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虹との約束

作者:八代 翔
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第一部
第二章
  負けないから。


 真里の転校は三月だった。
 二月の終わり、直哉が祐二を呼んだ。春の息吹を感じる、温かな日だった。
「祐二…お前辛いことないか?友達に相談の一つくらいしてもいいんだぞ?」
突然直哉がそんなことを言うので、祐二も吹き出してしまった。
「何だよお前。変な噂が流れたときはそっぽ向いて逃げ出したくせに。」
「それとこれとは別の話。」
直哉がチッチッと指を立てた。
「じゃあ何だよ。別にたいしたことねえよ。」
祐二は目をそらす。勘だけはいい彼に、内心驚嘆しながら。
「ほうほうほう。色気づいてプライド高くなっちゃった祐二ちゃんに言うけどね。愛しの彼女の転校がたいしたことないってことはないんじゃないかしらん?」
直哉が乙女口調で祐二をつついてくる。やはり、と思った。
「お前、何でも知ってるんだな。どうして…」
「ほっほっほっ。それは恐れ入ったね。まあ俺様もお前らの恋のサポートをしてきたつもりだからさ。原崎の様子も結構見てたってわけ。んでこないだ体育の時間のあとに原崎が坂原と話してんの見てさ。」
「坂原先生と?」
わかってきた。まだ公表されていない真里の転校が、直哉にはわかった理由。
 それにしても直哉。天然でぼけっとしているように見えて、何でも知っているんだな。これが友達か、と祐二は心の中で頷いた。
「そのとおり。で、坂原がでかい図体して嘆いてるの見てさ。変だなーと思ったらお前もなんだか寂しそうなご様子だろ。これは間違いないと思ったのさ。」
直哉がいやらしそうににやけている。祐二は慌ててそれから目をそらす。
「それで何。僕をもてあそびたいわけ?」
聞くと、また直哉がチッチッと指を立てた。
「いやいや。何か友達としてできることはないかなって、そう思ったんだ。」
直哉が突然落ち着いた口調で言った。いつになく鋭く優しい目で、祐二の様子を見てきた。直哉が普段は表に出さない、温かい、友の姿だった。そして祐二が好きな、直哉の真の姿だった。
 祐二はその友に言った。
「大丈夫。僕らはいつでも一緒だから。」
「けどよ…」
「約束、してるからさ。」
「ん?」
祐二は約束をそっと耳打ちした。
「そうか。なら心配ないな。」
直哉は、いつもより強く、祐二の肩を叩いた。

 家に帰ると、叔父が来ていた。
「あ、祐二君。蛍の祭典のときは、お越しいただきありがとうございました。」
また頭を下げられる。全くこの人には敵わない。
「いいえ。こちらこそ楽しませていただきました。」
「一緒にいらした女性は、恋人さんですか?」
叔父が興味深げに聞いてくる。
「ええ。僕が愛する人です。なんておじさんに言ったら笑うかも知れませんけれど。」
祐二は微笑んだ。だが、叔父は笑わなかった。
「いいや。人を愛するということは、大事なことです。いつどこで、どんな環境下でも想い合えることはね。それは学生も大人も、同じことです。」
祐二はそう言われて、少し頬が火照った。叔父はそれに気付いたらしく、優しそうな笑みを浮かべた。
「可能性無限な祐二君は、これからもどんどん愛を培っていってください。」
叔父はそう言うと、玄関へ向かった。
「ありがとうございます。」
祐二は大きな声で言った。

