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虹との約束

作者:八代 翔
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第一部
第二章
  約束しよう



 言えなかった…
 真里はずっと自分を責めていた。本当は、一番言わなきゃいけない人なのに。言えなかった。祐二を見るほど、一緒に話すほど、別れへの恐怖が膨らんでいった。
 ずっと、彩が励ましてくれていた。七日間ずっと。すごく心が癒えた。それでも傷は、確実に深まっていく。
 寂しすぎるよ。
 家にいることもままならなかった。寂しくなればなるほど、親への憎悪も膨らんでいってしまう。仕方のないことだってわかるのに。
 もうダメ…
 真里は家のドアを開いた。祐二と出会ったばかりの、自分に出会いに…

 その日の夜、祐二の家に電話が入った。固定電話に、突然だった。
「原崎です。」
男性の低い声が、耳元に聞こえた。一瞬ドキッとしたが、祐二は瞬時に真里のお父さんだと悟った。
「なんでしょうか。」
静かに応答した。緊張は弛緩することはない。彼女の父親というのは厳しいものだ、と、いろいろなところで聞いていた。
「真里を泊めてんのか?」
予想通り、荒々しい声がした。祐二も負けじと応じた。
「いいえ。どうしてですか?」
「この時間になっても、帰らないんだ。」
祐二は部屋の時計を見た。夜十時になっている。
「知ってる限りの真里の友達に聞いたが、心当たりがない、と。彩って子から、あんたに聞いたらどうだって聞いたもんで。」
「わかりました。こちらもわかりませんが、探してみます。」
「わかんねえんならいいんだけどよ。変なことした暁には…」
恐喝するように、真里の父親は続けた。だが、もう祐二は揺れなかった。
「わかっています。ご心配なく。僕は彼女の幸せを一番に、おつきあいしてます。」
祐二が言い放つと、気圧されたように沈黙が生まれた。
「…じゃあな。」
電話が向こうから切れた。祐二の決意の、勝利だった。すぐに、彩に電話した。
「真里が失踪してるんだって?」
祐二はすぐに切り出した。
「そう。大丈夫かな。」
いつになく不安げな彩の声がした。彼女の友達思いには、心打たれる。
「バレンタインの時も、なんだか様子が変だったし…」
「ふん!鈍感なの!あのねえ、そういうのって、助けてほしいってサインなんだよ。海行ったときもそうだったよね。どうして男ってそんなに鈍感なの。」
痛烈な言葉に、祐二の胸は引き裂かれた。そうだ。もっと手を差しのべるべきだった。彩は、本気で自分を責めているようだった。
「ごめん。親友を傷付けちゃったね。」
「言うなって言われたけど言うよ。ここ一週間、真里はずっと追い詰められてたんだよ。井原になんとかして欲しい悩みを抱えて。何度も私に相談してくれてたんだよ。励まされて励まされて、なんとかいつもの真里を保ってたの。わかる?ちゃんと支えてあげなきゃ駄目だよ!」
電話の向こうで、彩が激昂した。心の奥深くに、突き刺さる言葉だった。バカだった、と祐二は思った。知らず知らずのうちに、彩が支えてくれていた。真里は我慢していた。こんなんじゃ、恋人失格だ。
「ごめん。本当に。」
ひたすらに謝った。しばらく静かになって、彩が訪ねてきた。
「…心当たりは?」
「ある。だから、行ってみる。」
「よかった。あのね、真里はあのロケット、いつも身に着けていたんだよ。それだけ井原が好きだってこと。とっとと励まして、キスの一つでもくれてやんなさいよ。」
「うん。ありがとう。」
「親友なんだからね。これは怒りよ。と、とりあえず…気をつけてね。」
「うん。」
祐二は電話を切った。真里の行き先には、心当たりがあった。
 勢いよくドアを開くと、バス停へと向かった。

 やっぱりだ…
 草原公園の隅っこに、少女が佇んでいた。
「真里!」
これまでで一番大きく、真里に呼びかけた。冬の暗闇の中で、真里がこちらを向くのがわかった。祐二が真里に駆け寄ろうとすると、
「来ないで!」
と真里が叫んだ。叫びの悲痛さに、祐二の足は止まった。真里が、真里ではなくなっていた。いつの間にか追い詰められ、いや、追い詰めていた。祐二は改めて、過失の大きさを実感し、責めた。
「ごめんね。祐二。祐二といると、悲しくてたまらなくなっちゃう…もう、祐二と一緒にいられなくなる…そう思うと…」
「真里…」
「こんなの、私一人で十分…」
「…」
バカだ。大バカだ。
「バカ言ってんじゃねえよ!」
祐二は叫んだ。普段温厚な彼の発言とは、誰も思わなかったろう。
「真里がそうやって抱え込んでんのが、こっちは一番辛いんだよ!海で遊べなかろうが、クルーズできなかろうがどうだっていい。一緒にいられなくたって…真里が一人で苦しんでるのが、一番辛いんだよ!」
「祐二…」
祐二は真里に向かって走った。なんの前ぶりもなく、これでもかというほど強く、真里を抱きしめた。彼女の身体は、驚くほど冷たかった。冬の夜、なにもない草原で佇んでいたなんて…
「バカ野郎。一人で苦しんでんじゃねえよ…」
コートを真里に羽織らせると、もう一度抱きしめる。自分も苦しくなるくらいに。
「ごめんね。気づけなくって。傘だって貸せたのに…肝心の手を、差しのべられてなかった。でも、もう大丈夫。絶対一人なんかにしないよ。」
真里の涙が、じんわり肩に染みてきた。
「二度と、会えないかもしれないんだよ。」
真里が震えた声でささやいた。
「それは絶対にありえないよ。」
祐二は言った。
「どうして?」
「ここで蛍を見たとき言ったよね。『絶対また来よう』って。約束は、必ず守る。」
自然と脳裏に浮かび上がってくる。祐二と真里の、最初の約束だった。
「祐二、そんな昔のこと…」
「必ず、守る。」
祐二は繰り返した。真里の涙が、やっと止まった。彼女は、ようやく口を開いた。
「祐二、私ね…私…」
口ごもってしまっていた。
「うん。」
祐二は応じる。真里が一途な目で祐二を見ていた。
「私、引っ越すことになったの。それで…」
事の全貌を、真里は話した。一度話し出すと、全てを話すことができた。涙が出ることも、声が掠れることも、苦しくなって行き詰まることもあったが、全て話した。
 祐二は健気にそれを聞いていた。祐二も同じくして涙と悪戦苦闘していた。彼女の前で泣いてしまったら、自分の数倍は苦しませることになると、自分でもわかっていた。
「わかったよ。真里。もう何も言わなくていいよ。だから泣かないで。ね?僕たちはずっと、一緒なんだから。」
彼女の涙を拭いて、そっと髪を撫でた。少しずつ彼女は落ち着いていった。そうすると不思議と、祐二も平静になった。
 だいぶ落ち着くと、祐二は彼女にそっとささやいた。
「でも、一つだけ約束して欲しいんだ。それはね…」
祐二が言った契りは簡単で、けれど恐ろしく難しいものだった。 
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