぬるい。……女子校に限りなく近いにも関わらず、だ。

 戦いは、紫苑と楯無が部屋から出る前から始まっていた。
 いや、正確には出れなかった。扉の前に積まれたチョコによって。この時点で紫苑は昨日の甘い考えの自分に一言文句を言ってやりたい気分になった。

 楯無の忠告に従って、二時間ほど早く部屋を出たのだがまずはそのチョコを部屋にしまうことから始まる……かと思いきや部屋の前に長蛇の列ができており次々と渡されるチョコ、チョコ、チョコ。いつの間にか最後尾には三十分待ちのプラカードを持った生徒まで現れた。
 普段よりかなり早めに出ているにも関わらずその場にいる彼女たちは、いったいいつから部屋の前にいたのだろうか。

 なんとか部屋の前での混乱を収めて出発したのがそれから一時間後。
 しかしこれは始まりにすぎなかった。教室にたどり着くまでにも次々にやってくるチョコ、もとい女生徒。幸いにも告白のようなものはなかったため、なるべく自然な笑顔でお礼を言いながら受け取っていくが、それが事態を悪化させていることに紫苑は気付かない……横で楯無がため息をついてそれを見ていることも。もっとも、楯無も同じような状況なのだから何に対するため息なのかは不明だが。

 応対にもなんとか慣れつつ、紫苑と楯無は教室にたどり着いたのはHR開始五分前。もちろん下駄箱にもチョコは入っていた、というか溢れ出していて大変なことになっていた。紫苑は下駄箱に食べ物を入れるのはどうなんだろう、と疑問に思いはしたがあえて口には出さない。
 だが、ようやく状況に順応し始めた二人をして絶句する光景が教室には待っていた。

「なっ……」
「こ、これはさすがに……」

 自分達の机を見て、引き攣った表情を隠せない紫苑と楯無。

 そこにあるのは……巨大なチョコのアーチ……とその下でプルプルと震えてるフォルテ。

 正確には紫苑と楯無の机の上に積まれたチョコの山が斜めになり、それぞれ頂上が繋がってアーチ状になっているのだがどういう物理法則でその形を保っているのか理解できない。紫苑の机と楯無の机の間にフォルテの机があるので、その大きさは言わずもがな。
 ちなみにフォルテがなんでそんな危険地帯に未だ座っているのかというと、紫苑に会えるのが楽しみで早めに教室にきたところ、早起きの反動で眠気に負けてしまい机に突っ伏して寝ていた。気づいたらアーチが完成していて動けば崩れそうで動けなかったのだ。
 さらに余談だが、チョコアーチはチョコの数が増えるに従いそれらを積み始めたものの、途中で面白くなってきて止まらなくなった有志諸君の悪ノリの賜物である。周りではその下手人たちがいい汗掻いたとばかりに満足げな表情を浮かべている。

「あ、し、しの……」

 入口に二人の姿を見つけたフォルテは一瞬、安心した表情になり声を出すもすぐにかき消された。彼女の頭上から崩れ落ちてくる圧倒的物量によって。

「フォルテさーん(ちゃーん)!」

 代わりに教室に響くのは、二人の悲痛な叫びだった。

 ちなみに、二人の手に渡ったチョコの数は学園の全校生徒の数より遥かに多いのだが誰もそのことには触れなかった。



「チョコこわいッス、チョコ怖いッス、チョコ恐いッス」

 その後も囲まれたり質問攻めにあったりと大変な紫苑だったが、なんとか授業を終えて今は久方ぶりの生徒会に顔を出している。チョコで窒息しそうになったフォルテは未だこの有様だ。今も生徒会室の片隅で蹲って震えている。結局彼女とはまともに話せず、本当の意味で再開を果たすのは翌日だった。

「よう、元気そうで安心したぜ。ったく、久しぶりの登校だってのに災難だったな?」
「ご心配おかけしました。ダリルさんも……大変みたいですね」

 そう言いながら紫苑が向けた視線の先には……彼らほどではないにしろ紙袋に入っている大量のチョコ。ダリルも実はファンが多く、特に去年は二人がいないこともありかなり人気があった。しかし近寄りがたい雰囲気から直接渡されることは少ないのだが。

「虚さんも、ご迷惑おかけしました」
「いえ、ご無事でなによりです」

 そっと、会話の途切れたタイミングでお茶を差し出してくれた虚にも改めてお詫びをする。彼女は楯無について、紫苑の捜索にも深く関わっていた。楯無の指示で、というのもあったかもと考慮してこのような言い回しになったが、虚の返答は素直に紫苑の身を案じていたと思われるもので彼も素直に嬉しく思った。

「さて、紫音ちゃんが無事戻ってきたことで生徒会はこのメンバーで変わらずよ。来年度はいろいろ問題も増えるでしょうけど、虚の妹もくるし楽しくなりそうね!」

 楯無の言葉に、紫苑は改めて学園に戻れたことを実感し喜びを噛みしめた。

 ……この日以降、紫苑は貰ったチョコの仕分けと消費に苦しめられるのだが、いつの間にか混ざっていた束と楯無からのチョコに少しだけ幸せな気分になった。すぐに楯無からは、それだけ食べてなぜ太らないのかと理不尽な怒りをぶつけられたのだが。加えて一ヶ月後の同日、再び学園は戦場と化したのは言うまでもない。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 出会いがあれば、別れもある。
 結局、三年との交流はほとんどなかった紫苑ではあるが、それでもやはり卒業式というのは感慨深いものがあった。もっとも今までの人生でそんなことを感じたことはなかったのでやはりIS学園が彼にとって特別なものになっているのだろう。

「はぁ、紫音はんがようやっと帰ってきてくれたんに卒業やなんて悲しいわぁ」

 彼の目の前にいるのは唯一、直接交流のあった橘焔。交流……といってもトーナメントで激戦を繰り広げた相手でその際に会話した程度ではあるのだが。
 正直、紫苑は彼女のことが苦手であった。出会い頭に殺意を向けられたのだから当然といえば当然だが。しかし、戦闘中はその技量の高さに感銘を受け、試合後は雰囲気が一変したこともあり若干は苦手意識は薄らいだ……のだがすれ違って挨拶した際に向けられる悩ましい視線には未だ慣れずにいた。

 とはいえ、今の彼女はしばらく紫苑に会えなかったことやその上で学園を卒業してしまうことを心底残念そうであった。それを見て紫苑は復学してから何度目かわからない申し訳なさを感じた。

「私も……残念です。できればもっとお話したかったのですが」
「あはぁ、せやけどたまにアソビに来るわぁ。したら、またヤろうなぁ?」
「あ、あはは、そうですね」

 最後の漢字が自然と不穏なものに脳内変換された紫苑だが、ここでツッコむのも無粋なのでただ頷くしかできなかった。



 孤独だった少年は一年で多くのものを得た。友人であり、経験であり……ISであり。
 それが彼の今後にとって、果たして幸福となるのか……。

 しかし、今の紫苑は前向きだった。一年前、入学前の暗鬱とした様子からは想像もできない。不安が皆無ではないが、今はただこれから訪れる明日に思いを馳せていた。

 だが彼は知らない。公になった男性操縦者の存在により、再び世界が激動を始めることを……。


 
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