 別れの日の前日、クラスではお別れパーティーがあった。
 なんと、祐二にまで隠されていたサプライズパーティーだった。昼休みのあと教室に行ったら、気がついたのだ。
「これから、真里さんのお別れパーティーをします。」
いつのまにかパーティー用に準備された教室で、一樹が、相変わらずのてきぱきした口調で言った。
 天野が花束と色紙を持ってきた。凄く単純な筋だったけれど、真里の目には早くも涙が浮かび始めていた。
「真里ちゃん。二年間、本当にありがとう。短い時間だったけれど、宝石みたいにキラキラした毎日を、私達は真里ちゃんにもらいました。いつも笑顔で、元気な真里ちゃんが、私達は大好きです。ずっと元気でいてね。私達、ずっと真里ちゃんを忘れません。
 それから―」
天野の言葉がやにわに止まった。すると突然、長浦が前に出てきた。
「一つ、言いたい。」
唐突に長浦は切り出した。なんのことか、とクラスはどよめいた。
「祐二、ちょっと、前に出てくれるか?」
祐二は言われるがままに前に進み出た。机と教卓を後ろに下げて生まれた空間は、踏み入ってみると意外と広かった。広漠な世界に踏み入ってしまったような気がしたけれど、真里がいたから、そんなに不安ではなかった。
 真里と並ぶと、急に祐二は気恥ずかしくなった。まだ付き合ってもいなかったころ、クラスで、祐二達にはいろいろな噂が立った。噂の是非は差し置いて、二人の動静は一応周りには隠しているつもりだったので、急に秘密を知られたようで、もじもじせずにはいられなかった。
 真里を見ると、驚くべき事にじっとしていた。いつものように微笑んでいる。強いな、と祐二は思った。そして負けじと、祐二も悠然とした態度で直立した。目の前にいる長浦を、まっすぐ見つめた。
「七月の頭にさ、俺達、二人のことからかったよな。付き合ってるとかなんとか噂広めて、いろいろ馬鹿なことして、二人を傷付けた。あのとき祐二怒鳴ったよな。『取り残されないために、人を取り残してる』って。そのとおりなんだよ。」
長浦の突然な懺悔は、二人を驚かせるには十分だった。ただただ二人は驚いた。長浦がこんな苦しそうに言葉を連ねていることさえ、ついぞなかったことだった。
 天野が続けた。
「私達、楽しそうな二人が、羨ましくて、でも怖くて、突き放そうとしてたんだ。それをたしなめられて、私達は謝ろうとしてた。でも態度にも言葉にもならなくて、結局自然消滅しちゃって…」
「だから、俺達、今、謝りたいんだ。ごめん。」
「ごめんなさい。」
二人は頭を下げた。祐二は当惑した。もうほとんど、忘れかけてたようなことだった。それでもたしかに、こうされると、なにか胸のつっかえが下りるような気がした。
 でも、もうどうでもいい。終わった。天野も長浦も、大切な友達だ。
「いいんだよ。そんなこと。それに、二人のおかげで…」
「ねえ、恥ずかしいよ…」
真里が、祐二の袖を引いた。けれど、こんなところで中途半端に終わるわけには行かない。祐二はすぐさま真里の手を握った。真里がビクッとするのがわかった。長浦と天野も、いや、クラスメートみんなが、目を丸くしていた。でも、それでも、言うことは最後まで言わなきゃいけない。あとで後悔しないように、生きていくんだ。
「二人のおかげで、僕たち、一緒になれたんだ。同じ気持ちでいるって、確かめられた。だから、ありがとう。二人のおかげで、今、幸せなんだ。」
言い終えると、なんだかすっきりした。クラスみんなが、優しい目つきになった。もやもやと残っていた鬱憤が消え去り、完全に、心が通じたのがわかった。
「はい。部外者はここまで。準備。準備。」
一樹が声を掛けると、クラスのみんなが列を成した。拍手で、真里を送るのだった。祐二も慌てて並んだ。
「みんな、ありがとう。うっ…うっ…」
真里はついに泣き出してしまった。それでも、笑顔はそこにあった。悲しい涙じゃ、ないからだろう。
拍手が始まった。クラスの列を眩しそうに、真里が歩いて行く。両手に花束と色紙を抱えて、女友達と別れの言葉を交わしている。確実に、開け放たれた教室のドアへと遠ざかって行く。改めて、真里が遠くへ行ってしまうのだ、と祐二は実感した。
 真里が教室を出ると、教室には静寂が訪れた。
「終わったか?」
突然、坂原先生が入ってきた。そうだ。そういえばまだ五時間目じゃないか。
「終わったみた…っておい。王子が残ってんじゃねえか!」
坂原先生が、自分を見ていた。そのまっすぐな批判の目に、祐二はたじろいてしまった。
「行ってこいよ。祐二。」
直哉も続けた。
「え、でもまだ授業が…」
「俺は、エスケープは許さん。」
坂原先生が言うと、クラスから「えっー」と声が上がった。
「だが、お姫様をたった一人で出て行かせるのは、もっと許さねえ。」
「はい。行ってきます。」
祐二は頷いた。そうだ。真里はきっと、僕を待っている。行かなくちゃ。
 拍手の響く教室を背に、祐二は真里を追った。
 真里は靴箱で靴を履き替えていた。
「あ、祐二。」
真里は手を振って迎えてくれた。
「待たせたね。」
祐二はそう言いながら、自分も靴を履き替えた。
「あれ、授業は…」
「どうでもいい。」
「え?」
「真里と一緒にいられれば、あとはどうでもいい。」
そう言うと、真里は嬉しそうにはにかんだ。祐二も改めて自分が言ったことの重さを思い知り、真っ赤になった。
「行こうか。」
「うん。」
二人は歩き出した。校門を出たとき、真里があっ、と声を上げた。
「雪…」
空を見上げて、祐二も声を上げた。雪が降っていた。もう三月の上旬だというのに、真っ白な牡丹雪がこの町に降っている。
 ひんやりとした雪が肌に触れ、慌てて祐二は折りたたみ傘を引っ張り出した。すると、真里は身を寄せてきた。
「入れて。」
「真里、傘持ってないの?」
今日は、天気予報で曇り後雨だと放送されていたはずだ。
「持ってるよ。持ってるけど、入れて。」
言いたいことがわかって、祐二の胸は高鳴った。そっと優しく、傘を真里へと寄せた。真里が腕を取った。町の人に見られるのは恥ずかしかったけれど、そんな羞恥はドキドキが覆い尽くしてしまった。よれよれの折りたたみ傘はなんだか頼りなかったけれど、それはたしかに二人を守ってくれた。
「今度は、駅まで送ってくれるよね。」
「うん。」
祐二は頷いた。初めて会ったときは、この動悸に負けて、逃げ出してしまった。けれど、今はもう違う。大好きだ、という気持ちを真里と分かち合い、共にある。そして、前より、ちょっぴりだけれど、強くなっていた。
「あったかい…祐二の手って、こんなに温かかったんだね。」
真里は祐二の手を握って言った。
「雪だからだよ。」
照れくさくて、祐二は言った。
「ううん。違うよ。」
真里は首を振った。
「そ、そうかも。真里といるから。」
「こ、の、色男めー。」
たわいもないやりとりをしながら、二人は歩いた。祐二は、これが幸せなんだ、と感じた。当たり前のようにそこにあるものが、実は一番幸せなものなんだ、と祐二は気付いた。それを失うのは悲しい。果てしなく悲しいけれど、悲しみが多いだけ、成長できる。そのことは誰よりも、彼自身が知っていた。
 二人は駅に着いた。急に訪れる痛切な想いに、身も心も引き裂かれそうだった。
「僕、さ…真里に会えて本当に良かったよ。」
祐二は、まっすぐ真里に言った。天野の言う通りだ。真里には、たくさん幸せをもらった。
「あたしもだよ。祐二…んっ……」
二人は抱き合って、長いキスを交わした。温かくて、甘い感触。ずっとそばにいたい。別れたくない。だから、二人はしばらく、そうしていた。
「また明日。」
真里は切なげに言った。
「うん。また明日。」
そう言うと、真里は改札の人混みの中へ消えた。
 また明日、いつも交わしていた言葉。それも、今日が最後だった。
 とっても、大切な時間だった。祐二は、改めて、真里と共有してきたものの価値がいかに高かったかを実感した。もっと大切にするべきだったかもしれない、と、刹那、後悔が祐二の脳裏を走った。
 ううん。これでいいんだ。
 祐二は思った。
 だって今、こんなに幸せなんだから。

 夜は雨だった。ポツポツと雨音が耳に響いた。眠れない夜だった。祐二はクリスマスクルーズのとき、降船時に撮ってもらった写真を眺めてその時間を過ごした。いろいろなことがあった。
 今そこには、去年とは全く異なる祐二がいた。大人への反発心も収まり、人を受け入れることもできるようになっていた。友達の気持ちを解し、仲間も大勢できた。
 一人の少年が、愛を通して、大人になろうとしていた。 
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